肉沼の森、最終
まどろみの中、徐々に意識が覚醒していく。
「モンスターはっ、皆はどうなったっ」
すぐさま飛び起き、辺りを見渡す。まず眼に入ってきたのは、呆れた顔をしたリーンとブラム、二人は俺が起きたのを見て、少し安心した顔をする。
「やっと起きやがったか、モンスターなんぞ、お前の槍と一緒に芯から炭になっちまったよ」
「そうか、それはよ……良くねえよッ! 俺の槍も一緒にかよ」
「ご、ごめんねメイ、つい頑張り過ぎちゃって、わざとじゃないのよ? 本当なのよ」
リーンがアタフタしながら俺に必死に言い訳をしてくる。まあ正確に言えば俺の槍ではないのだし、リーン達が無事だった事の方が、重要であるのは間違いないだろう。
「あれ? アーチェとサイフォスさんは?」
「あいつらなら、あそこで『命結晶』探してるぞ」
ブラムが指差した方向を見れば、なにやら残った騎士達総勢でモンスターの死骸から結晶を探している様子が見える。
「どうにも結晶が見つからねーらしくってな、ここの主を倒したんだから、無駄じゃねーんだが、どうにもただ働きした気分になっちまう」
「っげ、確かにそりゃ嫌ですね」
あれだけ強い魔物を倒して、ご褒美無しってのは、やはり少し気分が下がる。
…………モンスターの死骸を漁る騎士達を見ていると、何やら死骸の上でクルクルと光る珠が四つほど飛んでいる。
「ねえブラムさん、あの死骸の上で飛んでる珠って何です?」
「ああ? 何だそりゃ、何も飛んでねーだろ、……メイ、お前もう少し休んでろ」
「……メイ、武器を失う悲しみは良く分かるわ、お詫びに私が武器を一本買ってあげるから、今は休んでいて」
「違うからっ、そういう事じゃ無いから! 可哀想な子扱いするなって」
何を勘違いしているのかリーンとブラムから、生暖かい視線を送られる。失礼な奴らだ。
だがどうにもその視線に耐え切れず、逃げるようにその光の珠の元へと向かってしまう。
「起きられましたか、メイさん、無事だったようで何よりです」
「サイフォスさんもアーチェも無事で良かった」
「メ、メ、メイさんッ! ま、また助けてもらった事と、馴れ馴れしく名前を呼び捨てにされ命令された事は死んでも忘れません、ありがとうございやがります」
こいつ根に持ってやがる。
やはり二人に光る珠の事を離しても、サイフォスには休むことを進められ。アーチェには「つ、ついに脳までヘドロが回ったっ」とありがたい言葉を頂く。
目の前でクルクル飛び回る珠をよく見てみると、どうもそれぞれに色が付いているようだ。
『黒』『白』『灰色』『透明』
とりあえず光る珠を捕まえてみようと手を伸ばしてみると、飛び回っていた珠がピタリと止まり。灰色の珠が動き出し、俺の手の中に吸い込まれていく。
「うをっ、何これ、気持ち悪っこっち来んな」
灰色の珠が手に吸い込まれた瞬間、他の珠は砕け散り光と成り果て消える。体と頭に中に何か流れこむ感覚がして、手を振り回し、思わず地を蹴り後ろに飛びすさる。
――――足元の地面が抉れ、体が後ろへ弾けるように跳ぶ。
とりあえず態勢を整え地面に着地し、慌てて自分の体を確認する。体が軽い、力が漲る、先程までの自分の体とは、まるで別物のようだ。俺の異変に驚いた皆が、駆け寄って来る姿が見えた。
「メイ、どうしたっ、何だ今のは、俺やリーンと同じ位の動きだったじゃねーか」
「いや、俺もさっぱりなんですけど、光の珠が体に入ってきて思わず」
「大丈夫なのメイ? どこか痛い所はない? おかしな所は……」
「大丈夫っ、大丈夫だって、リーン落ち着けって」
体をペタペタ触って無事を確かめるリーンに、どこか気恥ずかしさを感じ、慌ててリーンを止める。
「死骸のどっかにあった結晶でも割っちまったか? ……だがそこまで身体能力が上がるはずはねーんだが。まあいいだろ、そろそろこっから脱出するぞっ」
言葉に従い、脱出しようとするが、先刻まで何も感じ無かったはずの奥の肉壁に、違和感を感じる。
「ブラムさん……ちょっとそこの壁に攻撃してくれません?」
「何? そこって言うと、あの化物が浮き出てきた壁か?」
「あーそうそう、そこです」
「……わかった、リーン、やれっ」
リーンが飛び上がり、大剣に炎を巻きつけ肉壁に斬りつける。炎が広がり肉壁が炭と化し、ボロボロと崩れ落ちていく。現れたのは奥に続く通路。
「まだ奥が有りやがるのか」
「さすがにもう魔物は出ないで欲しいんですけど」
「俺が知るか、魔物達にでも言ってやれ。一先ず警戒は解くな、このまま奥に行くぞ」
◆◆◆◆◆
通路を抜けた先には部屋があり、二メートルほどの大きさのクリスタルが鎮座している。クリスタルは紅黒く妖しい輝きを放ち、内部にまるで電子回路の如く光が巡っている。
俺の肩の上でドリーが俺を指差しクリスタルを拳で殴る真似をする。
俺に壊せと言っているのだろうか。
「ブラムさんちょっと下がっててください、ドリーがあれ壊せって言ってるみたいなんで」
「……わかった。お前ら下がれっ、油断だけはするなよ」
ドリーに促されるまま、クリスタルに近づき、手甲が嵌った拳で殴りつける。
――――辺りに透き通るような甲高い音が響き渡る。クリスタルに入ったヒビが徐々に広がっていき、広がりきった瞬間、けたたましい音と共にクリスタルが砕け散り光が溢れる。
辺りを光が埋め尽くす。
余りの光量に瞳を閉じて顔を庇う。
瞼に感じる光が徐々に消えていき。
――――目を開けるとそこには美しい森が広がっていた。人面樹は、若々しい緑色をした木々に、通路は小川に、沼に咲いていたであろう手の花は美しい花畑に。鳥はさえずり、生命の息吹を溢れんばかりに現している。
「これは、綺麗ですね……」
「そうだな、これを見れただけでもモンスターを倒した価値があったってもんだ」
一面に広がる美しい森を眺めていると、少し遠くに、一本の大樹が眼に入る。
「ブラムさん、ちょっとあそこまで行ってきますね」
「あー嬢ちゃんの為か、気を付けろよ、出発の準備が済んだら後から行く」
◆◆◆◆◆
随分と軽くなった体で森の中を走り抜け。大樹の元へと一直線に走りだす。
森が唐突に開け。浅く続く湖の中心にある陸地に、青空を貫かんとする如く大樹が威風堂々と生えていた。
大樹の元に向かうとそこには一人の女性が立っている。前に会ったときよりも心なしか雰囲気が違う、白い司祭のような服を着、緑色をした長い髪の毛を風になびかせ、全てを包み込む様な慈愛に満ちた表情を顔に浮かべている。
『お久しぶりですね』
頭の中に優しそうな声が響く。
「ドリー……じゃあないようだな」
『そうですね、そうであった事もありますが、今は少し違います。わかりやすく言えば、私が母親でドリーが娘みたいなものでしょう、私は【グラン・ウッド】グランとでも及びください』
「大分、最初会った時と大分雰囲気が違うな」
『た、確かにあの時は大分お見苦しい姿をお見せしました。沼に溶け出した人の欲望や沼の魔力に体を汚染されていたので、その……少々〝あれ〟になっていまして』
「つまりアホになっていたと」
『……はい』
グランは俺の言葉に頭を落とし少しショボンとしてしまっている。
「そ、そっか、とにかくグラン、お陰さまで俺は今、生きて此処にいるよ、有難う」
『いえ、お礼は、こちらが言わなければならないでしょう。私の森を……。私たち家族を開放してくれて、有難うございます』
突然頭を下げられ礼を言われて、焦ってしまう。グランは俺を面白そうに見た後。ふいに訝しげな顔をする。
『ですが、貴方は大分変わってしまわれたようですね』
「そうなのか? 確かに元の体と違って、肌が褐色、髪は黒く色が変わっちゃてるけど」
『そういう事ではありま……いえ、それも恐らく関係しているでしょうね。貴方が突然私の森に現れた時は、この世界に全く染まっていないような不思議な雰囲気を感じました。次に貴方がここに逃げこんで来た時には、すでに貴方には沼の特性が、体に染み付いておりました』
グランに言われ多少思い当たる箇所がある事に気づいてしまう。
「沼の特性というと?」
『この沼の特性は【自らに無い力を求める欲望】貴方はこの特性と、沼の魔力を体に宿しています』
その言葉で先程あった体の異常な変化を思い出す。
「もしかしてさっき入ってきた光の珠も?」
『はい、貴方に備わった特性は、本来はあのモンスターの物です。あのモンスターは強い肉体だけを求めていたようですが。そのため貴方に入ったのは【強靭な肉体】なのでしょう。もちろん全てを取り込めているわけではありませんが』
それであの時突然身体能力が上がったのか。
「でも普通の雑魚を倒した時はあんなの見えなかったのに」
『貴方にとって強くても、あのモンスターにとっては弱かったのでしょう』
つ、つかえねぇ。あの化物並に強いか、それ以上じゃないと発動しない能力とか。やっとの事で外に出てこれ、平和に生きようと思っている俺には無用の長物じゃないか。
「そ、そんな物吸収しても大丈夫なのか俺の体」
『貴方があのモンスターから吸収したその殆どは、強靭な肉体という特性だけです。その位なら大丈夫でしょう、ただ元々魔力がなかった貴方に、沼や人面樹から垂れ流された魔力が入り込み、体や髪を黒く染めてしまったのでしょう』
沼で感じたあの薄気味悪い青の光は、どうやら魔力だったようだ。多少気持ち悪いが、そのお陰で魔法が使えるのだからなんとも言えない気分になる。
『その吸収された魔力とドリーの存在、被った沼の臭いと見た目、それがあったお陰で、出ていく時に沼のモンスターに襲われなかったのです』
有難う魔力ッ。有難う沼ッ。
「そこまで知っているって事はずっと見えていたのか?」
『ドリーとはすでに別の存在になった私ですが、ここは私の森、その位の力は残っていました。この中を見渡す事と、あなた方が再度入ってきた時に通路のモンスターを抑える程度ではありますが。ここが開放されるのが、後数年遅れていれば私は完全に汚染されていた事でしょう』
どうも、思っていたよりも世話になっていたようだ。多分あの巨人達が木に肉沼の肥料をかけていた事もそういう事なのだろう。
「……ありがとう」
『いえ……』
しばしの静寂が辺りを支配した。
「……じゃあそろそろ行くよ皆も来る頃だろうし」
皆の所に去ろうとする俺だが、寸前、グランに呼び止められる。
『すいません、少々待っていただけますか? ドリーに、聞きたいことがあります』
グランはドリーに目を向け、ドリーはどこか居心地が悪そうに腕を揺する。
『……ドリー貴方はどうしたい? この森は既にかつての賑わいを取り戻しました。戻ってきて大地に根を生やし、森の中で幸せに暮らす事もできるのですよ』
思わずその言葉に心臓が止まりそうになる。確かにドリーはこの森の住人なのだ、俺はその事に気づいていたはずだ。
気づいていたからこそ、さっさと此処を去ろうとしていた。
ドリーは置いて行ったほうが、いいのかもしれない。家族がここにいるのだから。
頭ではわかっている。だが俺自身の心はそんな事思ってもいない。
ドリーと離れるのは嫌だ。まだ恩を彼女自身に返していない。ドリーと離れるのは嫌だ。まだまだ彼女と旅をしたい。
ドリーが動き出し、肩から下りグランの元へ進む。
鳴り止まない心臓の音を聞きながらその光景を見守る。
ドリーがグランの前で人差し指を振り、さらに指先で刻印を刻む。
『グロウ・フラワー』
彼女が覚えた最後の魔法が発動し、ドリーの指先に有る地面から、昔みたヨモギに似た葉っぱと花が生える。グランはそれを見て優しく微笑んだ。
『そうですか……いいでしょう。幸せにおなりなさい、これは旅立つ貴方に贈り物です』
グランの手から光が溢れ、ドリーの咲かせたヨモギの周りに流れる。ヨモギの葉と花が形を変え、腕輪となってドリーの腕に巻き付いた。
頭に響くその声に心が暖かくなる。
『…………ま……か』
『き……こ……す』
『聞こえますかっ! ふふふッ、さあここからが私たちの伝説の幕開けなのですよっ!』
その言葉が耳に入った瞬間俺の頭の中には先ほどまで感じていた寂しさは無くなり、一つの思いが埋め尽くす。
嗚呼ドリー……、せっかくの感動が台なしだ。
◆◆◆◆◆
その後皆と合流し。
リーンにヨモギもどきの花言葉を教えてもらった。
〈グランウッド地域に咲く花の一つ〉
【ヘンキョウヨモギ】
【花言葉】 『幸福』『平穏』『決して離れない』