EPISODE:10 人の幸せを喜べないのに。
「ただいまーーーそいやっさ!!」
父が帰ってきたらしい。
どんな顔かと玄関を覗いてみれば、タコのような真っ赤な顔をしている、実に卑しいただの酔っ払いのおっさんだった。
上機嫌のまま、靴を無造作に脱ぎ散らかす。
「うっわ!!酒臭っ!!」
部屋中に充満する酒の匂いに、私は思わず顔をしかめた。
「おいおい。パパが、そいやっさ!って言ったらそいやっさ!でいつも返してくれるじゃんか!!あれが気持ちいいのになあー。」
……最悪だ。
こいつが帰ってくるたびに、あの間抜けな掛け声を返さないといけないのか…。
「あれ、瑠香は?」
寝ぼけ眼な父は、母に尋ねる。
「瑠香、今日は帰られへんからネカフェ泊まるらしいわ。」
「ん?なんで帰れねぇんだ?」
「あんた何も知らんの!?」
「ん?何の話だよ?」
「うわ、呆れたー。」
いや、さっきでんわで聞いて初めて知ったばかりじゃないか…。
「何だよ?隕石でも落ちてくんのか?まあ隕石が降ってこようが、俺がお前らを守ってやるぜ!」
「隕石とは何だ?」
「空から降ってくる岩だよ。大きな岩。」
「ほう。仮に大きな岩が空から降ってこようと、父にはそれを凌ぐ力があると?」
「あったりまえよ!」
「どうやってだ?」
「まず隕石が降ってくんだろ?そんで危ないっ!って言って俺は両手をブワッ!てすんだよ。そしたらみんな爆風で吹っ飛んで避難完了。で、この拳でフンッ!って上に突き上げたら、パッカーン!って隕石が真っ二つに割れるんだ。」
「それでそれでっ!?」
真香が食い気味に聞く。
「そしたらあれよ。割れた隕石を両手で持ち上げて、フリスビーみたいにそぉれぇぇーーーぃ!!って空に返すのさ!」
「本当に…そんな力が!?」
「すごいすごーい!」
「アホばっかり…。そんなわけないやろ。」
「じゃあ何だよ?」
「同時多発的意識混線?障害?やって。突然記憶が無くなって、何かが乗り移ったみたいに別人になるんやって。今、十万人くらい報告されとって、しかも日本だけでやで。それで電車全線止まってるねん。」
「同時多発的…、意識混線?なんじゃそりゃ?ここはどこ?僕は誰?ってか?」
「ほんまやばいねんで?しかもな、向かいの団地の小学生四人、今日亡くなったんやで。」
「はあ!?何でだよ!?」
「わからんのよそれが。中庭で男四人で遊んでて、帰ってくるの遅いから親御さんが見に行ったら四人とも倒れとってんて。」
「おいおい。話ついていけねえよ!」
「私だって頭の整理まだついてないわよ!」
私も同感だ。
律式の力加減は完璧だったはずだ。
この体のせいで、律式の制御がうまく効かないのか…?
だとしたら金玉、さぞかし痛かったろうなあ……。
「あ、そういやさ…。」
「そいやっさぁ!!」
真香が突然、嬉しそうに叫ぶ。
「いや、今じゃねえよ!!」
言いたくてたまらなかったらしい。
「話聞けよ。俺んとこの会社の同僚がさ、パソコン触ってたら突然『うわあっ!』って声上げて立ち上がったんだよ。本当にここはどこ?僕は誰?状態でさ。」
「ええ…、その人もちゃうん…。」
「最初はストレスでついに頭イカれたと思って、呑みに連れてったんだよ。」
「そいつは、呑みの席で何て言ってたんだ?」
「それが、『この蛸の唐揚げってやつ、美味いっすね!!』だってよ!あははは!まるで外国人みたいでさ!結局、気分良くなってタクシーで家まで送ってってあげたよ!やっぱ酒は万病の薬よ!」
くそ…。呑むやつはどこの世界もバカだったか…。
しかし、羨ましいな…。
私も早く酒を嗜みたい…。
「大体、意識障害って何だよ。ストレスで仕事休みたいだけの仮病の極みみたいなもんじゃねえの?日本だけなんだろ?日本人が仕事サボりたいだけのやりそうな手口じゃねえかよ。ほんと今の日本人は弱っちいよなあ。俺の若い頃なんかよ…。」
そう言って、父は胸ポケットからタバコを取り出し、窓を開けて吸い始めた。
「あんたのその昭和スタイルやめてくれる?子供に悪影響やわ。」
「美咲だって、瑠香や眞人や真香をビシバシ叩いてるじゃん。」
「それは、愛のムチや。」
愛のムチ…、あれが…?
てかタバコ…、吸いてぇ…。
なんで子供の体なんかに転生してしまったんのか…。
というか、母は美咲という名前か。
覚えておこう。
「こりゃ明日学校、休校やな。」
「学校…。まさか…!?」
私は小声で真香に訊いた。
「アルマリス国で言うところの律学院…、つまり学び舎のことですかね…?」
「えーーー!?嫌だ!絶対嫌だ!」
「うるさーーーい!!夜遅いんやから、はよ寝なさい!!」
唾が飛ぶ程の大きな怒号を、夜遅くに浴びせられた私達は、子供部屋に押し込まれた。
「あの美咲という女、人にああだとこうだと言う割には、自分のやっている事があまりにブーメランすぎる事に気づいていないな。」
「でも、楽しい家族ですね。」
「そうか?騒がしいだけだろう。」
「それが、楽しい家族の証拠ですよ!」
「騒がしい事が、楽しい家族の証拠、か。」
私達は、部屋の明かりを消し、それぞれの寝床につく。
「ボタン一つで部屋が明るくなったり、暗くなったり…、この国は本当に進んでいるな……。」
あの王宝、もしやこの国の物ではないのか?
などと考えていたところ、真香がぽつりと語りかけてきた。
「学校、楽しみだなー。早く始まらないかなぁー。」
「ノフィーナはまだ九歳だったな。律学院は楽しいか?」
「はい!せっかくできた友達と離れるのは寂しいですけど、また新しい友達ができるって考えたら、すごく楽しみです!!」
「…強いんだな。」
「どうしてですか?」
「私は帝王学を自分の部屋で召使いと学んでいたから、そもそも律学院には通ったことはない。だから人が集まり、友達を作り、たった一年でバラバラになる。そんな制度
仕組みが、どうも苦手でな。」
「王子にも、苦手な事あるんですね。でも、王子が学校に行ったら、きっと人気者になりますよ!!」
「え…、そ、そうか!?」
「絶対そうです!アルマリス国の人、いるかなあー。」
「そう考えると、…楽しみだな。先生が父上だったりしてな!」
「王様に会える…、それは物凄く幸せなことなのです!」
「幸せ、か…。」
この世界にも、幸せがあるのだろうか。
今日感じた、この家族の雰囲気。
なんだったんだろう、あの騒がしくも温かい感覚…。
あれは、この家族にとっては幸せと呼べるものなのだろうか?
私は今、幸せか?
いや、私の本当の家族は今、バラバラなんだ。
幸せであるはずがない。
だが今、幸せでない私が、この家族の幸せに協力している…。
何故だ?何のために…?
私は、人の幸せを喜べないのに。
この国が滅ぶまで、残り九ヶ月。