踊る粉塵 燃ゆる通り
南へと伸びる大通りを駆け抜ける。
チラホラといるファシオン兵を無視し、飛んでくる矢弾を避け、転がっている死体や武器を跨いで先へ。
すでに大分距離を稼いでおり、城門という敵地からは抜け出していた。
ただ、『危険から逃れられた』とは言えないのだが。
アイツら……本当にしつこい。
背中を刺す殺意に促され、首だけ回して振り返ると、二百五十~三百メートルほど後方に、追走を続ける三つの赤錆を視認できた。
ジリジリと距離が詰まっているのが分かる。
先ほど蝶マッド・ウォーターで、通り中央に沼を作って嫌がらせをしたのだが、どうやら足止め程度にしかならなかったようだ。
このままだと追いつかれちまうな。
速度差のせいでどうにもならない。相手が速いというよりは、コチラがノロマなのだ。
しつこく飛来する矢弾も最高にウザイのだが、最大の原因は痛み。
全力疾走しているつもりでも、無意識の内に加減して減速してしまっているらしい。
俺はこんなに遅くない。もっと速く走れるはずなのに。ついつい、そんな言い訳がましい台詞を零したくなる。
ただ、
これでも最初に比べれば遥かにマシな状態だった。
わき腹の痛みは感じられるようになっているし、左腕だって僅かに動かせる。欠けていた集中力も今では戻り、魔法も使用可能になっていた。
死ななかっただけ幸運だ。文句を言うのは贅沢すぎる。
口をつきそうになる悪態を飲み込み、黙って足を動かし続けた。
それにしても、まだ治らないのか……どんだけやばかったんだ、あの一撃は。
経験測からの判断ではあるが、単純に骨が折れただけなら、もう腕くらい動かせても良いはずだ。
これは、俺が知らなかっただけで、中身がかなりグチャグチャになっていたのかもしれない。
回復魔法というのは綺麗な傷ほど治りが早い……らしい。
簡単に言えば、腕を切ったらすぐにくっつくけど、潰されると一度くらいじゃ治らない。
ぺしゃんこになったり、ミンチにでもなると、例え上位でも再生はできない。
つまり、俺の怪我はそういったモノに近い状態だった……ということだ。
幸いにも、回復で動く様子を見せているので、治療不可ではないらしい。
ただ、なんというか笑えないレベルの負傷だったのは、間違いない。
少しだけぞっとした。
蠅に意識を奪われていなかったら、回復をかけて貰える前に意識が戻っていたら?
下手したら、激痛で気絶してそのままお陀仏だったんじゃ。
運が良かった……というのも当然あるが、恐らく色々な要因が重なった結果でもあるのだろう。
重量、装備、受けた攻撃の種類。
インパクトの瞬間、反射的に地面を蹴っていた可能性もある。
しかしだ。
その中でも俺が生き残れた要因の一つに、ハエが深く関わっているのは間違いなかった。
意識が飛んだこともそうだが、あの不可思議な視界。
世界がオカシク見えたあの現象にも、きっと蠅が関係している。
蟲の動体視力。
“右目”という共通点、動きが遅く見えたのも、『俺の動体視力が飛躍的に上昇したからだ』と考えると納得はできた。
下手すると、思考速度や反射神経なども、向上しているのかもしれない。
――馬鹿ハエにも感謝してやるべきかな。
アレがなかったら、たぶん俺は更に酷いことになっていた。
散々迷惑かけられたこともあり、少し釈然としない気持ちもあるが、『ハエ、いやハエさんありがとう』という気持ちも……なくは、ない。
胸中に渦巻くいつもの衝動に向け、嫌々と礼を述べてみたが、もちろん特にナニカ返ってくる訳もなかった。
相変わらず謎な奴だ。
謎……。
いや、むしろ俺にとっての最大の謎は、自分自身の身体のことか。
毎回毎回、妙なことばっかり起こる。
ハエから意識を奪い返す寸前に見たアヤフヤな光景だって、俺は知らない……はずなんだ。
自分自身のことなのに、考えてみると分からないことだらけ。最近では『便利な能力だ』、で済ませられないレベルだ。
ハエの右目、知らない映像、その他もろもろ。
自分が違うナニカに近づいているようで、人から外れていくようで、考えると少しだけ怖くなった。
なにも分からないのが一番怖い。知らない間に病に冒されていくようで、かなり嫌な気分になる。
自然と心が下向きに、陰鬱な思いが湧いた。
『……相棒、大丈夫ですか? もう一度、回復をお掛けしましょうかっ』
だが、ドリーの声が聞え、気持ちは落ちきる直前で止められた。
声色は不安そうで、こちらを心配してくれていることが聞いただけで分かる。
ったく、なんだかんだで駄目だな、俺は。
痛みと疲れ。
意識を奪われる気はしないが、魔法を撃ったわけでもないので、別に減りもしてない黒い衝動。
色々と絡んでか、よほどキツそうにしていたのかもしれない。
回復、か。
とても魅力的な響きではあるのだが、現状を考えると迂闊に甘えるにわけにもいかなかった。
少しだけ心惹かれながらも、俺はドリーにかぶりを振ってみせる。
「いや、だいじょ――魔力は、ま――温存、しててくれ。あと少しで魔法使わないといけ――し、身体強化にも、残しておかないと、駄目だ」
『でも……っ、いえ、わ、わかりました』
ああ、気が付かなかったけど、こんなに疲れてたのか。
声に出してみれば、自身でも驚くほど息も絶え絶えな返答だ。
ドリーは一瞬だけ反論しかけたが、蛇の口をむぎゅと歪めて頷いてくれた。
『きっと、相棒がそう言うのならば、大丈夫なのでしょう。任せてくださいっ、私は信じていますっ』
会話をバッサリ打ち切るかの如く、そう言ってくれたドリーに感謝する。
酸素を取り込むことで必死で、無駄口を叩く余裕すらもなかったのだ
気を使ってくれたドリーに礼を返したかったが、後回しにする。
逃げ切ってからで十分だ――あと……“少し”なのだから。
身体は不調で、未だに速度は上がらない。次に追いつかれてしまえばもう逃げ切れないことは分かっている。
状況は不利だ。追い詰められているといっても過言ではない。
しかし、
俺には、まだ残されている足止めの策があった。
前準備。保険。
言い方は何でもいいが、危険に飛び込む前にソレを行うのは当然だ。
八方塞がりというにはいささか早い。
サバラの部下に頼み、運んでもらっておいたアレまで辿りつければ、敵の足を緩めさせることができる……可能性はある。
正直いえば、上手くいくかはどうか微妙なのだが、ネタバレしてしまった大沼で足止めするよりは期待値が高かった。
少なくとも、成功すれば相手に警戒心を植え付けつけられるだろう程度には。
もう少し、あと少し。
俺はそれだけを考えて、ただガムシャラに走った。
走って走って――。
背後から撃たれる矢弾を避けながら駆け、視界が酸素不足でぼやけ始めた頃。
どうにか俺は、目的の場所まで辿りついた。
――あった、これだ。
俺の視界に映っているのは、明らかに『事前準備していました』、とばかりに民家前にズラリと並ぶ十個の大樽。
ソレらの蓋はすでに開けられており、中身の“白い粉”をすぐに確認できた。
そう、白い粉。
リッツを迎えにいった際に見つけた、この小麦粉モドキこそが、俺が仕込んでいた保険だ。
量も十分、距離は……っと。
急ぎ赤錆たちの位置を確認する。コチラとの距離は百五十メートルほどか、どうやら考えている暇も、悩んでいる暇もないらしい。
俺はすぐに動き出し、十個の樽を次々と蹴り倒していった。
重量を感じさせる鈍い音と共に樽が倒れ、馬鹿みたいな量の白い粉が通りの中にぶちまけられる。
黒板消しでも叩きまくったかのように、白い粉が中空を舞う。口元を覆う布がなかったら、咳き込んでいただろう。
今日が風の強い日じゃなくて良かった。この曇天で雨が降らなかったのも、幸運だった。
――後は……これが上手くいってくれれば万々歳だな。
ドリーには、もう手順の説明を済ませている。後は実行に移すだけの状態だ。
疲れで震える足を踏ん張り、荒れきった呼吸を整え、俺は撒き散らされた粉へと右手を向ける。
「ドリー、やるぞッ」
『お任せをっ《バタフライ・エールフェクト》』
指示に従い、ドリーが蝶子さんを粉付近へと呼び出す。それを確認し、俺も続いて魔名を唱える。
「『エア・コントロール』」
蒼い魔力光が散り、蝶子さんが大気に溶ける。そよ風を自由に操作するだけの魔法が、跳ね上がるように中位レベルへと変わった。
ビュウビュウと風の勢いが増した。俺の意思で操作できる範囲が、飛躍的に向上したのが分かる。
元が元だけに、ソレ単体での殺傷力は向上しても皆無と言っていいほど低い。
が、
今この時、この状況であれば、この魔法はうってつけだった。
俺の視界の中で、渦巻くように風が地面の粉を巻き上げる。粉吹雪の如く煽られ飛んだ粉は、徐々に纏まりをみせ――やがて巨大な球体状へと形を変えた。
迅速でなければいけない。そして、同時に繊細に扱わなければならない。
粉と酸素の間は、詰めすぎても駄目、スカスカすぎても駄目だ。
必死になって過去に見たテレビ番組を思い出し、記憶にある状態に近いものを想像し練り上げる。
集中。
赤錆も、疲れも、痛みも、衝動も、その全てを蚊帳の外にして、目的のモノを作ることだけ、ただそれだけを考え意識をそこに集約させた。
粉が中空で回る、躍る、一箇所に閉じ込められる。
そして、
遂に白い粉を孕んだ巨大風球が、俺の前方――通り中央に完成した。
【何をする気か分からんがッ、もうつまらん小細工にはしてやられんぞ、槍使いッッ!】
球体を挟んだ先からハルバの怒号が聞えた。粉の濃霧のせいでよく見えないが、声の大きさからしてそれなりに近い。タイミング的にもここがギリギリか。
確かに赤錆の言う通り小細工――には違いないが、今回のはちょっと趣旨が違う。
「ドリーッ」
『ちょいやっ』
ドリーが、右肩にある革収納からダガーナイフを二本取り出し、一本を白球の真上に放り投げる。
直後。
緩やかに落下しているナイフへ向けて、残ったもう一本を投擲。
『グランド・ホール』
流れるようによどみなくドリーの魔法が発動、深さは一メートルと五十ほどの落とし穴を俺の真下に作り上げた。
重力に従い身体が土中へと落下する。俺は足が地面に付くと同時に屈みこんだ。
俺が右手で左耳を、ドリーが動かない左腕の代わりを務め、右耳を塞いでくれた。
と同時に、ダガーナイフのかち合う音がかすかに鳴り、次いで地上で爆音が轟いた。
「う――をっ!?」
『にゅはーーっ!?』
とてつもない振動が、土中までもを揺らす。
塞いでいても鼓膜が破けそうなほどの音を聞いて、俺とドリーも思わず驚愕の声を上げていた。
――どうなった?
慌てて穴の出口を見上げてみれば、そこから見える世界は真っ赤……いや、太陽が落ちてきたかの如く、眩い閃光で染まっている。
「――成功、だよな」
眩しさで目を細めながら、俺は炎と熱に支配されているであろう外を眺めてそう呟いた。
大丈夫、たぶん……成功した。
小麦粉に似た粉、ダガーによる火花での着火。
簡単に言ってしまえば、俺が引き起こしたのは、ただの粉塵爆発である。
本来なら密閉空間で起こり易いものらしいが、今回は中位にまで引き上げた空気操作により、擬似的にソレを作り補った。
爆発するかどうかは……実のところかなり不安だった。
昔なんかの番組で見たのだが、『酸素と可燃物質の密度によっては、爆発が起こらない』とか言っていたからだ。
なんちゃら下限がどうとか、濃度がなんとか……名称自体は詳しく覚えていないが、酸素が少ないと燃えず、可燃物質の密度が離れすぎると、連鎖燃焼してくれないらしい。
ともかく。
想像していたよりも音と振動が強烈で、ちょっと驚きはしたものの、上手く爆発してくれたようだ。
ただし、これで赤錆が倒れてくれたと思うほど、俺はアイツらを舐めてもいないのだが。
「さて、さっさと逃げるぞ」
『ふぉぉ……あんなことになるとは思っていませんでしたぁ』
俺の首元で、ドリーがプルプルと小刻みに震えていた。
……すまん、時間なかったし、どうなるか教えてなかったな。そりゃ怖いわ。
できれば慰めてやりたかったが、今は逃げるのが最優先。
閃光と炎が収まったことを確認し、即座に穴の縁に片手をかけて地上へ這い出す。
むわり、と最初に感じたのは異常な熱気。
やたらと舞っている煙と土埃のせいで視界は悪くなっていたが、どれくらいの爆発だったのかは、確認できた。
ん、あれ? 被害……大きくね?
爆発地点を中心に抉れて広がるクレーター。通り両脇の民家の壁は、無残に崩壊している。
壊れていない壁だってもちろんあるが、大体は黒焦げになっており、燃え残った白い粉がへばり付いて、ハイク好みのハチャメチャな色合いと変化している。
……ふ、ふーん。
いつもとは少々趣が異なった都市リフォームを垣間見て、俺の口端は自然と引きつり、額からはタラリと冷や汗が流れた。
――正直、予想外でした。
粉塵“爆発”とはいっても、『粉が燃えて炎がばーっと広がるだけだろ』とか思っていたのに。
粉塵やべぇ……完全に舐めてた、なんだこれ。
唯一の救いとしては、シルクリークの住民たちの避難が完了していることだろう。
建物の中にも、ほぼ間違いなく人はいない。
ここの住民たちは、定期的に起こる局地戦に非常ーに慣れており、建物の中が安全でないことを嫌でも知っているからである。
サバラやシズルさんの部下たちも避難誘導しているとのことだし、その辺りのぬかりはないはずだ。
人がいそうな状況なら、そもそもやろうとは思わなかったのだが、同時にこの爆発も引き起こせなかったわけだし――――。
いや……待てよ、違うな。
『相棒、なにしてるんです?』
「いや、ちょっと……」
ドリーの声掛けに軽く返答しながら、数秒使って地面に指で文字を書いた。
『犯人は赤……錆……だ』
――そうだ。起こしたのはそもそも俺じゃない。これで完璧だ。
ダイイングメッセージさながらの文章を見て、満足げに頷いた俺は、即座に南へと向けて疾走を再開する。
民家の方々……この問題が解決したら、お国様がお金を出してくれるはずなので、安心してください。いや、シズルさんには俺からも言ってみます。
赤錆……こんな素敵な都市を破壊するなんて、ひでぇ奴らだ、許せねぇよッッ!!
ギリギリと歯を噛み締め、拳を握った。
本当なら誰か人を捕まえて、赤錆の悪行を伝えたかったところだが、近くに人はいないし、そんな時間もなかった……残念だ。
予想していたことではあるが、実は土煙の先から感じる殺気が残っている。
やはりアイツらはそう簡単にはくたばってくれないようだ。
かといって、すぐに追いかけてくる様子もなかった。
よしよし、良い展開だ。
警戒、迷い。
恐らく赤錆たちは、いまそんな感情に捕らわれている。そうなってもオカシクないように動いたつもりだ。
俺は、先ほど粉を利用して爆発を引き起こす姿を見せた。
しかも、中身をろくに確かめる素振りなく真っ直ぐ樽へと向かって、である。
赤錆たちも、『樽が前から準備されていたモノである』ことに気が付いただろう。
逃げているはずの俺が、前々から準備していた樽を使って攻撃してきた。
レイモアにいたっては、“樽”という物体に苦い思い出しかあるまい。
きっと、赤錆たちは今頃こんなこと考えている。
――もしかしたら、この追走劇すら罠なのではないか……と。
それは半分正解で、半分不正解だ。
元々用意していたのは事実だが、別に赤錆たちのためだけ、これだけのために用意したわけではない。
ファシオンがいっぱいきたら、まとめて焼けるのでは? とかそういったことも踏まえての準備だ。
でも、その効果はしっかりと赤錆にも与えられただろう。
罠か? いや、違うかも。
一度でも脳裏に過ぎってしまえば、もう拭えない。
できればこれで倒せている。
もしくは手傷を負ってくれているのが理想だったが、少なくとも、これでもうアイツらは全速力で走れなくなった。
俺は逃亡しながら、ときおり樽を通りへと転がすだけでいい。
たったそれだけで、中身のない樽もれっきとした罠になる。
十個のうち、例え罠が一個だけしかなくてもソレで十分なんだ。
三個目辺りに罠があると気がついたとして、残り七個を警戒せずにあけることができるだろうか。
否、普通はできないものだ。
アイツなら罠を張っているかもしれない。そう思われる程度には、俺は赤錆たちにおちょくりや絡め手を見せてきた。
やはり、これも日ごろの“行い”の賜物ということだろう。
さすがに弓野郎を引っ掛けることは無理ではあるが、ここまで離れてしまえば矢弾もそこまで怖くない。
樽に警戒して進む赤錆たちの姿を想像し、『っぷ』と笑いを漏らしながら俺は走り去った。
◆
疾駆する走破竜の上で、リッツは焦る気持ちを抑えて前方を睨んでいた。
――遅い。
シズルはすでに送り届け、敵の増援の数も把握した。
リーンとドラン、それにサバラたちの活躍もあり、まだ持ち堪えることができるだろうとは分かっていた。
しかし、肝心のメイがまだだったのだ。
(なにやってんのよ、アイツ……)
苛立ちと同時に、胸中には不安も湧いていた。
自分自身を狙っていたはずの矢弾が止まったことも、ソレを煽る要因となっている。
四対一で勝てるわけがない。だからきっと、逃げ回っているはず。
しかし、あの射手が狙い始めるとマズイ状況になりかねない。どこに逃げても、壁の裏に隠れても、居場所がバレテしまうからだ。
それでも、メイなら追いつかれることはないとは思っている。
思っている……が、だからといって心配しないわけでもない。
リッツとしては、こういう不安はどうにも苦手だった。
自分の知らないところで、見えないところでなにかが起こるのは、心がざわつく。
見えていれば助けられるのに、射程距離であるのならば、なにかできるのに。
遠距離に手が届く射手だからこそなのだろうか、射程範囲外で起こる出来事は、妙に嫌いだった。
無事でいなさい。無事でいて欲しい。お願いだから。
そうやって、願うことだけで手が出せないのはもどかしい。
メイもドリーも、リーンもドランも、樹々だって、できることなら全員が無傷でいてもらいたい。
出会った始めこそ接し方も分からなかったが、最近では随分と自然にソコにいられるようになっている。
妙な連中ばかりであるのは完璧に間違いないのだが、輪に入った居心地は思ったより……悪くはない。
家族だってもちろん大事だが、それ以外の繋がりも捨て難いものだと知った。
ただ、一度手に入れてしまうと、ソレを失う恐怖も大きいらしい。
――私のモノ、皆は私の仲間だ。だからなくしたくないし、手放したくない。
自分のだ、と一度思ってしまうと、妙に大事にしまい込みたくなる衝動に駆られる。
種族柄なのだろうか、それとも元々の性格なのか、それはリッツ自身でも良く分からない。
――何でも良い、何でもいいから、早く安全を確認したい。
苛立ちで頬が少し膨れ、尻尾がムズムズした。どうにも気分が悪い。
早く解消してしまおう……そう考えて、リッツは樹々の首元をパシパシと叩いて声を掛けた。
「樹々ちゃんお願い、できるだけ急いで。あの馬鹿を早く連れてかないと逃げられないのよ」
〈ギャっ〉
了承の鳴き声と共に、身体にかかる加速が増したが、重量軽減が切れていることもあって、いつもより速度は落ちていた。
もっと早く!
そんな指示を出したくもあったが、樹々は十分頑張ってくれているし、乗っているだけの自分が言うのもおこがましい気がして、それ以上は言えなかった。
(……なんか腹が立ってくるわね)
どうも気に喰わない。仲間、ではなく自分が、だ。
メイとドリーは、囮とはいえ赤錆四人の誘き寄せ、リーンとドランはなんだか凄く活躍をしていた。
樹々の場合、いなかったらどれだけ大変だったか考えるまでもない。
それに比べて自分はどうなのだろうか。
赤錆を一人いつも引き受けている。今回はシズルを送り届けて、本隊の誘導を行い指示はちゃんとこなした。
しかし、納得はできない。
武器の変化によって、戦い方が一番左右されるのは恐らく自分だ。それはわかっている。
そう考えると仕方ない部分はあるとも思うし、どうしようもない……とも思うのだが、こー、もっとバシッと活躍してみせたかった。
仲間があれだけ働いているというのに、自分が一番楽をしているのは、やはり釈然としない。
(むぅ、アタシのお陰で助かった……くらいは頑張りたいのに)
モヤモヤと思案を続けながら、自分が仲間を救った場面を想像した。
きっと、皆が褒めるに違いない。
――さすがリッツ様だ。素晴らしい、家来になりますっ。
――ふおお、白フサさん凄いですっ。
――リッツちゃん流石ね。自慢したいくらいよ。
――おお、すごいだでー、今日はお礼として、リッツどんの好きな夕飯で揃えるだよー。
こんな感じだ……これは間違いない。
リッツの頬が、にへらと緩み、耳も外套の中で力なくヘたれる。
(ふふ、仕方ないわね。ババーンと活躍して皆をアタシが救うのよ)
先ほどまで不安でいっぱいだったが、いつの間にか少しだけマシになっている。
心配がなくなった訳でもないけれど、悪いことばかり考えるのも、それはそれでどうか。
そう思ったリッツは、できるだけいい想像を脳裏で膨らませながら、仲間の無事を祈っていった。
祈りは届いた、とでも言うべきか。
あれから暫く樹々の背で揺られ続けたリッツは、ようやく視界の中に、待ち望んでいた姿を捉えることができた。
どう見ても、なんど見ても、間違いなくメイとドリーの二人だった。
ドリーのほうは相変わらずのようだが、メイはその手に蒼槍を持っておらず、代わりに少し安っぽい、銀色の斧槍を右手に走っている。
駆けるメイの姿にいつもの元気がない気がして、少し不思議に思ったが、生きているのは間違いなく、無事であることはハッキリしていた。
良かった……。
こうなってくると調子の良いもので、一瞬で重たくなっていた胃が軽くなり、心臓が普通の速度で鼓動を打ち始めた。
その安堵感を例えるならば、『すごい大金を入れた財布をなくしたけど、よく探してみたら部屋の中に落ちていた』――それを見つけた瞬間を大きくすると、似たような感情になるかもしれない。
とにかく、ほっとした感じである。
〈ぎゃっ、ぎゃっ!〉
「そう、樹々ちゃんも嬉しいわけね」
はしゃぐように頭を振り、真っ直ぐにメイたちへと向かう樹々を見て、リッツはその首元をさすって呟く。
メイたちも気が付いたのか、少し足を速めて向かってきている。
(武器は右手か……)
乗り易さも考えて、メイの左手側へと樹々を誘導し足を止めさせる。
『お疲れさま、良くやったわね』などと労おうかと思案するも、リッツが声をかける暇もなく、メイが斧槍を握った右手を、シュタっと上げて口を開いた。
「うむ、出迎えご苦労だっ」
『出迎えご苦労さまですっ』
「……なんでそんな偉そうなのよアンタ。だいたい遅いのよ、馬鹿じゃないの、もうちょっと早くならなかったわけ?」
労いの言葉をかけようと思っていたはずが、メイのやたらと暢気な返答と態度を見て、リッツは気がつくと文句を吐き出していた。
(あれ、オカシイ……予定と少し違うわね)
どうにも普段からこれで慣れているせいか、反射的に対応してしまう。これは反省しなければならない悪癖だ。
ただ、ソレを受けたメイは『慣れたものだ』と気にもせず、ドリーと一緒に樹々へと重量軽減と身体強化の魔法をかけていた。
――怒ってくれれば、逆に謝りやすい気もするのに。
自分が悪いのは分かっていたが、少しだけそう思わなくもない。
「はぁ、もうなんでもいいわ。ほら早く乗りなさいよ。アンタがこないと逃げられないでしょう」
「ん、ああ……おう」
少し反省しながらも、リッツは謝罪の意味も含めて『乗れ』と左手を伸ばした。
が、メイはなぜかそれを受け取らず、
「いや良いや、リッツはひ弱だからな。下手するとそのまま一緒に落ちそうだし、自分で乗るよ」
そう言って、樹々の左側にわざわざと移動――持っていた武器を一度地面に刺し置き、右手一本でリッツの後ろに乗り込んだ。
(……こいつ)
圧倒的な違和感がリッツの脳裏を駆け巡った。
なぜわざわざ回り込む。なぜ一回武器を置いた。いや、もうそういう問題ではない。
注意して鼻を利かせてみれば、血臭がしているではないか。
(……怪我をしてる? 今の感じからすると、箇所は左腕……ドリーちゃんもいるし、回復をかけてないってことはないわね。
となると、かけても動かせないほど?)
リッツはそこまで思考を回すと、樹々に『走って』と指示を出し移動を任せた。
上半身を捻り、後方を伺う。
矢弾はまだ飛んできていない。来たとしても、樹々に指示を出して、上手く左右に避けてしまえば問題はあるまい。
メイと目線を合わせ、リッツは静かに左手を上に構えた。
「ねえ馬鹿クロウエ。たまには褒めてあげようじゃない。ほら、左手を出しなさい」
できるだけ明るい声音……のつもりで、左手でハイタッチを迫る。
『わーいっ』
「おお、ドリー良かったなー」
しかし、首元を器用に移動してきたドリーが、差し出したリッツの左手に蛇頭をぶつけ、メイはウンウンと頷くだけで動かない。
(ああ、へえ、そう。そっちがその気なら別にいいけど……)
もう確信にまで至っていたリッツは、その態度に僅かにイラ付きを覚え、右手を少し後ろに引く。
「いや、本当にさすがだわ、やる――じゃないッ」
そして、褒め称えるようにメイの左肩に向け――振った!
「ちょ、まて、ぎゃああああああぁぁぁぁっ! ……ん?」
「――あらクロウエ、突然どうしたの? 変な声上げちゃって」
肝心のリッツの右手は腕を叩く直前で止まっている。
妙な悲鳴を上げグネグネと悶えていたメイも、それにはたと気が付き動きを止めた。
誤魔化すように視線を右から左へウロウロと彷徨わせ、メイは静かに口を開いた。
「き、樹々の真似をしてみたんだけど、まだ修行が足りなかったようだな」
…………。
言い訳がましいその台詞に、冷たい沈黙が一拍流れる。
相手にするつもりもなかったリッツが、無言のまま延々と見つめ続けると、メイとドリーが無駄に息の合った動きで同時に顔を逸らした。
「あのね、面倒なことやってないで、左腕は動くの、動かないの、どっち?
大体、なんで無駄に隠してんの、意味がわからないんだけど。困るでしょ、動かせないの知らなかったら」
『無駄な抵抗は止めろ』とリッツが迫ると、さすがにこれ以上は無駄だと悟ったのか、メイは深い溜息を吐いた。
「微妙に動くけど、戦闘には使えない。回復かけたいのは山々だけど、実はさっきの強化で魔力は空っぽ、いまは無理」
「……呆れた。もしかして回復優先しないのは、時間がってこと?」
「そういうことだな。さっき樽で時間稼ぎしたから今は見えてないけど、まだ間違いなく後ろから来てる。追いつかれて挟み撃ちとかなったら目も当てられないし、急がないとマズイだろ。
……でだ、まあ黙ってた理由なんだが――――」
若干気まずげな口調で、メイが話し始める。
大した理由じゃなければ本当に叩いてやろうか、ともほんのり思ったけれど、『戦況に関わる負傷を下らない理由で隠す奴でもない』と気が付いて、リッツは大人しく耳を傾けた。
あーだこうだといったメイの話、ソレを簡単に纏めるとこうだった。
恐らく、これから行う脱出は正面突破になる可能性が高い。だからこそ、士気は上げてやるべきだ。
そうなってくると、『赤錆四人をひきつけて無傷で生還したぜ』という見栄えは、かなり美味しい。
例えば軍勢に突っ込むにしても、『赤錆から悠々逃げ切った助っ人がいるんだっ、ファシオンなんて楽勝だろ』と思えば、勢いに繋がる。
負傷自体は後でこっそり隠れて治す予定だったので、できればそれまで秘密にしておきたかったのだとか。
そこまで言ったメイは、『何だかんだで、士気は最重要だ』と真剣な声音で続けた。
もし一人が倒れても、士気が高ければ最後に敵を仕留められることもある。
敵が一人でも多く倒れれば、ソイツに倒されるかもしれない一人が助かり、また同じような連鎖によって犠牲は減るだろう。
つまり、最終的には全体の、自分たちの生き残る可能性が増えることになる。
――しょせん理想論だけど、するに越したことはない。使えそうなら使うべきだろ。
放たれたその言い分に、リッツは釈然としないながらも同意した。
ただし。
さすがに『なぜ自分にまで隠そうとしていたのか』と聞いた際、自信満々の声音で『味方を騙すには、まず仲間から』と言われたのには、怒りが湧いたが。
とはいえ、『庇われるように動かれると、バレ易くなる』との理由ありきのことだったので、怒り散らすようなことはしなかった。
違う武器を持っていた理由は、『回収無理そうだったから蒼槍は放置、今もっている斧槍は、ファシオンが増えてきたから用心のため、そこいらに落ちていたのを拾った』とのことだ。
(武器捨てて逃亡、回復魔法で簡単に治らないって、どれだけ危なかったのよ。
……本当、こいつ隠し事が好きよね。らしいっちゃらしいけど、隠されるほうは堪らないわ)
黙ってろよな、と締めくくったメイをリッツは一睨みしたが、口には出さない。
どうせ言っても聞かないのを分かっていたからだ。
理由は納得できなくもないし、シズルに『元気な姿を晒らすのが仕事』と言った手前、反対するのも少し違う気がした。
仕方ない――
「……本当、馬鹿クロウエは仕方ない奴だわ。金貨二枚で黙っててあげるわね」
「……っち、本当、モサモサって相変わらずな奴だよな。銭貨二粒なら払わなくもない」
「はあ、少なすぎるでしょっ? もうすこし常識を考えなさいよ」
「お前に言われたくねーよっ! さすがに金貨二枚も請求してくる奴から、常識とか言われるとは思わなかったんだが」
一瞬で火花が散って、『お前がオカシイ』と擦り付け合うように睨み合うリッツとメイ。
だが、白熱しそうになる直前で、さっと場を収める救いの手が差し出された。
『お待ちくださいっ! ここはっ、私が後でウマウマー胡桃を育てるということで……どうでしょうっ』
「そうね……ドリーちゃんの胡桃なら構わないわよ」
「なんなのお前、金貨二枚と胡桃が同価値とか、明らかに天秤ぶっ壊れてるんだが」
「うっさいわね、文句あんのッ」
茶化すメイにリッツが唸ると、『別にーないですけどー』と明らかになにか含ませるような言葉が返る。
いつもの状態、いつもの流れ。
明らかにケンカ腰ではあるが、これはこれで日常を感じさせる気がして、リッツとしては嫌いでもなかった。
別に仲間なのだから、ただで手を貸したり助けたりしても良い。でも、それを素直に出すのも、それはそれで恥かしいものなのだ。
いつか慣れてきて、素直に言えるようになるまでは、こうやって誤魔化しながら助けてやればいい。
少しずつ、少しずつだ。
揺られる樹々の背の上で、リッツはそんなことを考える。
ふと気がつくと、定期的に飛んできていた剛矢が止まっていた。
さすがに射程にも限界はあるらしい。