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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
10.葵暦199年 随州

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5.蒼麗を嫁がせろ


 程なくして、壬州の蒼彰から文が蒼麗の乳母や侍女たちと共に届く。

 蒼潤宛てではなく、峨鍈宛ての文だったため、蒼潤を傍らに呼んだ上で峨鍈は蒼彰の文を開いた。


「姉上はなんて?」


 焦れたように蒼潤が文を覗き込もうとしてくる。

 さっと目を通して蒼潤に秘する必要がない内容だと分かると、峨鍈はそれをそのまま蒼潤に差し出した。


「お前の妹君を穆匡に嫁がせるべきだと言ってきた」

「は? 麗を誰にだって?」

「予州の穆匡だ」

「ダメだ。予州だなんて遠すぎる! しかも、穆匡だなんて、どんな奴か分からないじゃないか」


 郡王でも県王でもない男に妹を嫁がせることなんでできないと言うかと思いきや、蒼潤もそこは踏まえているようだった。

 郡王は既に自分以外いない。県王が郡主を娶っても、息子に県王位を世襲できなくなるとなれば、県王たちにとって郡主の価値はとたんに下がる。

 ならば、県王よりもこの乱世で力を持ち、確実に妹を守れる男に嫁がせたいと考えているようだった。


 一方、蒼彰は蒼潤とは異なる。蒼彰にとって蒼麗は妹というよりも手駒であった。

 彼女は、蒼麗を穆匡に嫁がせ、穆匡とよしみを結ぶことでその北上を防ぐという外交策を峨鍈に提案してきているのだ。

 峨鍈は数年のうちに瓊具との戦を始めることになる。その時を狙って穆匡が北上してくれば、峨鍈はとてもではないが持ち堪えることができないだろう。

 蒼潤は文を受け取ると、自分の目でも蒼彰の文章を確かめて、それを文机の上に置いた。


「てっきり魏壬を蒼邦に返せ、って書いてあるのかと思った」

「魏壬が儂に下ったわけではなく、青王朝のもとにいるだけだと知ったのだろう。そして、そのことの意義を姉君は分かっている」

「じゃあ、なんで麗を穆匡に嫁がせろなんて言うんだ? まるでお前に恩を売っているかのようだ」


 恩を売っているかのようではなく、売っているのだろう。

 もしくは、謝罪のつもりなのだ。


「おそらく姉君は蒼邦を制御できていない。随州の件は姉君にとっても不本意だったのだろう」

「蒼邦が勝手にやったってことか」

「蒼邦に勝ち目があったとは思えん。蒼邦自身は随州にさえ入ってしまえば、自分を慕っている随州の者たちが自分を受け入れて守ってくれると考えたのかもしれんが、甘過ぎたのだ」


 事実、随州の民は蒼邦を受け入れたが、彼らに蒼邦を守り抜く力はなく、峨鍈が随州に攻め入ればあっという間に蒼邦のもとを離れて峨鍈に下った。


「――それで、どうするんだ? 姉上の提案通りに麗を穆匡に嫁がせるつもりなのか?」

「さて、どうしたものか」

「麗を嫁がせれば、本当に穆匡の北上を防げるのか?」


 蒼麗を嫁がせたくらいで、という響きを含んで蒼潤が言った。

 峨鍈は、ふむと頷いて蒼潤に視線を向けた。


「防げるだろうな。郡主を娶るということは、青王朝の婿になるということだ。であれば、儂が皇帝を擁立している限り、表立っては儂と敵対できない。よほどの理由があれば別だがな」

「よほどの理由? 例えば?」

「儂が皇帝を傀儡とし、朝廷を我が物にしているとかだな。それを憂いた陛下が助けを求めて、穆匡に密書を送れば、穆匡は大義を掲げて挙兵することができるだろう」

「なるほど」


 だが、峨鍈がどんなに朝廷を我が物としたとしても、蒼絃が峨鍈を断罪することは、蒼潤が峨鍈のもとにいる限りあり得ない。

 蒼絃が峨鍈に背を向けたのなら、峨鍈は蒼潤を青王朝の正統な皇帝として即位させることができるからだ。


(もっとも、できるとしても、そのようなことをする気がないがな)


 蒼潤を皇帝にしてしまえば、今のように気軽に会って話すということができなくなる。触り合う度に人目を気にしたり、戦場に連れて行くこともできない。

 皇帝には皇后を添わせなければならないが、蒼潤の隣に己以外の者が並び立つなど許せるわけがなかった。

 だけどさ、と蒼潤が文机の上に視線を落として言う。


「穆匡が青王朝の婿になってしまったら、今後お前も予州を攻められなくならないか?」

「なるだろうな」


 峨鍈は物思いにふけていたが、蒼潤の言葉に我に返り、蒼潤に向かって頷いた。

 蒼潤と蒼麗、そして、青王朝を通じて峨鍈は穆匡と姻戚になるので、穆匡が峨鍈の領地を攻め込めなくなるように峨鍈もまた穆匡の領地に攻め入ることができなくなる。


「唔貘の時のように婚約で済ませることはできないのか? お前が瓊具と戦っている間だけ穆匡の北上を防げればいいんだろう?」

「無理だな。あの頃、妹君は笄礼前だった。それを理由に婚約で済ませたのだ」


 蒼麗はもはや20歳だ。

 それに、と峨鍈は文机の上に肘をついて言葉を続けた。


「同じ手は二度は通じぬものだ。穆匡が唔貘とのことを知っていれば、婚約で納得するはずがない」

「じゃあ、お前と瓊具の戦いの決着がついたら、麗を呼び戻すっていうのは?」

「良い手だ。だが、正当な理由がなければ、夜逃げのように妹君に逃げて来て貰わねばならない」

「失敗した後が怖いな。二度と逃げられないように閉じ込められるかもしれない。――とにかく、予州は遠い! 気候もだいぶ違うと聞くし、食べ物も違うと聞く。そんなところに本当に麗を嫁がせるかどうかだ」 


 どうするつもりだと答えを迫ってくる蒼潤に、峨鍈は肩を竦める。

 そして、なんてことないように言った。


「儂はどちらでも良い。交渉はお前の姉君が行ってくれるようだが、うまく纏まらないようなら予州に刺客を放つだけだ」

 

 既に不邑の手の者を穆匡の近くに潜ませている。

 穆匡は未だ予州を統一しておらず、黄州の蒼善そうぜんと対立する動きを見せている。故に、峨鍈はすぐにでも穆匡をどうこうするつもりはなかったが、峨鍈の命令ひとつでいつでも穆匡の首を狙えるように備えていた。


「刺客を放つなら瓊具に放てばいいのに」


 刺客と聞いて蒼潤が嫌悪感を顔に露わにする。長い間、刺客の存在に怯え、窮屈な思いをしていたことを思い出したのだ。

 配慮が不足していたと申し訳なく思って、峨鍈は蒼潤の頭をくしゃりと撫でる。


「もちろん放っている。だが、警備が厳しくて、とても近付けないのだ。――それから、お前は気付いていないようだが、瓊具もまたこちらに刺客や間者を放って来ている」


 言い訳のようになってしまったが、この天下はどこもかしこも間者だらけだ。

 日々、それらに警戒し、炙り出す作業に追われている者たちがいる。


「だから、お前も少しは気を付けろと常々言っているのだ。狙われているのは儂だけではなく、お前もだ」

「分かってるって。――で。穆匡の近くに間者を送っているのなら、穆匡がどんな奴か分かっているんだろう? どんな奴なんだ?」

「どんな?」

「麗に相応しい男なのかどうかだよ」


 はて、と峨鍈は顎をひと撫でする。

 峨鍈は穆匡の戦術や戦略、その思考や動向にしか興味がなかったが、蒼潤が聞きたいことはそういうことではなく、おそらく穆匡の人となりや容姿についてだろう。

 不邑から受けていた報告を思い出しながら、峨鍈は口を開いた。

 

「若いな」

「若い?」

「24。……いや、25だったか」

「それは若いな。てっきり、もっとおっさんかと思っていた」


 峨鍈は今年45歳だ。蒼彰の夫の蒼邦は39歳なので、穆匡が25歳と聞いて蒼潤は驚きを露わにする。

 自分と3つしか離れていないと知って、俄然、穆匡に興味を抱いた様子だった。


「穆匡の父親は、穆遜ぼくそんと言ってな。南の地では名の知れた人物だ」

「穆遜? 聞いたことがあるな。たしか、反呈夙連盟に名を連ねていたはずだ」

「よく知っていたな。そうだ。その時に儂は穆遜と接する機会があってな。穆遜は英雄として多くの民と兵士たちに慕われていた」


 葵暦190 年。峨鍈も穆遜も共に36歳だった頃の話である。

 瓊具を盟主とする反呈夙連盟は晤貘によって破れ、瓦解し、連盟に参加した者たちは各地に散ることになったのだ。

 そして、それっきり峨鍈は穆遜に会っていない。


「8年ほど前だ。穆遜が急逝した。穆遜の兵は瓊堵に取り込まれ、穆遜の息子の穆匡も瓊堵の下で将軍となった。だが、穆匡は瓊堵の下で働きながら徐々に兵を取り戻し、瓊堵が皇帝を自称すると、瓊堵と縁を切って独立した。その時に穆遜を慕っていた多くの者たちが穆匡のもとに集まって、一大勢力として育っていったわけだ」

「つまり、父親の知名度や人望、偉業を受け継いだというわけだ」


 なんだ、父親のおかげか、と言いたげな蒼潤に峨鍈は文机に頬杖をついて、蒼潤の顔に己の顔を近付ける。


「しかし、それだけではないのだ」

「どういうことだ?」


 蒼潤も文机に両肘をついて手のひらに顎を乗せる。

 ふたりの顔が近付いたので、まるでひそひそ話をするかのように声を潜めながら峨鍈は言った。


「穆匡は戦が上手いのだ」

「へぇ」

「穆遜よりも上だ。だから、父親を慕って集まって来た者たちを逃すことなく、己自身をも慕わせている」

「ふーん。人望がありそうだな。――でも、そういう奴なら、もう既に側室や妾が何人もいるんじゃないのか? 息子もいたりしてさ」

「それがな」


 ここで面白い話があるとばかりに言うと、蒼潤が更に身を乗り出してくる。


「何? もしかして問題でもあるのか?」

「ある意味、問題だな。穆匡は女に興味がないのだ」

「うわっ。本当かよ!」


 蒼潤は文机に両手をついて大きく仰け反った。

 蒼潤こそ女に対して色情を持てないたちであるのに、信じられないと言わんばかりの顔をする。


「それって、つまり、どういうことだ? 穆匡は男が好きなのか?」


 はははははっ、と峨鍈は思わず笑い声を立てた。それこそ、まさに蒼潤のことではないか。

 しかし、蒼潤にはまったく自覚がなく、峨鍈が笑った意味が分からないと眉を顰める。






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