あーっ! 困りますお猫様! 防災なんです!
朝早くに緊急地震速報が鳴った。そのとき、私は二度寝の最中で、恐怖のアラートに飛び起きたのだった。
「わあっ、ぎゃあああ!」
「!!!!!!」
お猫様は、いつもの習慣で、私の枕元で毛繕いなさっていた。日の出前にお食事を召し上がったばかり。カツオ風カリカリの残り香漂う御口で、全身くまなくお舐めになっているところだった。
そこに、緊急地震速報である。人間の緊張を喚起するよう計算され尽くした、ごく短い和音。布団を跳ね上げて叫ぶ私に、お猫様は、声も無く飛び退った。
お猫様は猛然と駆け出す。ゴミ箱を蹴倒し、座椅子を反転させ、床のチラシで御々足を滑らせ、ハンガーを弾き、最後には、空の段ボール箱の中にズドンと飛び込まれた。
私は、もう何から反応していけば良いのやら、混乱の嵐の中につくねんと座っている。
「お、お猫様、落ち着いて下さい」
とりあえず、段ボールの中に声を掛ける。お猫様は、大手通販のロゴ越しに、「フーッ」と威嚇の声をお返しになった。
私は次に、スマホを手に取った。緊急地震速報の内容を、詳しく見ようとする。専門用語が多くて、よく分からない。とにかく地震に備えろと書いてある。火を使っていなかったから、台所は大丈夫のはずだ。さっき跳ね上げた掛け布団を、頭から被ってみる。これで身を守ったことになるだろうか。恐る恐る、立ち上がり、押し入れからお猫様のキャリーを取り出した。
お猫様のキャリーは、横長の箱型。側面と上面が開くようになっている。お猫様が御籠りの、段ボール箱の横に置いて、上面を開ける。さてこれからどうしよう。
「お猫様、こちらにお移りになって下さい」
そっと呼び掛けながら、覗き込む。お猫様は箱の中で蹲り、お耳を完全に後ろに伏せあそばせていた。眉間に皺を寄せて、私を見上げていらっしゃる。
自らお動きになることは、なさそうだ。
「お猫様、ご無礼を……あーっ痛い!」
段ボール箱に手を差し入れ、お運び仕ろうとした私に、爪と牙の両方がお見舞いされた。お引っ掻きあそばされたところは薄っすら血が滲んだ。お咬みきあそばされた方は、強めの跡が残った。だが咬みつき攻撃で流血しない内は、まだ、お猫様は正気と言えるだろう。たぶん。
お猫様からしたら、突然叫んで暴れた挙句、お猫様の退避場所にちょっかいを出し、動物病院の印象深きキャリーを勧める、私めの方が、正気を失っているように感ぜられるのではないだろうか。
お猫様と不出来な飼い主との攻防は、続いた。
気が付けば何十分も経っていた。スマホからニュース速報を検索すると、我が家から遠く離れた所で地震が発生している。彼の地は心配だが、当地は揺れておらず、私とお猫様は警戒解除して良さそうだ。
「お猫様、もう大丈夫です。お騒がせしました」
私は被っていた掛け布団を肩から滑り落して、そそくさとキャリーを押し入れにしまう。ついでにお猫様のおやつのささみフレークを取り出して、籠城を続けるお猫様の口元に、そっと差し入れる。
お猫様は最初、ご機嫌伺いの品を受け取って下さなかったが、徐々に耳を前に向け、おやつの芳しさを喫し、小さく開いた御口でささみフレークを咥え、頬の奥に引き込んで咀嚼なさった。
お猫様はゆっくりとおやつを味わい、ぱちりと丸い目で、物言いたげに、私の顔をご覧になる。その眉間には、もうお皺は無いようだ。
「にゃむ」
「すみませんでした」
「にゃにゃ」
「はい」
「なむ……」
「仰る通りです」
お猫様は、何やらお小言を零された。詳しい内容は分かりかねるが、ニュアンスは感じ取れているつもりだ。私は返す言葉も無く、誠意をもって謝罪するしか出来ない。
地震は他人事ではないのだ。次に緊急地震速報を受けたときには、落ち着いて、お猫様には気持ちよく避難して頂かなければ。お猫様と、私の防災のために。