7.暴かれた秘密
「痛っ‼」
背中から落ちて苦痛の声を上げた蒼潤に、別の男が剣を突き下ろしてくる。蒼潤は地面の上を転がって男の剣を避け、男の足を剣で払うように切った。
峨鍈はその男の背に向かって矢を放つ。一本、二本。そして、三本目は後頭部に突き刺さって、男は、どおんっと地面に倒れた。
馬の背を蹴って襲い掛かってきた男は、燕と駆け付けて来た門兵たちが切り捨てたようだ。
8人すべて地に伏した様子を確認すると、峨鍈は馬をゆっくりと歩かせて蒼潤に近付いた。
「なんと無茶をなさる方だ。逃げずに立ち向かうなど」
騎乗したまま蒼潤に向かって声を掛けると、蒼潤は乱れた呼吸を整えながら峨鍈を見上げてくる。
その上気した顔を見つめながら峨鍈は続けて問いかけた。
「怪我はありませんか?」
「ありません。助けてくださって、ありがとうございます」
素直に感謝を口にされて峨鍈は僅かに眉を歪ませながら頷き返し、馬から降りて蒼潤の正面に立った。
人を雇い、その命まで奪ったのだ。蒼潤には怪我を負って貰わなければならない。
峨鍈は強く蒼潤の左腕を掴み、密かに手の中に隠し持っていた小刀の刃の欠片を蒼潤の左肩にスッと滑らせた。
「痛っ!」
「怪我をしている。すぐに手当をしましょう」
「平気です。かすり傷です」
「見せてください」
「結構です!」
逃れようとする蒼潤を峨鍈は許さない。腕を掴む手に力を込めて、その細い体を自分の方に引き寄せた。
「阿葵様、怪我をされたのですか!?」
峨鍈と蒼潤が争っているように見えたのだろう。燕が馬から降りて駆け寄って来る。
蒼潤はあからさまにホッとした様子を見せる。
「馬から落ちた時ですか?」
「いや、違う。切られた」
「切られた!?」
さっと顔色を変えて燕は蒼潤の傷の様子を確かめようとしたが、峨鍈がそれを手で制して言った。
「すぐに内城に戻って、人を呼んで来い」
「ですが……」
燕が戸惑ったように蒼潤に視線を向ける。その視線を受けて蒼潤が首を微かに横に振った。
「主を置いて行けません。それに阿葵様は黙って宮城を抜け出して来たのです」
「互斡郡王に知られたくないと言うことか」
「と言うよりも姉君の郡主様です。勝手に抜け出したことが知られたら、三日ほど祠堂に閉じ込められます」
「そうか。――では、ここの片付けは、わたしの配下にやらせよう。そこの門兵にも口止めが必要だな」
「内緒にしてくださるのですか?」
蒼潤と燕が驚いた顔で峨鍈を見上げてきたので、峨鍈はニヤリと二人に笑みを浮かべた。
「共犯を担ぐようで面白いではないか」
峨鍈は懐から手巾を出すと、衣の上から蒼潤の傷口をきつく縛る。
そして、三人は内城に戻ると、脇門からこっそりと宮城に忍び込み、馬を厩に戻してから峨鍈のために用意された客室に向かった。
峨鍈は己の配下に、外郭門の前に打ち捨ててきた死体の片付けを命じながら蒼潤の体を客室の中に押し込む。
「傷の手当てをしたくとも、なぜ傷を負ったのだと聞かれては不味いでしょう。ここで手当てをしましょう」
「助かります。では、俺は湯を貰いに行ってきます」
蒼潤は居心地の悪そうに無言で、返事をしたのは燕だった。
先ほどは、主を置いて行けないと言っていた燕だったが、秘密の共有者として峨鍈のことを信頼した様子で、あっさりと蒼潤から離れて、室を出ていった。
置き去りにされて蒼潤が不貞腐れたように床に胡座をかいて座ったのを見て、峨鍈はその正面に屈み込んで、蒼潤の左肩から手巾を解いた。
「出血は止まったようですね。傷口を見せてください」
「……はぁ?」
峨鍈が蒼潤の襟に手を伸ばすと、蒼潤はギョッとして峨鍈の顔を見た。
身を捩って峨鍈の手から逃げ、さっと室を見渡すと、迂闊にも自分が室の中に峨鍈と二人きりであると気付いたようだ。
蒼潤はすぐさま腰を浮かせ、室から出ていこうとした。
だが、逃すわけにはいかない。峨鍈は手を伸ばして蒼潤の腕を掴むと、強く引いて、その体を自分の腕の中に引き込んだ。
そして、蒼潤が驚き、動揺しているうちに、蒼潤の襟元を大きく開いて、その肌を暴いた。
「なっ!?」
大きく見開いた蒼潤の瞳が、己の身にいったい何が起きたのか分からないと告げている。
だが、ゆっくりと瞳が黒く濡れたように潤んできて、その顔が血の気を失っていく。
「やっ」
逃れようと藻掻き、蒼潤が大きく振り回した手の甲が峨鍈の頬に当たり、小さな音を鳴らした。
それでも峨鍈は腕の中から蒼潤を逃さず、ぐっと片腕でその体の動きを封じると、自分の膝の上に乗せて抱え込んだ。
ひとつひとつ確かめるように蒼潤の素肌に触れる。
「まだ幼いからなのか」
膨らみのない胸に触れると、蒼潤の体がびくっと震えた。
その怯えた様子が峨鍈の胸をざわつかせ、獰猛な獣のような加虐心を呼び起こす。
峨鍈は蒼潤の肌を弄ぶように手のひらで撫でながら、その手を下へ、下へと移動させていく。
「離せっ! ……あっ」
思いもしない部分に触れられて、蒼潤は小さく可愛らしい悲鳴を上げた。
峨鍈は自分の手に触れたものを優しく握って形を確かめると、やはりそうか、と呟き、蒼潤の自由を奪っていた腕から力を抜いた。
すぐに蒼潤が飛び退くように峨鍈から離れていった。
震える足で立ち上がり、ぎゅっと体を強張らせて、赤らんだ顔で睨んでくる。
その追い詰められた小動物のような蒼潤の様子に、峨鍈は今にも舌なめずりをして襲いかかろうとする肉食獣のような気持ちになった。
――もはや、男でも女でも構わない。目の前のこの獲物を食い荒らしたい。
支配欲が己の心をどす黒く染めていくのを感じながら、その想いを蒼潤に気取られないように、ぐっと抑え付けて峨鍈は蒼潤に言葉を放つ。
「阿葵殿は、男子でしたか」
その言葉に蒼潤は、さっと血の気を引かせてガクリと膝を折る。
峨鍈も膝を着いて、床に崩れ落ちた蒼潤の顔に自分の顔を寄せて穏やかに声を掛けた。
「恐れないでください。わたしは貴方を害するつもりはありません」
峨鍈の言葉に、ぱっと蒼潤は顔を上げ、追い詰められた獣のように峨鍈を睨み、声を荒げた。
「嘘だ! さては、お前、郡主を娶りたいというのは口実で、本当は呈夙の手の者なのだろう! 本当に女なのか、調べに来たのだな!」
「違います」
「見ての通り、俺は男だ! それで、どうする!? 命を奪うつもりか。殺される前に殺してやる!」
「落ち着いてください。わたしは貴方の命を奪うつもりはありません」
ようやく峨鍈の言葉が蒼潤の耳に届き、蒼潤は戸惑いを溢れさせた瞳を峨鍈に向ける。
そして、峨鍈は蒼潤の事情を察した。蒼潤は郡主でなければ殺されるのだ。
「身を護るために性別を偽って生きてこられたのですね」
「男は殺される。寧山郡王の息子も殺された。越山郡王の息子も」
いったい誰に殺されるというのか。――それは、恙太后と呼ばれた女であり、今現在、朝廷を思うが儘にしている呈夙だ。
寧山郡王と越山郡王は、胡帝の同母弟である洪陵郡王の息子たちである。
都に邸を構え、朝廷に口を出していたことが災いし、恙太后に粛清された。
青王朝において皇族は容易には処刑できないため、寧山郡王と越山郡王は都を追放されるのみに済んだが、恙太后は執拗に刺客を送り続け、そして、ついに寧山郡王と越山郡王の息子たちの暗殺に成功したのは、蒼潤が生まれる前年のことだ。
恙太后は自分の息子が龍ではないことを知っている。
胡帝と洪陵郡王の死後、残りの龍は互斡郡王、寧山郡王、越山郡王、そして、彼ら三人の息子たちだけだ。
寧山郡王と越山郡王の息子は絶やした。おそらく寧山郡王にも越山郡王にも恙太后に対抗する力などないだろう。
しかし、互斡郡王――蒼昏はどうだろうか。
かつて皇太子として人望を集めていた蒼昏を――そして、蒼昏に生まれるであろう男子を、恙太后は何よりも恐れた。
なぜなら蒼昏を陥れ、廃したのは、他でもない彼女自身だからだ。
蒼昏からの復讐を恐れた恙太后は、冱斡国のあちらこちらに息のかかった者を忍ばせていた。そのため、生まれる以前から蒼潤の周囲には、もし蒼昏に男子が生まれたなら命を奪えという命令を受けた者たちがたくさん潜んでいたのだ。
だから、蒼潤は女子でなければならなかった。
蒼昏の娘でなければ、生き延びることができなかったのだ。
――そして、恙太后が死んだ。
恙太后さえいなくなれば、蒼潤は男として生きられるのかと言うと、そうではない。
ずっと郡主として生きてきた蒼潤が、帝都から遠く離れた互斡国で自分は男だと叫んでも、それは無意味だからだ。
郡主ではなく郡王だと朝廷に認めて貰い、皇帝の命で郡王に冊封して貰う必要がある。
しかし、それは今ではない。
今、朝廷を牛耳っているのは、呈夙だ。
呈夙は礎帝の皇子である蒼絃を玉座に据えると、政敵となった恙太后を退け、他の者たちが蒼絃の兄弟を担ぎ上げないようにと、礎帝の皇子をことごとく殺した。
そんな中、もし蒼潤が郡王を名乗れば、必ずや呈夙は蒼潤の命を狙ってくることだろう。
事実、蒼潤は恙太后の死後もなお、刺客に警戒して暮らしている。呈夙に真の性別を知られれば、殺されてしまうからだ。
【メモ】
胡帝→礎帝→余帝(蒼絃)
・峨旦(峨鍈の祖父)が仕えた皇帝は礎帝。龍ではない。
・蒼昏は胡帝の息子で、胡帝の皇后の唯一の皇子。龍である。
・礎帝の生母は、胡帝の貴人で、恙家の娘。礎帝即位後、恙太后。
・礎帝は恙家の娘を皇后に迎えたため、蒼絃は皇后が産んだ皇子ではあるが、龍ではない。
・寧山郡王と越山郡王は、胡帝の同母弟である洪陵郡王の息子たちで、龍。
寧山郡王と越山郡王の母親も蒼家の郡主であり、自分たちの正妃に蒼家の郡主を迎えているので、その息子も龍。しかし、恙太后によって、息子たちはことごとく殺される。
・礎帝の息子は、蒼絃をのぞいて、呈夙に皆殺される。