EPISODE:08 誰にも縛られたくない人生。
ああ。
もう色々めんどくさくなってきたな。
何だ?転生って?
何故死んだ後に、こんな理不尽に苛まれねばならんのだ?
死ぬ直前にも、民の問題もすっぱり解決してやったじゃないか。
ついさっきも幼い娘をいじめから解放してやった。
誰よりも、善い行いを重ねてきたはずだ。
それなのに、この仕打ちとは。
私を、あるいは神などという見えざるものを崇める者には、心底同情する。
結局、人はどれほど善良に生きようとも、死ぬし、報われず、救われない。
今も、この瞬間もそうだ。
それに、今の私は彼女の家族でもなければ、息子でもない。
息子が全く違う異世界人だと知ったら気の毒だと、こんなどこの馬の骨だかわからん女の心配なぞして、気を遣っている私が気持ち悪い。
私はもう王子ではないのだ。
王子という役目、生き方にもうんざりしていたところだ。
私だって、誰かに縋りたかった。
好きに生きたかったんだ。
そうだ…。
私には律式がある…。
何故今までこんな猿に叩かれて我慢していたんだ…。
どいつもこいつも、今の私に助ける義理などどこにある…?
延髄でも掴んで、意識だけ奪ってやって、逃げてしまえばいい…。
もはやここで素性を隠しながら生きる必要はない。
「眞人、真香、答えて!大丈夫、わからんかったら病院で診てもらお?ママがついとるから!」
「兄上…。」
「……。」
『もしもーし?もしかして二人もヤバい感じー?』
「あかん。すぐ病院行こ。」
「やだ!あたし病院なんて行きたくない!王子!!なんとかしてください!!」
「ほら!王子ってなんやの!?この子の名前言うだけでええんや!あんたが飼う時に名前つけて、朝も散歩連れてってたやん!!ねぇ、言えるはずやろ!?」
私は静かに右手を首筋に添えた。
意識の奥底で律式が目覚める。
皮膚の下、血液、神経、内臓、魂を、何かが波打つように伝わっていく。
「呼んで真香!眞人!!」
そして、ゆっくりと右手を母の方へ伸ばした、
その時。
「きゃああああああああ!!!」
外から突然聞こえた甲高い悲鳴が飛び込んできて、思わず律式を引っ込める。
「なに!?今の悲鳴!?」
母はぱっと立ち上がり、子供部屋に走っていき、窓のカーテンをシャッと開く。
「え…。」
その声は震えていた。
窓の外を見て、口を手で抑える。
「何の悲鳴だ!?」
私と真香も同じように窓の外を見た。
視線の先、団地の中庭には、四人の男児を囲むように、大勢の大人達が取り巻いていた。
「あれ、真香と同じ小学校の子達ちゃう…?え?なに?どしたんやろ…。」
母はソワソワした後、慌てて家を飛び出していった。
「王子…、あれって…。」
「おかしいなあ…。手加減したはずなんだが…。」
親らしき大人達が、子供を泣きながら抱き起こし、声をかけ、揺さぶる。
だが、少年達は力なく垂れたまま、ピクリとも動く様子はなかった。
「もしかしてあの時…、こ、殺しちゃったんですか…?」
ノフィーナの声が震えている。
「んー。そうかもしれんな。」
「そうかもって…。ダメじゃないですか!!」
「思ったより、この国の者は弱く脆い生き物みたいだな。」
「そんな強く握っちゃったんですか!?」
「知らん。どうでもよいわ。」
「……っ、え…?」
「まるで私が悪いみたいな口振りだな?あいつらが悪いんじゃなかったか、ノフィーナ?貴様も言っていたではないか。」
「……、何をですか…?」
「寄って集る弱いものいじめがカッコ悪いと、地獄に堕ちればいいと、そう言っていたじゃないか。貴様のそのひしひしと迫るような熱き善意に、私が感銘し、地獄に叩き堕とした。それで、いざその通りになると、私が間違っていた、やりすぎだと言うのか?」
「それは…。」
「こう言うと、答えられなくなるのも、民共の悪い癖だ。だから王子なんぞ嫌なんだよ。」
またこのパターンだ。
やはり、もうこの世界では好きに生きよう。
ここを抜け出すには、今しかチャンスはない。
「その犬の名は、ロワだ。」
「……、知ってたんですか?」
私は、真香の机の上に飾られた下手くそな絵を指さした。
「転生する前の真香が描いた犬の絵だろう。そこに名前が書いてあった。」
「ほんとだ…。」
「その名を言えば、母にも言い訳は立つ。貴様はここで真香として、新しい人生を歩め。」
「王子、どこかへ行くんですか?」
「私は、誰も気にせず、成すがままに、有無も言われない、そんな縛られない人生を生きる。」
「王子……。」
「最後にこれだけ訊かせろ。本当にフィアノアという名に心当たりはないんだな?」
「…………はい…。」
「そうか。ならばいい。貴様は九歳にしては、なかなか肝が据わっている。強く生きろ。王子からの最後の命令だ。」
「……わかりました。」
私はそう言い残し、ノフィーナの視線が背中にそっと突き刺さるのを感じながら、静かに家を後にした。
その頃、団地の中庭。
少年の遺体を囲む野次馬に、眞人の母親が飛び込んでいた。
「何があったんですか!?」
「あ!真香ちゃんとこの…。中庭で遊びに行ったきり、なかなか帰ってこないから、窓の外から中庭覗いたらしいのよ。そしたら……。」
「四人共……?嘘やん……。もしかして、もう…?」
「心肺停止…、まるで魂を抜き取られたように……。」
「そんな……、なんで……」
「外的要因はないから、事件性は薄いとか言ってるらしいねんけどな…、そんなわけないやんな…。だって四人同時やで…、ありえへん…。」
眞人の母親と近所の住民は、泣き叫ぶ少年の親達を見て、驚愕呆然と立ち尽くしていた。
「豊!お願い!!返事して!!何があったのよーーー!!!!」
一人の男児の親は、何度も冷たくなった息子の名前を呼び、体を揺すり続けた。
見守る誰もが諦め、救急車に運ばれるのを待つしかない、その時、
「光、が…」
「豊!?豊!!!」
一人の少年の双眸が、うっすら見開かれた。
その瞳は夜明け前の湖のように静かで、冷たく、底のない闇だけを映し出している。
「光が…空に…、飛行機が…、飛行機がいっぱい…」
「光…?飛行機が何なの!?豊っ!!救急車はまだなの!?」
「五番目の…運命…、ゴアンゼン…、フィア…ノア…、降臨…、転生……」
ほんのわずかに開かれ、紫がかって乾いた唇からは、それ以上、息すら二度と出ることはなかった。