9.たとえ死んでも俺のものだ
「その者自身の実力を重視し、努力すれば努力しただけの栄誉を得られるような国にする。――蒼家の龍であるお前には分からないだろうが、俺は宦官の孫だということで、腐った血だと後ろ指を指されて育ってきた。その悔しさは今でも度々思い出し、腸が煮えくり返る」
血や生まれに関わらず、広く人材を求めれば、それだけ国には大きな可能性が生まれる。
葵陽の外郭壁から出たことのない者は清河の堤防がいかに大事であるか分からないが、田畑を耕して暮らしている者はどのような土であれば多くの収穫を見込めるか知っている。そのように広く多くの知識を人材と共に国中から搔き集めたい。
そして、血や生まれに関わらず、才覚や努力で出世できるとあらば、有能な人材は今よりもずっと多く生まれるに違いないのだ。
それ故に峨鍈は出自に拘らない人材登用の仕組みを確立させたかった。
「お前になら、できるかもしれない」
ぽつりと呟くように蒼潤が言った。
蒼潤とて青王朝がもはや立ち行かなくなっていることは分かっているようだった。
朝廷には乱を平定する力がなく、代わって、群雄たちがどんどん力をつけている。
帝都では汚職にまみれた官吏たちが政を好き放題にし、皇帝の声は細く小さくて民には届かず、そして、民たちもそのような皇帝から背を向け始めている。
それでも、蒼潤には青王朝に代わる王朝をつくるという発想がない。なぜなら、蒼潤は青王朝の龍だからだ。
けして自分にはできないことだが、峨鍈にはそれができるかもしれない。そう言って蒼潤が押し黙ったので、峨鍈は、違うぞ、と言って蒼潤の頭に自分の頭を傾けて言った。
「俺とお前でつくるんだ。俺の座る玉座にお前も座らせたい。俺の隣にお前も座るんだ」
「それでは皇帝が2人になってしまう」
そんなこと不可能だと言って、蒼潤が笑い声を立てる。
強張っていた体がだいぶ解れて、峨鍈の体に寄り添ってきていた。
「伯旋」
「なんだ?」
「お前が俺を殺すまで、お前の傍にいてやる」
峨鍈は胸を突かれた心地になって蒼潤を見下ろす。
すると、蒼潤もゆっくりと顔を上げて峨鍈を見た。
目が合うと、喜びが胸を満たして峨鍈はニヤリと笑みを浮かべて答える。
「違うな、潤。お前はたとえ死んでも俺のものだ」
「お前、俺の亡骸まで欲しいのか?」
「当然欲しいが、そういう意味ではない」
意味が分からないという顔をしている蒼潤の体を峨鍈は担ぎ上げる。その体を自分の馬の背に乗せると、自分も騎乗して、背中から蒼潤を抱き込んだ。
そして、馬の脇腹を蹴って峨鍈は言った。
「来世でもお前は俺のものだということだ」
△▼
邸に戻ると、家宰が柢恵の訪問を峨鍈に告げた。
それを聞いて蒼潤が大人しくしていられるわけがない。柢恵が冠礼を行って以来、蒼潤と柢恵は顔を合わせることがめっきりなくなり、蒼潤はずっと寂しい想いをしていたのだ。
おい、と呼び止められたが構わず、蒼潤は回廊を駆けて柢恵が通された室に向かった。
「陽慧!」
ずっと『柢恵』、或いは、『阿恵』と呼んできたので、呼び慣れない字を口にすると、少し変な感じがする。
室の中に柢恵の姿を見つけると、蒼潤はつかつかと室の中に入って柢恵の真ん前に座った。
「久しぶり。元気だったか?」
「夏昂……!?」
柢恵は突然現れた蒼潤に目を白黒させて、両手を腰の後ろについて身を仰け反った。
「深江郡王……。あ、いや、……蒼夫人」
「陽慧、俺は俺だ」
「いや、だけど、郡王で、殿の妻なのだろ?」
「妻じゃない!」
蒼潤は泣きそうになる。
柢恵は夏昂の正体を知り、蒼潤との間に高い壁を作ろうとしているのだ。
だけど、そんなこと、蒼潤は許さない!
夏昂という者は夏銚の息子でもなんでもなくて、その正体は郡王で、そして、柢恵の主君の正妻であろうと、蒼潤と柢恵が築き上げてきた友情が容易く崩れるはずがなかった。
そうと信じて蒼潤は、ずいっと柢恵の方に身を乗り出す。
すると、その時、追いかけて来た峨鍈が室に入って来て、蒼潤の襟を掴んで柢恵から引き離した。
「お前は元気になったとたんにそれか」
「それって何だよ!? 離せって!」
「俺から離れるな。他の男に近付くな。見るな。話し掛けるな!」
「はぁ!? お前、何言ってんだ? 頭おかしい!」
「おかしいのは己でも分かっている。だが、我慢ならんのだ!」
とんでもないことを大声で言われ、蒼潤は虚を突かれたようにぽかんとする。その隙に抱き抱えられて、室の奥へと移動させられた。
峨鍈は文机の前に座ると、蒼潤を膝の上に乗せて抱え直した。
「――で、何の用だ?」
峨鍈に視線を向けられて柢恵が、ぴやっと背筋を伸ばす。
持参して来た書簡を両手に持ち直すと、峨鍈の方に膝を使ってにじり寄り、文机の上に書簡を置いた。
「急ぎ、殿の承認が必要なものです」
「仲草ではなく、お前が来たのか」
「仲草殿は陛下のお側から離れられない様子で」
「ずいぶんと気に入られたようだな」
良い兆候だと峨鍈が満足げに頷く。
「陽慧、お前を軍師祭酒にするぞ」
「なんだ、それ?」
柢恵が答える前に、蒼潤が峨鍈の膝の上に抱えられたまま口を挟んだ。
柢恵は現在、司空府所属の軍師という身分だ。柢恵が飲酒を好むから『酒』という文字を役職に入れようとでも考えているのだろうか。
そう言って問えば、峨鍈は蒼潤の頭をくしゃくしゃに撫で回し、ははははっと笑った。明らかに蒼潤を馬鹿にしている。
「祭酒というのは、儀式や宴席で最も身分の高い年長者が酒を供えて地の神を祭ったことに由来して、長官、或いは、筆頭という意味だ。つまり、軍師祭酒は軍師の筆頭だ」
「えっ、軍師の筆頭!? 陽慧が!?」
蒼潤が瞳をまん丸にすると、峨鍈は頷き、それから柢恵を見やった。
「仲草を軍師から解任し、侍中尚書令に任じた。以後はお前が仲草の仕事を引き継ぎ、俺の邸にもちょくちょく足を運んでもらう」
「それって、今後はちょくちょく陽慧と会えるってことじゃないか」
「お前が節度を守ればな」
峨鍈の眼がじろりと蒼潤に向けられる。
だが、すぐに峨鍈は己の狭量を恥じるような表情になり、ため息をついた。
「お前が元気になるのなら、俺は少しばかり耐えられる」
「なんの話だ?」
「我慢すると言ってるのだ。――陽慧。こいつと今まで通り接してやれ。こいつが俺の伴侶だということを忘れなければ、大概のことは許可してやる」
許可してやると言いながら、なぜか峨鍈はとても許可してくれそうにない顔つきをしている。
そんな顔で睨み付けられて柢恵はすっかり怯え、頭を低くして答えるしかなかった。
「……御意」
柢恵を見送って、蒼潤は峨鍈と共に西跨院に戻る。
夕餉を取り、徐姥たちを下がらせると、臥室へと移動した。当然といった顔で峨鍈も蒼潤の臥室に入ってくるから、蒼潤は次第に体が震えてくる。
臥牀に腰かけると、峨鍈も隣に腰を下ろし、蒼潤の肩を抱く。
「怖いのか?」
「どうしてもやらなきゃダメか?」
「日を置かない方がお前の体は楽になっていくだろうし、それに俺は毎日やりたい」
「毎日……」
考えただけで、ゾッとする。
だけど、今までも、きっとこれからも自分と峨鍈は、自分が一歩譲れば、峨鍈も一歩譲るようにしてお互いにお互いの望むものを手に入れていくのだろう。
先ほど峨鍈は、蒼潤が柢恵と会えるようにしてくれたのだから、今度は蒼潤が峨鍈に彼の望むものを与える番だった。
体が強張って胸がドキドキと騒ぐ。
峨鍈の手が蒼潤の頬に触れて、もう一方の彼の腕が蒼潤の腰を抱いた。
ゆっくりと敷布の上に倒されて、彼が蒼潤に口付けを与えながら覆い被さってくる。
「先日のような無理はしない」
「だけど、入れるんだろ?」
ああ、と峨鍈が頷く。
蒼潤の耳元に唇を寄せて、お前の中で果てたいのだと言った。
彼の手で褝を脱がされて、触れられて、蒼潤は吐息を漏らす。それを奪い取るような口付けをして峨鍈は請う。
「お前の心が欲しい」
――心。
蒼潤はその言葉を繰り返し、眉根を寄せた。
「そんなもの、どうやってお前にあげればいいのか分からない」
「お前に求められたい。――お前が好きだ」
囁くように告げられて、蒼潤は頭を左右に振った。
そんなことを告げられても、なんて返事をしたらいいのか分からない。
だから、そんな言葉は欲しくないと彼を睨めば、彼は目を細めて言った。
「愛してる」
再び口づけられて、魘されたように彼が蒼潤を呼ぶ。何度も何度も。
次第にそれに応えてやりたくなって、蒼潤は峨鍈の首に両腕を回す。
「伯旋……」
「どうした? 痛いのか?」
「違う」
かなり気を使ってくれているのだろう。先日よりもずっと優しく触れられている。
その触れ方からも彼の想いが伝わってくるようだった。
だから、応えたい。伝えたいと思うのだけど、それをうまく言葉にできなくて、蒼潤は胸が苦しくなる。
「伯旋……。伯旋……」
縋るように彼を呼べば、彼が嬉しそうな表情を浮かべてさらに蒼潤の深いところまで触れてくる。
「伯旋……。ああ、……もうっ。……聞けよ…っ」
なかなか続きを言えないのは自分が強情であるせいなのに、まるで彼が言わせまいとしているかのような口ぶりになってしまう。
これでは駄目だと蒼潤は大きく息を吸った。
そして、意識がはっきりしているうちに言ってしまおうと言葉を吐き出した。
「俺、……お前のことが……っ。嫌いじゃない…っ!」
良かった。言えた、と蒼潤がホッと息をつくと、峨鍈が、はっ、と大きく笑って蒼潤の唇を荒々しく塞いだ。
※もう少し強めに、ぼかし修正しました。
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