あーっ! 困りますお猫様! ジグソーパズルを邪魔して下さい!
お猫様が、ちゃぶ台の上に鎮座ましましている。普段は、固くてツルツルして狭苦しい、ちゃぶ台の上には目を掛けて下さらないお猫様が。私の手の届くところにお座りになり、背を向けられて御無聊をお示しだ。御右前足を軽く踏み出すようにして、御腰は手前に崩されて、後足はちゃぶ台の向こう側に投げ出されて。穏やかな夕べのことである。
お猫様は、尻尾の先白から中程までを、上下に軽くお揺らしあそばす。私は誘われるまま、その滑らかな背を撫で奉る。お猫様の頭へ手を伸ばして、三角お耳を包み込むように撫で下ろす。首元まで滑らせると、ぴこんとお耳が跳ね上がる。脊椎の凸形を手の平に感じながらお背中を通って、お腰の次はお尻尾の直径に沿って指を窄める。力が強すぎないように、かつ、お尻尾の躍動を感じ取れるくらいに。お猫様は先白の尻尾を、私の手からすっと抜き去って、手の甲に置き直された。私はもう一度、お猫様の額からお尻尾にかけて撫で奉る。お猫様は、変わらず、私にお背中をお向けなさる。
お猫様の周囲には、玉座の装飾の如く、ジグソーパズルの外周のピースがぐるりと縁取っている。黒いグラデーションの中に瞬く星々、夜半にも昼の青空を示唆するネモフィラの花、青い風景画を差し色として引き締める赤い散策路、などのオブジェクトが、2~8ピースの散らし書きとして、その玉座の宝石役を演じている。お猫様のお尻の下には、9ピースで組んだ白い満月も隠れている。
私が夢中でパズルに興じているところへ、お猫様が御成りである。お可愛らしい足取りは、パズルピースをお除けあそばして、しかし、あえてお尻を据えるのは、9ピースの月の上をお好みなのだった。
月の周囲の夜空は、朧に輝いていて、パズルのピースを探しやすい。いま、恐らく月の周りに嵌るだろうピースが、3つ手元にあるのだが、月本体はお猫様がお座布団にお使いなので触れない。だから私は、仕方なくお猫様を撫で続ける。
嘘だ。
私はお猫様に邪魔されることを期待しながら、ジグソーパズルに興じている。
私はパズルに熱中してしまう性質なので、一度始めると寝食を忘れる。水分補給もなく貫徹してのけるだろう。だが、お猫様が強制的に集中力を乱して下されば、良い具合にパズルを中断できる。今のように。
「お猫様、流石です」
「にゃむ」
私の囁きに、お猫様も小声でお返事なされた。ジグソーパズルという静かな狂気に合わせて、声を抑えて下すったようにも思える。私めは、お猫様のお心遣いに身を震わせるばかりである。
お猫様は、ご満足されるまで首のマッサージを受けられた後、ちゃぶ台から降りられた。ぽてん、と、御前足が着地する音。続いて御後足が降りられて――その爪先に、ジグソーの外枠が引っ掛かった。お猫様の後足は、前足の先に運ばれる。自然、ジグソーの外周は大きく引きずられ、ピースが三々五々に弾けた。お猫様は、飛び降りの勢いのまま、2歩ばかり兎跳びをあそばして、ピースの落ちる音にお耳を傾けられた。先白の尻尾をホッケークラブのように曲げて、低くお振りになる。違和感をお感じになったのだろう、左の御後足が、纏わり付いたものを振り払うような蹴りを繰り出される。
「あぁ……っ」
私は思わず、悲嘆の声を上げた。どこに何が落ちたのか、把握できる範囲だけでも、迅速に回収しようと、腰を浮かせる。
しかし、お猫様のお声が、私を制した。
「にゃあん」
「はい、はい、只今」
お猫様は、水鉢の前でお待ちである。我がお猫様は、汲みたての水しか召し上がらないのだ。お召しのご気分ならば、即座に給仕しなければ。お猫様に水分不足は大敵である。
水汲みに気を取られて、私の鈍感な右足が、床のパズルピースを蹴飛ばした。あれはネモフィラの青だったかしら、仄かに輝く夜空の青だったかしら。南無三。
お猫様に水を召し上がって頂いた後、ついでに私もコップ一杯、補給して、ジグソーパズルを再開する。ちゃぶ台の近くに落ちたピース、私の足が追い打ちを掛けて蹴飛ばしたピース、一つ残らずかき集めて、記憶の鮮明なうちに、外枠を再構築するのだ。
お猫様がお尻に敷いていて触れなかった、月の朧に輝く部分も、ついでに嵌め込んでしまおう。赤い散策路は完成出来そうだ。ネモフィラの群生する部分は、複雑なパターンの様相を呈す。ピースを集めてじっくり見比べたい。夜空のグラデーションは、私の得意だ。思いがけず一等星の光彩が2ピースに跨っていて、嬉しくなる――。
「にゃーーん」
気が付けば、お猫様が餌鉢の前でお待ちだ。つまり、早朝のお食事の時間である。お猫様のお足元には、アジの蹴り蹴りクッションが転がっていて、お猫様をお相手申し上げていたと誇らしげだ。
私は、お猫様に一晩中放って置かれて、本能のままにジグソーパズルに熱中し、貫徹したというわけだ。
「あーっ、困りますお猫様。ジグソーパズルを邪魔して下さい!」
私は、皺枯れた声で呻いた。