プロローグ 決意の日
「……俺は。俺は……」
誰にも聞こえないような声が、唇の端をかすめてこぼれた。
校門の前、私…いや”俺”は最後の一歩を踏み出せずにいた。
心臓は周囲に聞こえるんじゃないか心配になるほど激しく鼓動し、手のひらはじっとりと湿っていた。
(大丈夫。何度も練習した。私ならできる——違う“俺”ならできる…でしょ)
口が勝手に“私”と動きそうになる。……情けなくて思わずため息が出る。
そう、もう“私”じゃない。“俺”なんだ。
頭では理解している。けれど心が、まだ追いつけていない——そのことが、もどかしい。
目の前にはレンガ造りのアーチと、空を背に掲げられた王家の紋章。
それは、ここキングズチャーチ王立学校が王国随一の名門校であることを誇示するとともに、入る者の覚悟を試しているようでもあった。
そして、脇に取り付けられた木製の看板は、年月でひび割れていながら、文字だけは妙にくっきりしている。
「女人、立ち入るべからず」
古びた木に彫られたその一文が、私の胸に冷たい刃のように突き刺さった。
(落ち着いて…言葉遣い、仕草、男の子の振る舞いは全部頭に入ってる。三年間女であることを隠して生きていくって決めたのに、ここで怯んでどうするのよ)
喉元を隠すためにしてきたマフラーをきゅっと締め直す。
大丈夫。肩幅はシャツでごまかせてるし、髪は短く刈った。その上で何度も鏡で確認したんだから。自分は、もう“普通の男の子”に見える——はず。
これしきのこと、なんでもない。
それに私の思い…覚悟は絶対に誰にも負けない自信がある。
妹に人並みの暮らしをさせるため、お母さんにもう一度心の底から笑ってもらうため、そしてなにより、亡くなったお父さんの悲願、私たちキャロル家の復興のため。
両頬をパンッと叩く。
「……うん。俺なら絶対にできる」
一歩、そしてもう一歩。
門の内側に、私は“俺”として歩き出した。