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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
混淆都市シルクリーク
105/109

混淆する想い向かうは一角に

 


 シルクリークから東、リドルから少しだけ北にある森林地帯。

 そこを横断するように走る林道を、砂色の集団が西へと向かって進行していた。

 ホーリンデルまで続く林道は整備が進んで幅広く、七列に並んで進む隊列でさえも全く問題なく収まっている。

 

 終始無言で歩む兵士たちにあるのは静寂のみだった。

 そのせいか、車輪が跳ねる小石の音と、道の両脇に茂る木々の葉擦れの声がやけに際立っている。


「この辺りは、ずいぶんと平和に見えるね。できれば普通の旅で通りたい道だよ」


 先頭から少しだけ後方。

 資材を積んだ荷車が集中しているその場所で、ジャイナは荷車の席に腰を下し、暮れていく太陽を眺めながらも呟いた。

 予想通りと言うべきか、手綱を握る兵士からの応えはない。

 

 『相変わらず気味悪い奴らだ』と兵士を一瞥し、ジャイナはつまらなそうに頬杖をつく。

 

 ハルバからの命を受けて何日経ったか、すでにかなりの町や村を訪ねている。お供の兵が一万ほどいるおかげか、道程は予想以上に順調で穏やかであった。

 ただ、それも二つほど前の村までの話だ。


 どうにも最近、町や村に住む人々の反応が妙だ。今日の町はとくにそれが顕著だった。

 冷えた視線と静かな憤怒。

 不満という水を蓄えた、すぐにでも氾濫しそうな貯水池。そんな危うさを人々から感じた。

 その割には、町を出るまで何事もなかったのだから、また不気味である。

 静かすぎる。好き放題に搾取されているのに、なにも起こらないというのは逆に異常だ。

 

 恐らく、不満を吐き出さないように堰の代わりとなっている者がいる。

 考えた瞬間、すぐに浮かんできたのは行方知れずの反抗勢力のことだった。

 

 あまり気は乗らないが、これはさすがに赤錆たちに報告したほうがいいだろう。

 本音を言えば、まだ常識ある反抗勢力を応援したかった。理想の展開としては、化け物が全員消え、仲間を連れて逃げ出せれば万々歳、といったところだ。

 しかし、

 早々都合よく行くわけがない。保険を考えて点数稼ぎはしておきたい。

 

 小賢しい考えだ、とジャイナは自分に皮肉を飛ばして立ち上がり、

「アンタたち、次の町まで行ったらいちど城に戻るよ。資材もそろそろ持ちきれないし頃合いだろ」

 淡々と進むファシオンへと指示を出した。

 

 もちろん、返ってきたのは無言。

 最初は、『本当に聞いているのか』と不安になったものだが、もう慣れた。アイツらは返答しないだけでしっかりと了承はしているのだ。

 不満そうに眉根を寄せ、ジャイナが鼻を鳴らす。

 口答えをしないことを喜ぶべきか、クソつまらない供をつれていることを恨むべきか、難しいところだ。


 溜息を一つ吐いて座り直す。少し居心地が悪く、着込んでいる淡い水色のローブを軽く叩いて居住まいを正した。

 と、側部についていたポケットに手が触れ、内部に入っていたモノにコンと指先が当たった。

 入っているモノを思い返し、おもむろにソレを取り出す。出てきたのは、薄気味悪い黒球だ。

 表面を指先撫でてみると凹凸がほとんどなく、鏡面のように滑らかであることが分かる。

 

 手の平にソレを乗せ眼前にかざす。視線の先では、日が暮れて地平線が燃えていた。

 夕日の光を透かしてみると、怪しい黒紫の輝きを内包しているように見え、まるで死を象った太陽のようだった。


 不吉を固めたかのような黒球は、見れば見るほどに不安を煽る。今すぐにでもそこらに放り捨ててやりたかったが、これは自分たちの生命線。身を守る最後の砦だ。残念ながらそれはできない。

 

 ファシオンと赤錆に指示を強制できる球体、シャイドからそう説明されていた。

 胡散臭い影の言葉を鵜呑みにはしていなかったが、『効果のほどは確かだった』と訊く。


 やはり捨てられないか、と吐き捨て、果実を掴むようにいちど握り込むと、黒球を慎重に元の場所へとしまい込んだ。

 これは奥の手であり、諸刃の剣。 紛失するのは怖いが、すぐに使える場所に入れておかないのはもっと怖い。

 ただ、

 『使う機会なんて永遠に訪れなければ良い』とは常々思っていた。


 等価交換とでも言うべきか、極大魔法のように絶大な効果を起こすには、リスクが伴うのが常らしい。そしてこれも同様である。 

 シャイドはこうも言ったのだ。

 『発動したいときは、貴方たちの寿命を使ってください。死ぬよりはいいでしょう? 死ぬよりは』、と。

 

 思い返すと背筋に寒気が駆け巡る。フザケタ嘘であればよかったのに、恐らくコレは真実だ。

 実際に使ったラッセルが、『身体から命力と失ってはいけないナニカが抜け出して逝くのを感じた』、と嫌な太鼓判まで押してくれた。

 

 追い詰められたら生きるために使うしかない。しかし、同時に確実な死はソッと歩み寄って来る。

 恐ろしい。なんて厭らしい条件だろうか。

 

 使う量と残量が分からないモノが対価となる。

 迂闊に使用してしまえば、唐突にくる寿命と対面するまで、延々と支払いの代償を恐れて生きなければならないだろう。そんなのは、ごめんだ。

 

 ラッセルたちと相談し、“リドルを避けるように”進路を決めたのもそれが大きな原因の一つだった。

 あの街は兵隊を退けた経験があり、蟲の強襲という修羅場を潜った自信がある。ただ震えて大人しくしている可能性は極めて低い。

 

 間違いなく、リドルは『シルクリーク領域内の問題が起こる街』でダントツのトップを誇る。

 戦闘になってしまうのが怖い。兵士がどこまでこちらの命令に従うかは未知数で、コレを使う可能性がでるのが怖かった。

 

 しょせんはこれも時間稼ぎにすぎない。リドルにだけ残して済ます訳には赤錆たちの手前できるわけもない。

 もしなにも解決策が見つからなければ、最終的にはリドルへと向かわなければ……。

 しかし、

 三方向に分かれ反時計回りに進んでいるルートからして、最初に辿り着くのはラッセルなのだが。

 同情はするが、これは同意の上でクジ引きした結果。正しく彼は、“貧乏クジを引いた”のだろう。


 絶望するラッセルに『運がないねぇ、アンタは』と他人事のように言っておいたが、いちおう自分にできることくらいはやってやるつもりだった。

 点数稼ぎもその一環。

 でも赤錆を説得する自信など砂粒ほどもないし、『自分の寿命を犠牲に』なんて奉仕精神は湧かない。この辺りが、自分が小悪党である証拠なのだろう。

 

「あー嫌だねぇ、こんなに気を使って生きていたら、アタイの美貌が翳っちまうじゃないか」

 

 一人で文句をブツクサと呟きながら、目深に被ったフードから零れる金髪をクルクルと指で弄ぶ。

 そしてすぐに枝毛を発見して閉口し、また思考の海へと潜っていった。




 一時間ほど緩やかに進み続け、林道が交わる十字路に荷車の群れがたどり着いた頃。

 今まで順調に進んでいた兵隊たちが、急に足を止めた。

 

「ん、なんだいイキナリ?」

 

 訝しげに首を傾げ、耳を澄ませて様子を探る。前方から風に乗って微かな音が届いた。

 金属音。恐らく兵が武器を抜刀した音だ。 

 こちらはシルクリークの正規軍、盗賊などそういった輩の可能性は薄い。

 恐らくモンスタ-でも現れ、兵が『何かあれば剣を抜き、警戒態勢を取れ』といった指示を忠実に実行しているのだろう。


 面倒だ、そう感じるだけで焦りはなかった。

 この辺りにある危険区域は三と四。こちらの戦力は整っているし、下手なモンスターには後れをとらない。

 

 焦る必要は、微塵もない……

 

 が、そう思った直後、

「――ッ!?」

 ジャイナは新たな音を聞きつけ、跳ねるように立ち上がった。

 

 強烈な違和感。ソレを確認しようと動く直前、また音を捉えた。

 間違いない……声だ。モンスターなどではなく、人が言葉を吐き出す音が聞える。

 

 即座に荷車後方に移動。樽を足蹴に荷物に乗り、ジャイナは状況確認のために視野を高める。

 目を凝らす。まぶたで瞳を半ばまで隠し、兵の生垣を越えた先を見据えた。

 

「ちっ――」

 

 舌打ちが我知らずと漏れていた。

 映ったのはやはり人間、数はおおよそ五百ほど。こちらの行く手を阻むように、外套を羽織りフードを被った人の群れが立ちふさがっている。

 

 手に持った武器たちが陽光を反射して煌いている。後方には移動用であろう馬と荷車。

 集団の先頭には、突出するように立っている人物が一名いた。

 目深に被ったフードから黒髪が零れている。手に持っているのは盾と剣。背筋の伸びた立ち姿は、そこいらの走破者とは違う教養を感じさせる。

 

 シルクリークの兵隊相手に武器を抜いて行く手を塞ぐ輩など、考えるまでもなく想像がつく。

 ――アレは、反抗勢力の一味だ。


「よりにもよって、ここで出るかい」

 

 ジャイナが毒づくと同時に、先頭に立っていた黒髪の外套が一歩踏み出した。

 

「民衆から物資を奪い、それを使って戦争を引き起こそうなどと、そんな所業は決して許せるものではありません! 数では負け、勝利を掴むことすら難しい現状なれど、私とて同国に仕えた身、これいじょうの悪行は見逃せない。命を賭してでも、ここで止めて見せます!」

 

 剣を掲げての堂々とした宣誓。

 声音からすると女。かなり聞き取り辛かったが耳を済ませていたおかげで、内容は大体把握できた。

 同国と言っている辺り、やはり反抗勢力の人間。リーダー格であるシズルと呼ばれる者か? いや、確か彼女の髪は茶色だったはず。恐らくはその部下辺りか。

 

「全く、馬鹿なことをするねッ」


 奥歯を強く噛み締め、愚痴を吐く。それは視線の先にある光景に対する悪態だ。

 武器の握り、構え一つとっても、こちらの進行を阻もうとしている人々は、間違いなく素人の集まりだった。

 頭数が足りず、ただ村や街から寄せ集めたようにしか見えない。いや、住民の反応から考えても事実そうなのだろう。

 

 ――堰はアイツか、本当に馬鹿なことをする。

 

 命を賭して反抗しようとするその意思は、気高くも美しい。しかし同時に愚かである。

 戦力差は歴然。無駄死にすることになんの意味がある。

 そんな斜に構えたような考えばかりが浮かんでは消えた。

 

 自分には、彼らの真似など到底できない。

 だからこそ、打算を捨てたあの姿が眩しくて、わずかな嫉妬を抱いているのかもしれない。

 かぶりを振る。つまらない感情など、今は胸の内にしまいこんだ。

 

「アンタたち、まだ手は出さなくていい。警戒しながら武器を構えな。前列はわずかに前進。相手が攻勢に出たら反撃を開始」


 水晶ロッドをタクトのように動かし、ファシオンに指示を放つ。

 指揮を取った経験なんてほとんどなかったが、反論しない兵は扱いやすく、よどみなく動いてくれた。

 

 砂色が蠢き進軍。気味悪いほどに揃った足音が大気を震わせる。

 人を殺す刃の針山が、敵を刺し貫かんと整列した。

 

 殺意も意思もない凍てついた無言の刃は、じとつく恐怖を与えるだろう。五百名の勢いも先ほどより力なく、わずかにだが足が退かれているように見える。

 臆病だとは思わない。戦闘慣れなどしていない者が怯えるのは当然だ。

 

 ――頼む退け。

 願いに指先が震える。これは反抗勢力に向けての、最終勧告でもあった。勝敗はやるまでもなくついている。無駄な特攻などせずに、大人しく退いてもらいたい。

 揉め事は嫌だ。

 そういった気持ちも大きいが、なによりもジャイナに燻る倫理観が、『殺せ』と命じることを躊躇わせていた。

 

 人の命を奪った経験はもちろんある。

 でもそれは、失うことを覚悟した走破者であったり、こちらの命と金銭を狙うチンピラや盗賊だから楽だった。

 他人にモンスターを押し付けたこともあるが、あの時だって自分の命がかかっている状況であり、クロムウェルの指示だからといった逃げ道まで用意されていた。

 

 だが、今、視線の先に佇んでいるのは……ただ正義に燃える一般市民たちであった。

 化け物と手を組み平和を乱すのは己、相手はそれを止めようとしているだけ。

 

 望むとも、望まぬとも、無慈悲に市民の命を奪う行為はやりすぎではないか。

 自分にとって、容易く跨げそうなそのラインは、ひどく踏み越え難く感じた。

 

 しかし、それも“難い”というだけであり、踏み越えられないわけでは決して、ない。

 攻撃してくれば正当防衛だ。命は惜しい。反撃は当然させてもらう。

 罪悪感を逃す道を確保する小ざかしい考えだと分かっている。でもそれくらいせねば、気持ちの悪い感情を抱え続けることになるだろう。

 それは……嫌だった。

 

 来るな、逃げろ、いますぐに。

 ただ真っ直ぐに思いを込めて睨みつける。集中しすぎて視野が狭い。緊張から喉が渇いた。かさついた唇を舐める。

 それでも視線だけは外さなかった。

 

 ――退け、退け、退けッ! 

 しかし相手との距離は近くて遠い。そんな願いなど届くわけもなく、黒髪の女が剣先を示すように向けた。

 

「数の差などに怯えるものかッ! 全体、弓構えッ!」


 咆哮。黒髪の女に人々が呼応する。

 たどたどしい手つきで矢をつがえ、弦が絞られる。矢先は頼りなく揺れ、的に当たるかも怪しいほどの構えだった。

 ジャイナは噛み締めていた歯を開放し、ロッドを両手で握り込んだ。

 

「この距離では矢は届かない。が、念のために盾持ちは構えッ! このまま撃ってくるなら即座に反撃、一当てしたら後退だよ」


 消極的とも云える指示を吐き出す。

 未だに躊躇っているのか、ただ面倒ごとを避けたいだけなのか、ジャイナ自身にもはっきりとはわからなかった。

 

 兵が盾を天へと向けて一斉に掲げ、槍を持つ者は構えをとって警戒態勢を敷く。

 金属音が木霊した。

 それを見てか、黒髪の女がさらに一歩踏み出す。

 

「総員、放てええッ!」


 一斉に弦が鳴き、矢が高らかに飛ぶ。重力に従い疎らに下る矢弾が視界に映る。

 大丈夫、やはりこの距離では届かない。そう確信したが全身には緊張が巡っていた。


「馬鹿が撃ってきたよ総員反撃を――はッ!?」


 飛来する矢雨を無視して、新たな指示を飛ばそうとしたが、突如として変貌を始めた景色を見て、驚愕で動きを止めた。

 怪音と共に変貌が続く。急速に氷が凝固するような音が延々と鳴り響き、少し前方の大地が一斉に立ち上がった。


「ロック・ウォール……?」


 ジャイナが確かめるように魔名を呟く間にも、勢いよく生まれる岩壁に下方から叩かれ、何人ものファシオンが吹き飛ばされて、地に落ち大地の鈍器で殴打されている。


 熟れすぎた果実のように、叩きつけられた兵士の体から砕けて鮮血が四散。

 骨が折れる嫌な音と、壁の向こうで矢弾が注いでいるのか、木板を叩く雨のような音が連続で響き続けた。

 直後、

 今度は後方から音が生まれる。嫌な予感に促され振り返ると、見えたのはまた岩壁。

 前後が、塞がれた。

 林道にある大きな十字路は気が付けば真一文字へと変わっていて、荷車を率いたジャイナたちは――全てではないが――分断されている。

 

 位置を調整しての出現から始まり、目立つように口上を述べて意識を引きつけ。

 矢弾の雨でこちらの視線を固定し、その隙を利用して分断。

 

 ――ハメられたッ……あの五百人は囮だッ!

 恐らく最初から戦わせるつもりなどなかったのだ。いまごろ壁の向こうでは、荷車と馬に乗ってさっさと逃亡していることだろう。

 

 なぜ気がつけなかった。どれだけ自分は動揺していたのだ……。

 焦りと悔しさを噛み締める。しかし悠長にそんなことを続けている時間もなかった。

 分断されたのは狙い済まされたかのように自分のいる列……とくれば、きっと相手の狙いは――

 

「アンタたち、左右の警戒をおしッ! 相手はコッチの積荷を狙っているよッ!」


 相手の手を読みファシオンに指示を放つ。が、それは少しばかり遅かった。

 兵士が動き出す直前に、右方の森が一斉に騒ぎ出す。木々の間から外套を着込んだ人々が次々と飛び出し、道に出たと同時に武器を片手に疾走を開始。


 刃を煌かせ外套をはためかせた敵の数は、おおよそにして二百。こちらと比べれば少ないが、明らかに先ほどの集団とは動きが異なっていた。

 やはりこれが本命か。

 しかし、分断されたとはいえこちらは余裕で千を越える。両脇が壁のせいで若干動きづらいが、後れを取る訳がない。

 

「矢を放て、近づかせるんじゃないよ!!」


 即座に反応し、兵士が揃って矢を射出。

 が、

 返ってきたのは苦痛の悲鳴ではなく、暴風だった。

 吹き荒れる風に矢弾は煽られ容易く散らされ、両脇の岩壁に当たってはカラカラと虚しい音を鳴らして落ちていく。即座に次弾を撃たせるも結果は同じ、即応されて対処された。

 

 速い。

 魔法を放つ躊躇いのなさも、矢弾をおくせず落とさないあの速度も。

 間違いなく、相手は手錬てだれの集団だ。

 

「数だ、数で押すんだよ! 積荷を守る人員を残しながら、一人に対して三人以上で向かいな!」


 水溜りから雫が弾けるように、ファシオンが小さな塊に分かれて突撃。瞬く間に空いた距離が消失し、互いの先頭が刃先の届く位置まで詰め寄った。

 相手側の先頭、赤銅の杖をもった小柄な人物に対してファシオン五名が殺到し、喉元、心臓、頭部、致命傷になるであろう部位に槍と剣を突き出す。


 先ずは一人、そんな確信を抱きジャイナが視線を逸らそうとした瞬間。

 

 小柄な人物は右手を逆手に左手を杖の半ばに据えながら、身を低く屈め――悠々と全ての刃を潜っていく。

 一合すら交わることもなく、小柄な人物が兵士を抜き去る。一瞬だけチカチカと赤い線が瞬いた気がした。


「っほ、お主らはずいぶんとしぶといと訊くが、さすがにそれでは動けまいて?」


 駆け抜け間際に言葉を聞いてか、ファシオンが遅れながらに振り返る。

 しかし、

 すでにその首と胴体は逆向きとなっていた。

 

 プツプツと、赤い雫が線状に浮き上がる。直後、兵士たちの腕は落ち、太ももが半ばからズレた。

 首も思い出したかのように零れ、断面から血潮が溢れる。

 バラバラ、バラバラと、追走することすら叶わずに、兵士五名は一瞬の内に大地の肥えへと変わっていた。

 

「な、なんだいアリャ、冗談じゃないよッ。手錬どころか達人級じゃないかいッ!?」

 

 ジャイナが悲痛な叫びを上げるも、右に刀を左に杖を握った刀使いは兵士如きでは止まらない。

 次々とファシオンの囲いを切り裂き、飛び越えまた疾走。

 荷車を守る兵士を細切れにした、その瞬間には別の兵士に向かって駆け出していた。


 抜き打ち。アレは仕込み杖だったのだ、ようやくジャイナは相手の攻撃方法を悟る。

 見ていなかった訳ではない。目で追えなかっただけ。

 恐ろしい、尋常ではない剣速だ。絶対に接近させてはいけない。

 魔法使いの自分にとって、あの相手に接近を許せば死体となったも同然だ。

 

「止めなッ、先頭に戦力を集中して、なんとしてでも、しとめるんだよッ!」


 指示と同時に囲いの厚みが一気に増し、兵士が刀使いに殺到する。

 

「っほ、面倒じゃな。頼んだぞい」


 突然刀使いが速度を緩め、変わりに追走してきていた四名が前方に躍り出た。

 黒いローブが翻る。目深にフードを被った女魔法使いがいの一番に、木製杖を高らかに掲げた。

 

「『ブラック・レイン』」


 魔名に遅れ、三日月の杖先から黒球が飛び出し――兵士の頭上で炸裂。

 影の礫が容赦なく降り注ぎ、兵士たちの全身を穿つ、穿つ、穿つッ!

 未だ死にこそしてはいなかったが、眼球があるべき場所はすでに空洞で、兵士はでたらめな方向に武器を薙ぐばかり。

 

「あらあらー、随分とお元気でー。ではあとはお願いしますー」


 女性魔法使いが暢気な口調で言うと、残った三名が幽鬼の如く彷徨う兵士に迫る。


「元気がいいのはなによりだがよォ、ここまでくるとうざってぇんだよッッ!」

 

 円形バックラーと装着型のボウガンを装備した男が吼えた。

 左手の円盾で兵士の頭部横殴り、勢いをそのままに、もう一人の兵士の腹部に回し蹴りを叩き込む。


「う、気色悪いったらない。そういえば、頭を落とせば動けないとかなんとか、言ってたっけッ!」


 体を崩した兵士の隙を逃さず、無骨な大剣を持った女戦士が頭部から股にかけて一気に両断。 

 浴びる鮮血を気にもせず、跳ねるように大剣を振り上げて、さらに一人の胴体を真っ二つにする。

 

「って、首はどこいったのさ。倒すのは良いけど、僕としては血生臭いのはごめんなんだけど」


 剣士の強引さを見た男性魔法使いが、両手に一本ずつ持っていた三十センチほどの白杖をヒラヒラと振った。

 が、やる気の無さそうな動作とは裏腹に、左右に杖を差し向ける動作に躊躇いはない。

 

『エアー・ブラスト』『ウォーター・ランス』


 杖に彫られている刻印が淡く光り、下位魔法が左右へと連続で射出される。

 渦巻く風の球体が左兵士の頭部に着弾、破裂。円錐状の水槍は右兵士の頭部を丸ごと抉って消し飛ばした。

 

「多い多い、きりがねーな」

 

 瞬間、男性魔法使いとボウガンの男がスイッチ。さらに前後列を入れ変えた。両手で腰の袋を探りながら、男はナニカを取り出し更に前進。

 

「手前らにはちと勿体ねーが、オレが丹精込めて作ったコレでも喰らっとけやッ!」

「いやいや、僕たちも素材集めを手伝ったんだけど」

 

 ボウガンの男が両手を広げ、クルミ程度の蒼球を五つずつ周囲へとばら撒く。

 と同時に、後方へと下がった魔法使いが風膜を生成。味方五名を守るように包み込んだ。

 爆音。

 淡い魔力光を纏った十個の球が、兵士の頭部付近で炸裂し、銃声を数倍にしたかのようなけたたましい音を連続で轟かせた。 

 爆破を受けた兵士の頭部が粉みじんに弾ける。規模はそれほどでもなかったが、人を殺すには十分な威力だった。


 肉片が飛び散る。頭蓋が弾けて散弾のように散らばった。空気は焦げて土煙は巻き上げられていく。

 しかしその全ては、風膜で阻まれて中心にいる五名には届かない。

 

 ――駄目だ……このままじゃ駄目だ。 

 ジャイナはどうしようもない焦りと苛立ちを感じていた。

 時間を稼げば分断された兵士と合流し、勝利を収めることなど容易い。だが、相手の勢いを見ると時間稼ぎも困難であると思えてならない。

 その証拠に、視界の先では次々と倒されていく兵の姿が映っていた。

 

「なあ、おい。このくらいの数だと可愛いと思えてくる自分にびっくりするんだが」

「ああ、全くだ」

 

 右前方では、魔法使い二名が互いの死角を埋めるように背中合わせに立ち、笑いながら氷柱と落雷で兵士を殺している。

 

「わっ、わわわっ。忙しい、忙しすぎますってぇ!? キャトルの手も借りたい状況ですよっ。あれ、つまり私の手でいいんですかね?」

 

 左前方では、外套の下から猫らしき尻尾をフリフリと動かした亜人女性が、補助魔法を的確にばら撒いていた。

 更に奥――最後方では、『修行が足りんぞおおおッ!』などと暑苦しい高笑いが上がるたびに、兵士が紙くずのように吹き飛んでいる。

 

 異常だ。

 確かに尋常じゃない強者もいるが、その数は極めて少ない。なのに兵がまるで相手にされていなかった。腕がどうこうと言うよりも、やたらと戦闘慣れしている者が多い。

 当然の如く連携し、数の差に恐れを見せずに攻め込んでくる者が目立つ。

 他の者たちもソレに引っ張られているのか、足を止めることなく兵士を突破しては、資材を積んだ荷車を乗っ取っていた。

 

 どう見ても流れが悪い。完全に勢いで負けていた。

 死ぬ。

 このままじゃ間違いなく、ここで自分は終わる。


 先ほどの刀使いが、コチラに向かって疾走してきているのが見えた。もう贅沢を言っていられる余裕はなく、手段を選んでいる時間もない。

 ジャイナは己の判断を信じて動いた。一級走破者としての勘に従い、ロッドの先を迫り来る刀使いに固定する。

 

「何人使ってもいい、荷車の保護もどうでもいい、斬られても怯まず前進ッ。刀使いを包囲して、腕と足を徹底して狙うんだよ!」


 ファシオンたちが右から左へと一斉に蠢き、これまでにないほどの数で押し寄せた。

 

 しかし、それを見た刀使いは、斬るでもなく避けるでもなく、左方向の岩壁へと飛ぶと、 

「さすがにここは空いとるのう」

 勢いのままに壁を地面に見立てて少しだけ駆け、囲いを一気に突破。落ちそうになると見るや否や、さらに壁を蹴りつけジャイナのいる方向へと跳ねた。

 刀使いの動きに釣られ兵士が包囲を緩めてしまい、その隙を突いて、外套たちと奪われた荷車が駆け抜ける。

 

「『アイス・プレッシャー』」


 が、ジャイナはそれに動揺することもなく刀使いの着地地点を先読みし、氷の圧板を生成。即座に荷車から後方へと退く。

 分厚い氷板がアギトのように刀使いを強襲。中空では軌道を変えられない。

 普通ならばこれで終わり……普通ならば。

 

「――疾ッ!」

 

 赤い剣閃が、幾重にも張り巡らされた蜘蛛の糸のように一斉に走る。

 瞬間。

 透き通ったガラスを叩くような、凛とした音が響き渡り、氷板は無残に切れ端となった。

 刀使いが着地と同時にまた駆ける。その手に持った赤銅の刀身は、夕日に照らされて熱された金属のように輝いていた。

 

 ――大丈夫。まだきっと間に合うはずさねッ。

 刀使いを視界に収めながら、ジャイナは焦りを静めるように己に言い聞かせる。

 ここまでの展開は、まだ予想の範囲内。アイス・プレッシャー程度で、あの使い手を止められると思うほど楽観的な性格はしていない。

 刀使いは、指揮官狙いなのか兵士に目もくれずに迫ってきている。

 

 走って逃げられるわけがない。いまさら兵に頼るつもりもなかった。打開するのは自分自身、最後に頼れるのは鍛え上げた魔法。

 壁際にまで後退したジャイナは、ただ文字通り必死に己の意識を加速させた。

 

 ――間に合え、間に合え、間に合えッッ!

 胸中で吼え続ける。全神経を研ぎ澄ませ、意識の手綱を引き絞る。膨大な命力と魔力が刻印に向かって流れていくのを、延々と急かし続けた。

 迫る。死が迫る。

 兵の囲いなどものともせずに、赤銅の断罪刀が首を狙って距離を詰めてくる。

 

 八……五……三メートル、そして目前……にして、ようやくジャイナの集中が完成。

 壁に背を預けて座り込む。剣筋など見えるはずがないと開き直り、ジャイナは即座に魔名を吐き出したッ!

 

「『凍てつく心の如き守護フリージングハート・プロテクト』」


 直後、

 大地から凄まじい勢いで氷が吹き上がり、水晶柱のような美しい氷の守護が生まれた。術者の身体を瞬く間に覆い、氷柱の中に閉じ込める。

 ほんのわずかにだけ遅れて、刀使いの真一文字の剣閃が瞬く。

 金属を削るようなけたたましい音が響き、赤銅の刀身が氷柱を右側から容赦なく切り裂いてゆく。

 

 がしかし。

 氷柱はただ切られるばかりではなかった。斬られた側から即座に再生、首を落とそうとする刀身を強引に止める。

 ジャイナは動くことすらままならず、ただそれを見つめることしかできなかった。

 耳が痛くなるような音を奏でながら迫る刀身と、防ぐ氷盾が徐々に拮抗し始める。

 そして、

 へたり込むように座っているジャイナの首元、その薄皮一枚手前で凶刀が――停止した。

 

「うむぅ、やたらと硬くて腕が痺れてしもうたし、斬っても再生しおるからキリがないのぅ……仕方あるまい、本命ではないしここは大人しく退くか。

 嬢ちゃんも、命が惜しければソチラに付くのは止めたほうがいいぞい。これは年寄りからの進言じゃ」


 殺そうと迫ってきた先ほどとは打って変わり、妙に人懐っこい喋りで刀使いの老人がそう言った。

 ジャイナが頬を引きつらせながら、『できればそうするさね』と返すと、老人は耳障りな音を鳴らして刀を引き抜き、近くの荷車に飛び移った。

 気が付けば、すでにほとんどの資材は敵の手に渡ってしまっている。

 

「ほれほれ、さっさとトンズラじゃ」

「手前ら、乗り遅れたら置いてっちまうぞ、さっさと走れッ」

「みなさーん行きますよー」

 

 へたり込んだままのジャイナを尻目に、荷車に乗り込んだ襲撃者たちが一斉に声を上げ、ケイメルの手綱を絞る。

 嘶きが響き、彼らは一斉に逃亡を開始した。

 ファシオンたちも止めようと動いてはいたが、襲撃者たちは容赦なく魔法をばら撒き、邪魔する兵士を強引に蹴散らし突破していく。


 やがて、

 風のように強襲してきた襲撃者たちは、やはり風のように迅速に、一文字の道を駆け抜け姿を消した。

 

 効果範囲か時間のせいか、背にしていた岩壁が崩れ、林道の十字路は元の姿を取り戻す。ジャイナは慎重に周囲の安全を確認した後、己を守っていた氷柱を解除した。

 溶けるように氷が消え去り視界が開ける。

 

 残されていたのは、少しの荷車と、大勢のファシオン……そして亡骸だった。

 回りこもうとして森に入っていたのだろう兵士が、続々と道へと出てきているのが見える。足がなくなり、腕が落ちている者が幾人もいた。

 恐らく、森の中に足止めの罠でも仕掛けられていたのだろう。

 溜息。

 ジャイナは座り込んだまま動けない。恐怖もあるが、最後につかった魔法が主な原因。あれはジャイナ自身の奥の手……氷の上位魔法だった。

 

 堅牢な安全圏を作り上げ、己の命を守りきる。上位にしては攻撃的な魔法ではなく、効果範囲もそれほど大きくはない。

 だが、その防御力は信頼に足るものだ。

 

 印数は馬鹿ほど使用するし、誤って使用すれば寿命がほんの少しだけ延びる程度の効果しか見込めない。

 しかし、『死にたくない』そんな願いを叶えるには、これほど適した魔法もないと信じて、ジャイナはこの魔法を常にストックしていた。

 

 おかげでどうにか凌げたものの、資材のほとんどは奪われた。このまま城に帰って報告して、そのとき自分は生きていられるのだろうか。

 

「まあ、数台残っているだけマシだと思えば……」


 疲れに促されて大の字に寝転び呟く。触れられたくもないが、ファシオンに抱えて荷車に運んで貰おうか……。

 と、ジャイナが考えた瞬間。

 

 残されていた荷車のあった方向から、爆音が轟いた。

 

「嗚呼、訂正……命“だけ”残っているならマシさね」


 恐らく反対側の森の中にも誰か潜んでいて、置き土産代わりに炸裂樽へと仕掛けを施していったのだろう。

 立ち昇る噴煙を見上げ、ジャイナは『もう嫌』とばかりに寝返りをうった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 太陽が完全に姿を隠し、闇が満ちゆく時間帯。

 リドル近辺の平原中央では、冷たい夜を和らげるように、無数の焚き火が暖かい炎を踊らせていた。

 風除け代わりに止められた数十台の荷車の内側で、人々は焚き火に手をかざしながらも、地べたで夕食を取っている。

 

 パンをモシャモシャと齧りながら寛いでいるゲントたちもその一員だ。

 現在この場にいるのは、蟲毒を走破した経験のある者たちばかり。

 ゲントの仲間は、『面白い奴を見つけたからちょっと行ってくる』だとか、『もう眠いから後で起こして』だとか言い残し、どこぞへと消えていた。

 

 全く好き勝手な奴らだ、と愚痴零し、肌を刺すような寒さに身を震わせる。 

 まだ戦闘の余韻が残っていたが、さすがにこの気温では身体も冷える。酒が恋しくなったが、さすがにそれは帰ってからか。

 

 せめて暖かいスープでも、とゲントは鍋へと手を伸ばした。

 が、

「ん?」

 見覚えある黒髪の女性が近づいてきたのを見つけ、その動きを止める。

 

「少し良いですか? お食事中失礼かとは思いましたが、この先時間があるとも限りませんので……この度は、アナタ方のおかげで上手くことが運びました。ご協力、感謝します」


 ゲントの立ちの近くで立った黒髪の女性は、律儀さが滲む仕草で頭を下げ礼を述べる。

 他の焚き火も回っていたことから考えても、わざわざ全員に同じようなことを言っていたのだろう。

 やっぱり育ちが違うとこうも差がでるものか。ゲントは自分と比べて心中でぼやくと、むず痒そうに顔をしかめた。

 

「オレたちも関係のある問題だ、別に構わねぇ。なによりこっちは自分の意思でやってんだ、しち面倒臭い礼なんていらねーよ」

「いえ、しっかりと筋を通しておかねば、私が隊長に叱られてしまいますので」

「はあ、シズルさんだっけか? さすがにお国の隊長はしっかりしてんだな。やっぱりオレにはうちの隊長くらいが丁度いいってことか」


 ズズとスープを一口啜り、ゲントが口角を吊り上げてそう言うと、

 

「ふむぅ、確かに大体フザケとるからのぅ」

「あらあら、楽しくて良いじゃないー」


 隣から岩爺が茶々を寄こし、シルは口元に手を当て鈴を転がすような笑いを零した。


「あ、あと結構意地っ張りだよな」

「たまに凄く失礼なことも言いますよ?」

「ああ、『重い』だか『腕が痺れた』だっけか」

「失礼なっ」

「オレじゃねーだろ言ったのはっ。全部隊長が悪いんだって」

 

 亜人女性が耳と尻尾を逆立て『フシィっー』と唸り、男性魔法使いは慌てて身を引きいい訳を漏らす。

 ずいぶんと好き勝手に言ってはいるが、残念なことにそのほとんどが事実である。ゲントもとくに異論はなく、『らしくて良いけどな』と肩を竦めるだけで済ませた。

 

「アナタ方の隊長というと、獄を走破した際の、ですか?」

「ん? ああそうだ。いまだにオレらの隊長だよ」

「そうですか……蟲毒を潰していただいた皆様には、正直なんど礼を述べても足りないほどです。今回も協力して頂き、感謝の念が絶えません」

 

 また礼を述べようとする黒髪女性を見て、ゲントは先ほどよりもさらに顔をしかめてみせる。

 

「っけ、よしてくれ、そういうんじゃねーさ。大体、オレはそんな大層なことはできねェよ、あんまり期待しないでくれ」


 少しだけ突き放すようにゲントが言い放つ。

 別に自分を卑下しているわけではなかったが、そう思っているのも事実だった。

 簡単に言えば、『獄を走破した一員だ』というよりも、『走破できる人物についていった』、と思っていたのだ。

 恐らく、あのとき参戦したほとんどの者もそれに同意するに違いない。

 

 蟲毒には、メイとドリーがいなければ突破できなかった場所がいくつもあった。例え二人の代わりに誰かを据えたとしても、きっと自分たちでは途中で諦め死んでいただろう。

 

 かといって、『あの二人がいればそれで安心』なんてことは微塵も思っていない。

 誰か一人でも欠けていたら成し遂げられなかった。自分たちが支えたからこそ駆け抜けられた。

 そんな自信や達成感も、しっかりと胸中にしまわれている。

 

 だが、やはり『獄を走破した方々』などと言われるのは、どうしたって居心地が悪い。

 自分たちも身元を隠しておくべきだったか……いや、無駄な足掻きか。


 キリッと真面目な顔で突っ立ている黒髪の女性を見て、ゲントは諦めの溜息を吐く。

 数日前、シズルの部下だと言う彼女がリドルに訪れた際、こちらの身元を明かしてからずっとこの調子だ。

 正直こうなることは予想できていたが、隠すのはさすがに無理があった。

 

 住民から走破者に至るまで――リドル内では――自分たちの名はそれなりに知られている。

 例え隠したとしても、少し暢気な知り合いが『よおゲント、調子はどうだ』などと話しかけてくれば終了だ。

 街全体の口を塞げば問題はないが、それは不可能に近い。嫌でも喋らざるを得ない状況だったと言えるだろう。

 

「あの……」

 

 一人後悔に暮れていると、黒髪の女性が妙に言い辛そうな様子で視線を泳がせ声を掛けてきた。

 促すように黙っていると、一拍の間を置き女性が言葉を続けていく。

 

「こういったことを口に出すのははばかられますが、その隊長殿は現在どちらにおられるのでしょうか? もし連絡が取れるのならば、こちらとしてもできれば手助けをして貰えると……その」

「あぁ……っと」

 

 ゲントは一瞬だけ返答に詰まった。

 隊長ならもうそっちにいるが、とはもちろん言えるはずがない。


 仕方なく、ゲントは誤魔化すように苦笑いを浮かべ、

「いやー、どうだったか。あの人そこいらをチョロチョロしてっから、連絡とれねーんだ。すまねぇな」

 謝罪をいれた。

 

 まさか謝られるとは思っていなかったのか、黒髪の女性は少し慌てたように両手をかざす。


「いえ、勝手を言っているのはこちらですから。それに、連絡が取れないことは残念ではありますが、さほど問題もありません。

 前にもお話したでしょう? こちらにも強力な助っ人が付いていますので」


 少し自慢げに女性はうなずいている。

 もちろんゲントは、『おう、そいつがうちの隊長だ』とは口が裂けても言えなかった。

 周囲を見渡せば、苦笑いを浮かべている者ばかり。全員が全員、すでにその助っ人の正体に気が付いていた。

 

 黒尽くめの槍使いと常に一緒にいる魔法を使う砂蛇。

 そして赤髪の大剣使いと白毛の射手……極めつけが巨躯で角が生えたリキヤマさん、である。


 バレバレだ。

 メイたちと友好を深めたゲントたちからしてみれば、これでわからぬわけがない。

 

 砂蛇は恐らくドリーが変装しているのであろうことも想像がつく。

 ただ、唯一カゲーヌという名の妙なトカゲだけが謎だった。

 記憶が正しければ、確かメイは樹々という名の走破竜を連れてはいた。しかしそれは手乗りサイズだ。人を乗せるような巨躯ではない。

 

 どこかで捕まえたのか、はたまた他のナニカか……

 もし仮に、『実は樹々がでかくなっちゃってさー』といった与太話を聞かされたとしても、『嗚呼、そう、か。良かったな』と返答してしまいそうなのが、メイたちの怖いところだ。

 いや、さすがにそれは……ない、はずだ。


 ――駄目だ、まるで自信が持てない。

 ゲントは妙な考えを追い出すように残ったスープを一気に飲み干すと、話の流れを変えるためにも、自ら口火を切った。

 

「今日の襲撃で素人連中には被害は出てねーんだよな? そこら辺はそちらさんの裁量だからまだ確認してねーんだが」


「はい、それはもちろん。道を阻んだあとファシオンが向かっては来ましたが、こちらの足の方が速く、誰一人として怪我人を出してはおりません。そちらの方は?」


「こっちも大した被害は出てねーな。水晶船が止まって足止め喰らったせいか、リドルで雇った連中に、予想以上に腕利きが揃っててよォ。

 まあ、ちと扱い辛ぇ奴も数人いたが、な」

 

「そうですか、犠牲が少ないのはなによりのことです」


 黒髪女性がの言葉に、ゲントは『そりゃそうだな』と同意を示す。

 夕方におこなったファシオン襲撃は、上手くいきはしたがヒヤヒヤする部分も多々あった。

 思ったよりも兵はしぶとかったし、相手が消極的な出方じゃなく、即応してきたら失敗していたかもしれない。


 立地、タイミング、噂を広めた効果だって想像していた以上に大きく、村や町からの手助けなど、全体的に運の要素が強かったように思えた。

 ルートを調べたりブレそうな部分はある程度潰してはいたが、やはり確実ではない。もういちど同じことをやれと言われたら、無理とは言わないが、キツイことだけは確かだった。 

 ただ、駄目そうであれば即座に逃亡する予定ではあったので、失敗してもさほどの被害は出なかっただろう。

 

 少しだけ思案したあと、ゲントは黒髪女性に眼差しを向け直す。


「で、もちろん後をつけさせてんだろ。向こうの動きはどうなってんだ?」


「さきほど一名報告に戻ってきましたが、現在はシルクリークに向かって進路を取っている、とのことです。

 恐らく報告に戻るつもりなのでしょう」

 

 黒髪女性の言葉を聞いて、ゲントは双眸を細めて返した。

 

「つまり……こっちの狙い通り、ってことで良いんだな」


「はい、シズル隊長は南付近で、サバラの奴と槍使い殿たちは西方面で、こちらと同様のことをしておられます。

 もしかしすれば、シルクリークに全員が帰還していることも、あり得るかもしれません」


「そいつはいい、それこそ望むところだな。報告の数が増せば相手さんも信用するだろ」

 

「ですね、予定していた期日も迫っていますことですし、前倒し気味に動いて貰える方がこちらとしても助かります。

 資材を奪う程度では、しょせん焼け石に水ではありますから」


 ゲントはその台詞に無言でうなづきを返した。

 資材を奪えば戦争開始を少しでも遅らせられるかもしれないが、相手との数に差があるこの状況では、それはあまりに消極的な動きだ。

 

 本来の目的は陽動。

 噂も、奇襲も、ソレを行うための布石でしかない。メイたちが定めた予定の日までもうあと少し、これから先はできることに集中すべきだろう。


 脳内に描いていた今後の予定を、ゲントは確認するように口に出していく。


「目標の兵士が戻るってんなら、しばらくは人集めと武器集め、後は噂を撒いてりゃ良いんだな」

「その予定です。よろしくお願いします」


 ピシリと整った姿勢で黒髪女性が頭を下げる。ゲントは嫌そうな態度を隠しもせずに、ガクリと頭を垂らした。


「おいおい止めてくれ、立場的に言えばそっちがお偉いさんでオレらはただの走破者だ。無駄に頭が低いんだよアンタ」


「私はコレでも副官ですので、隊長に恥をかかせるわけにはいきません」


「まさか……とは思うが、アンタのとこのお人らってのは、全員こんな感じなのか?」


「そう、ですね。むしろシズル隊長は更に堅苦しい方……でしたよ」


 若干過去形で、黒髪女性が小首を傾げて言う。

 ソレを聞いたゲントは、『これ以上に堅苦しいとなどとは勘弁してくれ、隊長さんはよくそんな堅物と一緒にいられるな』、とさらにうなだれる。

 と、その話を真向かいで聞いていた猫亜人の女性が、驚いたようにくりくりと茶色の瞳を揺らし、少しだけ身を乗り出した。

 

「なんだか、想像しただけでサバラと合わない気がするんですけど、アイツ上手くやってるんですか?」

「おや、サバラの奴とお知り合いですか。確かに最初は酷いものでしたが、最近では案外上手くやっていますよ」


 その言葉にさらに驚いたのか、亜人女性は口元に手を当て三角耳をヒコヒコと揺らす。


「うわ……信じられない。アイツって、普段は悪さばっかしてたでしょ? 大事にしてた日干しの魚も取ってちゃうしっ、日干しの肉も食べちゃうしっ。絶対その隊長さんにも迷惑かけてた気がします」


 力強く拳を握り、尻尾を振り回して亜人女性が言い放つと、横で聞いていた男性魔法使いが胡散臭そうな眼差しを向けた。


「なんだそれ、食べ物の恨みばっかだな。だから重いとか言われんじゃないか」

「――ッ!? 痩せてますぅー、太ってませんー」

「おい、土かけんのを止めろっ」


 怒髪天をつくかのように、耳をピンと立てて亜人女性が後ろ足で土を蹴る。男性魔法使いは口に土でも入ったのか、ペッペと唾吐きながらも騒ぎ出した。

 ――ああ、もう喧しい奴らだ。

 堪らずゲントが『うっせえな静かにしろって』と怒鳴り、どうにか騒ぎは収まった。

 

 ただ、亜人女性はどうにも気になるのか、お腹を触って『まだ大丈夫っ』などと自分を励ましている。

 実際太っていないのだから、そこまで気にしなくてもいいだろうに、やはり女心とやらは面倒で難しい。

 

「楽しそうで良いではないですか」

「まあ、そうとも言えるのかね」

 

 黒髪の女性の言葉に、ゲントはなんとも言えない微妙な表情で返答した。余りに喧しいのは鬱陶しい。

 ただ、和やかに流れる時間を、好ましいと感じている自分もいた。

 きっと、この時間をより長く得るために、自分たちはこうやって動いているのかもしれない。

 

 ゆるやかなる空気に身を任せ、ゲントは少しだけ肩の力を抜いた――はずだった。

 

「ああ、そういえばすっかり聞きそびれていましたが、“本当の”資金提供者の方とはご連絡は取れたので?」

「――ッ!?」


 不意に吐き出された黒髪女性の台詞に、一気に身体が膠着する。他の全員も一斉に表情を強張らせ、不自然に動きを止めた。

 

 この話題はよろしくない。非常に悪い流れである。

 というのも、ゲントたちは金の出資者に関して彼女に一つ嘘をついていたのだ。

 『実は……金は遠い知り合いからの連絡で、自分たちがひとまず代わりに出しているだけだ』という極めて薄っぺらーい嘘を、だ。

  

 そんなことをした理由は単純だった。

 『オレたちと繋がってるのがバレるのは、隊長さんが望んでいることじゃねーだろう』と考えた結果である。

 

 幸いにも、『素性を隠したい人からの頼みでな、他の皆には黙っててくれ』と釘を刺すと、彼女は『事情があるのだろう』と深読みしたのか、表面上では納得してくれた。

 ただ、その後すぐに『礼と、返済をしなければいけないので、こちらにだけは伝えてください』と言われたわけだが。

 そんな者は元々いないのだから、困るのはこちらの台詞だった。

 

「いや、あー、オレたちも頼まれただけだしな。そのーアレだ、まだ連絡はついてねぇな」


 しどろもどろに答えると、黒髪女性が難しい表情で目を伏せた。


「そうですか……分かったら伝えてもらえると助かります」

「お、おう」

「確か、ゲントさんの遠い知り合いの方でしたよね?」

「……妹の旦那の知り合いで、その友達の……兄貴の嫁、だ」

「おや、弟さんの嫁ではありませんでしたか?」

「ああッ、すまねぇ。ちょっとした……言い間違いってやつだ」

「ですか、なんといいますか、なんど聞いても他人のようにしか思えない間柄ですね」


 いや、完全に他人だ。そもそも自分には妹すらいない。

 げんなりとした表情でゲントが額に手を当てていると、隣にいた岩爺がヒジで小突いて囁いてきた。

 

〈ゲントやッ、苦しすぎて儂もう見ておれんのじゃが……〉

〈うるせぇな、大体オレのせいじゃねーだろう。アイツが元々わりィんだ〉


 小声で岩爺に返答し、即座に亜人女性に視線をやると、流れるような自然な動作で目を逸らされた。

 

 ――あのおっちょこちょいが、こういうときだけキッカリすっとぼけやがる。

 ギリ、と歯を噛み締めて睨んでみたが、亜人女性はこちらとまったく目を合わせようとしない。

 

 彼女こそが、間違いなくこの苦しい状況を作り上げた元凶。

 黒髪女性がリドルに付いた当日、資金を出した礼を最初に受けたのも、その身元を最初に答えたのも、彼女である。

 生来の性格がほんの少し抜けているのか、それともよほどそのとき焦っていたのか、よりにもよって彼女は、先ほどゲントが言い放った……いや、最後の兄貴を弟に代えた台詞を黒髪女性に向かって吐いたのだ。

 しかも、『誰のお知り合いで?』と聞かれ、即座に『ゲ、ゲントさんの』と言ったらしい。 

 そのせいで、ゲントはこの胡散臭い設定に嫌々ながら合わせることを強いられていた。

 ただ、さすがに彼女としても悪いとは思ってはいるようだ。

 必死になって視線を逸らしていたが、頭部の耳は今もプルプルと震えている。きっと反射的に視線を逸らしてしまい、後に引けなくなった……といったところなのだろう。

 

 ――嗚呼、頼む隊長さん。早く問題を解決してくれ。オレは誤魔化し続ける自信がねーよ。

 

 遠くにいるであろうメイに向かって、頼み込むように囁く。

 国が大変で他にも問題は山積みなのだが、ゲントにとっては、なぜかそれが一番大きな難題に思えてならなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 二級区域 拠点内部

 

 

 地下に構えた広間の中を、人々が慌しく駆け回っている。様々な報告が始終飛び交い、怒声に近い叫びも常に響き渡り、静寂など入り込む隙間などなかった。

 右を見れば荷車に鉄板を貼り付ける作業が続いているし。

 左を見れば、小さな樽に危なっかしい液体を詰めこんでいる人たちがいた。

 その周辺に風魔法で防護膜を張っているとはいえ、『爆発するんではないか』とちょっとだけ怖い。

 

 そんな人々をチラチラと眺めながらも、壁際近くに据えられたテーブルに向かっていた俺は、手元に持っていた紙束を捲っては、その中身に目を通していた。

 欠伸を一つ漏らす。と、真向かいに座っていたサバラが思い出したかのように足元に置いていた袋を漁り、その中身を俺へと差し出した。

 

「はい兄さん、これ新しい情報ね。すぐに目を通しといてくれよ」

「――っぐ、マジかよ……これ読んでからでいいか?」

「構わないけど、できるだけ急いで頼むよ」


 俺が電話帳のような量の紙束に殺意の篭った視線を向けていると、サバラは少しだけ笑いを漏らした後、視線を己の手元に戻した。

 アースメイクで急造した砂岩テーブルが二台。その上には山のような紙束。

 

 どこかの偉い人が『そこに山が在るから登る』とか言っていたが、尊敬する。

 俺にはこの山はエベレストよりも高く見え、とても登れる気がしなかった。

 

 とはいえ、サボるわけにもいかない。俺は先ほどまで読んでいた資料へとまた目線をやった。

 

 視界に映るのは鬱陶しいくらいの文字の列。

 内容は、シルクリークの動き、都市内部の詳細、協力を了承してくれた村や町の名前から、それぞれの場所でどれだけの戦力が集まっているか、などなど…………。

 正直言って、ソレらを延々と読んでいく作業は凄まじく面倒臭い。

 文字を読むこと自体は嫌いではないのだが、この資料にはまるで教科書を読んで眠くなるような煩わしさが、夢の代わりにパンパンに詰まっていた。

 

 重要なことは理解しているので居眠りなどしないが、ウンザリはするのは否めない。

 どうやら、俺は書類仕事とかは向いていないらしい。

 

 ハラハラと紙束を捲り続け、情報を頭に収めていく。少し前に、いちど敵へと奇襲をかけた日以来ずっとこんな調子だった。いや、噂がばら撒かれ始めたであろう日から、すでに忙しさはダッシュで迫ってきていた気もする。

 

 悪い噂ほど足が速いものだ。

 聞けば、さながら疫病のような恐ろしい速度を持って、村から町へ、街から村へと広がったという話だった。

 金の力も関係しているのだとは思うが、それを加味しても広まりすぎだ。

 

 やはり、それだけ人々の胸中に、鬱憤や怒りが溜まっていたということなのだろう。

 

 いい意味で予想外な状況だ。

 書類に目を通せば通すほど、協力してくれる人員が爆発的に増えているのがわかる。

 そのほとんどが真正面から戦闘を行えない人ばかりではあったが、そのほかのことで十二分に役立ってくれていた。

 

 敵のルートの情報提供。武器や資材を集めの尽力。

 いくら安全を確保しているとはいえ、敵をひきつける囮役だって勇気のいる所業だ。

 その上、現在南付近に移動しているシズルさんたちの拠点だって、近隣の町の人々が確保してくれた。

 とてもじゃないが、戦闘しない彼らを馬鹿にはできない。

 

 ――でも、ちょっとやる気だしすぎなんだよな。


 途中まで読んでいた紙束を済ませて他所に放り、俺は先ほどサバラから受け取ったモノを捲った。

 内容は先ほどの資料と似ている。

 記載されている数が変動してはいるが、パッと見大きな変化もない。まるで同じ資料を読んでいる気分になった。

 

「うぁあ゛ぁぁぁ」

「ちょ、兄さん、変な声ださないでくれよ。ビックリするじゃんか」

「おう、悪い。ちょっとした気分転換だ」


 妙な衝動に駆られて呻き声を出してみたのだが、どうも不評だったらしい。ドリーが反応してこなかったのを不思議に思い、俺はテーブルの上に視線を向かわせた。

 

 と、砂蛇が捨てられたチューブのようにグデェと寝転んでいるのが映る。

 先ほど俺が読み終わった書類を捲っては、『ふみゅふみゅ』となにやら真面目腐った態度でうなずいていた。

 

 いつものように、俺とサバラが紙束を捲っている姿を見て真似したくなったのだろう。

 書類を読む砂蛇とか、どう考えても異彩を放っているのだが、魔法を使ったり色々とボロが出てきているせいで、このくらいでは突っ込んでくれる人すらいなくなっていた。

 

 もう俺の肩からいきなり手が生えても、誰も気がつかないんじゃね、と思ったが、さすがにそこまではない、だろう。

 俺は自分で自分の馬鹿げた考えを否定し、作業へと戻った。

 

 

 

 読み続けて一時間以上が経過した。それでも終わりは見えてこない。

 俺はこれでも必死で読んでいる。しかし、時間が経つとどこからともなく新たな援軍が現れた。


 ――樹々さん……お願いします。少しだけ手加減を、慈悲を俺にッ。

 誰にも聞えないのをいいことに、胸中で樹々に向かって泣き言を吐く。

 

 というのも、各地に散った密偵とか協力者などから資料が迅速に届く理由の一つに、樹々の足が大いに関係しているからである。

 村から街へと恐ろしいほどの速さで駆け抜ける走破竜の足、それを情報を運搬するのに使わないわけがない。

 

 最初は樹々も知らない誰かを乗せるとを嫌がっていたが、俺とドリーで宥めたり煽てたりと色々やった結果、とりあえず了承してくれた。

 馬やケイメルたちも活躍はしているが、やはり樹々の足は断トツだ。

 

 正直に言えば、『止めとけばよかった』とか少しだけ後悔しているほどに。

 

「っと、かしら、兄さん、新しいのが届きましたぜっ」

「ふほ、はは……は」

 

 急に現れたサバラの部下が、テーブルにバサリと新たに敵を追加する。俺の口からは、自然と妙な笑いが零れでた。

 と、サバラは書類から顔を上げないままで、注意を飛ばしてくる。

 

「兄さーん、ちゃんと読んでる?」

「ぁあ、読んでる読んでるー」

「なんか……返事が胡散臭いんだけど、大丈夫だよね? もう数日しかないんだから、しっかりしてくれよな」

「大丈夫だって、真面目にやってるから」


 疑いを滲ませたサバラの言葉に、俺は資料を眺めながらも返答していく。だがサバラは全く信用していないのか、ときおり顔を上げては様子伺ってきた。


 ――おお、なんて失礼なやつだ。

 やりたくない、といった個人的な感情は抜きに、自分としては真面目に作業を続けているつもりだ。

 なのに、なぜこの爆発せんばかりのやる気が伝わっていないのか、本当に世の中には不思議なことだらけだった。

 

「なぁサバラ……みんなの姿が見えないけど、どこでなにやってんのか知ってる?」

「赤い姉さんは戦闘訓練。白い姉さんは樽を飛ばす予定の筒を監修。リキヤマさんはオイラの部下引き連れて食糧調達で、スルスはいまごろ、この倍の量の書類に目を通してる」


「倍とか、スルス先輩ハンパないんだが……」

「こういうのは慣れって言ってたよ。あと、目が自由に動くから読みやすいとかなんとか」

「まあよく見えそうだしな、あの目」


 互いに視線を固定しながら会話を交わしている内に、急に降って湧いてきた疑問が一つ。

 仕事だけは続けながらも、俺は素直にソレを口に出した。

 

「つかハイクは?」

「ハイク? えっと、確か兄さんから貰ったチェスとか言うゲームで遊んでたかな」

「おおう、白黒に塗られてもいいから、ハイクになりたいと思ったのはこれが初めだ」

「ししっ、オイラもたまーにそれは思うよ」


 独特の笑いを聞きながらも、遊んでいるだろうハイクに向けて怨嗟を飛ばし、俺はそのまま言葉を重ねていく。

 

「でもハイクってこういう仕事できないのか? 紙が白で文字が黒だから楽しいぜっ、とか言えばやりそうなもんだが」


「駄目駄目、オイラも一回それやらせたことあるけど、しばらく経って見にいったら、文字の端々が繋がって絵になってたり、文内の名称が全部探し人の名前に修正されてたりしてた」


「……ハイクならやりそうだけど、努力の方向音痴すぎんだろ。一回ビシッ、と怒ったほうがいいんじゃね」


 特に本気で思っているわけでもない冗談を放ると、サバラはさもおかしそうに笑った。


「無理に決まってるじゃんか。なに言われたって、ハイクがやりたくないことをするはずないよ。大体アイツって、オイラたちみたいにシルクリークに固執してないし、

 報酬とかも、『お腹がすいた』くらいしかねだってこないから、動かす材料がなさすぎるんだよね。

 オイラとしては戦闘してくれるだけでも十分だよ。なにより、下手に機嫌損ねて出てかれるほうがよっぽど怖いし」

 

「ほう、俺も特に報酬をねだってないし、戦闘をしているわけだが……なぜここで書類とにらめっこしているのか」


「拠点あげたじゃんか。ボロでもう潰れたけどっ。というか、別に本当にやりたくないんだったら、休んで貰っても構わないけど」


 気遣うようにサバラがそう言ってくれる。俺としても冗談の延長だったので、すぐに『いや』と否定して言葉をつなげた。


「冗談だよ、ちょっと言ってみただけだ」

「だろうね。だと思ったから、オイラも休んで良いって言ってみたんだけど」


 くそ、こいつ汚ねぇ……案外優しい奴じゃないか、とか思って損した気分だ。

 大分付き合いも長くなってきて、少し見透かされるようになっている。もちろんお互いに、だ。

 どうにかして、あとでサバラをギャフンと言わせよう、と俺が書類に向かって視線を落とした、

 

 ――その時。

 

かしらァァッ! ようやく奴さんが動いたって報告がきやがったッ!」


 突如として、叫ぶような声が広間内に響き渡った。

 見れば亜人の男が一人、片手に新たなる紙束を持ちながら真っ直ぐに俺たちへと向かってきている。


「サバラッ」

「あいよ」

『ぬおお、お待ちくださいっ』


 短く言葉を交わし、俺とサバラは同時に立ち上がる。ドリーは置いてかれまいと尻尾でぺシンとテーブルを叩いて飛び、肩に着地。

 それを確認した俺は、すぐに駆け寄ってくる男の下へと向かっていった。

 

「――か、かしら、これでさっ」

「助かる。ご苦労だった」

 

 最初に辿り着いたサバラは男に短い労いをかけ、奪い取るように持っていた紙束を受け取ると、即座にその中身を改めていく。

 サバラの視線が文字を追い動く。

 重要な箇所だけ抜いて読んだのか、わずか二分ほどでサバラが顔を上げ、俺にギラギラとした眼差しを向けた。

 

「兄さん……シルクリークから兵が出たって。数は五万ほど、もちろん全員が武器持ちで、進行方向はいまのところ北に二万五千で東北に同数」

「赤錆は?」

「確認できてないね。オイラとしてはシルクリークに残ってると考えてる」


 つまり、都市内には現在半分の五万と赤錆フルメンバーが残っている……ということか。

 恐らく、こちらが襲撃をかけたことが上手く伝わり、ネズミ狩りよろしく兵士を外へと出立させたのだろう。

 外に出した人数を加味し、俺は自分が相手側にいると想定。すぐに思考を巡らせる。

 

 前もっていくつかラインは考えていたので、考えの纏まりも速い。

 分かり易く自分の中でそれを整頓した俺は、確認するように、ゆっくりとソレを吐き出した。

 

「……相手は俺たちが『陽動を狙っている』、ということにちゃんと気が付いてくれている。

 で、五万と赤錆を残したことを考えると、狙い通りに目標を取り違えてくれたっぽいな。

 きっと、俺たちが『城から兵士を釣りだそうとしている』……とか考えて戦力を城に残したんだろ。

 

 いま兵を出した理由は……こっちが人集めしていることに気が付いて、面倒になるまえに消そうって腹か。

 出立の兵を二万五千ずつに分けたのは、わざと囮に戦えない人を使ったのがきっちり報告がいき、『これで十分だ』っと判断してくれた……まあ本当にそうなんだけどな」

 

 俺がそこで言葉を切ると、サバラは数秒だけ瞼を閉じ、やがて肯定する。

 

「だね……というか、わざわざ深追いせずにチョッカイだけ出したんだし、そう思ってくれてることを願いたいよ。

 実際こっちの数は増えてきてるけど、戦闘こなせる人数は少ないし、防壁のある都市に五万と赤錆を残されたらアソコ攻めても勝ち目ないね。

 出立の二万五千も十分オイラたちを殺せる人数だ。

 もうちょっと派手に暴れる性格かと思ったけど、結構堅い……というか数で押すような立ち回りしてくるね」 

 

 サバラの言葉に俺は苦笑しつつもうなづいた。

 躊躇いなく外に五万出したということは、やっぱりまだ相手は補給を使える。

 いや、むしろ使えない状態ならば端から他国に戦争しかけたりはしないだろう。

 

 恐らく相手はコッチが全滅するまで延々と都市に五万を据えおくつもりだ。攻撃は半分だけに任せ、減ったら補給でまた出立、それを繰り返す。

 これをやられたら俺たち都市に手を出せないし、いくら外で減らしても補給で回復されて疲労するだけ。

 相手はよほど確実に、俺たち反抗勢力を――いや亜人を全滅させたいようだ。

 

 だが、十分流れは俺たちの願うように向いている。そもそも真正面から相手するつもりは最初からない。

 補給地点へのたった一度の侵入を、より確実にするための手段でしかないのだ。

 

 全てが望み通りとはいかないが、十分許容範囲内に収まっている。ここからが本番。

 今からが反撃だ。

 ジワジワと胸の内から熱いものが湧きあがり、俺はグッと顔を前に向けると表情を引き締めた。

 

「……忙しくなってきやがったッ。

 まずは出立した兵が向かう先を調べさせてくれ。三級区域に重なったら目も当てられない。

 次にシズルさんたちや協力してくれている人たちに連絡、決行予定日に配置につけるように移動を促せ。

 もたもたすんな、動かないと時間がねーぞ!」

 

 声を張り上げ、俺がそこいらにいらで待機していた者たちに指示を飛ばすと、それぞれに身体をビクリと揺らし、了承の声を返して駆け出した。

 俺は続けざまに新たな指示を飛ばす。


「武器などの最終確認は白フサと一緒にやれ、手錬の選別は赤いのと一緒に。

 少なくとも三級での陽動部隊は戦闘になるから、隊列を組むのにできるだけ使える者たちを集めてくれ。

 

 進入する人員は俺たちが確定としても、他に何名か入れるなら再選別。今と前とじゃいるメンバーが多少は違う。考慮する余地はあるからな。

 残った者たちもそれぞれに最終確認を済ませとけよ。移動時間も想定して予定日より前に移動することを頭に入れとけ!」

 

 亜人の一人がリッツを呼び出しに猛ダッシュ。リーンの元にも騎士一名が向かった。

 選別のための人員リストと、それを把握しているスルスの元にも女性が一人駆け出した。

 それぞれが表情に緊張とやる気を張り詰めさせ、今まで異常に忙しなく動いている。

 

 ――よしよし、さすがにみんな動いてくれるな、って……サバラは。

 

 一人満足気に頷いていた俺だったが、不意にいるはずのサバラの声が聞えないことに気が付き、顔をグルリと巡らせた。

 サバラはすぐに見つかった。先ほどと同じように、俺の左隣に立っていたのだ。

 

 ――なんで黙ってんだ、こいつ。

 そんな疑問を感じて伺うと、なんだか微妙な表情を貼り付け、鼻面をかいているサバラと視線が交差した。

 無言、なぜか視線が呆れているように見える。

 

「な、なんだよ」


 思わずその目線に戸惑い俺が呟くと、サバラは深く、深ーく長い溜息を吐き零した。

 

「あのさ、やる気一杯なのはオイラとしても嬉しいんだけど、なんでさっきの書類仕事のときにそれが出ないんだよ。

 ほら鏡見る? 表情別人じゃんか」


「うっせ、あのやる気とこのやる気は違うんだって。別腹なんだよ」


 手のひら大の鏡を腰元から取り出したサバラが、『ほれほれ』と向けてくる。

 俺は思いついた言い訳を募りながらも、その鏡をシッシッ、と跳ね除けるように追い払った。

 

「ししっ、やる気に違うもなにもないっしょ。言い訳は見苦しいよ」


「ばっか、あるんだよ。こーなんだ、剛のやる気と柔のやる気……みたいな感じだ。ちなみに書類の奴は柔な。

 一見するとなさそうだけど、内なるアレがソレだ。凄いぞ、本気を出すとヤバイ」


『ぉぉ……ついに世界が震撼するときがきたのですねっ。なんだか分からないですが、とにかくヤバイですっ』


 俺の嘘八百に世界というかドリーだけが震撼し、サバラは生暖かい眼差しを向けてくる。


「兄さん……ま、まあ戦闘で頑張ってくれればオイラ構わないよ、うん」


「ばか、やめろッ、とりあえずその括りに俺を入れんなッ!」


「チェスだっけ、今のうちにやってくる? あ、白黒の染料もあるけど」


「――ぐぎぎッ」


 からかうようなサバラの言葉に、俺は反論するのを諦めた。今は何を言っても無駄だ、言わせたいようにさせるのが一番の解決法だ。

 

 そう、今は、流れが、悪い。

 ――ああ……覚えているが良いさ、このワサワサが、後で覚えてろよ。

 

 心の中の復讐手帳にサバラ・テイルと記入して、俺は滅多にないチャンスだとばかりに笑うサバラに笑いを返したのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 メイが動き出したこの日を境に、シルクリーク領域内が一挙に騒がしさを増した。

 総員が、ただ一つの目的を達成するために動いた。

 シズルは南に、ゲントたちはリドル付近で。

 メイやサバラたちばかりでなく、その全ての人々が準備を密やかに進めていた。

 

 その日までに帰還させる予定で、メイは樹々の背中に情報を乗せて出立させ、戻さずに済む馬やケイメルたちは離れた位置に向かって走らせた。

 その背に乗せた情報は、瞬く間のうちにシルクリーク領域内にばら撒かれ、人々の気力を盛大に煽った。

 

 慌しさの限界に挑戦するかのように、亜人たちが動き回る。

 武器や樽などを荷車に積み込み、戦闘を行うであろう者たちは、緊張した面持ちで何度も何度も己の装備を改めていく。

 

 近隣の町や村の協力者たちからも、出立した五万の兵隊の進路がすぐさまメイたちの元へと雪崩れ込んできた。

 進路は三級区域には向いていなかった。望む通り予定日には重ならない。

 

 大河が氾濫するように人々が一斉に動き、各地では亜人たちが奮起の咆声を上げる。

 戦闘を行えない者までも、それぞれに覚悟を決め己のできることを行う準備を進めていった。

 

 己、人、金、そしてまた別の目的のため。

 彼らは千差万別の想いを胸に、怒りや悲しみや憤り、全ての感情を燃やす。

 

 そして、忙しさと人々の熱気で日々が溶けるように消え去り、

 『シルクリークの解放を!』

 大勢の望むそれを叶える最初の一手を突き刺すその日が、

 ――訪れたのだった。





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