3.瓊堵を討て?
「姉上と話をしていると、姉上の言葉こそ正しいような気がしてきてしまう。理不尽だと思っても、だんだんと、そうなのかなぁ、そういうものなのかなぁ、って」
蒼彰と蒼潤とでは、同じ親から生れてきたはずなのに、頭の出来がまるで違う。
蒼彰は蒼潤がこの世に生まれる以前から蒼潤の側にいて、言葉を自在に操るようになってからは蒼潤のあらゆることに口を出した。
幼い頃から蒼彰の言うがままになってきた蒼潤は、多少の違和感を覚えても、結局は蒼彰の言う通りに万事が進むので、やがて自分の頭で考えることを放棄した。
その結果、蒼彰は智を称えられ、蒼潤は蒼彰の智を頼りにするしかなくなったのだ。
しかし、それは過去の話だ。蒼潤は峨鍈と出会い、蒼彰と袂を分かつ。
今思えば、蒼潤が峨鍈との婚姻を決めたのは、蒼彰への反抗だったのかもしれない。
反抗期の最中だった蒼潤は、本来、親に向ける反抗を母親代わりだった姉に向けたのだ。
20歳を過ぎて蒼潤の反抗期は終わったが、未だに自分を支配し続けようとする姉に違和感と反発を覚えたに違いなかった。
「無理に姉君と顔を合わせる必要はない」
「大丈夫。無理はしていないから。姉上は俺の顔を見たらぐちぐちと言わずにはいられないだけなんだ」
「他には何と言われた?」
「大したことはない」
あからさまに蒼潤が目を逸らしたので、いろいろと言われたのだと察する。
喪服を脱ぐのが早いだの、郡王だと認められたにも関わらず簪を挿しているだの、郡主を娶れだの。蒼彰が蒼潤に言いそうなことは想像がつく。
それに、もしや蒼彰は蒼昏に手を下したのが峨鍈だと知っているのかもしれない。
であるのなら、親の仇の側にいることで蒼潤を詰ったに違いない。
「天連、こちらに来い」
峨鍈は蒼潤に向かって両腕を広げた。
すると、蒼潤はすぐに文机を回って峨鍈の腕の中に収まる。その体を膝の上に乗せて跨がせると、向かい合って抱き締め合った。
「早いところ葵陽に戻りたいところなのだが、勅令が届いた」
「勅令? なんて?」
峨鍈は文机の上に書簡を広げて蒼潤に見せてやった。
蒼潤は顔を起こして、腰を捻るようにして文机の上を見やる。
「瓊堵を討て?」
瓊堵は瓊倶の異母弟である。
葵暦197年、瓊堵は瑞兆が現れたとし、予州栖郡で皇帝を名乗った。国号を楚、都は瑞俊だという。
これにより瓊堵は青王朝にとって国敵となり、孤立した。
しかも、瓊堵は皇帝を名乗ったことに気を良くし、私欲に走り、自身の贅沢な暮らしのために重税を課して民を大いに飢えさせる。
民や兵士による反乱が勃発し、また、多くの家臣が瓊堵から離反した。そして、そのうちのひとりが穆匡である。
孤立した瓊堵は、同じく孤立していた唔貘に同盟を持ち掛けたが、その同盟が結ばれる前に唔貘は峨鍈によって討たれた。
いよいよ楚の民は飢え、瓊堵自身も食料に困る事態に陥ったので、瓊堵はなりふり構わず周辺の諸侯に食料の援助を求めたが、誰ひとり瓊堵に手を差し伸べる者はいなかった。
峨鍈が唔貘との戦いを終えて裴城に向かっている最中、瓊堵は琲州尹郡安尾侯国に進軍した。
安尾侯国相である安尾県王は瓊堵に兵糧の援助を申し入れられたが、これを断っている。安尾侯国に十分な食料があることを知っていた瓊堵は激怒し、安尾侯国への侵攻を決めたのだ。
これを知って峨鍈はすぐに安尾侯国に熊匀と卞豹を向かわせている。
瓊堵の兵力はもはや千にも満たない。熊匀と卞豹がそれぞれ千の兵を率いて迫っていると聞けば、すぐにでも尻尾を巻いて安尾侯国から逃げ出すはずであった。
峨鍈としては、瓊堵のことはしばらく放っておくつもりだったのだ。
瓊堵よりも気に掛かるのは、予州の南で瞬く間に力をつけている穆匡だった。その穆匡が北上しようとすれば、まず、かつての主君である瓊堵とぶつかる。
謂わば、瓊堵は穆匡の北上を妨げる壁になっていた。
「だが、よりにもよって安尾県王だ」
「うん、安尾県王には冰睡郡主が嫁いでいる。俺は冰睡郡主の幸せを願っているから、それを妨げる者を許せない」
「陛下もお前と同じ想いなのだろう。安尾侯国に進軍した瓊堵を許してはならないと仰せだ」
安尾県王とは、四麓県王と蘭景郡主の息子の四丘県王と、互斡郡王の同母妹の佳香郡主の息子だ。互斡郡王とは蒼潤の父である蒼昏のことなので、蒼潤と安尾県王は従兄弟の関係にある。
冰睡郡主は母方の従姉なので、父方の従兄と母方の従姉が婚姻したことになる。
「――それで、どうするんだ?」
「勅令だからな」
峨鍈が青王朝の臣下である限り勅令を拒否することはできない。
「陽慧の具合はどうだ? 春蘭に看病させているのだろう?」
「うん。春蘭が言うには、熱は下がってて、もう上がる気配はなさそうだって」
「ならば、5日後には発つ。安尾侯国に向かい、熊匀と卞豹に合流する。その前に瓊堵が安尾侯国から撤退し、栖郡に戻るようなら、こちらも栖郡に向かい、そこで討つ」
峨鍈が別の書簡に手を伸ばしたのを見て蒼潤は再び峨鍈の襟元に顔を埋めた。
文机の上に広げた書簡に静泉郡主が蒼絃の子を身籠ったことが記されている。そのことを蒼潤に話して聞かせると、めでたいな、と蒼潤は薄い反応を示して言った。
「陛下が皇后を迎えて2年が経つ。陛下と皇后の仲の良さを考えると遅いくらいだ」
「子は授かりものと言うからな。仕方がない。――ところで、御子の称号をどうすべきかという議論が連日のように朝廷で行われているようだ」
「称号?」
「本来であれば、皇帝の子を皇后が産めば、その御子は『郡王』、或いは、『公主』だ」
「だけど、陛下は郡王でも県王でもないから、皇后が産んだ子であっても、何の称号も得られないはずだ」
「そうだ。だが、皇后が産んだ皇帝の子が、その他の皇族と同じ扱いで良いのだろうか――と朝廷では議論されているようだ」
書簡によると、静泉郡主が女児を産んだ場合は『公主』で良いだろうということは朝廷の臣たちの間で一致しているようだ。
だが、問題は男児を産んだ場合である。
青王朝において郡王とは『帝位継承権を有する者』という意味を持つ。郡王でなければ帝位を継げないのであれば、もはや郡王は蒼潤しかいないので、青王朝の存続を望む者たちはどうにか蒼絃の息子に郡王位を与えて郡王の数を増やしたいのだ。
「お前は郡王を絶やしたいんだろ? 青王朝が定めた本物の郡王は俺しかいない。既に目的は果たしたようなものだから、今後生まれてくる皇子が郡王を名乗っても問題はないはずだ」
「儂が絶やしたいのは、人々が『郡王』に抱く崇敬の念だ。民には郡王が本物であるのか否かは区別つかん」
「なら、郡王の称号を与えたくないのだな」
峨鍈は蒼潤に図星を突かれて押し黙り、文机にまっさらな紙を広げると、筆に墨をつけた。
筆先で書簡の上に『公王』と文字を描く。
「公王? 公主に対して公王か。なるほど。いいんじゃないか」
皇帝の息子は皇太子以外は郡王か県王の称号を得る。
郡王の息子は郡王か県王、県王の息子は県王か、或いは、称号は得られないが、『公爵』という爵位を与えられることがあった。この公爵の『公』を取って『公王』とした。
「公王っていうのは、郡王より上か、下か? 公主は郡主より上位にあるだろ?」
「郡主と同等で良いだろう。ただし、帝位継承順位は、郡王を上とする」
「公王の帝位継承を認めるわけだな」
「認めなければ、青王朝を滅ぼすつもりかと言われるだろうな」
峨鍈は墨が乾いたのを見て書簡を丸め、紐で括った。それを机の端に置くと、次の書簡に手を伸ばす。
すると、蒼潤が峨鍈の腕の中で身じろいで、峨鍈の首筋に唇を当てて吸った。
「おい。もうしばらく待て」
「違う。痕をつけたくて」
「痕?」
「だめ?」
「構わんが……」
それで先ほども鎖骨の辺りを吸ってきたのかと峨鍈は腑に落ちる。
しかし、急に痕を付けたいなどと言い出した理由が分からなかった。姉妹たちとの間で何かあったのだろうか。
峨鍈は裴城に着いて、蒼邦や蒼彰から挨拶を受けたが、蒼麗とは顔を合わせていなかった。
天下一の美女と称えられ、蒼潤をさらに華奢にして、儚くさせた感じの少女だと聞いていたが、峨鍈の目は蒼潤にしか向いていないので、蒼麗には興味がなかった。
だが、蒼潤は数年ぶりに妹と再会し、その美しさを目の当たりにして焦りを感じたのかもしれない。
自分とよく似ていて、自分よりも美しく、しかも、自分とは異なり、蒼麗は女だ。
いかにも余計なことを言いそうな蒼彰がそのことを指摘して、蒼潤は蒼麗に峨鍈の正室の座を譲るべきだと主張したのかもしれなかった。
どうやら、蒼彰は未だに蒼潤に郡主を宛がい、新たな郡王を儲けさせることを諦めていない様子だった。
峨鍈は書簡に伸ばしていた手を下ろして、蒼潤の腰を抱く。
「痕をつけるのなら、儂にも見えるところにしろ」
「どこ?」
蒼潤が自身の唇を舌で舐めて湿らせながら峨鍈の顔を見上げて尋ねてきたので、峨鍈は言葉を詰まらせて、左腕を蒼潤に向かって差し出した。




