第二話
「確かキャロル家には男児はいなかったはずだが…」
その一言が落ちた瞬間、教室の空気が明らかに変わった。
時間が止まったような静寂——。
だが、それはすぐに破られる。
「キャロル家って、どいつだ?」
「一番後ろのあいつだろ。」
「どういうこと?女ってこと?」
ざわ、ざわと囁きが連鎖していく。
全員の視線が一斉に俺へと突き刺さる。
血の気が引いた。体は石のように固くなっているのに対し、心臓はうるさいくらい跳ねている。
(やっと入学できたのに。家を復興できる最後のチャンスだったのに…)
退学……だけじゃ済まないかもしれない。
王家の威信を侮辱したとなれば――最悪、家族ごと……
耳をふさいで、今すぐここから逃げ出したくなる。
(…誰か…助けて…)
恐怖で視界が滲む――その時、
「……チッ、くだらねぇ」
低く、うんざりしたような舌打ちが響いた。
ダレンは机に肘をついたまま、面倒くさそうに顔をしかめている。
「どうせ、養子かなんかだろ。いちいちしょうもないことで騒ぐな」
また空気が変わった。
ざわついていた声が、嘘みたいにピタリ止まる。
「よくある話だよね」
続いて、アルが軽い口調で続いた。
まるで教室の緊張を上書きするように、あっけらかんとした態度で。
「男児がいない家系じゃ親族から後継ぎを引っ張ってくるなんて、よくあることじゃない。事実僕もそうだし。伝達ミスじゃない?」
そう言って、アルは「ねぇ」と俺の肩をぽんと叩く。
その手の温もりで、固まっていた身体を少しだけほぐしてくれる。
(二人とも…ありがとう)
あとでお礼を言わないと…そう思ったが、さらにアルは続ける。
「ってかさ、まあ確かに、可愛いけどね〜……」
アルは一拍おいて、おどけた顔で言い放つ。
「流石に女の子はないない。ね?」
「……は?」
「だってさ、出るとこ出てないし。これで女の子って言われても困るよね」
胸をちらっと見て首をかしげる。
(…最低!)
「確かにな」
「な〜んだ、びっくりさせやがって」
「先生、適当なこと言うなよ」
クラス中から、脱力したような声があがる。
(納得するな!…いや、してくれたならいいんだけどさ)
クラスの緊張がほどけていく中、ただ一人だけ、教壇の教師はまだ俺を見つめていた。
「……まあ、なんでもいいがな」
それだけ言うと、ようやく視線を外した。
けれど――納得したわけじゃなさそうだ。
(この教師……注意しておかないと)
俺みたいな、地方の没落貴族の家族構成なんて、普通覚えてるわけがない。
それを知っていたということは、何か裏があるのかもしれない。
―警戒すべきだ。
マフラーをきつく締め直す。
教師はチョークを手に取ると黒板に「フォード」と名前を書いた。
「俺はフォード。先生でもフォードでも好きに呼べ。んでもって、学長からの挨拶をもらってきたから黙って聞け」
ポケットからぐしゃぐしゃになったメモ用紙を取り出し、彼は読み出した。
「えーまずは入学おめでとう。君たちは我が校の歴史であり…って、めんどくさいな。おい、お前。これみんなに回しとけ」
一番前にいた前列の男子にメモを放り投げた。
受け取った彼は目を丸くしていた。
(なんなんだこの教師……)
「さて、挨拶も終わったことだし、今からテストを行う」
「えええええええ!?」
教室中から悲鳴が上がる。
アルが立ち上がって即座に抗議した。
「いやいや、挨拶って僕ら自己紹介もしてないけど!人間関係は?友達作りは?」
「休み時間にでも勝手にやっとけ。ほら、問題配るぞ」
「鬼!悪魔!鬼畜教師!!」
確かに…入学前からかなりスパルタとは聞いていたが、入学初日からテストとは…
フォード先生はめんどくさそうに答えた。
「あのな…お前らは遊ぶためにここにきたのか?違うだろ。王家直属の“宮廷団”――そこを目指してここに来たはずだ。王を守り、国を動かす、エリート中のエリート。でも、なれるのはほんの一握りだ。隣のやつは“友達”じゃない。“ライバル”だ。」
ピンと教室の空気が張り詰める。
「王家に仕えるってのは――甘くねぇ」
誰も何も言い返せなかった。
アルは机に突っ伏し、うめき声を上げる。
フォード先生は気にもしてない様子で、問題を配りはじめた。
(…言う通りだ)
宮廷団に入れる生徒は、毎年ほんの数名。
でも、その椅子に座れれば、貴族としての名誉も、領地も、そして——家の未来も手に入る。
そして、それこそが俺が女であることを隠してまでここにきた理由。
(絶対に、負けない)
答案用紙を受け取る。
その小さな一枚に、俺の未来が詰まっている気がした。
確かに応用問題は多いけど、解けないレベルではない。
鉛筆を握る手に、力がこもる。
「ちなみに、午後からは剣術の実技試験だから。着替えて校庭集合な。」
「「…………」」
みんな一斉に肩を落とす。
(地獄かな?)
それでも目の前のことをやるだけだ!
「始めろ」
その合図で、一斉に鉛筆の音が響き出す。
コロコロ…
隣で音がして、視線を向けると――
アルが真剣な顔で、鉛筆を転がしていた。
(真顔で転がさないでよ…これ記述式なんだけど)
思わずクスッと笑みが溢れる。
(だめ…ちゃんと気を引き締めないと)
とにかく、俺の戦いが幕を開けた。