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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
混淆都市シルクリーク
109/109

死が絡む 庭は獄の淵なりて

ちょっと正月明けに仕事上の都合で引っ越すはめになったのでストック確保しつつ、一個更新します。次の更新はそこそこでします。前のように恐ろしく間は空かないので、そこだけはご安心くださいorz


感想返しや活動報告返しできなくて申し訳ないです。あまりに溜まっていて、中々手をつけられなくて(汗)時間を見て全部返していこうと思います。ちゃんと頂いた感想は読んでおりますっ。とても嬉しい限りです。

では、楽しんでいただけたら幸いです。


(このまえがきはその内消滅させます)

 



 リーンの視線の先には、聳えるように腰を据えた大岩と、周りを囲む灰樹林があった。

 灰色という色彩ばかりが強いその場所は、まるでロック・ドラゴンが息吹をかけ、全てを閉じ込めてしまったかのようだった。


〈目指していた場所はここだ。あの岩の中にある〉


 樹木のかげに隠れていたメイが、大岩を指さしながらも言う。 

 目的の場所……うながされて目線を向けてみたが、やはりなんど見てもただの大岩があるだけだ。

 

 ――あそこには、なにもない。絶対(、、)に、絶対になにもない。

 

 脳の奥底で、何かがそう囁いている。灰樹林に入ってしばらくしてから、“ここにはなにもない”と、何かがずっと告げていた。

 ――『なにも言わず、なにも考えずに付いてきてくれ』

 そんなメイの言葉に従い来てみたが、やはり無駄足だったじゃないか。胸中に、言いようもない不満が膨らんだ。

 それは他のみんなも同様のようだった。それぞれに、残念がったり悔やんだりしていることからわかる。

 だが、メイはそんな自分たちも見ても気にせずに、『面倒だ』とばかりに立ち上がった。


〈文句があるならあとで聞く。駄目だったときはいくらでも責めればいい。みんながいま、どんな気持ちなのかは詳しくわからないけど、それでも、俺の指示は変わらない。先に――進もう〉


 言って、大岩へと足を進めていく。

 彼らしくもない強引な言い回しに、少々の戸惑いを覚える。だが、指示であると言われたら、リーンたちも動かないわけにはいかなかった。

 本能どうこう以前に、自分たちが自ら決め、信じた指揮の言葉に従わないのはそれこそ愚の骨頂であるからだ。

 ただ、そうは言っても納得いかない部分は残る。文句こそ言わないが、ほぼ全員がしぶしぶといった調子であとに続いている。

 

 慎重に、大岩へと迂回しながらにじり寄っていく。

 先ゆくメイの姿は、こちらにまで伝わるほど緊張感に満ちていて、空気が、冬の朝のように凍てついているように感じた。


 ――まるで、なにかを恐れ、なにかに怯えているような。


 微かな違和感だった。まだ付き合いの浅いスルスたちでは決して気がつけないような小さな変化。しかし、肉泥まみれの頃からずっとメイを見ていたリーンにとっては、それは白壁についた黒い染みのように、ハッキリとした違いだった。


 いったい、メイは何に怯えているのだろう――。

 そんなことを考えながら、リーンは雨の中を無言のままに進んだ。

 何気なく空を見上げてみれば、雲の向こうの太陽が誰かに引っ張られているかのように地面に落ちていくのが見えた。

 辺りが徐々に暗くなっていく。

 三級区域の入り口からここまで、直線距離にすれば大したことはないはずなのに……慎重に進んだせいでずいぶんと時間がかかったものだ。

 思考が、ふわふわとあちらこちらへと向かう。

 気分を緩めていい状況ではないのに、リーンはずれていくそれを修正する気にもなれない。 

 やはりこれも、灰樹林に入ってからだった気がする。

 大岩に近づくための足音と、地面で跳ねる雨の音がやけに大きく聞こえた。

 それ以外に妙な音は聞こえなかった(、、、、、、、)。匂いだって、雨と土の臭いだけ(、、)だ。

 泥棒よりも静かに大岩へとたどり着いたいまも、それは変わらない。


〈ちょっとここで待っててくれ〉

 

 岩肌に背を預けたメイが、大岩の正面へ沿うように近づきこちらへ停止をうながしてきた。

 わけもわからないままに顎を引き了承を示すと、メイはなにもないはずの大岩を覗きこむような動きをとった。

 なにをやっているのだろうか。傍から見ると、少しだけ滑稽な様子だ。


〈とりあえず問題ないな。俺から行く。みんな続いてくれ、瞬きせずに、な。あと入り口には段差があるから気をつけろよ〉


 どこに続けと。段差ってどれ――などと反論する暇もなく、メイは躊躇いなく岩肌へと向かって、またぐように足を踏み出していく。

 ズるっ、とメイの足が岩に飲み込まれた、ように見えた。差し出された右腕もあっという間に埋まり、体が濁った水の中に沈むように消えていく。

 呆然とし、一拍経って誰かがハっと息を飲んだ。

 その音でリーンは我に返り、慌ててメイのあとを追った。岩に入れるはずがない、とか。ここにはなにもないはずだ、とか。考える余裕もなくただ前に――。




 ◆




〈え、あれ? なにこれ、臭いじゃない〉 


 穴に入ったとたん、リーンは突然弾かれたように頭をあげ、鼻をつまんで俺を見つめてきた。


 ――なんだろう、俺としてはけっこう重要なことが起こってたのに、こいつ不思議なほど間抜けなんだが。


 と、少し呆れていると、恐る恐ると入ってきた後続が一斉に声を殺して愚痴こぼしたり、えずいたりとしはじめた。嗅覚の優れている狼の人とか、卒倒しかねない顔で鼻を抑えている。

 これはこれで異常事態っぽいのだが、むしろこっちの反応が普通だと思った。

 まあ、樹々だけは慌てることなく俺の横に移動してきて、つんと澄まし顔をしている。

 そういえば、樹々はさっきもそんなに変わらなかったような。

 気になる疑問点だったが、俺はいったんそれを退け、みんなが臭いに慣……鼻が麻痺するまでのあいだ周囲の警戒を務めることにした。


 そして五分後。

 動揺が話を聞けるていどに収まったのを見計らい、俺は極めて簡単にまとめた説明をいれることに。


〈灰樹林に入ってしばらくして、みんなが仕掛けられていた幻影だか幻惑にかかってしまい、ここに来るのを嫌がりました。以上〉

 

 『は?』『え?』『終わり?』とスルスたちがこぼす。

 説明がかなりざっくりすぎるのは俺も認めるが、これでもおおむね間違っていないのである。

 もう少し詳しく言うならば、本能か無意識に作用するであろう術(?)にかかり、みんなが延々と『ここには何もない』と主張をはじめてしまった。ドリーに平手を打ってもらったりもしたのだが、断続的にかかっているためか解けてもすぐに戻ってしまう。

 そして、それの対策として俺は非常に単純な方法を取った。

 クレスタリアのときの記憶から、“クリスタルの正体はわからないけど攻撃指示は聞ける”ということを思い出し、『ついて来い』という強引な指示を出して連れてきた、というところだ。

 

 結果としては、成功。

 仕掛けが岩内部まで貼られていたら正直どうしようもなかったが、それはさすがになかった。確信をもてていたわけじゃないが、ある意味これは予想していた。

 この効果なら外だけで十分ではあるし、これを仕掛けた野郎――つまりシャイドであろう――の能力には、ある程度制限があると予想していたからだ。

 クレスタリアの際、あいつは広範囲の幻影を使ってこなかった。本人も領域がどうこうで、本領を発揮できない的なことを言っていたし、内部全部に仕掛けを施している可能性は薄い――と推測したのである。

 もし内部にもかけられていたら、という部分もいちおう考えてはいたが、いまとなっては必要ないことだろう。

 みんなにも詳しく説明するべきなのだろうが(もちろんスルスたちに言えないことは隠して)、いまはそれをする訳にはいかない。

 敵の玄関口で長々と喋ってることなどあり得ない。戸惑いは絶対にあるだろうけど、いまは我慢してもらうしか……

 

〈幻影? あ……ああ、そういう〉

〈あーそれでオラここに何もないって思っちまったのけ。んー不思議なこともあるもんだなぁ〉

〈え、やだ……アタシなんか変なこと言ってないでしょうね? もしそうだったら教えなさいよ。どうにか消すから、主にあんたの記憶を〉


 ――いや、お前らは頼むからもう少しおどろけ。あと白ふさ、消すなら自分の記憶にしろ。手伝ってやるから。


 なんともあっさり理解してしまう獄経験組。

 リッツは蟲毒で受けた幻影光を思い出し、リーンとドランはクレスタリアで出会った影を思い出して納得した、というところか。

 ただ、さすがにスルスたちはそうもいかない。彼らの表情は困惑。そして仕草には恐怖がみえる。

 スルスは残った者の言葉を代弁するように、戸惑いを吐き出した。


〈幻影、ですか……言われてみればそうだった気はします。しかし、ここまで精巧でいて、ありえないほどの詐称能力を持った技など本当に可能なのでしょうか? 槍使いさんを疑っているわけではないのですが、どうにも……〉


 スルス以外の三人も似たような考えだと表情に出ている。

 別に彼らの理解力が劣っているというわけじゃない。どちらかと言えばスルスたちのほうが正しい反応である。

 なぜなら――聞きかじりでしかないが――視覚を騙す魔法ならまだしも、精神を操る魔法は、基本的に国で禁止されて作られていないらしいからだ。


 国指定の禁止魔法。

 そう聞くと真面目っぽい。だが噛み砕いて言えば、国にとって悪用されたときの不利益が多い魔法をぶち込んでいるだけだ。

 そしてそれとは関係ないが、作成の困難さも広まらない大きな原因らしい。

 人というものは、千差万別の精神、肉体、魔力の色を持っている。それを考慮して対象を操る魔法など、少し考えればそう容易くないとわかる。

 自分にかけるよりも、相手にかける魔法の方が圧倒的に難しい、ということだ。

 経費、時間、労力などを考えると、それに対抗するレジスト魔法を作成したり、同じ対象指定でも補助や治癒に力を入れたいのだろう。

 まあそのレジストやらも、獄のそれらには大して意味をなさないらしいけれど。


 まあ、そんなあれこれも、スルスたちの戸惑いも現状あまり関係はない。

 悪い気はするが、俺は疑問に答えるでもなくまずは必要な指示を出した。


〈スルス、よくわからない魔法を考察するよりは、いまはここから移動するほうが先だ。

 まずは慎重に先へ向かい、どこか安全を確保できそうな場所を見つけ、服を乾かす。そのあいだ先に食事を取っていた者は見張りに、まだの人は多少なにかを腹におさめてくれ。そのときスルスたちには多少の説明を入れる。時間に余裕があるとも言えないが、この先そんな暇があるかはわからないし、準備は万全にしてから本格的に進みたい〉


 濡れた服は体の動きを阻害し、空腹は集中力を削ぐ。疑問を解くよりも、これから先のことに尽力するほうが先決である。


 スルスもすぐに自分たちの置かれている状況を思い出したのか、ぎゅうっと口をつぐんでくれた。

 こういう部分はやはりすごいと思う。結局のところ、俺たちと彼らの違いなんて経験しているかしていないかだけなのだろう。

 全員が進む決心を固めた瞬間を見極めて、俺は下へ下へと続く穴ぐらへと足を向けていった。

 



 ◆ 




 黒ずんだ地面を踏みしめ、沈黙を傍らに地下へと潜る。

 奥にいけばいくほどに、通路の幅は広くなっていった。足元の地面はすっかり土へと変化していたものの、大量の兵士にでも踏みしめられたせいか、とても固くなだらかだ。

 骸の眼窩を思わせる穴ぐらは、不気味さを感じるていどには暗かった。しかし歩けないほどではない。通路両脇の壁のところどころに凹みが作られており、そこに松明というかランタンのようなモノが備え付けられていたからだ。

 入り口から見えていた光源はおそらくこれ、兵士のための明かりか。

 ファシオンが目でモノを見ているのかどうかは定かではないが、考えたってわからない。とりあえずそう思っておくにした。


 さらに進んでいくと、今度は両サイドの壁に横穴のような道が現れた。

 試しに横道の数本を選んで進んでみると、少し広め、ちょうど教室ほどの広さがある部屋へと行き当たる。

 内部には武器や防具、道具などの細々としたモノが収められている。違う部屋に行ってみると、武器だけでなく古ぼけた椅子が並べられた場所もいくつかあった。おそらく武器の貯蔵庫と待機場……なのだろう。

 樽、防具、剣、椅子――色々な資材が転がっているその様は、映画でみたレジスタンスの隠れ家を連想させた。まあ実際には、ファシオンは反抗される側の勢力なのだが。


 その後もいくつか回ってみたが、妙な場所や敵影は見当たらなかった。

 だからといって安心することなどできるはずもない――が、とりあえず部屋があるのはありがたい。俺たちはもっとも見張り易そうな部屋へと陣取ると、先ほど出した指示通り軽い食事と暖を取ることにしたのだった。

 

 土壁に囲まれつつも、干し肉を噛り水を飲む。ドリーの魔法で果物をひとつずつ頂き、リーンの魔法で濡れた服と体を暖めた。そのあいだに、先ほどの事情を適当な部分だけを選びスルスたちにも伝えた。

 たった少しだけだが憩いの時間であった。

 さすがに緊張感から開放されることはなかったが、果物を食べる樹々の姿や、明るさを振りまいてくれるドリーのお陰で、気力は十分に回復したといえるだろう。

 ただその裏で、俺はドリーにお願いしてある指示をリーンたちだけに密かに伝えていた。

 『ここはやはり獄化している。でもそれをスルスたちには伝えるな』という指示である。

 ハッキリ言って、あとで何を言われるか分かったもんじゃない隠し事だ。正直俺だって嫌なのだが、そうしなければならない理由があった。

 それは、

 『これ以上、スルスたちに変な重圧は与えられないから』これに尽きる。


 これまでの彼らの動揺や仕草から見てとれるように、スルスたちはもう十分に緊張や恐怖、責任などの重みで動揺している。

 そんな状態で『獄モドキに入る』なんて伝えてしまったら? 間違いなく、彼らは普段の実力を出しきれなくなるだろう。

 

 無駄な力みは動きを鈍らせる。ここでは、それは命にかかわる。

 実際、俺は前にリーンから似たようなことを聞いたことがあった。

 任務の最中に緊張から下手を打った新米騎士が、そのまま二度とヘマをすることがなくなった、という話――もちろん、悪い方の意味で永遠(、、)に出来なくなったという結末だ。

 俺の小学校のときの知り合いにも、そういう奴がいた。普通のテストじゃいい点を取るのに、大事な場面で風邪を引いたり点数が下がったりしてしまう奴が。

 スルスたちがそうであるかは不明だが、確かめるには追い詰めてみるしかない。

 それは、危険すぎる。試してみて駄目だったで済む問題じゃないのだ。


 言わぬが花。

 ここの前情報がいっぱいあるわけでもないのだし、伝えたところで対策をとれるわけでもない。知らぬままが幸せというのは、ままあることだ。今回はそれに該当するだろう。


 最低な部類の嘘だというのは自覚している。 

 罪悪感で胸がちくりと痛んだが、それでもスルスたちの安全にはかえられないと思った。

 ここの走破が終わったら、彼らにはしっかりと謝ればいい。

 だからこそ、そのためにも、自分に出来うる限りで死者を出さないようにしなくては。

 休みを取っているスルスたちを見つめ、俺はひとりそんなことを考えつづけていた。

 

 魔法印の内容調整なども手早く済ませ、スルスたちの顔色が戻ったのを見計らって、俺たちは部屋を後にした。

 それからしばらく脇道などの確認をしたのだが、これといって変わった場所はなかった。

 蟲毒と違って本筋はわかりやすくなっているらしい。この時ばかりは、胸をなでおろしてしまった。

 俺としても、あの迷宮のような道をまた進むなんて想像するのも御免だったのだ。

 


 部屋の探索をそこそこで止め、俺たちは中央の通路へ戻った。

 これからどうするのか――そういった表情でみんなが見つめてくる。

 不安を抱かせてはいけない。みんなを安心させるためにも、俺はこれからの行動方針を悩むことなく口にした。

 

〈この分だと、残りの脇道も部屋ばっかりかもな……あまり入り組んでないのは助かるけど、敵と蜂合わせる可能性も高いし、後は警戒するだけに留めて、真っ直ぐ奥へ進んだほうがよさそうだ。もし敵を事前に発見できた場合は、横の道や小部屋を利用してやりすごそう。みんなもそのつもりで考えておいてくれ〉


 時間の無駄を極力省くには、一番大きな道である直進が最適だろう。

 今までの経験上――獄の場合は下や奥、特に最下層最奥にクリスタルが置かれていることが多い傾向がある。この判断もあながち間違っているとは思えない。

 ありがたいことに口挟む人もおらず、全員がその判断に従う心づもりらしかった。

 

 喜びも、迷いも恐怖も押し込める。自信に満ちた判断だと見せるのが大事である。

 仕草や表情、雰囲気までもを気をつけて、俺は自分の中にある不安を延々と『大丈夫』と言い聞かせて打ち消していた。

 不意に、心配そうに俺を見るリーンたちの姿が見えた。さすがに彼女たちには見ぬかれているらしい。

 バレてしまった焦りは感じなかった。それどころか、不思議と楽な心持ちになれた気がする。

 そうか、今回は蟲毒のときとは違うのか。あまりひとりで背負い込む必要もないのかもしれない……俺はこのとき不意にそう思ってしまった。




 穴ぐらを、ただ黙々と進む。

 ぱキり ぼきン

 しばらくすると、土を踏む音にそんな音が混じりだした。音の原因は地面に散乱している骨のかけら。地面を注視してみれば、ガラス片のように小さな骨から明らかに人の頭蓋であろうモノまで、様々な骨が転がっているのがわかった。

 お世辞でも良い雰囲気ですね、とはいえそうもないが、さらに進む内にそれすらもどうでもよくなってきた。

 今度は通路脇の地面に、人の腕と思わしき骨が路端の雑草のようにズラリと生えはじめたからだ。

 骨の腕が生えた通路が真っ直ぐ下へと続く。何かを掴もうとしているかのように手を広げた骨腕の群れは、そこそこに不気味だ。


〈この場所は……〉


 そんな光景に怯えが走ったのか、俺の右後ろを歩いていた騎士の男性が小さく身を震わせた。


〈一体何なのでしょうか。まるで垣根のように骨が植えてある。意図がまるでわからない〉


 沈黙に耐えられず呟いたであろうその声は、酷く恐れに満ちている。今までの様子からしても、この中で彼が一番こういう場が不得手なのかもしれない。いや、ドランも怪しいか?

 ともかく、このまま無視するのは良くない。


〈垣根か、見えなくもないような……意図って言われても、まあ防犯には良いか? 泥棒すら超えたがらんだろうしなこれ〉

『っは!? つまり心の垣根を作って侵入を防ぐわけですねっ? にゅふふ』

〈いや、そんな自慢気な顔されても、そこまで上手いこと言えてないです〉


 努めて軽く返した俺に、呼応……ではなく単純にいつも通りの反応をするドリー。

 この空気とは合わない会話の流れに、騎士の男性は驚いたように目を大きく開いた。


〈こんな状況で冗談とは、余裕ありますね。自分はどうにも……その、怖くて〉

〈別に怖いのは当たり前ですって。でも、だからこそいつでも動けるように力を抜かないと〉

『そうですよっ、蔓のように、ぱしゅっとしなやかにっ』

 

 自分の腕を蔓に見立て、ドリーはうねうねとウェーブしてみせる。

 思わず騎士の男性は苦笑を浮かべている。そのあと彼は口を噤んでしまったが、震える体は止まったようだった。

 とりあえず恐怖を誤魔化すことはできただろうか――後方でドランが自分の踏んだ骨の音に驚き「ひいっ」「うひゃっ」などと声を漏らしていたが、まあ彼は大丈夫だろう。いざとなったら恐怖を吹き飛ばす強さを、ドランは持っているのだから。

 それに、未だ慣れていないスルスたちだって、骨とか、肉とか、見ていたらそのうちにどうでもよくなるはず。あの腕から下が生えて襲ってこなければ、実質的な被害など皆無である。

 ただ、

 そうはいっても所詮は応急処置みたいなものに過ぎないのは確かだ。どうせもう少し経てば『さっきの景色は平和だった!』となるに違いないのだから。

 予兆と予感。

 少しふざけて会話していても、俺はそれを感じ取っていた。

 

 ――景色だけじゃなく、臭いもちょっと変わったか。


 注意深く臭いを嗅いでいればわかる。周囲の空気は相変わらずひどいが、先ほどよりも明らかに強くなっていることが。

 下層に行けば行くほど、停滞している死の臭いが煮詰められ濃密になっているような。


 ――やっぱり蟲毒とかよりは深くないか。そろそろ何かしらの変化が近い気がする。


 これまでに三回、これを入れるならば四回こういった場所に足を踏み入れている。俺の心底に息づいた経験は、先ほどからずっと『油断するな』と告げていた。

 そしてそれは正しかったのか、

 やがて――斜めに降っていた坂は、終わりを迎えることとなった。


 穴ぐらの底は、血で濡らしたかのように地面がじっとり湿っていて黒かった。転がる骨も、ここにきて異様に増えているようだ。

 前方にはコップの底のように少しだけ狭まった土の通路、幅は人が並んで三人が通れるほどだ。

 奥は右へと折れるように曲がっていて、自然と先は見通せなくなっていた。

 空気がより淀んだのを、今度は鼻じゃなく肌で感じる。死体の吐き出した呼吸のように、あそこから嫌なものが漏れ出している、とも。

 素直に言えば行きたくはなかった。でもここまで来たら行くしか道はない。

 

〈先行する――警戒を最大限に、少し遅れて付いてきてくれ〉

 

 短く告げ、俺は境界線とも呼べるそこを踏み越える。

 穴に入る瞬間、化け物に喰われているような錯覚に襲われたが、その程度では足を止める気にもならない。

 更に進む。

 しかし、息を止め角を曲がった直後、俺は飛び込んできた景色を目に頬をひきつらせることになった。


 ――予想通りっちゃ予想通りだけど、なんだこれ。


 かなり広いと思われる空間は、端的に言えば濃密な死がひしめきあっている場所だった。

 隙間なく地面に敷き詰められている黄ばんだ骨々。そんな不気味な地面からは、一定間隔おきに人骨が絡まり合って一抱えほどもある支柱を作っている。

 無言のまま頭上を観察すると――恐らくほとんど全ての柱――高さ六メートルほどの位置で、何百本もの腕骨が四方八方へと伸びているのがわかった。

 骨の腕は互いを捕まえるように握りあい、網目のような形を成して広がっていて、空間の上部を覆っている。よく見えないが、天井はそうとうに高いのかもしれない。


 不用意に足を踏み入れる気になれず、俺は周囲を探ることに務めた。

 視界は悪いが、思ったよりもここは暗くないと気がつく。

 光源は、支柱のいたるところに付いた頭蓋の眼窩。そこから漏れ出している暗い紫色の明かりが周囲を照らしているのだ。

 汚れた魂のごとき光はなんだか酷く恐ろしい。すぐに目を離し、俺はむせ返るような血臭と腐臭の原因であろうものを睨んだ。

 

 ――なんとも獄らしいこって……。


 臭いの元は――他にもあるかもしれないが――五メートルほど前方にある骨で囲われた溜め池と、そこらの骨の支柱や網目に絡みついているブツなのだろう。

 血臭は、臓物色の液体が満ち満ちている溜め池から。

 そして腐臭は、柱と骨組みの至るところに絡んだ、てらてらと赤黒く艶めいた腸の蔦と、そこに連なる人の頭部や腕と足といった……数えきれないほどの肉の果実がまき散らしているのだ。

 肉の果実、なんてあの沼を思い出すので想像するのも嫌だったが、ぶどうのように連なる眼球が顔の高さにあるのだから連想しないほうが難しい。


 ――怪しいなあれは。少し危険はあるけど、今後のためにも確かめとかないと。


 逃げ出す算段を万全に整えたあと、俺は足元の骨の欠片を眼球の果実へと弾き飛ばしてみた。

 ピシ、と骨が当たり、ゼラチンが震えるように眼球を覆う膜が揺れる。が、悪い方の予想は当たらずそれはピクリとも動かない。続いて手足や頭部にも同じ事を繰り返す……も、やはり動きはない。


 ――助かった。モンスターとかではないらしいな。

 

 自然とため息がこぼれ出る。四肢や生首、眼球を見て『動かないだけいいよね』と思える精神状態はかなり駄目かもしれないけど、実際はそんなものだ。 

 恐れるべきは、景色ではなく結果。

 獄で本当に怖いのは、常識外れなモンスターや罠で人があっさり死んでしまうことである。


 そういう認識があったせいか、俺はこの現実味のないグロ空間に恐怖を覚えるよりも、『なんて、惜しい場所なのだろうか』などと考えてしまっていた。


 そう、この場所は非常に惜しい。

 骨の柱が大理石であったなら。生っている肉が果物であったなら。

 美しいため池があり、地面に広がっているのが青々とした芝生であったならば。そこは豪華な家にある、美しい庭園だといえたのかもしれないのに。

 でも、現実はこれ。

 俺の頭がおかしくなっていないのであれば、広がっているのは地獄の淵にあるような……死を絡みつかせた庭淵ていえんである。

 碌でもない場所だ。

 ここで頭部をもいで『サッカーしようぜっ』などとハートフルな日常をすごせる精神がある奴は、きっと化け物か気狂いのどちらかだろう。


 ――腕が生って目まで出て、あとは鼻でも咲いたらほらお庭ですってか……作った奴は何考えてんだか。

 

 胸中で愚痴こぼしていると、不意にまん丸の言っていたスコップを持った化け物が頭に浮かんだ。“スコップ”という単語が、庭を手入れする職人を連想させたらしい。

 あいつか、あいつかもしれない。

 死狂いの庭師――いや庭死とでも呼ぶべきか、本当に奴の仕業かは定かではないが、作ったやつがイカれてるのは間違いない。

 

『お花さんをいっぱい植えれば、もっと綺麗になると思うのですが残念です』


 花や木々が好きなドリーにとって、この景色に好感は抱けないだろう。悲しそうに頭を下げ庭を眺めてしょぼくれている。

 慰めるように頭あたりを撫で、俺は話を変えていった。

 

〈まぁ……景色にいちいち文句つけても切りがないさ。それよりも敵のほうはどうだ?〉

『えっと、なんだか嫌な気配もするような。でもなんかモニャモニャするのが漂っていて、よくわかりません。相棒、くれぐれもご注意を』


 手首をかしげ、珍しくもすぐれない警告が返ってくる。

 モニャモニャ――とやらが一瞬なんなのかわからなかったが、じっと前を見ているうちに合点がいった。よくみれば空気中に黒い霧のようなものが流れていたのである。モヤの見た目は、ファシオンの体から出ていくやつにそっくりだ。

 

 ――あのモヤのせいでドリーが索敵しにくくなっている? なんかあれ自体が気配でも出してんのか。言われてみれば、そこら中に薄っすら気配があるような、ないような……しかしそうなると怖いな。臭いのせいで鼻で探れそうもないし、骨の支柱と実った肉のせいで先の見通しも悪い。不意打ちには相当注意しないと。

 ……ん?

 

 背後に気配。敵ではない。先ほどの指示通りスルスたちが遅れてやってきただけだ。とはいえ、問題が全くないってわけでもなかった。

 予想できる事態に備えて余裕の態度で振り返る。と、そこには当然の反応が待っていた。


〈槍使いさん……って、こ、これは一体……〉

〈――ひっ、なんなのここは〉

〈っぐ、せっかく慣れたのにまた鼻がっ〉

〈…………〉


 呆然と立ち尽くすスルス。兎の女性は己の身体を抱きしめ震え、狼の男性はありえないほどに増した臭気に耐え切れなかったのか、鼻を抑えてうずくまる。残った男性騎士の顔色など、病的なまでに蒼白く染まっている。

 まあこうなるだろうとは思っていた。どちらかといえば、取り乱して叫ばないだけ豪胆だ。連れてくる人選はやはり間違っていなかったらしい。


 ――俺なんて、最初は肉沼でビビリすぎて動けなくなったってのに。


 自分自身に苦笑して、俺はこれ以上スルスたちに余計な口を利かせる前に、後ろにいたドランとリーンに目配せした。

 小さなうなずき。ドランが狼の男と騎士の男性の口を、リーンが兎の人の口を優しく塞ぐ。

 戸惑うスルスに、俺はしぃと口に指を当てて見せてから話しかけた。


〈落ち着け。ひどい景色だが、それだけだ。少し調べた感じだと、あの生っているやつに危険はなかった。たぶん、怪しい研究材料にでも使っているんだろ〉

〈それだけ……って。いやそれよりも研究、ですか?〉


 絶句し、後にそう聞き返してくるスルス。

 反応は悪くないと思い、俺は『そうだ』と話の続きを語った。


〈このぶら下がった眼球や、人の部位……不気味だが必要性がわからない。けど、なんだってこんなものをと考えて、俺はひとつ気がついたんだ――たぶんこれってファシオンのしぶとさの秘密なんじゃないか?〉


 口をつぐんだままのスルスが、いぶかしげな瞳で俺を見る。

 もちろんこんな話はでまかせに決っているのだが、俺はこの世界にも実在するものを繋げることで、スルス……それに彼らが納得しやすい理由へと変えた。


〈――コープス・エキス、聞いたことがあるだろう? 痛みを消し、まるで動く死人のようなしぶとさを得られる薬だ〉


 静寂。

 彼らにその言葉が染み入ったのを見計らい、更に続ける。


〈材料は死体にとりつくスライムの体液だったか……見ろ、ご覧の通りここは死体の山だ。そしてファシオンにとって、ここは重要な拠点だと思われる。つまり、どんな方法なのかは知らないけど、ここでそれを生産している……とも考えられないか? いや、ここが補給地点だと考えると、もしかするとそれを応用してもっとえげつないことをしている可能性も〉


 昔の自分が聞いたならば、間違いなくそいつに精神病院を紹介するだろう馬鹿話。

 しかし、その効果はあったようで、『コープス・エキス』の名を聞いたとたん、スルスたちは何かに気がついたように唸った。

 確かサバラ辺りが『前に調べたけど、証拠や形跡がなかった』とか言っていたし、彼らが知っているのもある意味当然のことだ。

 いまごろスルスの頭の中では、『ここで薬を作っているから、経路が判明しなかったのか!』とか自分で筋道を立てていることだろう。

 人は、得た情報によって、自分自身で予測を組み立てることで信用してしまう。全ての人がそうじゃないが、少なくとも、全てを他人に語られるよりは信じてしまうだろう。


 とはいえ、実はこれだけじゃまだ足りない。

 そこで俺は、最後の仕上げに前情報として語っていた情報へと導いた。


〈俺が相棒の蛇と出会ったときの話はしたよな? 正直、証拠もない妄想に近いものかもしれないけど、そいつらが裏で関連しているとも俺は考えている。もしそうだとしたら……この先、表に出ていない“非人道的な魔法”や、凶悪な方法で作られた“不気味な化け物”が出てくるかもしれない〉

〈そんなっ!?〉


 スルスの大きな目が更に開かれる。予期せぬ繋がりを耳にした後ろの方々も、驚いたような表情となった。

 なんて素直な人たちだ。俺がそう思っていると、スルスはひとり『それで……なにか知っているような様子が』と呟きを漏らしていた。

 その内容から考察すると、俺たちが何か情報を握っている……と気がついており、それが異なった方向に突っ走った、というところか。

 なんにせよ、俺にとっては好都合だ。このまま嘘を貫かせてもらおう。


〈ともかく、これから異常な事態に遭遇する可能性は十分に高い。いまみたいに動揺されると危険が増すし、頭にそういったことを留めて気構えておいてくれ〉

〈了承しました。申し訳ありません……気を使わせてしまって〉

 

 自分の動揺を恥じているのか、スルスは顔を少しうつむかせた。ゆっくりとドランとリーンが手を離す。しかし残った彼らからも、騒ぎや反論が飛び出すことはなかった。


 ――よし、きたっ! これでグチョゲロの化物が出ても、腕や足が行進し始めても、全部『くそ! 外道だぞ悪の研究所め!』で済ませられる! 


 心の中でガッツポーズを取るほどに、これが通るのはデカイ。

 ぶっちゃけると、“獄”という意識を“研究所”に変えただけの子供だましでしかないが、かかるプレッシャーは段違いに変わってくる。

 良かった。本当に良かった。

 当面の問題が解決したことに、俺はいままでで一番の安堵を感じていた。

 でも、それも仕方ない……そんなことに気を取られる余裕がこの先あるとは、俺には到底思えなかったのだから……。

 振り返ると、揺れる怪しい紫光の群れがある。

 点々と灯った生々しい部位や臓器が暗闇に垂れ下がっている。

 黒いモヤの中にふと叫ぶ人間の顔が見えて気がして、肌がほんの少しだけ恐怖で粟立った。

 集中しないと、これまで以上に。

 



 ◆



 

 シルクリーク領内東側、草原。

 膝下まで伸びた背の高い草が生えそろったその場所で、ラッセルは馬に跨り押し入る荷車と馬やケイメルの群れを待ち受けていた。


「……アッシは運がねぇ。きっとお天道さまにさえ、見捨てられているんですぜい」


 自らの眼前にこしらえた兵の壁から目を逸らし、灰色の空を見上げる。

 ラッセルの表情は、やる気がないというよりも、どこか達観しているようだった。

 別に生き残ることを諦めたわけではなく、勝ちを見いだせないわけでもない。ただ、よりにもよってという思いが強かったのだ。

 そう、よりもよって……“いる”――視線の先、いまも向かってくる車の上に、赤銅に輝く杖をもった人物が。ジャイナが一番気をつけろと言った妖怪なます切り(じじい)が。


「化け物……ですぜありゃ」


 もう何度か見たが、相手は話に聞く以上にとんでもなかった。

 突撃してくる敵をいなして一回目、交差する瞬間に兵士が切られていた。

 驚きと動揺を抑えての二回目、準備していた投擲兵器(戦車に備え付けられた大きなボウガン。鉄球などを撃てるようにしたもの)で飛ばした弾を、軌道を変えるついでに三枚におろされてしまった。

 三回目など、守りに守ったここまで兵士の頭を踏み台にひとり迫ろうとしてきたのだ。ふざけてる。もちろん、数の利は大きく、いまも首は繋がっている。

 その後も、何度か実力を垣間見ることになったが、全てにゾッとさせられたものだ。

 

 技術力が恐ろしい……わけではない。こういう場面において無双する者は、多くはないがいるからだ。しかし、これだけの数に囲まれて、興奮状態にもならず恐れる様子もなく対処してくる人物……となるとこれは尋常じゃない。

 達人級――そう称するに相応しい人物だと思った。

 正直、人の区分にいれたら駄目な者なんじゃないか、と半ば本気で考えた。前に酒場で耳にした、切るのが好きな化物はこのジジイの見間違いなんじゃないかとすらも思ってしまった。

 と、馬鹿げた考えが湧くほどに殺りあいたくない人物だ。

 しかも現状には――その爺に加え他にも数名おかしな輩がいるのだから堪らない。

 最初にそれを知ったときは、迷わず早馬で城へと報告を飛ばしたものだ。だが冷静になって考えてみれば、あの王がこちらに援軍を出すわけもなかった。

 嫌で嫌で仕方ないが、もうここは自分でなんとかするしかないらしい。

 

「ゴラッソとアッシの二分一にぶいちのはずなのに、なんで当たり前のように悪い方を引くんでやしょうね」


 呆然としたまま言葉を紡ぐ。返答は期待していないが、なんとなく口に出せば叶う気がして。

 できることなら、このまま兵士を囮にして逃げ出してしまいたかった。でも、そんなことはできない。赤錆たちから逃げ切る自信はあるが、影の呪いから逃れる術はひとつとして持っていないのだから。

  

「どうにか退治できないんでやしょうかねー。颯爽と現れた謎の札士とかがバシッと退散! 的な感じで」


 ずっと東の方だかで、紙切れに魔法印刻んで使う地域があるとか、ないとか。うろ覚えだがそこにいる札士(?)とかいう職種の輩が、化け物を退治しているとか、いないとか。

 そこいらの酒場で聞いただけの話。だがそんな聞いただけの誰かに頼りたくなるほど、ラッセルはうんざりしていた。

 迫る敵は八百そこそこ、対するこちらは二万と二千ほど残っている。未だに数の差は馬鹿みたいに開いている。

 が、少し間違えればあっさり死ねる、そういった緊張感は絶えず背筋を舐めていた。

 馬蹄の音はもう間近。もう数分もすれば、矢の射程に敵がはいり戦闘が激発するであろう。

 いくら愚痴をこねても、現実はいつだってかわらない。苦しいばっかりだ。

 

「くそ、やりゃいいんでやしょ」

 

 視点を前へと戻し、ラッセルは命を待つファシオンを動かしていく。

 馬の上で右手を振るう。もう何度も繰り返してきた流れだ。指示を出すその口も清流のごとく淀みなく言葉を吐き出した。


「大盾部隊を先頭に、続いで槍持ち構え! 弓兵を筆頭とした遠距離部隊は最後方にひかえて射撃準備! 陣形は先ほどと同じ、アッシの周りを半数で囲んだまま、残りが左右に展開――敵はいままで通り薄くなった箇所の突破を試みて、こちらの数を減らしてくるでやしょう。こちらもそれに合わせ、敵の数を削りやす! ひとり殺されるくらいなら必ずひとり道連れにしてくだせぇ!」

 

 地面の上で、戦車の上で、鈍色の盾を兵士が構える。槍兵が石突きを地面から離し、穂先で杭の壁を象った。矢先は空へと掲げられ、戦馬車に備え付けられていた投擲兵器の骨組みは、はち切れんばかりに撓る。


 緊張。威圧感に身が竦む。

 車輪が巻き上げるしぶきが迫ってくる。草が蹴散らされ、やがて敵影が遠距離攻撃の範囲内へと雪崩れ込んだ――


「二回に分けて射撃を開始ッ! 魔法はきやすが、できるだけ盾で防いでくだせぇ!」


 尻込みしそうになる己を抑え、ラッセルは腹の底から攻撃指示を絞りだす。

 一斉に投擲兵器の力が開放される。盾持ちの兵士が刻印の入った鈍色の鉄塊をより堅牢にした。

 くるぞッ――そう叫ぼうとした時には、もう曇天の空を背景に敵の放った魔法とこちらの投擲物が激突していた。

 砲弾と氷弾が騒音をまき散らしてぶつかる。土の礫と矢弾が互いの軌道を滅茶苦茶にそらし、隙間を縫った攻撃はやがて天から降ってくる。

 凄まじい音々がラッセルの鼓膜を脅かした。

 しかし、土、氷、水、その三種の魔法弾が大盾を貫くことはなく、衝突したと同時に淡い燐光を生んで散っていく。

 氷が溶けて水に。水は硬さを失い衝撃だけを残す。

 岩はとたんに土へと戻り、土砂のごとく降り注いだだけとなる。

 被害は出たが、極めて軽微。


 ――よし、いままで通りこれで防げやす。


 魔法無効化。

 表面に特殊な鉱物をコーティングすることで可能となるそれが、兵士の掲げる盾に施されていたのだ。

 そう、なにも準備をしていたのは相手ばかりではない。守衛のジャイナの方はまだしも、ラッセルとゴラッソは討伐隊である。赤錆という強靭な手札がない現状、こちらが速度と遠距離に弱いことくらいわかりきっている。予測して対策するのは必然だ。

 とはいえ、これはラッセルが自主的にやったものではなく、王からの指示である。

 来るべき戦のため。

 魔法攻撃を主とするであろうホーリンデルに対抗するため。

 それがラッセルたちが他の街や村を回った理由のひとつに含まれていた。


「準備は万全……つっても、怖いもんは怖いんですがねッ!?」


 盾の隙間を塗って地面に刺さった氷の槍を横目に怯え、ラッセルは思わず叫んだ。

 水音と衝撃音もあちらこちらから聞こえてくる。いくら盾に魔法無効を施していても、空気中から集めた水や土の塊は残り、空から降ってきた衝撃は伝わる。相手もそれを理解しているからこそ、炎や雷などの魔法を避けて撃っているのだろう。

 普通の兵士なら、いくら無効化盾があろうとこんな大量の魔法を防ぐなど不可能だ。しかし持ち手は普通ではなくファシオンである。

 

 衝撃も、疲れも、痛みさえも感じぬように、兵士は無言で盾を持ち続ける。

 降りしきる魔法はラッセルまで届かなかった。無敵とまでは言えないがあり得ないほどに強靭な防壁だった。

 特殊コーティングの盾は直接攻撃に弱い――という欠点もあったが、一度土弾を作って〈チェンジ・ロック〉を重ねがけする。もしくは、上位の魔法などの強烈なものでなければ剥がされはしない。

 おそらく、相手だって一度ならずとも考えてはいるだろう。だがやってくることはきっとない。

 射手の減少。消費魔力の増加。それらを甘受できるほど向こうにも余裕はないのだから。


 馬の首にすがりつき、盾の保護の後ろで前を見ていたラッセルは、敵の荷車の一台が派手に横転している瞬間を見た。数こそ決して多くはないが、ちゃんとこちらの攻撃も直撃しているのだと改めて理解する。

 

 ――いける、勝てやす……。


 こちらが五千減っても、相手の数を強引に削ってしまえばいい。

 確かに相手のほうが強者揃いであるが、だからなんだ。圧倒的数で押し、疲れを知らない兵士でごり押せば!

 降り注ぐ流れ弾に当たって、自分が死ななければ大丈夫。あの爺は危ないけど、ひとりで突っ込んでくる分には捌ききれる。

 そう、思ったのに――。 

 咆声。衝撃音。他にも様々な音が交じり合っている戦場で、ラッセルはハッキリと耳にした。

 

「さあ若造どもよ! 今回の目標は敵本陣じゃ――さっさと首級を上げて祝杯をあげるぞい!」


 突撃してくる敵の塊の先頭で、快活な笑いをあげる爺がそうのたまったのを。

 わざわざ横に広げて狙いやすい位置を作ったのに、敵は、真っ直にもっとも守りが厚い場所――つまり自分がいるここへ突撃するという。

 そんなはずが、そんなこと――


「そんな馬鹿げたことッ――」


 信じたくなくて、信じられずに悲鳴を漏らす。でも、そこまで言うだけで精一杯だった。

 火炎。

 次の指示を出す暇もなく轟音が空気を揺らす。 

 突撃してきた敵影がたどり着く直前、先頭の盾部隊の足元が突然真紅の炎をあげて爆発。炎の柱が上がり盾持ちの一角が崩壊していった。

 位置指定型の魔法。それを地面に向かって放ったのだろう。この距離までたどり着けば可能ではあるが、そんな馬鹿な真似をまさかやるとは思っていなかった。

 ラッセルの思考が一瞬真っ白に染まる。そのせいでほんの少しだけ反応が遅延する。たったそれだけの遅れ。だが見逃してくれるほど敵は甘くない。


「はい、みなさん突破口を広げましょうー」


 戦場で耳にするにはのんびりとした調子の女の声。直後、崩れた一角に雪崩れ込むように魔法が撃ち込まれた。

 影針が兵士を地面に縫い、続く魔法が閃光を生んで、轟音を広げる。

 噴煙の中を先頭を切って突っ込んでくる荷車が一台。それが前線の兵をなぎ倒したと同時に速度を突然落とした。

 小さな敵影。

 飛ぶように空へと舞った人影は、ラッセルがもっとも恐れていた人物――赤銅杖持ちの爺だった。

 まずい、そう思ったときには、敵はもう地面に着地し赤い剣線をきらめかせている。

 首が、槍が、兵士の体が一瞬で細切れにされ、開いた空間を占領するように後続の敵が前に出る。


「さあ引っ込んでおる首級まで押しこむんじゃ! もたもたしよると取り囲まれてしまうぞい!」

 

 赤銅杖の爺の咆声。そして響く威圧を伴う怒号の群れ。

 襲い掛かってくる敵に近くのファシオンが攻撃を繰りだそうとし、切られ、穿たれ、跳ねられ吹き飛んだ。


「ぬわーはっはっは! 弱卒――弱卒共がッ! ぬるすぎて準備運動にすらならぬ! 潔く砕け散れぃ!」


 どこか既視感を抱く妙な高笑いが響き、左前方の空にファシオン兵が幾人も打ち上げられる。言葉通り兵士の体は粉々で、血で染まった破片がその一角にザンザンと降った。

 至るところで戦闘が激発している。

 雷。剣閃。影に氷にまた高笑い。

 けたたましい音は倍増し、戦線は一瞬で混沌に直行した。


「ぁ――」


 呆然と馬の上にいたのは、一体どれだけの時だろうか。自分では全くわからない。でも、宙を飛んだ兵士が傍らに振り落ちた音で、ようやくラッセルは我に返った。

 思考が戻り、とたんに体が震える。

 なにが、勝てるだ。どこに安全な場所がある。こんなにも死は目前にあるじゃないか。

 腹の底からこみあがる恐怖。吐き気がするほどに心臓が鼓動を打つ。

 また呆然としそうになったが、沸々と湧き上がってきた感情によって、ラッセルはどうにか踏みとどまった。

 死にたくない……影にいいようにされたまま、自由にもなれないまま死にたくなんかない!

 心が本音をわめく。体が思いで支配される。なぜか脳裏をよぎる駄目な仲間の姿。

 ラッセルは怖気づきそうな気持ちを飲み下し――必死の形相で指示を叫んだ。


「っ――絶対に相手の進路を変えてくだせえ! 広がっていた兵士は中央に集中。囲んで数で押し、絶対にここまで入れては駄目でやすッッ!」


 蠢くように兵士が波打った。一斉に中央へと集まってくるファシオンの群れの中を、それでも敵は切り開く。

 真っ直ぐに自分の首を見つめる、金眼がくる。

 赤い剣線はもうすぐそこだ。死神はすぐそこだ! 敵を阻むには間に合いそうもない。頭を踏んで迫る小柄な爺が視界内に明確に映る。

 死んだ――そう確信した。

 けれど、ラッセルは腐っても一級の走破者だった。


「嫌だッ――冗談じゃねぇッ!」


 本能のままに咆哮を吐き出し、経験のままに体を揺り動かす。

 懐に右手を突っ込み五本の筒状爆薬を取り出し投擲。空中に爆薬が舞った直後には、左手で取り出していたダガーナイフに炎のエントをかけて投げていた。

 飛ばした火薬にナイフが向かう。投げたと同時にラッセルは馬から転げ落ちるように右へと倒れこんでいた。

 地面に落ちる間際――ナイフが筒へと突き刺さる。

 中空で火炎が盛大に四散。

 背中から地面に落ち、したたかに体を打ち付けながらも赤を見上げる。


 ――はは、世界はこんなに真っ赤だったんでやすねぇ。


 霞んだ視界では炎が踊るように揺れていた。自分も一緒に燃えてしまうような気がしたが、次の瞬間には集まってきていた大量の兵士が、赤い空間を強引に塗り潰していた。

 槍や大盾が視界を占拠した。大量の足が地面を蹴っているのも見えて、凄まじい閉塞感。踏まれて死ぬんじゃないかという恐怖が湧いた。

 そのとき。

 騒音の最中――ラッセルは兵士の上でチッと舌打ちが鳴ったのを耳にした。


「嬢ちゃんもそうじゃが、ここぞという場面で意外と粘りおるのう。こちらも犠牲を出したというのに……あとちぃとのところで間に合わんとは。仕方あるまい、進路変更――薄くなった箇所を貫くんじゃ!」


 聞こえた撤退命令。それ切っ掛けに戦闘音が斜めにずれていく。

 兵士に囲まれるように倒れていたラッセルは、這いずるように身を起こし馬の上へとどうにか戻った。

 馬の上で状況を確認しようと視線を彷徨わせていると、兵士の波を切り分けて左後方へと抜けていく敵の先頭に、赤銅杖の使い手を見つけた。

 距離はどんどんと離れていて、大量の槍などで視界は悪い。なのに、外套の下から見つめてくるひとつの金眼と、ラッセルの視線は交差した。

 射竦められ、鼓動が早くなる。

 口元は見えないし、声が聞こえるはずもない距離だったが、しかし敵の言いたいことを、なんとなくラッセルはわかった気がした。

 次こそは殺る。首を洗って待っていろ、あの目はきっとそう言っている。

 全身が、体の臓器全てが握りしめられているような感覚に襲われた。自分の体の中で、じめった汗をかいていない場所はたぶんどこにもないだろう。


「は、はは……命が、幾らあっても足りないじゃねぇですかい」


 手中にあったはずの勝利は、一体どこに零れていったのだ。

 数の利。厚い兵士の壁。そんなものだけで、自分は相手を侮っていた。

 頭では恐ろしいと思っていたのはずなのに、心の底ではまだ死ぬことはないと考えてしまっていた。

 馬鹿げている……自分を基準に考えていたせいで大きな勘違いしていたんだ。

 自分なら、できるだけ死なないように無理はしない。

 自分なら、危機を避けつつ勝利へと向かう。

 違う。そうじゃない。

 あいつらは、最速で勝利を掴むため、長引いて犠牲を増やさないために、もっとも危険な橋を何度でも渡ってくるつもりだ。

 今回の突撃で、こちらのみならず向こうにだって被害は出ている。でも、あいつらまたやってくるに違いない。互いの首を狙っての削りあいに。

 消耗戦。

 それを望んでいたのは確かだったが……こんな、兵じゃなく己の寿命を摩耗させ合うようなことになるとは思いもしていなかった。

 

 ――数の差があるのに五分五分なんて……付き合いきれねぇでやすよ。


 安心感などすでに紙くず同然だ。

 考えなければ負けると追い立てられ、ラッセルは意識の全てを思考へと傾けた。

 勝つためには――。

 まず、相手に付き合っていては駄目だ。互いの首に剣を当て引きあうような真似は全力で阻止しなくてはいけない。

 だいたい、なんであいつらは逃げないのだろうか。自分たちが街や村を襲うと思っているから? それとも今後のことを考えて、ここは引けないと判断しているからか。

 そのどちらもあり得る、と思った。

 実際、自分たちはなんどとなく街や村から資材を奪っているし、あの暴王は戦争の準備さえもはじめているからだ。

 誰が見てもこれから先に幸福な暮らしが待っているとは思わない。戦火だってこれから広がると想像に難くない。

 向こうは文字通り必死の抵抗を見せているのだろう。少しでもこちらの戦力を削って戦争の起こりを引き伸ばし、被害を食い止めようとしているに違いない。


 どうにかしないと、そう考えて周囲を見渡し――ラッセルの視線は、少し遠くにある街へと止まった。

 不意に、勝つための案が脳裏に浮かんできた。

 街、民間人――彼らは自分の暮らしとそれを守っている。守りたいと思っている? そこまではわからないが、少なくとも相手は、街を巻き込まないようには立ち回っている。

 ならば、

 逃げまわる敵をおびき寄せるには、自分たちがあそこへと進軍すれば良いのではないか?

 実際に街へと攻撃を加えるほど落ちぶれるつもりはないが、そういった風を装うだけでも十分なはず。

 ファシオンの非情さは敵も知っている。明らかに進軍する光景を見ればこちらが何をするつもりか伝わってくれる。

 到着したら、街の外壁を背に戦えば良い。そうすれば下手に威力の高い魔法を相手は使えない。

 足を止めての真っ向勝負に引きずり込めさえすれば、数の利を存分に活かせるだろう。


 真似事とはいえ、民間人を人質にするような行いは最低の部類だ――それは理解していたが、全力を出さなければこちらが死ぬ。例え五分五分の勝負だとしても、意識の差で寿命の削り合いに必ず負けてしまう、そんな確信がラッセルにはあった。

 躊躇いはある。しかし自分の命は大事だった。

 それに、

 ここの戦闘で上手く勝利を納めれば、同じように襲われているだろうゴラッソの援護にだっていけるのだ……。


 心の内にある葛藤。ラッセルはそれをそっと自ら始末した。

 死ぬ覚悟なんてきっと一生できないけれど、その瞬間、汚名を浴びる覚悟はできた気がした。

 今更だ。そう気にしてはいけない。

 腰に携えたナイフにいつだって毒が塗ってある自分は、小悪党の仲間内でもひときわ卑怯で臆病で、そして誰よりも仲間の援護が得意なのだ。


 ――ゴラッソは馬鹿でやすからね……アッシがいねぇと殺られちまう。本当に、仕方ない奴ですぜ。


 手綱を引く腕はもう震えていない。

 迷いなく馬首を街のある方向へと差し向けて、ラッセルは毒まみれの心の赴くまま、進軍の指示を出した。


「もう一撃仕掛けてくる前に街へと接近。到着したら街を背にして敵を待ち受けやしょう。必ず生きて勝ってやりやすぜ」

 



 草を踏み倒して街へと進むラッセルは知らない。

 そのとき彼は想像だにしていなかっただろう。

 悩んで出した街への進行――それに偶然気がついたゴラッソが、ほとんど時を同じくしてその選択を選びとったことなんて。

 ラッセルとゴラッソ。

 二人一組で動くことの多い汚れ役――彼らふたりの本質は根っこのところで似ていた。

 あれだけ恐れを抱いていても、勝利の道を手探りで見つける。

 小悪党でしかないから。だからこそ彼らは勝利と生には貪欲だ。

 狙われる側と狙う側、戦況の天秤は……この時ひっそりと一方へと傾いた。 

 


  

 ◆




 四肢と目玉の暖簾を慎重に武器で払う。ちょうど顔の高さはにある腸の蔓を潜って避け、足元の骨を踏み砕かないようにそっと進む。

 俺たちが死絡みの園に足を踏み入れてから、すでに十分は経過していた。

 未だ敵とは出会っていない。ただ黙々と先へと向かって、ただ粛々と足を動かす作業をこなしているだけ。

 だが、楽な道のりかと訊かれたら、俺は迷わず『ふざけんな』と答えるだろう。

 異常なまでに広い空間の果ては見えない。不気味な景色は延々と同じように続いてゆく。

 ドランがマッピングしてくれているし、骨柱に小さく傷を入れて目印としているが……それもどこまで頼れるか。

 本来なら役に立つはずだったピンポン玉くらいの丸水晶コンパスが、その内針をさっきからグルグルと滅茶苦茶な方へとやっているのだし。これでは、下手に左右に逸れただけで迷子になりかねない。

  

 出来立てほやほやだろうが、獄は獄か――。

 

 蟲毒ほど入り組んではいなかったが、ここはまた違う方向に悪質な場所だ。

 たった十分かそこらだというのに、すでに疲労感がチラホラと。主に精神的な部分で。

 少し心配になり、俺は先頭を周囲を探るように装い後方を見た。


〈もう……もぅ。本当になんなのよ、このぶら下がってる奴。気持ち悪いし邪魔でしかないし〉

 小声でぶつぶつと呟くリッツ。


〈ぉ、オラ、久々に自分の体格を呪ってしまっただで。ヌメヌメが、ゲチョゲチョで……あばば。おっかぁ、おっとう、すまねぇ〉

 頭にペチャリとついた腕をプルプルしながら払いのけているドラン。


〈くそ、いまだけは他の種族に生まれ変わりてぇ〉

 狼の男は憎々しげに毒づいている。

 

 兎の女性は周囲の音を探ってはビクついているし、スルスもみんなの様子に不安そうだった。

 樹々やリーンでさえも、警戒を厳にしているせいか骨が転がる音だけで小さく反応している。

 なんともストレスフルな惨状だ。

 俺だって他人事では済ませない。気を抜けば、ドラン同様に触りたくもないモノに頬ずりするはめになるのだから。

 慣れてはいるけど、好んで触りたくはないな――と、こぼれそうになった愚痴を、俺は言葉にする前に握りつぶした。


 それにしても――  

 と、黄白色の骨林の隙間を縫うようにぬけている内に、ふと気がつくことがあった。

 ――これ、人のものだけじゃないよな。

 集められ、組み合わさって形成された骨の中には、角が生えているものや長い牙を持っている頭蓋が混合している。大きさからすると、亜人……というよりもモンスターの骨であるようだ。

 ひょっとして区域のモンスターが少なかったのは、ここへ取り込まれてしまったからではないだろうか。いや、この区域だけの話じゃないかもしれない。

 この広い空間を覆うおびただしい数を集めるならば、他の区域も……もっと言えば他の地域に住まう人の骨だって必要となるはずだ。


 ――人だけじゃなく、ここだけじゃなく、獄は手広く生き物を襲っているのか?


 遠くの何処か。そんな場所から人が攫われ殺され運ばれているのだと想像すると、少しだけ背筋が寒くなった。

 遠くの誰か。そんな彼らがこの場所にぶら下がっていると考えると、少しだけ嫌な気分になった。

 

 ――獄に入るとすぐこれだ。わかっていても気が滅入ってくる。

 脱線した思考に気が付き目を瞬かせる。俺はそれを強引に寸断し、無言で足を進めることに没頭した。




 ブラムの時計で約十分後。

 延々と続くかと思われた進展のない道程に、やっと小さな変化が現れた。

 それは景色、ではなく敵。

 普通のやつより三倍は太い骨柱を見つけたとき、

『相棒……たぶん兵士さんが』

〈槍のお兄さん――その先から妙な音が〉

 ドリーと、聞き耳を立てていた兎のお姉さんからほぼ同時に警告が飛ばされたのだ。

 

 妙な音に兵士……変化とはいっても十中八九代わり映えのしないファシオンだろう。それでも、なにも起こらず歩かされるよりは嬉しく感じた。

 俺はすぐに仲間たちへ『静かに』と合図を送って、柱の影から先の様子を探った。

 見えたのは、やはりファシオン兵だった。その数は十名。

 ここまでは予想通りの展開ではあるが、しかしその先が少し違った。


〈……って、なにやってんだあいつら〉

『んーんー、なんでしょう。収穫……のようにも見えますが』

〈収穫? あれをか?〉


 柱の向こう側にいるファシオンたちは、いまもそこら中に生った四肢や目玉を千切っては、薄気味悪い生皮の袋に入れてを繰り返している。

 その様子は確かにドリーの言う通り“収穫”に見えなくもなかったが、もぎ取るブツが部位なのでいまいち素直に受け取れない。

 

〈ねえ、ちょっと――〉


 屈みこんでファシオンを観察していると、リッツが俺の背に両手を乗せ一緒になって先を覗きこんできた。


〈いまなら隙もあるし、この辺りは遮蔽物も多いからこっそり倒しきることもできるけど、どうするの?〉


 内容としては安全確保。判断としては悪いともいえない。

 そんなリッツの微妙に好戦的な提案に、しかし俺は『ストレス溜まってんなぁこいつ』と苦笑した。

 ここまで戦闘もなく。ただ歩きまわって外套の肩やフードがゲロゲロにされただけ。戦闘を望んでいるわけではないが、八つ当たりしたい気持ちも少し。そんなリッツの考えが、俺にもなんとなく理解できたからだ。

 ただ、それを了承するかと問われると……。


〈駄目だ。あいつらは始末しない〉

〈えー、なんでよ。放っておいたら見つかる危険もあるじゃない〉

〈それはまあそうだけど、あいつらには他にも使い道があるだろ?〉


 口でも尖らせているだろうリッツを、俺はそっと退かして立ち上がった。

 どうせ説明するならば、と俺はみんなの方を振り返り、声をひそめて考えを口にした。


〈どこへ向かっていいかわからない現状を打破するために、俺はあいつらを泳がせて後を追ってみようと思っている〉

〈あぁ……それもそうね〉


 リッツがすぐに納得する。次いでリーンとドラン、そして樹々は『了承した』とばかりにさっさと警戒に戻ってしまう。

 そしてスルスは少し視線を彷徨わせたあと、確認を取るような口ぶりで尋ねてきた。


〈つまり、あれが材料集めと仮定し、重要な場所かその付近まで案内をさせる、ということですね?〉

〈そういうこと。その考えで大丈夫だ〉

〈しかし、少々危険では。運ぶ場所が目的地とかぶっているとは限らないでしょうし〉


 さらに質問をかぶせてくるスルス。残った面々を納得させる代表として、敢えてやってくれているのだろう。日頃からそういう立ち位置で慣れているスルスらしい配慮だ。

 ありがたく俺はそれに乗らせてもらう。


〈そりゃ賭けの要素は含まれるけど、道がわからず迷うよりは分が良いと判断した。もしコープスがいれば、そこでまた手がかりも掴めるしな〉


 説明は『コープス』の部分だけ嘘っぱちである。

 経験とここまで手に入れた情報で、俺はあの集めた部位の使用用途に予想が付いていた。とうぜんコープスではない。

 ただ、他は本当だ。それどころか――これまでのことを鑑みても――持ち込まれる先にはそれなりに自信があった。実際口にしているよりは、賭けの分の方は良いはずだ。

 『コープス』の説明だと少し信頼性は薄れてしまうのは残念だが、それでも指針なくうろつくよりはマシな案である。

 だから当然のごとく、


〈言われてみれば、了解です。差し出がましいまねをしてしまいましたね〉

〈いや、俺もちょっと略しすぎたな〉


 と、最初から決まっていたかのように会話はまとまる。

 スルスが聞き役になってくれたおかげで、説明する俺も楽だった。これで全員がそれなりに納得し、理解することはできたといえよう……。


『……?』


 はて、と口を結んで傾いているドリー。

 ――そうだな、難しかったよなっ。俺の説明が超下手だったといま思いました。


〈ああ、そうだ。いいか、君には特別な任務がある。警戒を最大に、危なくなったら、なんかこー、なあ? 上手くやってくれたまえ〉

『ふおお、と、特別っ!? にゅふふ……良いんでしょうかっ。なんかみなさんに悪いですよぅ。あ、いえ、ちゃんとうけ“たまらない”ですがっ』


 ――そうかそれは良かったなドリー。でも混ざってるし、漏れてますよ、最後。

 

 こんな場所でも変わらぬドリー。

 リーンは自分の腕に口を押し付け、笑いをこらえ、スルスたちも『さあ、頑張るぞー』的な感じで、両手でもんで顔を隠していた。

 できれば、もっと上手く隠して欲しい、色々バレるから。

 

 と、それはともかく。

 俺たちはようやく指針らしいものを見つけ、不気味な袋片手に収穫祭やってるファシオンのストーキングを開始していった。




 ◆


 

 

 骨や腐れ暖簾のせいで、相変わらず歩きにくい。

 だが隠れる場所も多く、ちょこちょこ兵士が立ち止まって腕をもいでいたこともあり、追跡自体はかなり楽なほうだった。

 ただ、一度だけ俺たちの後方から一人の兵士が走り抜いて行き――その後、しばらくして追っている兵の向かう先から、大量のファシオンが現れたことがあった。

 

 あの時は肝を冷やした。

 地上のときと同様に、気がつかれることもなくやり過ごすことができたのはかなり運が良かったのだと思う。

 でも外のサバラたちのことを考えると、胃は痛んだ。スルスたちもそれでかなり焦りをふくらませているようだった。

 俺だってのろのろ歩くファシオンを見ていると、尻を蹴っ飛ばして急かしてやりたい気分である。

 

 ――けど、ここが我慢のしどころだ。

 向かっている方向から増援の兵士が出てきた……つまりは方向が合っている可能性が高まったということ。

 そして、

 追っている兵士たちの袋がパンパンになっているのだから……あいつらは、これからどこかへと向かってくれるってことなのだから。


 急がないといけないからこそ、ここでバレたら元も子もない。 

 無駄口は叩かない。頭を低く。悟られないように気配を殺し、俺たちは緊張を抱えたまま黙々と兵を追った。


 進んでいるあいだ、ずっと自分の背中に視線が刺さっているのを感じた。

 覚えがある。蟲毒のときと一緒だ。

 不安。焦り。期待。希望。そして、心配。

 全く知らない誰かから不躾に向けられたら、俺は顔をしかめただろう視線。でも、それは少なからず好感を持つ誰かから向けられると、どうしても応えてやりたくなる視線だ。

 好きな人が笑顔になれば自分も嬉しい。仲の良い人が喜べば自分も楽しくなる。

 実に単純だ。

 そんな自分が幸せになりたい子供じみた考えが、きっと俺の原動力のひとつなんだろう。

 

 だから、俺は自信を持っている風に振り返ることはしなかった。

 たまに辛い瞬間もあるが、最終的にはとても心地よく代えがたいものも得られると、俺は知ってしまっている。

 だから、責任感や獄に恐怖する気持ちはあったが、あの時ほど息苦しくは感じなかった。


 そうやって、少し頑張った甲斐があったからだろうか。

 また十分ほど進んだとき、ようやく待ち望んでいた事態が訪れることになった。

 こんどは敵ではなく景色が。

 そう、俺の中にある獄を進む上での注意点のひとつ――景色の変化が見受けられたのだ。

 

 それはとてもささやかで、そして明らかなる変貌。

 絡まる腸蔦に実っていた四肢や目玉が、あるときを境にひとつとして見当たらなくなったのだ。そして代わりにぶら下がっていたのは、

 ――上下逆さまになった瞳のない生首たちだった。

 おびただしい数のそれが生っている。

 半開きになった口腔からは、紫色の舌が垂れ。

 穴の空いた眼窩からは汚水が滴り、ぴちょぴちょと地面に落ちて水音を奏でている。

 生首は、蕾のように小さなものから、成人男性の大きさまで様々だ。

 しかし、不思議なことに、頭部は全て人のものと思われる形をしている。


 ――骨にはモンスターのものがあるのに、なぜ全て人なんだ?

 

 湧き上がる疑問。だがそれに決着を付けることは叶わなかった。

 緊張の面持ちを貼りつけたスルスの囁きが、突如として耳に入ったからだ。


〈槍使いさん。先に開けた場所が――ファシオンはどうやらそこに向かっているようです〉


 言われた通り、骨の柱は百メートル先のほうで途切れている。じっと目を細めて観察すると、奥側には骨の壁がそそり立っているようだった。

 とりあえずここで骨の園は終点か?

 同じことを考えていたのか、スルスたちの表情にはわずかばかりの興奮が浮かぶ。おぞましい景色に恐怖するよりも、ようやく先に進めるうれしさが優っているようだ。

 共感はできるが、俺は片手で『待て』と合図を出していさめた。


〈全員、絶対に焦るなよ――速度はあげない。これまで通り慎重に追う。戦闘が行われるかもしれないということを念頭に入れろ。隊列は――〉


 何かが変われば何かが起こる。獄の基本理念に基いて、俺は偵察気味だった隊列を入れ替えていく。

 先頭に俺、時点にドラン――次いで樹々とリッツと兎のお姉さんを中央に、スルスたちを最後尾のリーンで挟んだ。

 開けた場所が近くなる。袋を担いだ兵士たちが、先のほうで人の上半身の骨で縁取られた穴に入っていくのが見えた。

 すぐに追いたい衝動に駆られたが、俺はさらに速度を落とした。

 リッツに先のファシオンの動向を見させ、兎のお姉さんにはその聴覚で音を聞き漏らすことなく探らせる。

 漂う黒いモヤが見えるせいで、俺とドリーの視界はみんなよりも悪い。だから、俺たちは近くの生首たちにだけ警戒を集中させた。


 だからだろう――

 骨の柱が途切れそうなまでに近づいたとき、俺がそれに気が付けたのは。

 吊るされた大量の頭部のひとつ、騎士の男性の真上にあったそれに黒い瘴気が集まっていくのが見えたのだ。

 半開きの口腔に、瘴気がなだれ込むようにして入り込み、何もなかったはずの眼窩の奥から肉が盛り上がって、一瞬で血走った目玉が俺たちを睨めつける。

 

 空気が凍りついたように冷え……生首の口が不気味に半月を描いた。

 俺の視界の中で、腸の蔦につながっていた首の断面がブツん――と音をたてて千切れ、首は黄ばんだ歯をむき出し男性へと落ちていく。

 

 俺は、大声を出さなかった。

 ただ気がついたときには後ろへと数歩走り、武器を握った腕を斜めに振るっていた。

 白銀の斧が斜めに旋回。スルスの頭上をかすめるように銀が通りぬける。

 

 ――頭上でぶちまけるのは危険だ。

 落ちてきた生首に当たる寸前、赤錆のまねをして手首をひねって刃をそらす。

 平面となった斧槍が、生首を中空で打ち払う。うろんな打撃音。

 吹き飛んだ首は骨柱の一本へと飛ばされ、叩きつけられ地面に。次の瞬間には、動き出したリッツが引き金を引き、転がった頭部の口を開かぬように縫いつけていた。

 巧い――と心中で狙いを褒めたたえつつ、地面を蹴りつける。嘲るように血走った目を動かすそれを俺は音が響かぬように斧部分で叩き割った。

 飛び散る肉と脳髄。騎士の男は状況が把握できていないのか、突っ立ったままで四散したそれを見ている。


〈そのまま静かに、騒ぐなよ――まずは警戒意識を周囲から実っている首に――〉


 うろたえたり動揺される前にまず安全を確保しようと、俺は処理したそれから視線を外し――

 直後。


【……ぁ……ぁいにんがぁ】

 

 咀嚼したまま喋っているような、不快な声を耳にした。

 ぞぞぞ、と背筋を這いまわる怖気。


『相棒、まだ終わっていないですっ!』


 ドリーの叫びに振り返り、俺は驚きで目を見開いた。

 先ほど粉砕したはずのそれが、飛び散ったはずの肉片が這いずるようにして骨の上をうごめいている。

 それらが集まっている先には、いつの間にか再生している下顎だけがケタケタと嗤いを発している。

 狼の男が小さく悲鳴を漏らした。騎士の彼が『嗚呼』と呟いた。兎の彼女は耳を塞ぎ、スルスは目をむいて固まった。

 誰も彼もが混乱し、ほんの一瞬だけ時が止まったかのように動きが停止する。

 そして、一拍経って我に返った俺が、

〈すぐに潰せ――〉

 そう指示を放ったときには、頭部は全て復元し――生首は盛大に口を開いて叫んでいた。


【ひひ、ひひいっ――ここにぃぃぃ、罪人どもがいるぞぉぉ怨怨!】


 おどろおどろしく、吐き気を催す生首の声。

 いままで主と思わしきやつしか言葉を発しなかったのに。俺は獄の有象無象だと思っていたはずのそれが言語を解していることに驚き、『雑魚ですら、まさか喋る知性があるのか』、と恐怖を覚えて戸惑った。

 声になんらかの力でもあるのか、俺も、リーンたちもすぐに対処することができない。


『っく――お静かにっ』


 そんな中、真っ先に動けたのはやはりドリーであった。水の弾丸を即座に射出、喚く生首に容赦なく撃ち込んでいく。

 顎が破砕し、舌がちぎれて、声は音にそして静寂へと流れる。

 が、次の瞬間には逆戻るように穴も骨も戻り――それどころか、その首の真上にあった二つの頭部が、鈍い音を立てて地面に落ちて、それは三つに増加した。

 ぎょろりと回る生首たちの瞳が、揃ってこちらに淀んだ視点を差し向ける。


【生ある者がぁ、牢におらず――】 

 ひとつの首がささやいた。

【首を持ってここにいる――】

 ふたつめの首がそう告げた。

【お前らは、こぞって罪人でありぃ――】 

 みっつめの首は恍惚に歪み――

【即座に断頭しぃ、罪噛みを終えねばならないぃぃぃ】

 全ての首は、揃って吠え立てた。

 

 ひとつからみっつ。重なった不気味な絶叫は、そしてそれを引き寄せた。

 俺が指示を出す暇もなく事態が駆け巡る。

 どシん!

 直後に聞こえた重い音――奥の広間の地面が弾け、そこに歓迎できない何かが降りたった。

  

「化け……物……」


 構えた剣先を小刻みに揺らしながら、囁く狼の男。俺も、仲間たちも、誰もそれを否定はしなかった。

 広間からゆらゆらと歩き向かってくるそいつは、人の形をしていたが、明らかに人ではなかったからだ。


 ドランよりもわずかに大きい巨躯。継ぎ接ぎだらけの薄汚い茶色の肌はぐずぐずに腐っている。

 太い腕と裸足のままの足は太いが、微塵も精気というものを感じさせない。

 黒ずんだボロい衣服はところどころ裂けていた。その隙間から、妙に大きく膨らんだ腹部と、そこを縦に走った縫い目が見える。

 

 ジャラ……と、

 化け物が身悶えするように動き音が鳴る。それはその腰元には括りつけられていた錆色の鍵束が奏でた音。

 だが、

 それを注視するよりも、俺の視線はそいつの首から上に引きつけられた――。

 そこには本来あるべき部位がなかった。あるのは黒ずんだ肉の断面と、頭の代わりと言わんばかりに突き出している二本の柄のようなものだけだった。

 強引に押し込んでいるからなのか、首の断面からは膿なのか体液なのかわからない液体が溢れ、化け物の首下は濡れて汚れていた。

 視界の中には、断頭された化け物と、喋る生首がみっつ。

 もう、完全に俺たちは発見されてしまっている。


 ――嗚呼、やっぱりこうなるんだな。

 すぅと頭が冷えていく。恐れるよりも、逆に強ばっていた体が和らいだ。見つかってしまったことは事実で、戦闘になるのは明らかなのに。

 たぶんどこかで、こうなることはわかっていたのだろう。何も起こらず済むはずがないと悪い意味で獄を信じていたのだ。

 だから、動揺や恐怖はさっさと心のどこかに引っ込んでしまった。

 どうしようもないなら、どうにかするしかない。動かないままで状況がよくなるわけじゃない。


「総員、死にたくなければ武器を握れッ!」

『みなさん、気をしゃっきりと!』


 もう小声で指示を出す状況にはあらず。俺とドリーの叫びは重なり、未だ動揺から抜け切れない全員をひっぱたいた。

 武器を構えるリーン、リッツ、ドラン。いななくように吠える樹々。

 スルスはようようとショーテルを抜き、狼の男は二刀の剣を交差させた。兎の女性は背中に背負った弓を震える手で構えている。

 騎士の男性はいまだ剣をとることもできずにいたが、彼を叱咤する余裕はなくなった。


 動きはじめたこちらを見て、三つの生首がニヤリと嗤い、

【ひひひひひ】

【断罪ッ――断罪をぉぉ】

【罪を噛まねば――許されないぃぃ!】

 不気味な笑いと狂った声で死刑を宣告したのだ。

 とたん、首の周囲の骨の地面がいきなり波打った。


  からからから

    ガラガラガラ


 乾いた骨の音が鳴った直後、埋まっていた腕や肋の骨が奇妙に動き、首の断面に集合していく。 

 背骨の如き骨が支柱となり、その途中で弧を描く骨が伸びて胴体とアバラを形作る。

 四本の骨足が大地を踏み、ダラリと後方に垂れた腕骨の尻尾が、先端に付いた指をこちらを掴むように彷徨わせた。

 それの全長は成人男性ほどの大きさだった。

 出来上がったそれは、生首の頭を持ってはいたが……まるで骨でできた犬のようだった。

 

【噛みぃ、噛み砕くぅッ――ぎぎ、わ、われ我らが、我らがっ!】

 

 紫色の舌を垂らし、ゲハゲハと腐れ液を撒き散らす三匹が地を蹴る。

 直後。

 後方の首なしがうながされるように首元から突き出た柄を手にとって、

 ずる、リ――とそれを一気に引きぬいた。

 滴る汚水。濡れそぼった首から抜かれたのは、刃の厚い鉈のような武器。頭部などいとも容易く刈り取れそうなそれを構え、首なしは身を低くして怒涛の勢いで突撃を開始した。

 

 戦闘の火蓋は、望まずとも落とされた。

 負ける気も死ぬ気もさらさらなかったが、微かな不安だけが疼く。

 先ほど攻撃したはずの……あの首。

 もしも。

 いま頭の中にある嫌な想像が、あの首なしにも当てはまるとしたら……

 ――俺たちには、逃げるしか手立ては残されていないのかもしれない。





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― 新着の感想 ―
商業化とアニメ化と完結してほしい作品
最近見始めて一気に現時点での最終話まで見てしまいました。本当に素晴らしい作品で今はもう十一年も連載されていないことがとても残念です。本当に一縷の…一縷の希望を込めていつまでも待っています。私がなろうで…
[良い点] 確かに現実的に考えて更新される可能性なんてほぼゼロだが、それでも一縷の望みをかけて何年でも10年でも待ち続けてしまうぐらいには神作品なんだよな。 [一言] いつまでも作者のファンです。
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