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ウルトラマリンハート  作者: 蛸山 葵
序幕:5番目の運命。
3/11

EPISODE:03 フィアノア、降臨しました!


二十年ばかり前。


夜の帳が、そっと世界に下りてきて、黒絹のような夜空に、細やかな星の粒がどこまでも広がり始めた頃。

星明かりが窓から淡く差し込んだ、絢爛豪華な王室の中央に置かれた大きなベッドにうずくまる小さな影があった。

それは、テレウァン王子という朱色の髪が可愛く映る小さな男の子。


静寂を割るように、王室の扉がキィッと音を立てて開き、背の高い男が、蝋燭の灯を携えて入ってくる。

肩には王の威厳を纏いながらも、表情には父性の優しさが滲み出ていた。


「まだ眠れぬのか?テレウァン。」


テレウァンの父であり、国王であるその男は、そう言って微笑むと、片腕に抱えていた木箱をそっとベッドテーブルに置いた。

表面は時間を吸い込んだような(いぶ)し銀で、角は少し擦れて丸くなっている。

箱を開けると、そこには黒く光る円盤が一枚乗っていた。


「何です?これは?」


テレウァンは不思議そうに目を丸くさせて、置かれた木箱を見つめる。


「これは私が王に即位した際に、前王…、つまりお前の祖父から授かったものだ。」


王は箱の側面に取り付けられたハンドルを静かに回し始めた後、隅に取り付けられたアームを持ち上げ、先端の針を円盤の縁にそっと下ろした。


……ジッ…。


静寂の中に、金属の摩擦音が生まれ、やがてその音は微かな旋律に変わり始めた。

笛のような音、弦のような響き、時折重なる打楽器のような震え。

不思議な木箱から奏でられる音楽は、どこか遠い世界の風景を呼び起こすかのようだった。


「これは王家に代々受け継がれてきた、世界にただ一つしかない唯一無二の王宝(おうほう)だ。私の父も祖父も、音が鳴る仕組みも原理も理解できない。まるで異世界の遺物のようだろ?」


「…とても不思議です。楽器も無いのに、こんな小さな木箱から様々な楽器の音色が聞こえてきます…。」


テレウァンは回転する円盤と針をじっと見つめ、そこから流れる旋律に耳を傾ける。


「この音を生んだ者たちは、謎の力と知恵で、このように道具に命を吹き込んだという。火を持たずとも部屋を明るくし、風が無くても船を走らせたとも…。」


「本当にそのような世界が…。」


 テレウァンは、ぼんやりと目を瞬かせながら、音の波に揺られていた。


「その世界を築いた者たちは、自分たちの力に酔い、やがては滅んだとも、どこかへ旅立ったとも言われている。けれど私は信じている。彼らはどこかで、この音の続きを奏でているのだと。」


旋律がひときわ高く、そして柔らかに揺れた瞬間、テレウァンの瞼がふわりと降りた。


王は針をそっと持ち上げ、音の余韻が部屋に溶けていくのを感じながら、小さな息子の寝顔に目を落とした。


「お前が…、そんな世界を見つけるかもしれぬ。いや、見つけられずとも、似た世界をこれから築いていくかもしれぬ。その日を楽しみにしておるぞ、テレウァン。」


王は蝋燭の灯を消すと、箱を抱えて扉の向こうへ去った。

部屋に残されたテレウァンの寝息は、旋律の続きを奏でているようだった。



 ――それから、二十年が経ち、


老いた王は病に伏せ、王室の政務のすべてを、テレウァンに託した。

彼は、父がかつて手で回したあの箱を、今も夜な夜な回している。

父が語った異世界の旋律は、二十年が過ぎても彼の胸に響いていた。




「王子、あれは少々やりすぎかと。」


「困っているから助けてと、民が私に懇願してきたのだ。」


「乱闘騒ぎを止めて欲しいと懇願されていました。」


「…止めたじゃないか。」


律式りつしきを使って、民の前で殺すのは、やり方があまりに乱暴すぎます。これでは民の意見が真っ二つですよ。」


「頭で解決しろなんて、私に言われても専門外だ!」 


ハニヴァとの険のあるやり取りの後、テレウァンはふいと視線を逸らし、舌打ちひとつで部屋を出た。


「なぜ民の願いを叶えたのに、説教垂れられて、こんな嫌な気分にならなければならぬのだ!私が間違っていたとでもいうのか…?」


ぼやきながら廊下を歩いていると、ふと窓の外、中庭に目がとまる。

風に揺れる白花のそばに立つ一人の女性。

その姿に、テレウァンの心のモヤがふっと晴れる。


「トゥエリィ!」


テレウァンは中庭へ出て、彼女に駆け寄りながら、その名を呼んだ。


「テレウァン様!」


微笑んで手を振る姿は、立てば白銀、座れば紅玉、歩く姿は雨上がりの光のように品位ある美しさ。

彼女はテレウァンの許嫁。

貴族の義務として定められた関係でありながら、彼の胸に唯一、温かな灯を灯す存在だった。


「どうされたのです?少し暗いお顔をされていますが…」


「…お見通しだな。」


黄のアネモネ、薄紫のクロッカス、白い木蓮が咲き、陽光を浴びてゆらゆらと揺れている花園に、二人は並んで腰を下ろした。

そしてテレウァンは低く呟くように、これまでの経緯を話していった。


「助けてやれば恩知らずのように咎められ、何もしなければ責められる。一体、何を選べば正しかったのだ?」


トゥエリィは答えない。

ただ、静かに彼の言葉を受け止めている。


「私はな、トゥエリィ。人の幸せがどうしても喜べないんだ。」


テレウァンは吐き出すように言った。


「誰かが報われるたびに、どこかで私が置き去りにされている気がして、どうしてもそれを綺麗なものとして飲み込めないんだ。」


「王子は、優しすぎるのです。」


「優しい?こんな私がか…?」


「はい。私はあなたの幸せを、心から喜びます。」


まっすぐな言葉と共に、トゥエリィは優しくテレウァンを包み込んだ。

彼女の甘い花の香りのする亜麻色の髪は、テレウァンの心の澱みなど吸い込んでしまいそうに神秘的になびいていた。


「トゥエリィは、やはり私と正反対だな。」


テレウァンも彼女の背に腕を回そうとした、その時だった。


ゴゴゴゴゴゴゴゴ…ッ!


地の底から唸るような地響きが、塔全体を揺らした。

壁が震え、吊るされた燭台しょくだいが軋む。


「……なんだ!?」


テレウァンは即座にトゥエリィを抱き寄せ、胸元に庇った。


「テレウァン王子ッ!」


中庭の入り口から、召使い達を連れた赤眼鏡が特徴的な作戦参謀、ニニが駆け込んでくる。

いつも中性的でクールな彼が、今回に限っては表情を乱している。


「ニニ!何が起きている!?」


「わかりません!ですが最近各地で起きている異常と繋がっている可能性が…!」


「頭のきれる君でもわからぬのか…。」


テレウァンはトゥエリィの怯えた顔を見ると、すぐに決心づいた表情でニニの方へ向く。


「召使い達はトゥエリィを避難させてくれ!ニニ、君は私と来い!」


テレウァンはトゥエリィを召使いに預け、塔の中央階段を駆け上がった。


「まずは父上の安否の確認する!」


王の間に飛び込むと、寝台の脇に、王の看病を任せられている衛生兵長、メノリエが控えていた。


「ふええ!?テレウァン様!?」


メノリエは、おどおどとした情けない声を出す。


「父上は大丈夫か!?」

  

テレウァンとニニは王の枕元に駆け寄る。


「テレウァン、私なら大丈夫だ。」


王は横たわったまま、テレウァン達にそう伝え、周囲をゆっくりと見渡す。


「……これで全員か?」


テレウァンは、その言葉の意味を一瞬理解できなかった。

目を巡らせれば、王の間には既に全ての側近が揃っていた。

王子秘書ハニヴァ、騎士兵長ゼオールト、衛生兵長メノリエ、そして参謀ニニ。


「揃いました。」


ハニヴァがそう言うと、


「よし、ならば始めよう。」


王の重い声が、部屋の空気を一変させる。


「始める!?何を言っているんです!塔の中は崩れる恐れもあって危険です!今すぐ庭へ避難を!!」


「…私が授けた王宝があるだろう?」


王はテレウァンの言葉を遮るように言った。


「本来であれば、お前が王に即位した時に告げようと思ったが、今がその時だ。今の私にあれを動かす事はできん。」


王の目が、かつて見たこともない深さで、テレウァンを射抜いた。


「テレウァン。今この時をもって、アルマリス国百万人の民の夢と嘆きの全てを、その双肩そうけんに刻む、新しき王への即位をここに宣言する。」


雷が落ちたような衝撃が、テレウァンの脳天を撃ち抜いた。

その宣言に全員が息を呑む。


「い、今ですか!?」


「全員、見届けたな?」


皆が何も言えず、呆然と立っている中、ニニが最初に頷いた。


「…はい。ですが通常、王への即位は即位の儀を経て…」


「今じゃなければならぬ理由を今から説明する。」


王の揺るがない瞳と面持ちを見た誰もが、続きを遮る事はできなかった。


「ここ最近、各地で起きている異変……、空の風が止み、魚が消え、時が狂い始めた。あれらは、すべて遠い昔より、予知されていた。」


「なんですって!?」


「代々王家に伝わる王宝……。あれはただ音を鳴らすだけのものではない。私はあの王宝に、ある一つの“仕掛け”が隠されていると、王に即位した直後に前王から告げられた。」


「仕掛け…?」


「これは前王のそのまた前王、代々即位する直後に告げられていたそうだ。何故ならその仕掛けを引き出すのは、この国の王である事が条件だ。」


王から鋭くも真っ直ぐな眼差しを向けられたテレウァンは思わず息を呑む。


「その仕掛けには、国民全てを災いから救い給う特別な律式が施されているそうだ。それこそが、あの王宝の正体であり、役目だ。」


「あんなのに…、そのような律式が…。」


「テレウァン、やってくれるな?これは今、お前にしかできぬ事だ。」


全員の視線がテレウァンに注がれる。


「私が王になり、王宝の仕掛けを引き出す…。それが…この国を救う手段…?」


「その通りだ。」


「父上。それはあなたも、ここにいる皆も、民も望む事ですか?」


「ああ。当たり前だ。お前の次の一手で、皆が救われる。」


「…わかりました。」


テレウァンは、より鋭い眼差しで周囲の側近達を見回した。


「メノリエ、父上を診ていろ!」


「はっ!」


「ゼオールトは騎士兵達を各地域に全隊配置、ニニは異常現象の原因の解析、ハニヴァは状況の把握と報告だ!」


「はっ!」


テレウァンの一声で、全員が持ち場に散った。


「トゥエリィ…。私は今、正しい事をしているか?」


テレウァンは自室へ続く廊下を走りながら、一人ポツリと呟いた。


自室へ入ると、王宝がベッドテーブルに静かに佇んでいた。

それを手に取り、細部まで探るが、すぐに手を止める。

幼少期の頃から王宝を二十年も夜な夜な回していた程の愛着を持っていた物に、今更新しい仕掛けなんて、探しても見つかりようがないのはわかりきっていたのだ。

テレウァンはとりあえずハンドルを回した後、円盤に針を落としてみた。


その時だった。


ポロン、ポロロン……


いつも笛や弦、打楽器が奏でる旋律なのに、ピアノの優しい音だけが、風のない部屋に、一音一音ゆっくりと響いた。


「旋律が…変わっている…。」


やがてその音は勢いを増し、盛大になっていった瞬間、


「きゃあああああああ!!!」


王の間から、突如叫び声が響いた。


「なんだっ!?」


テレウァンは旋律から耳を離し、王の間へと急いで駆け戻った。

そしてドアを押し開けて入る。


「どうした!?」


メノリエは部屋の中央で、無言のまま天井を指していた。

その先には、仰向けのまま、微動だにせず、宙を浮遊する白目の王の姿があった。


「どういう事だ、これは!?」


「わ、わかりません!突然陛下が白目を剥いた途端、宙に…。」


「そんなわけがあるか!!」


困惑する二人はただ、空中を漂う王を見つめることしかできなかった。


「とりあえず、父上を降ろすぞ。メノリ…」


そう言ってメノリエの方へ向いた瞬間、


「うわあ!!」


メノリエの目玉が、どんどん上へ回転していった。


「メノリエ、大丈夫か!?」


そのままメノリエは、まるで魂を抜き取られたように、足が地面から離れ、どんどん宙へ浮かび始める。


「おい!戻ってこい!!」


やがてメノリエは、王と同じように空中を漂い始めてしまった。


「どうなってる…。」


テレウァンの唇が小刻みに震え始める。

足がもつれ、手を滑らせながらも、腰を浮かせ、よろけながらその場を離れ、塔中を駆け回り、召使いや側近を無我夢中で探し始めた。


「誰かいないのかぁーーー!!」


しかし塔内は人の気配が消え、地響きの恐ろしい振動音と、ピアノの旋律以外、不気味なほど閑散とした様子だった。

そして、トゥエリィと一緒にいた中庭近くの回廊まで来たが、そこでも戦慄する光景が広がっていた。


「はあ!?なんだよこれ…!」


そこには時が止まったかのように、召使いや兵達が何十人も宙に浮いていた。

皆、白い目をして、意識はない。

塔内では、旋律がまだ止まらず響き渡っていて、一層異様な光景がものすごく不気味に映す。


「…もしかして、あの王宝が奏でる旋律のせいなのか…!?」


テレウァンは王宝が不吉に感じ、すぐに自室に戻り、旋律を止めにかかる。

すると、そこにはすでに誰かの背があった。


「なにやつ!?」


許可なき者が入れるはずのない自室に侵入している影に向かって、咄嗟にテレウァンは右手を首筋に当て、拳を前方に突き出した。


「…今、貴様の心臓を掴んだ。ゆっくり私に顔を見せろ。」


よく見ると、その影は小さく、子供の姿をしていた。

テレウァンはその姿を見て、躊躇したのか、少し拳の力を緩めるが、握ったまま言った。


「子供だろうが、私の自室に許可なく入るのは許さん。」


テレウァンの声に合わせ、その影がゆっくり振り返る。


「たん、たん、たーんっ」


緊張が覆う空間に聞こえたのは、元気のある女の子の声。

小さく口ずさみながら、少女は腕を振る。

両手には何も持っていない。

けれど、指先はしなやかに空をなぞる。

まるで見えない指揮棒がそこにあるかのように。

ひときわ大きく手を上げたかと思えば、くるりと回ってワンピースの裾が花のように舞う。


「…平気なのか…?」


正面に向かったその子は、まるで絵本から抜け出してきたようなお嬢様風の姿をしている。

柔らかな栗色の巻き髪が、肩のあたりでふわりと揺れ、頭には深いベレー帽をちょこんと乗せ、こっくりとしたチョコレートブラウンのワンピースの襟元には白いレースがあしらわれいる。


彼女はテレウァンの王の力で心臓を掴まれているにも関わらず、旋律に合わせてどんどん動きの速度を上げていった。

なびかなかったカーテン、窓辺に吊っていたぴくりとも動かなかったてるてる坊主が生を取り戻したかのように一斉に風になびき始め、小鳥達が開け放たれた窓の桟に次々と止まり、リズムに乗せて上下に揺れ始めた。

その姿はまさしく指揮者と交響曲団だった。


「5番目の運命より、あなたの転生をゴアンゼンに案内するガイドAI、フィアノア!降臨しました!」


「何をトンチンカン言っておる!?この奇妙な事象らは全て貴様の仕業か!?」」


彼女の言葉とともに、窓から強い風が舞い込んでくる。


「風が…吹いているっ!?」


「救済転生プログラム、起動中!バーミリオンゲート、展開します!」


吹く風が音楽に反応するように巻き上がり、塔の上空をぐるりと渦巻いた。


そして——

窓の外からは、光が浮かび上がった。


「たんたんたんたん、たんたんたんたん…」



ただ静かに、音楽に乗せられるように、幾千もの淡い光粒が、旋律と彼女の鼻歌に合わせて、大地から空へと舞い上がっていく。


その光は、空に浮かぶ巨大な異物へと吸い込まれていく。

異物の表面は滑らかな金属で覆われ、先端に取り付けられた何枚もの板のようなものが、高速で回転しており、風をかき混ぜるような轟音を立てている。

そんな巨大な物体が何千と無数に空を覆い尽くし、大地より浮遊してくる光を吸い込んでいるのだ。


「何だあれは!?」


「準備が整いました!これより、アルマリス国民、一斉救済を始動します!!」


「待て!何をする気だ!?」


そして旋律が最高潮に達した瞬間、彼女は大振りを挙げた後、ピタリと止まり、叫んだ。


「てーーーーんせええええーーーーい!!!」


少女の叫びと共に、テレウァンの体が光に包まれた。

その瞬間、テレウァンの意識が、音と光の奔流の中で、ぷつりと途切れた。



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