あーっ! 困りますお猫様! 本当に困るんです!
お猫様が、私の布団の上で、お休みになっている。お体を長く伸ばし、後足はちょっと横に流されて、前足は香箱座りに畳まれ、耳はそれぞれの方向に真横を向けていらっしゃる。
朝は雲一つない晴天だったのに、時間が経つにつれて少しずつ雲が多くなり、夜には土砂降りの雨模様となった。私は、こういう急激な天候の変化が苦手だ。気圧差に弱い、というやつだと思う。
我が家は賃貸である。契約の更新手続き期限が迫っている。書類に色々と書き物をしなければならない。どうしてもしなければならない作業なのに、体が重くて、動かない。私は、管理会社から届いた封筒を眺めながら、ぼんやりしている。視界の隅で、お猫様がお休みになっている。
私は、布団の隅に上がって、お猫様に元気を貰いに行った。お猫様の、下顎の短い毛の、その毛先に指の腹をそっと当てて、猫毛の柔らかいことと肌の温かいことと骨の丈夫なことを、確かめようとした。
そのとき、お猫様は寝返りを打たれた。御鉢をこてんとお倒しになり、横に流した後足と同じように、前足を伸ばされる。前足の筋をストレッチするように、お指の一本一本を、ぐうっとお広げになった。
お猫様の前足の指は、こうしてみると、細長い。手指の先端だけがつやつやの肉球で、指の大部分はふわふわの毛に覆われている。猫の前足と言われて思い浮かべる、あの4つの丸と1つの山型からなる肉球の形が、実は、軽く丸めた手指の腹を見せているだけ、だというのがよく分かる。それに、足跡には残らない親指の存在感も、大きくなる。指をお広げになったのを拝見すると、指と手の平のバランスは人間と大差無いようだ。
お猫様の顔は向こう側に横たわり、私の手から遠くなった。お猫様の前足は、こちら側に差し伸ばされ、私の手に近くなった。
私は、ほんの出来心で、お猫様の広げた指の間、肉球の隙と隙に、人差し指を差し込んだ。常は閉じられている空間に、お猫様の体温が篭っていて、とても温かい。私の指の腹3分の1を包む、お猫様の繊細な指毛は、儚い。
お猫様はすぐに嫌がられるだろうと、私は考えていた。手を押しのけられるとか、「にゃっ!」とお断りになるとかして、一瞬の触れ合いに終わるだろうと予想していた。
けれど、お猫様は、ちょっと首をもたげられて、私めの顔をご覧になるだけだった。心底、お寛ぎになり、ストレッチした前足の指の間を私に触らせたままでいる。
「………………」
私は息を詰めて、そのままでいた。
やがてお猫様は、自然に、前足の肉球を常の形に戻された。私の人差し指は自然に押し出されたが、お猫様の前足に触れたまま。
ああ、なんたる光栄。なんたる至極。このまま永遠に、そっとお猫様の前足に触れていたい。
「あーっ……困りますお猫様……困ります…………本当に困るんです」
私は喉の奥で囁く。ほんの少し、元気を貰うだけのつもりだったのに、しばらくは動けそうにない。