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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
10.葵暦199年 随州

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3.瓊堵を討て?


「姉上と話をしていると、姉上の言葉こそ正しいような気がしてきてしまう。理不尽だと思っても、だんだんと、そうなのかなぁ、そういうものなのかなぁ、って」


 蒼彰と蒼潤とでは、同じ親から生れてきたはずなのに、頭の出来がまるで違う。

 蒼彰は蒼潤がこの世に生まれる以前から蒼潤の側にいて、言葉を自在に操るようになってからは蒼潤のあらゆることに口を出した。

 幼い頃から蒼彰の言うがままになってきた蒼潤は、多少の違和感を覚えても、結局は蒼彰の言う通りに万事が進むので、やがて自分の頭で考えることを放棄した。

 その結果、蒼彰は智を称えられ、蒼潤は蒼彰の智を頼りにするしかなくなったのだ。


 しかし、それは過去の話だ。蒼潤は峨鍈と出会い、蒼彰と袂を分かつ。

 今思えば、蒼潤が峨鍈との婚姻を決めたのは、蒼彰への反抗だったのかもしれない。

 反抗期の最中だった蒼潤は、本来、親に向ける反抗を母親代わりだった姉に向けたのだ。

 20歳を過ぎて蒼潤の反抗期は終わったが、未だに自分を支配し続けようとする姉に違和感と反発を覚えたに違いなかった。


「無理に姉君と顔を合わせる必要はない」

「大丈夫。無理はしていないから。姉上は俺の顔を見たらぐちぐちと言わずにはいられないだけなんだ」

「他には何と言われた?」

「大したことはない」


 あからさまに蒼潤が目を逸らしたので、いろいろと言われたのだと察する。

 喪服を脱ぐのが早いだの、郡王だと認められたにも関わらず簪を挿しているだの、郡主を娶れだの。蒼彰が蒼潤に言いそうなことは想像がつく。

 それに、もしや蒼彰は蒼昏に手を下したのが峨鍈だと知っているのかもしれない。

 であるのなら、親の仇の側にいることで蒼潤をなじったに違いない。


「天連、こちらに来い」


 峨鍈は蒼潤に向かって両腕を広げた。

 すると、蒼潤はすぐに文机を回って峨鍈の腕の中に収まる。その体を膝の上に乗せて跨がせると、向かい合って抱き締め合った。

 蒼潤が峨鍈の襟元に顔を埋めて、鎖骨の辺りをちゅうと吸ってくる。

 

「早いところ葵陽に戻りたいところなのだが、勅令ちょくれいが届いた」

「勅令? なんて?」


 峨鍈は文机の上に書簡を広げて蒼潤に見せてやった。

 蒼潤は顔を起こして、腰を捻るようにして文机の上を見やる。


瓊堵けいどを討て?」


 瓊堵は瓊倶けいぐの異母弟である。

 葵暦197年、瓊堵は瑞兆が現れたとし、予州栖郡で皇帝を名乗った。国号を、都は瑞俊ずいしゅんだという。

 これにより瓊堵は青王朝にとって国敵となり、孤立した。

 しかも、瓊堵は皇帝を名乗ったことに気を良くし、私欲に走り、自身の贅沢な暮らしのために重税を課して民を大いに飢えさせる。

 民や兵士による反乱が勃発し、また、多くの家臣が瓊堵から離反した。そして、そのうちのひとりが穆匡ぼくきょうである。


 孤立した瓊堵は、同じく孤立していた唔貘に同盟を持ち掛けたが、その同盟が結ばれる前に唔貘は峨鍈によって討たれた。

 いよいよ楚の民は飢え、瓊堵自身も食料に困る事態に陥ったので、瓊堵はなりふり構わず周辺の諸侯に食料の援助を求めたが、誰ひとり瓊堵に手を差し伸べる者はいなかった。


 峨鍈が唔貘との戦いを終えて裴城に向かっている最中、瓊堵は琲州尹郡安尾県に進軍した。

 安尾県令である安尾県王は瓊堵に兵糧の援助を申し入れられたが、これを断っている。安尾県には十分な食料があることを知っていた瓊堵は激怒し、安尾県への侵攻を決めたのだ。


 これを知って峨鍈はすぐに安尾県に熊匀ゆうきん卞豹べんひょうを向かわせている。

 瓊堵の兵力はもはや2千にも満たないので、熊匀と卞豹がそれぞれ2千の兵を率いて迫っていると聞けば、すぐにでも尻尾を巻いて安尾県から逃げ出すだろう。

 

 峨鍈としては、瓊堵のことはしばらく放っておくつもりだったのだ。

 瓊堵よりも気に掛かるのは、予州の南で瞬く間に力をつけている穆匡だった。その穆匡が北上しようとすれば、まず、かつての主君である瓊堵とぶつかる。

 謂わば、瓊堵は穆匡の北上を妨げる壁になっていた。


「陛下にとって安尾県王は、お身内だ。身内の者を害されて黙っていることができなかったのだろう」

「身内って言うけどさ、安尾県王って、誰?」

「たしか、明帝の異母弟の後裔だったはずだ」

「んー?」


 明帝と言われても、蒼潤にはピンと来なかったらしい。

 蒼潤の祖父である胡帝より4代前の皇帝が明帝だった。

 明帝の異母弟は安尾県王に封じられた後、郡主を娶り、儲けた息子に安尾県王を継がせている。


 本来、県王とは、皇帝が郡主以外の女に産ませた皇子のことであるが、県王が郡主を娶り、その郡主との間に息子を儲ければ、息子は父親の爵位と領地を継ぐことができた。

 つまり、県王を父に持ち、母を郡主に持っていれば、自身も県王となれるのだ。


 ちなみに郡王は郡主を娶り、その郡主との間に子を儲ければ、その子供は郡主、或いは、郡王に封じられて、成人した後に新たな領地を与えられる。

 そして、県主はその多くの場合、領地がなく、県主という称号のみ与えられた。

 

 安尾県王は代々郡主を娶り続けて現在の安尾県王まで世襲し続けているので、父方の血筋を追うと蒼潤からは遠いが、母方を見ると、蒼潤の祖母である蓮景郡主の同母妹の蘭景郡主が先代の安尾県王に嫁いでいる。

 つまり、蒼潤の母である桔佳郡主と現在の安尾県王は従姉弟いとこ同士の間柄だった。


「――それで、どうするんだ?」

「勅令だからな」


 峨鍈が青王朝の臣下である限り勅令を拒否することはできない。

 

「陽慧の具合はどうだ?」

「熱は下がってて、もう上がる気配はないな」

「ならば、5日後には発つ」

 

 峨鍈が別の書簡に手を伸ばしたのを見て蒼潤は再び峨鍈の襟元に顔を埋めた。

 文机の上に広げた書簡に静泉せいせん郡主が蒼絃の子を身籠ったことが記されている。

 その子が無事に生まれた場合、称号をどうすべきかという議論が連日のように朝廷で行われているらしい。


(どうでもいいな)


 本来であれば、皇帝の子を郡主が産めば、その子供は郡王、もしくは、公主や郡主だ。

 公主と郡主の違いは、生母が皇后か側妃かの違いである。皇后には郡主が選ばれるが、ひとりの皇帝に数人の郡主が嫁ぐこともあったので、郡主が側妃となることもあった。


 書簡によると、静泉郡主が女児を産んだ場合は『公主』で良いだろうということは、朝廷の臣たちの間で一致しているようだ。

 だが、問題は男児を産んだ場合である。

 蒼絃は皇帝であるが、本来、郡王でも県王でもない。その息子に郡王の称号を与えて良いものだろうか。


 かつて、県王が中継ぎとして帝位に着いたことがあった。

 その場合、県王の皇帝は己の息子に帝位を継がせることができず、またその息子も郡王を名乗ることを許されなかった。


 その前例に従えば、蒼絃の息子には郡王の称号は与えられないことになる。

 郡王とは、ただ『郡王』という称号ではなく、帝位継承権を有する者という意味を持つからだ。


(しかし、郡王がもはや天連しかおらんからな)


 郡王が絶えれば、次に郡主がいなくなる。

 郡主が絶えれば、県王も絶え、やがて蒼家はその血の優位性を失う。

 峨鍈は文机にまっさらな紙を広げると、筆に墨をつけた。


(郡王が減ったことを理由に、その制度を変えてしまえばいいのだ)


 必ずしも皇后を郡主に据える必要もなく、郡主が産む産まないに関わらず、皇帝と皇后の子であれば、郡王、或いは、郡主である。

 皇帝と側妃の子であれば、県王、或いは、県主であり、郡王と県王は一代限り、その爵位と領地を世襲することはできない。ただし、郡王の子は、県王。県王の子は、公爵。公爵の子は侯爵とし、皇籍離脱となる。――と、そのように峨鍈は書き記す。


 安尾県王のように代々王位を世襲してきた者たちは反発を示すだろうが、このように改変すれば、蒼絃が己の正当性を憂う気持ちは減ることだろう。

 故に、峨鍈の記した草案は蒼絃に受け入れられるはずだ。朝廷で吟味された後、正式な法として定められるまでに、そう時間は掛からないだろう。

 峨鍈は墨が乾いたのを見て、その紙を丸め、次の書簡に手を伸ばした。すると、蒼潤が峨鍈の腕の中で身じろいで、峨鍈の首筋に唇を当てて吸った。


「おい。もうしばらく待て」

「違う。痕をつけたくて」

「痕?」

「だめ?」

「構わんが……」


 それで先ほども鎖骨の辺りを吸ってきたのかと峨鍈は腑に落ちる。

 しかし、急に痕を付けたいなどと言い出した理由が分からなかった。姉妹たちとの間で何かあったのだろうか。


 峨鍈は裴城に着いて、蒼邦や蒼彰から挨拶を受けたが、蒼麗とは顔を合わせていなかった。

 天下一の美女と称えられ、蒼潤をさらに華奢にして、儚くさせた感じの少女だと聞いていたが、峨鍈の目は蒼潤にしか向いていないので、蒼麗には興味がなかった。

 だが、蒼潤は数年ぶりに妹と再会し、その美しさを目の当たりにして焦りを感じたのかもしれない。


 自分とよく似ていて、自分よりも美しく、しかも、自分とは異なり、蒼麗は女だ。

 いかにも余計なことを言いそうな蒼彰がそのことを指摘して、蒼潤は蒼麗に峨鍈の正室の座を譲るべきだと主張したのかもしれなかった。

 どうやら、蒼彰は未だに蒼潤に郡主をあてがい、新たな郡王を儲けさせることを諦めていない様子だった。


 峨鍈は書簡に伸ばしていた手を下ろして、蒼潤の腰を抱く。


「痕をつけるのなら、儂にも見えるところにしろ」

「どこ?」


 蒼潤が自身の唇を舌で舐めて湿らせながら峨鍈の顔を見上げて尋ねてきたので、峨鍈は言葉を詰まらせて、左腕を蒼潤に向かって差し出した。



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