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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
9.葵暦197年の夏から198年の春 葵陽から蒲郡へ

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9.久方ぶりの再会


 2月の末に赴郡に到着する。

 赴郡城の城壁の前で峨鍈は従兄いとこ夏銚かちょうの出迎えを受けた。久方ぶりの再会である。

 互いに肩を叩き合って喜び、城門をくぐると、そのまま内城へと向かった。


しら せた通りに2日後に発つ」

「承知した。こちらの準備はできている」


 赴郡城からは夏銚も隊列に加わって蒲郡を目指す。

 だが、その前に、峨鍈たちは雅州清柳郡葵陽から雅州洪陵郡を通り、さらに併州椎郡を通って併州赴郡に移動してきたので、蓄積した疲労を赴郡で回復させる予定である。


 夏銚の先導で宮城の大門まで馬と馬車で進むと、そこで峨鍈は馬から降りた。

 峨驕を隣に呼んで共に大門をくぐると、夏範が妻子を伴なって峨鍈を出迎えに出て来ていた。夏銚の妻と夏範の弟の夏苞かほうも一緒である。


「義父上、ご無沙汰しております」

「父上、お会いできて嬉しいです。お変わりございませんか?」


 まず夏範が峨鍈に歩み寄って来て、拱手して口を開く。続いて、その妻も峨鍈の顔を嬉しそうに見上げて挨拶をした。

 夏範の妻というのは、4年ほど前に嫁いだ峨鍈の娘のゆうである。

 昨年の末に息子を生んだと聞いているので、柚の後ろで控えている乳母が抱く赤子がその子なのだろう。


「柚、お前こそ体は大丈夫なのか?」

「幸い、私は母に似て体が丈夫なのです。――驕、頼もしくなって」

「柚姉上、お元気そうで何よりです」


 峨驕が夏範や夏苞と挨拶を交わすのを待って、柚が乳母を隣に呼んだ。


「父上の孫のかいです」

「ほう」


 峨鍈は乳母に抱かれて眠っている赤子の顔を覗き込み、己の顎を撫でて、ふむと低く唸った。


「何やら感慨深いものだな」

「そのような歳になったのかと思っているのだろう。儂も同じだ」


 夏銚が横から口を挟んで来たので、峨鍈はじろりと夏銚を睨み付けた。

 すると、夏銚はやれやれと肩を竦めて頭を左右に振る。


「仕方がないだろう。お前にとっても、儂にとっても恢は初孫だ。お前も儂も同じように年を重ね、老いているということだ」

「同じようにだと? おれはお前より5つも歳が若い」

「若い伴侶と過ごしていると、己の歳を忘れてそんな風に感じるものかもしれんな。――それで、その若い伴侶はどうされておられる? 一緒に来られたのだろう?」

「天連は今、喪に服している」


 馬車からは出て来ないだろうと思っていると、天連を乗せた馬車がガタンと音を響かせた。

 入口に踏み台が用意され、侍女に手を引かれながら中から蒼潤が出て来る。

 蒼潤は白い衣を身に纏い、白檀の枝を削っただけの素朴な簪で髪をまとめていた。何ら飾り気もなく、華やかさもない装いだったが、それが却って清楚に見えて峨鍈の目を惹く。

 馬車から降りた蒼潤はまっすぐ峨鍈の方に進んできて、その隣に立つと、夏銚とその家族に向かって拱手した。


「お久しぶりです、爸爸ちちうえ大哥あにうえほう哥哥あにうえも。阿娘ははうえ、お元気でお過ごしでしたか?」

「とんでもないことです、殿下!」

「ええ、とんでもございません! 我らのような者たちをそのように呼ばれてはなりません!」

「大変畏れ多いことです」


 夏銚たちが大慌てで蒼潤の前で跪き、柚と赤子を抱いた乳母も夏範に倣って跪いた。


 蒼潤は、夏苞や夏銚の妻とは柚が夏範と婚儀を上げた時にこの赴郡城で対面している。

 その頃、夏銚は蒼潤を実の息子以上に息子として溺愛していて、夏範も同様に蒼潤を弟として可愛がっていたので、夏銚の妻や夏苞も蒼潤を家族の一員として接していた。

 それ故に、蒼潤がじつは郡王だったと知ってさぞかし肝を冷やしたことだろう。


 つい先ほどまで峨鍈と気さくに言葉を交わしていた夏銚たちが一変して、地べたに額を押し付けるように平伏した姿に蒼潤は息を呑み、助けを求めるように峨鍈に振り返った。

 その顔が切なさを帯びていたので、峨鍈は、ごほんと咳払いをして夏銚に命じる。


「石塢、立て」

「しかし」

「立て。そして、今後二度と天連に対して跪く必要はない。お前たちの前ではこれまで通り、天連は石塢の息子だ。子則や子葆しほの弟であり、氏の息子だ」

「なりません!」

「これは儂の命令であり、天連の願いだ」

「しかし、そのようなこと畏れ多くて、身が震えます」


 夏銚の妻――胡氏が自身でも口にした通りに体を震わせて言った。俯き、地面を見つめたまま顔を上げることさえできない様子である。

 峨鍈は夏銚の腕を掴んで無理やり立たされると、胡氏たちに向かって言った。


「お前たちも立て。お前たちがそんな態度では天連が悲しむ。お前たちは郡王殿下を悲しませるという不敬を働くつもりなのか?」

「伯旋」


 脅すような物言いだと蒼潤が非難の声を上げて、胡氏に手を差し伸べた。


「阿娘、旅の途中で枝に袖を引っかけて裂いてしまいました。いつかのように繕って下さいませんか?」

「殿下……」


 胡氏がなかなか蒼潤の手を取らないので、蒼潤から胡氏の両手を掴んで立たせる。

 ここしばらく蒼潤は馬車からほとんど外に出ていないので、袖を枝に引っ掛けて裂いたなど、胡氏の気持ちを和ませるための方便だろう。

 仮に本当に袖を裂いていたとしても、それを繕うのは蒼潤の侍女たちの仕事である。

 そうした蒼潤の気遣いが届いたようで、胡氏は淡く笑みを浮かべて蒼潤の手を握り返した。


「お疲れでしょう。室を用意していますよ。案内致しましょう」

「ありがとうございます。でも、阿娘。俺の臥室は伯旋とは別にしてください。お手間をお掛けして申し訳ないのですが」

「あらあら」


 おそらく蒼潤の室は峨鍈の隣室に準備され、臥室を共有できるように整えられていたのだろう。

 胡氏が困ったように眉を下げると、柚が立ち上がって口を挟んだ。


「それでは、天連様は私の室を使ってください」

「だけど、それじゃあ柚はどうするんだ?」


 柚は琳や朋ほど蒼潤と親しく遊んでいたわけではなかったが、夏銚たちとは異なり、もともと蒼潤を蒼潤として認識していたので、夏銚や胡氏よりもずっと気さくに話しかける。蒼潤の方もかなり気さくだ。

 しかし、蒼潤が郡主ではなく郡王だということは、峨鍈は己の子供たちには明かしていなかったため、そうと聞いて柚は驚いたはずである。

 父の妻で、自分にとっては嫡母だと思っていた相手が、じつは自分とさほど歳の変わらぬ少年だったのだから。

 実際、蒼潤と柚では蒼潤の方がひとつだけ年上だ。


「恢の室で休みます」

「それは良いな。あとで恢を抱かせて欲しい。寧で慣れているから、結構、上手に抱っこできるんだ」

「寧といいますと、羅夫人の?」

「そうだ。今年4つになった。ぺらぺらと、うるさいくらいによくしゃべる」


 4歳と言っても、年の暮れに生まれたので、同じ年の春生まれに比べたら随分と小さい。

 それでも二本足で立って母親や乳母の後を追い、目覚めている間は途切れることなくおしゃべりをしているような娘に育っていた。

 夏範も夏苞も立ち上がったので、一同は宮城の奥へと進む。


「今宵、宴を用意しているが……」


 蒼潤は夏苞に話し掛けられて首を左右に振った。


「申し訳ないが、出られない」

「なら、食事は室に運ばせよう。昂は――いや、昂じゃないんだよな。ええっと、どう呼べば? まさか本当の名を呼び捨てにするわけにはいかないし」

「天連でいいよ、哥哥」

「なら、天連。――なあ、本当に大丈夫なんだよな? 後になって、やっぱり不敬罪に問われたりしないだろうな?」


 夏苞が不安げな顔を蒼潤に近付けて耳元でこそこそと囁いたので、蒼潤はプハッと吹き出して笑った。


「しないよ」

「だが、子葆。気を付けた方がいい。天連は殿の想い人だ」


 夏範が蒼潤の隣に並んで、蒼潤越しに実弟に忠告したので、夏苞は近付け過ぎた顔を蒼潤から慌てて遠ざけて、びくびくしながら峨鍈に振り返ってきた。

 峨鍈は夏苞と目が合うと、ぴくりと片眉を跳ねさせる。


「伯旋、儂の息子を睨むのはやめてくれ。今にも切り殺しそうな顔もやめてくれ。――やはり、無理がある。主君の伴侶を息子として扱えなど」

「長い事そのように扱っていたではないか」

「何も知らなかったからな! 確かに頭痛がする」

「何の話だ?」

「お前が言ったのだろう。夏昂の本当の名を聞けば頭痛がすると」

「ふむ。言ったかもしれんな」


 先を歩く蒼潤と夏兄弟に視線を向けながら頷けば、蒼潤がくるりと振り返って峨鍈を、それから、夏銚を見上げた。

 蒼潤が歩みを止めたので峨鍈と夏銚も立ち止まり、何事かと蒼潤を見れば、蒼潤はもはや耐えられないとばかりに両腕を大きく広げて飛び掛かり、夏銚に抱きついた。


「爸爸!」

「んなっ‼」

「以前のように、ぶん回してくださいっ!」

「無理だ!」

「嫌です! 以前のように接してくださいっ!」


 顔を赤らめて即座に拒絶した夏銚は、蒼潤の腕を自分の体から引き剥がそうと藻掻いたが、蒼潤は引き剥がされまいと必死に夏銚にしがみ付いている。


「昂! ――いや、天連! お前、成人したのだろう。子供ではないのだから抱きつくなっ」

「俺はいくつになっても爸爸の子です。爸爸は歳を重ねられて渋く格好良くなりました。本当に憧れます。それに、爸爸の体はちっとも衰えていません。惚れ惚れするくらいの筋肉です。だから、きっと俺くらい簡単にぶん回せます」

「んん、……そ、そうか? お前の目にはそのように見えるか」

「はい!」

「どれ。以前のようにやってみるか」


 ちょろ過ぎる夏銚は蒼潤の言葉に目尻を下げると、蒼潤の腰を両手で掴む。

 しかし、その腰の細さに驚いて、たちまち正気に戻った。




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