(4)
これはもう、そういう事になるでしょう。
目の前で揺れている鈴香さんの桃尻へ勝手に視線が行ってしまいそうになるのを抑えながら、階段を上っていく。
……ああ、西脇。
ついに僕は目の前のこの人と、後世に語り告げる素晴らしき武勇伝を作り出すのかもしれない。
なんて妄想が出たり入ったり出たり入ったり……。
だけどそれを必死にかき消し、僕は案内された鈴香さんの部屋の前までやってきた。
「ここが私の部屋よ。……入って」
どうしてこのお姉さんは、その一言一言がそんなにも刺激的なのでしょう!
これはただのお礼!
僕は今から、お礼をしてもらうだけ!
なんて脳内で連続で復唱していないと、どうにかなってしまいそう。
だけどそんな高校生男子の膨らみを悟られる訳にもいかない為、完璧なる笑顔を張り付けて、僕はその夢の世界へと足を踏み入れる。
「緊張してる?」
「はえっ!?」
そんなはたから見れば挙動不審丸出しだった僕の様子に、鈴香さんはわずかに微笑みながら語り掛け、そして自身も部屋に入ると扉を閉めた。
「好きに……、座っていいよ」
「……はい」
こんな事なら経験ある友だちに、状況を一から全て聞いておくべきだった。
もう今さら、失敗は許されない。
何よりもまずは落ち着く事が大事って、どこかのバーチャルライバーさんも言っていた。だから僕は心の中で必死に『落ち着けーっ!』と何度も念じて、テーブルの前に正座しようとした。
「んっ? こっちに座ろうよ」
そう言って、鈴香さんがテーブルにお盆を置きながら、視線で座る場所を指定する。
……そこはどう考えてもベッドなのですが?
これは最早からかわれているのだろうか。
それとも目の前の人物は、危機管理が甘々すぎるタイプのお姉さんなのだろうか。
いずれにしても、僕だってされるがままなのは、プライドが許さない。
腰掛けようとしていた体制を無言で戻し、鈴香さんが送る視線の先へとゆっくり移動する。
「お隣どうぞ」
なんて、僕の心情を図っているのか一切感情が読めない微笑みを見せた鈴香さんから、僕は言われるがままにベッドへ腰を下ろした。
……もちろんどっかり座る度胸はなかったので、先っぽの方にちょこんと腰を掛けた程度だけど。
ちらりと横を見ると、口元だけ微笑んだまま、運んできた焼き菓子を物色しているかのように視線を送っている鈴香さんの横顔。
鳴り止まないどころか、心臓の音は段々大きくなってきているのを感じる。
これはあれか、僕が行動を起こすのを待っているのか?
一切経験が無いこの僕に、そんな高度な技を求められているのか!?
この状況はマズい。
非常にマズい。
喉の渇きを異様に感じるし、こっちを見てすらいない鈴香さんから、何か圧も感じられる気がする。
ただ何も言えず微動だにしない僕の横で、依然変わらぬ様子の鈴香さんが、まるで何かの合図を送るかのように、慣れた手つきで長く綺麗な黒髪を耳にかけた。
「それじゃあ……お礼させてもらうね♡」
そう言って整った顔をこちらへ向けてきた鈴香さんは、僕の唇へと視線を移す。
焼き菓子の甘い匂いなのか、それとも鈴香さん自身の匂いなのか。
ありとあらゆる語感が過剰に反応し、嗅覚まで鋭くなってしまったかのような僕は思わず息をゴクリと飲んでしまう。
そんな僕の様子を確かめるかのように、鈴香さんは僕の口元へゆっくりと指を近付けていき……。
「口、開けて?」
「はっ、はい……」
わずかに開ける事しか出来なかった僕の口の中へ、一口サイズのクッキーを詰め入れた。
「ムッ!? ふぁっ!?」
一瞬何が起きたのかが分からず、僕は慌て、そしてむせる。
……なんだ!?
口の中に入ってきた、とてつもなく香ばしいバター風味のクッキー。
たしかに喉がカラカラだったのに、不思議と水分を持っていかれない。
だけど自分の身に何が起こったのかが分からず、目をぱちくりさせてしまった。
「ふぉえっ……、えっ?」
動揺している僕とは対照的に、まるで状況を楽しんでいるかのような、クスクスと笑っている鈴香さん。
「そのクッキーはね~、ちょっぴりバターの他に、バニラエッセンスも多めに入っているの」
そう言いながらクッキーの説明をする鈴香さんは、以前口の中にクッキーを含んだままの僕へ向かって、楽しそうに「どうかな? お味は。」なんて聞いてきた。
「私としては、バターを多めにするだけだと、喉の方で飲み物を欲したくなるから、少しだけバニラエッセンスを入れる事で中和しているのが要なんだよね」
まるで僕の事などお構いなしかのように、ニコニコと笑いながら説明している鈴香さんの横顔。
だけどすぐ僕へ視線を戻すと、触れられたくない部分へ一気に踏み込んでこられた。
「もう、勝佐君耳まで真っ赤だよ~! 何を期待したのかな?」
そう言いながら、鈴香さん自身もクッキーを一つ頬張り始める。
「もしかして女の人に食べさせてもらうの、初めて?」
「いやっ、当たり前じゃないですか! 彼女すらいた事ないんですよ!」
僅かについた指先を軽く舐めるかのように、唇へ当てる鈴香さん。
だけど僕はそれ以上に、からかわれた事で恥ずかしさが最上級に達してしまい、顔から火が出そうな勢いだった。
「あまり高校生をからかわないで下さい!」
なんて反論してみたけれど、むしろその僕の態度が、さらに鈴香さんのツボにハマってしまったらしく、とんでもない事を言われてしまう。
「そうなんだ~……。じゃあ私は、君の初めてをもらっちゃった感じだね!」
いやっ、言い方!
たしかにその通りですし、何の誤解も無いのだけど!
明らかに何か含みを持たせるような言い回しをされた為に、さらに僕の顔はオーバーヒートしてしまう。
「嬉しいな~、君の初めての人になれるなんて」
そう言いながら、さらに別の焼き菓子を一つ摘まむと、僕の口元へと運ぼうとする。
「はい、あ~ん」
マズいマズいマズい!
完全におもちゃにされているような感覚やら、雄たけびを上げたくなりそうな感情が暴発してどうにかなってしまいそう。
ここは流されちゃいけない!
逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃダメだ―――
「どうしたの? 食べないの?」
「まっ、待ってください! 自分で食べますから!」
「えぇ~、良いじゃない。……それとも、私からじゃ嫌?」
「そんな訳ないじゃないですか!」
しまった!
つい条件反射で本音がうっかり……。
なんて思ってはみたがもう遅い。
目をかっ開いて反論した際にがっつり視線を合わせてしまった為、意地悪そうに見つめてくる鈴香さんの上目遣いから、逃れられなくなってしまった。