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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
8.葵暦197年の春 蔀城の危機
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3.良いこと思い付いたかも!


 蒼潤と柢恵はたったひとつしか年齢が違わないのに、柢恵ときたら驚くほど大きなことを峨鍈から任せられている。そうと感じて、蒼潤は不貞腐れたような心地になった。


(なんだか、ずるいなぁ)


 自分だってと思うのだけど、どう見ても、どう考えても、蒼潤と柢恵の力の差はどんどんと広がっていく一方だ。

 ちょっと前までは、どうにか張り合って、柢恵のことを出し抜いてやりたいという気持ちがあったが、今ではそんな気持ちさえ削がれてしまうほど差がついてしまっている。

  ふと、蒼潤は自分の両手を見下ろした。


 ――いったい自分に何ができるだろうか。


 当然ながら、一度諦めた玉座をもう一度という気分にはなれなかった。

 蒼潤は郡王である。だが、ただそれだけだ。

 むしろ郡王であるがために、官職につくことができず、謀叛の疑いが掛からぬように人と会うこともままならなかった。

 峨鍈の腕の中にいることだけが、蒼潤の身を護っている。

 ならば、その腕の中で、蒼潤ができる最大限のことを見つけ出すしか道はなかった。


 それから峨鍈と柢恵は、蒼潤が聞いていても、ちっとも面白くない話をいくつかして、葵陽の地図を広げて何やら語り合っていた。

 それがなかなか終わらないので、すっかり退屈になってしまい、蒼潤は甄燕が待つ回廊に出る。

 甄燕は蒼潤を見て苦笑を浮かべた。だから、蒼潤は甄燕に言ってやった。


「あいつら、わざと難しい言葉を使って俺に分からせまいとしているんだ」

「天連様はもう少し学ばれた方が良いと思います」

安琦あんき、面白い話をしろ。学問をしろとかいう話は嫌だ」


 まったく、と甄燕は呆れたように肩を竦める。

 それから思い出したように話し出した。


「帷緒という男ですが、彼の妻は大層な美貌の持ち主だそうです」

「へぇ」


 大概の男は『美女』と聞けば興味を抱くものだが、蒼潤はいっさい興味がなく、適当に相槌を打った。


「たしか、ぎん氏という女です。肌が白く、男の手を吸い寄せるように滑らかだとか」

「はぁ。男の手を吸い寄せるって、怖くねぇ? ベタベタしてんの?」

「滑らかだと言いましたけど? つまり、思わず触れたくなるような肌という意味ですよ。元は別の男の妻だったようですが、帷緒が惚れ込んで、その男を殺して奪い取ったと聞きます」

「ふーん。その女がどれほどか知らないけど、うちのれいの方が美人だと思うな」

「それはそうですよ。妹君の美しさは天下一です」


 甄燕の言葉に満足して蒼潤はうんうんと大きく頷いた。

 蒼潤の妹の玉泉郡主――蒼麗は、今年18歳になる。あざな天鈺てんぎょくといい、まさに天上の宝玉であるかのような美貌を備えていた。

 彼女を得ようと多くの者が名乗りを上げていたが、蒼麗は今、姉の蒼彰と共に蒼邦の庇護下にあった。


「ですが、天連様。吟氏は美しいだけではないのです。彼女の魅力は閨房術に長じているところにあるのです」

「閨房術? んん?」


 蒼潤は瞳を瞬かせる。

 ええっと、それはつまり、と蒼潤は何故か小声になった。つられて甄燕も小声になったので、ふたりは互いの顔を寄せ合って、ひそひそと話す。


「夜のあれがめちゃくちゃすごいってことだな」

「そうです。天連様が苦手なあれが上手ってことです」

「俺、べつに苦手っていうわけじゃない」

「そうなんですか?」

「そうだよ。ただ、毎日はしたくないってだけで……。あと、長いと疲れる」

「早く済ませて欲しいということですか?」


 今日の甄燕はなかなか突っ込んだところまで聞いてくる。まるで芳華のようだ。

 蒼潤としても甄燕とはこういった話題を交わすことがほとんどないので、この際に聞けるところまで聞いてみようと、口元に片手を添えて甄燕の耳元に顔を寄せる。


「もしかして俺が下手だから、あいつ長いの?」

「……」

「俺が上手くなれば、あいつ、すぐにスッキリできる?」

「………分かりません」

「もしそうなら、毎日しなくて済むくらいに一回で、めちゃくちゃスッキリさせてしまえば、いいんじゃねぇ?」


 名案だと蒼潤は顔を輝かせる。

 峨鍈が満足できていないからこんなことになるわけで、彼が数日に一回で満足できるようになれば万事解決だ。

 ならば、そのくらい自分が閨房術に長じていたら……と考えかけて、いやいや、違う、と蒼潤は思い直す。

 なにも自分がそうなる必要はないのだ。


「吟氏みたいに閨房術に長じている女がいてくれたら、俺、ラクになるんじゃねぇ? 俺、良いこと思い付いたかも!」


 蒼潤は、それだ! と手を打った。

 ぱあっと顔を輝かせた蒼潤が甄燕を見やると、甄燕は蒼潤の思い付きを察したようで、呆れたような諦めたような表情を浮かべる。

 そして、蒼潤からスッと身を引いて、適切な距離を取って跪いた。


「何の話をしている?」


 いつの間にか、峨鍈が蒼潤のすぐ後ろに立っていた。

 蒼潤は首を横に振る。今はまだ自分の妙案を峨鍈に話して聞かせるつもりはなかった。

 彼の後ろに視線を向ければ、柢恵が書簡を両腕に抱えていた。ならば、ふたりの用事は済んだということだ。

 そうと知って、すかさず蒼潤は柢恵を遊びに誘った。


「陽慧、池で釣りをしよう」


 園林にわの大きな池には鯉が泳いでいる。糸を垂らしていれば容易に釣れるので、じっとしていられない蒼潤でも途中で飽きることなく釣りを楽しむことができるのだ。

 ところが、柢恵は眉を下げて峨鍈に視線を向けた。柢恵に代わって峨鍈が答える。


「陽慧はこれからすぐにやらねばならぬことがあるのだ」

「えー」

「それから、お前には話がある。東跨院に行くぞ」


 そう言って峨鍈が蒼潤の肩を抱いたので、柢恵は拱手して回廊を去っていく。

 久しぶりに会ったのにすぐに帰ってしまう柢恵を恨めしく思いながら、蒼潤は何故か再び東跨院の梨蓉の室に向かうことになった。


 東跨院の門をくぐると、回廊に控えていた侍女が気付いて、峨鍈と蒼潤の訪れを梨蓉に報せに室の中に戻る。

 すぐに梨蓉が室から出てきて、峨鍈と蒼潤を迎えた。


「ようこそお越しを」

嫈霞おうかほうを呼んでくれ。それと、りんを」


 梨蓉の視線を受けて侍女が嫈霞のもとに急ぐ。

 梨蓉の室に入り、峨鍈は蒼潤の肩を抱いたまま室の奥に移動し、腰を下ろした。

 梨蓉が峨鍈の正面に座ったので、蒼潤は峨鍈に促されるまま彼の隣に座った。


 梨蓉の侍女が湯を運んでくる。春になったとは言え、まだまだ肌寒い日々が続いているので、蒼潤は侍女に出された湯をひと口すすると、その湯で温められた器を両手で包み込んで暖を取った。

 しばらくして嫈霞が琳と朋と共に室にやって来た。梨蓉と並ぶように座ったのを見て、峨鍈が口を開いた。


「琳、お前を貴人として後宮に送る」


 思いがけない言葉に、その言葉を放った彼以外の皆が息を呑んだ。回廊に控えた侍女たちにも聞こえたようで、彼女たちは顔を見合わせている。

 それはつまり皇帝蒼絃に嫁がせるという意味だ。

 それから、と峨鍈は朋の方に視線を向けた。


「お前は美人だ。琳と共に後宮に上がれ」


 一瞬、なんのことだと耳を疑うが、『美人』とは後宮における位のことだ。

 皇帝の正妻は皇后である。そして、側室の称号は、貴人、美人、宮人、采女という順番である。

 かつて蒼絃には杜貴人という側妃がいた。杜圻の孫娘である。杜圻が失脚したので、杜貴人は采女に降格させられている。

 処刑を免れ、後宮を追い出されずに済んだのは、ひとえに蒼絃の恩情によるところではあるが、采女という地位では今後、蒼絃と顔を合わせることはほとんどないだろう。

 そして、その空いた貴人の地位に琳が迎え入れられるという話だった。


「これはお前が望んだ話なのか?」


 蒼潤は訝しげに峨鍈を見上げて尋ねた。

 峨鍈は首を横に振る。


おれが望んだわけではない。昨年から打診を受けていたが、角が立たぬように断り続けていた」

「それなのに、なぜ?」

「勅旨を頂いてしまったのだ」


 蒼潤は言葉を失った。

 梨蓉も嫈霞も顔を青ざめさせ、何も言えずにいる。琳と朋も同じだ。自分の身に何が起ころうとしているのか理解できていないという顔をして体を強張らせていた。


「だけど、蒼絃は皇后を迎えたばかりだ」


 蒼絃は冠礼の儀を行うと、その翌日に皇后を迎えた。

 帝都が連日のお祭り騒ぎになったわけには、それも理由にあるのだ。


 蒼絃の皇后には、越山郡王の娘の静泉せいせん郡主が選ばれた。

 だが、当初は寧山郡王の娘の冰睡ひょうすい郡主が皇后に選ばれる予定であった。

 しかし、冰睡郡主には幼い頃から蒼潤との縁談が密やか交わされており、蒼潤が郡主として峨鍈に嫁いだ時にいったん立ち消えたが、蒼潤が葵陽に入って再び縁談が浮上した。

 そのような曰くがあることと、寧山郡王が杜圻らの謀叛の直後に病死してしまったことで、冰睡郡主の入宮は取りやめになったのだ。


 代わって入宮が決まったのが静泉郡主だ。

 ところが、越山郡王も寧山郡王の死からわずか数か月後に病死してしまう。

 

 では、互斡郡王の玉泉郡主をという話が出たが、蒼潤の父である互斡郡王が頑なに拒み、結局、静泉郡主の入宮が果たされた。

 年が明けて蒼絃の冠礼の儀が行われ、その後に静泉郡主は皇后になったものの、その後ろ盾は皆無だった。


「そこで目を付けられたのが、儂だ」

「なんということ……」


 思わず梨蓉の口から悲嘆する声が漏らされる。

 しかし、誰がどう見ても、峨鍈の力はもはや朝廷では絶大であり、蒼絃には峨鍈の手綱を握るための妃が必要だった。

 何度か打診を試みるが、峨鍈が断り続けたので、勅旨を出すに至ったのだろう。









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