2.相手が好む色を纏う
「儂もお前とやりたい」
うわっ、と蒼潤は心の中で悲鳴を上げた。
体の芯に熱が灯って、すぐにでも彼にどうにかして貰いたかった。
「――だったら、早く!」
彼の褝を掴んで急かせば、峨鍈はふっと笑みを消す。
彼こそ余裕のない表情をして蒼潤の手を引き、牀榻の中に入ると、蒼潤の体にゆっくりと覆い被さって、そして、吐息混じりに彼が言った。
「お前の望み通りに」
▽▲
おはようございます、と芳華が水桶を抱えて臥室に入って来る。
そして、未だ牀榻の中にいる蒼潤を見て呆れたように言った。
「殿は朝餉を召し上がられて、とっくに参内されましたよ」
「伯旋が俺に寝ていて良いと言ったんだ」
「そうですけど」
蒼潤は牀榻の中で寝転んだまま、峨鍈が隣の室で徐姥たちにそう告げるのを聞いていた。
天連をもうしばらく寝かせてやれ、って。
「目覚めていらしたのなら朝餉をご一緒されて、殿を見送られたら宜しかったのに」
「まだ起きたくない」
「でも、顔を洗ってください。体も拭いた方が良いのでは? またいつかのようにお腹が痛くなりますよ」
「大丈夫。あいつが掻き出してくれたから」
「へぇ、そうなんですね」
芳華は水桶を卓の上に置いて牀榻に歩み寄って来る。
床帳の中を覗き込んで、蒼潤を見下ろしながらニマニマと笑みを浮かべてきたので、蒼潤はムッとして言った。
「なんだよ?」
「天連様がお幸せそうで嬉しいんです」
「あ?」
「昨夜は随分と、殿と仲良くされたようですね」
「昨夜は――」
瞬時に昨夜のあれこれが蒼潤の脳裏に、わぁっと思い起こされる。
彼の言葉とか、彼の息遣いとか、彼の手が自分に触れる感覚とか。夜の熱が、朝になっても蒼潤の体の奥でぐずぐずと燻っていて、それがとても心地良い。
少しでも長く昨夜の余韻に浸っていたいと、蒼潤は掛布を太腿の間に挟んで両腕でぎゅっと抱き込んで言った。
「控えめに言って、凄かった」
「まあ……!」
芳華が、ぱぁっと顔を輝かせて床に膝をつく。
そして、臥牀に横たわった蒼潤に自分の顔をぐいっと寄せた。
「もう少し詳しく聞きたいです!」
「はぁ? 何のために?」
「もちろん、今後の参考のためですよ! 私、知識だけは天連様よりも遥かにあると思うんですけど、実践はしたことがないので、あくまでも想像の範囲なんですよね。実際には何がどうなって、何がどうなるのかっていうのが知りたいです」
「何が何だって? えっ、何って、何だよ!?」
「何は何ですよ。私、男の人の体って、天連様の体で見慣れていると思っていたんですけど、殿のお身体を見ると、やっぱり違うなぁって思うんですよ。天連様もそう思いませんか? 実際、天連様は殿の体に触れられているじゃないですか。触れてみて、どんな感じなんですか? あとあと! 殿に触れられると、どんな感じがするんですか? 天連様って、どこを触れられると、気持ちいいんですか? それって、書物みたいに本当に気持ち良いんですか?」
「待て。春蘭、待て! ちょっと、俺、動悸がする。ぐいぐい来るな」
「えー」
不満げに頬を膨らませた芳華に蒼潤は朝からドッと疲労感を覚えた。
今後は、朝の支度は芳華以外に頼みたい。
芳華のおかげで昨夜の余韻がどこかに消え去ってしまったので、蒼潤は臥牀の上でむくりと起き上がった。
昨夜は久しぶりということも当然あったのだろうが、今までのように無理やり付き合わされているわけではないので、何もかもがまったく違っていた。
気持ちが違えば、こんなにも違ってくるのかと蒼潤は驚いて、不覚にも夢中になってしまったのだ。
蒼潤の反応が良ければ、峨鍈も蒼潤以上に夢中になって、ふたりとも朝鳥が囀るまでやめることができなかったので、峨鍈はほとんど寝ないで参内したことになる。
大丈夫だろうかと心配に思わないでもない。なんせ、峨鍈の歳は40を超えている。
若くないくせに無理が過ぎていた。
「――そう言えば、あいつ、薬湯は飲んだのか?」
「飲まれていましたよ」
「自分で?」
「もちろん、ご自分で」
「飲めるのかよ!」
「だから言ったじゃないですか。天連様に甘えているだけですって」
蒼潤が起きる気になったので、芳華は水桶を臥牀まで運んで来て床に置くと、布を水に浸した。蒼潤の体を拭こうというのだ。
蒼潤は芳華に向かって手を差し出して言った。
「自分で拭く」
「ひどいです、天連様。私の仕事を奪うつもりですか?」
「そうじゃなくて、喉が渇いたら水を持って来てくれないか」
「分かりました」
芳華が蒼潤に布を渡して、水を取りに牀榻から離れたので、その隙に蒼潤は自分の体を拭いてしまう。
事が済んだ後に峨鍈が簡単に拭いてくれたが、それでも蒼潤の体は峨鍈が残した痕だらけだ。そんな体を未婚の芳華に拭かせるわけにいかなかった。
芳華が牀榻に戻ってきたので、拭き終えた布を返して、代わりに水の入った器を受け取る。
「これからは、自分で薬湯を飲んで貰う」
「天連様が傍にいるのなら、絶対にご自分では飲まれないと思いますよ」
先程の話の続きで、峨鍈のことだ。
苑推で蒼潤が峨鍈に口移しで薬湯を飲ませて以来、峨鍈はそうしなければ絶対に薬湯を飲まなくなっていた。
苦い上に、青臭くて飲みたくないと子供のような駄々をこねるのだ。
仕方がなく、昨日までずっと蒼潤が飲ませてやっていたのだが、なんだ自分で飲めるではないか、という話だ。
「40過ぎた男に甘えられても可愛くない。気色悪いだけだ」
「また、そんなことをおっしゃって。――今日はこちらの衣にしましょうか」
芳華は蒼潤に見えるように縹色の袍を両手で広げた。蒼潤はそれを見て、小首を傾げる。
「確か、赤い衣もあったよな? たまには、赤を着てみたいんだけど?」
「えっ、赤ですか? 確か、牡丹色の衣をお持ちでしたよ。めったに着ないので衣装箱の奥に仕舞い込んだままになっていますが、出しましょうか?」
「うん」
「でも、あの衣って、女物でしたよ」
「えっ、そうだっけ?」
幼い頃から青色の衣ばかり着ているので、偶にはと思ったのだが、芳華によると、赤い袍は持っていないようだ。
「俺って、なんで青い衣ばかり着てるんだろう?」
「それは天連様が蒼家の龍だからですよ。蒼家の色は青ですから。でも、なぜ急に赤が着たいだなんて言い出したんですか?」
「だって、あいつ、赤が好きじゃん」
さらりと言い放つと、芳華が、まあ、と小さく声を漏らして目をまん丸くする。
あいつ、というのはもちろん峨鍈のことで、峨鍈はいつも赤い袍を身に纏っている。季節によって濃淡を変えているが、朝服は徹底して深蘇芳だ。
はっきり言って、峨鍈は珍しい部類の官吏である。
他の官吏は季節によって色の違った朝服を着ているからだ。
官位によって色が定められているわけではないので、その者の個性や感性が表れた装いができ、官吏たちは皆、その辺りにはかなり気を配っていた。
そのため流行にも敏感で、朝堂を見渡せば、皆が流行りの色を身に纏っているなんてこともあった。
――そうやって皆が朝服に気を配り、季節ごとに新調してくれれば、経済が回るというものだな。
なんてことを峨鍈が言っていたのを思い出す。
そう言いながら自分自身は一年中、深蘇芳の朝服のみを着続け、替えに2着あったが、それらを擦り切れるまで着続けるつもりなのだ。
流行に振り回されることなく自分の好きな色を貫き、尚且つ、倹約しようというのだから、何やら凄すぎる。
ところで、そうして倹約した金を彼が何に使っているのかというと……。
「春蘭、あいつがくれた簪を持って来てくれ」
「いっぱいありますけど、どれですか?」
「とりあえず、全部」
芳華が隣の室から装飾箱をいくつか持って来たので、蒼潤はそれらを臥牀の上に広げた。
一番古い物は6年前に貰った物で、今見ると、少し子供っぽい。葵陽に移り住んでから貰った物は細工が精巧で、いかにも高価そうな物が多かった。
「耳飾りや首飾り、指輪や腕輪も持ってきますか?」
「そうだな。でも、まず簪から選ぼう。どれが良いと思う?」
「多くてとても選べません。こんなにたくさん頂いているのに、天連様ったら、ほとんど使われていませんよね」
「だから、偶には使ってやろうかと思ってさ」
「殿が喜ばれると思います。――あっ、この赤い鈺がついた簪は如何ですか?」
「柘榴石か」
「牡丹色の衣を着られるのでしたら、簪も赤い鈺がついた物が良いと思います」
金細工の簪で、柘榴の花を模して造られている。花の中心に柘榴石が埋め込まれており、花びらの先には蝶が止まっていた。
その簪に合わせてもう一本選ぶと、せっかくならもっと使いましょうと芳華が更に数本選んだ。
「使わない物ばかり送ってくるから、売り払って兵糧にでも変えてやろうかと思ったけど、使ってやろうかという気になったから、もう少し持っててやるか」
「良いと思います!」
売り払うのはいつでもできる。
ならば、峨鍈の金が尽きた時にでも、それまで彼から贈られてきた物を売って金をつくってやればいいのだ。
蒼潤は臥牀から足を下ろし、床帳を捲って牀榻の中からようやく出た。
芳華に手伝って貰って、藍白色の深衣に牡丹色の深衣を重ねて身に纏う。髪を梳いて貰って、結い上げた髪に簪を挿した。
「お化粧してもいいですか?」
「うん」
「久しぶりなので、楽しいです」
芳華は蒼潤を床に座らせて、化粧道具を脇に置くと、蒼潤と向かい合うように座った。
蒼潤は郡王として生きられるようになってから、女の姿になることがほとんどなくなっていた。
昨年の秋に、琳と朋の化粧の練習台にされた時以来なので、9ヶ月か、10ヵ月ぶりということになる。
女の格好を強要されていた幼い頃に比べたら、今はなんて自由なのだろう!




