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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
7.葵暦196年の晩春 葵陽
62/66

5.新たな婚姻


 峨鍈も必死だが、蒼潤は更に必死で、ふたりともはだぎを乱し、息を上げている。

 先に体力に底が見えたのは蒼潤で、その様子を見て峨鍈は蒼潤の体を肩に担いだ。


「なっ! ふざけんな! 下ろせ‼」


 峨鍈は大股で牀榻に歩み寄ると、その布団の上に蒼潤の体を、すとんっと下ろした。

 言葉を尽くして承諾を得たいという気持ちを捨てたわけではなかったが、聞く耳を持たない蒼潤には体で教えてやるしかないだろう。


(死なせるつもりはない。お前が生きられる場所は俺の腕の中だけだ)


 ――第一、そう簡単に死ねると思うな!


 互斡国で峨鍈が蒼潤を選び、蒼潤が峨鍈の手を取った時から、蒼潤は峨鍈のものだ。

 そして、峨鍈の心は蒼潤に奪われており、蒼潤を失えば、その時点で峨鍈の世界は色を失ってしまう。

 そうなれば、喜びも悲しみも、楽しみも苦しみもなく、何を口にしても無味な余生が待つばかりだ。

 峨鍈は身を屈めながら牀榻の中の蒼潤を見下ろして言った。

 

「お前の望み通り深江郡主との婚姻は無効とする。そして、深江郡王と婚姻を結ぶ。今夜は初夜だ」

「は!?」


 さっと顔色を変えた蒼潤が、峨鍈から逃れるように牀榻の奥へと体を退かせる。


「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか? 郡王は郡主ではない。男だ。男は男には嫁がない!」

「お前は例外だ。――じゅん、塀を越えるのは構わない。邸を抜け出してもいい。だが、俺の腕の中にいろ」


 ギシリと臥牀しんだいを軋ませて、峨鍈は蒼潤の方に身を乗り出して距離を詰めた。


「嫌だ。お前なんか嫌いだ」

「俺はお前が好きだ。――愛してる」


 その告白は、蒼潤の耳にしっかりと届いたようで、蒼潤がハッと息を呑んだ。

 峨鍈は蒼潤を抱き締めて、その勢いのまま布団の上に押し直すと、蒼潤の口を己の口で塞いだ。

 この夜のために時間をかけて慣れさせてきた体は、始めこそあらがうが、いつもの手順で触れていけば、安心したように峨鍈に委ねてくる。

 蒼潤の様子を見ても、心地良さそうに蕩けた表情になっている。

 今夜こそ最後までできそうだと思って、峨鍈は最後の一線を越えた。


「嫌だ!」


 いつもと違うことをされていると蒼潤が気が付き、戸惑いを露わに瞳を大きく見開いた。

 必死に身を捩る蒼潤を、峨鍈は体重を掛けて押さえ付ける。


「くっ。はぁっ。……くそっ! 嫌だ! 放せ!」

「潤、暴れるな。酷くしたいわけではない」

「だったら、やめろよ!」

子供ガキだと思って、随分と待ったのだ。お前が一人前の男だと言うのなら、これ以上待つ道理はない」

「意味がわかんねぇーんだよ! ――痛っ‼」


 蒼潤は大きく表情を歪めた。痛みと苦しさに激しく頭を左右に振る。


「お願いだ。許して! いっ、嫌だ‼」

「大丈夫だ。息をゆっくり吐け」


 峨鍈は蒼潤の体に圧し掛かりながら、その耳元に口を寄せて熱く甘く囁いた。

 そして、想いを果たした。



 △▼



(――朝か)


 窓から柔らかな光が射して臥室が仄かに明るくなっていた。

 自分の腕の中で眠る蒼潤が愛らしくて、眠ってしまうのがもったいないとその寝顔を見続けていたら、一睡もしないまま夜が明けてしまった。

 よもや自分がこんな風になってしまうとは思ってもいず、何やら滑稽で、笑いが込み上げてくる。


 その時、蒼潤が小さく呻いた。

 目覚めたのだと分かり、峨鍈は布団の上にうつ伏せに横たわっている蒼潤の背中に手を当てて撫でる。

 すると、蒼潤は悔しそうに敷布をぎゅっと握り締めた。


「潤」


 呼びかけると、蒼潤はびくりと体を震わせ、ひどく掠れた声で答えた。


「話し掛けるな……っ」

「また泣いているのか?」


 敷布に顔を押し付けたまま蒼潤は無言で首を横に振る。

 精いっぱい強がっている蒼潤の頭を、峨鍈は猫の背を撫でるように優しく撫でた。


(愛おしい)


 好きだ。愛していると、昨夜、何度も何度も蒼潤に耳に囁き続けた。

 そうして、その言葉を口にする度に峨鍈の想いは膨らんで、胸から溢れてしまう。


(愛おしい。――好きだ)


 蒼潤の頭を撫でていた手を髪の中に潜らせて、指先を蒼潤の髪に絡める。

 こうして触れていると、もっともっとと欲望が湧く。


(口付けたい。――いや、口付けだけでは到底、足りない。強く抱き締めて、もう一回、繋がりたい)


 しかし、蒼潤がもはやできないことは分かっていた。

 峨鍈自身も朝が来たのであればやらなければならないことが山積みである。何よりも蒼潤を守るために、昨夜の後処理を行わなければならなかった。

 だが、悔しげに拳を握り締めている蒼潤を目にすれば、どうしても何か言ってやらねば気が済まない。

 峨鍈は蒼潤の耳元に顔を近付け、低めた声で甘く囁いた。


「できれば、もう一回したい」

「――っ!?」


 ドンッと蒼潤が拳を敷布に叩き付けて声を荒げる。


「できないっ!!」


 思った通りの反応に峨鍈は、くくくっと笑い声を立てる。

 蒼潤が悔しげに、くそっ、と毒づいたので、その頭をひと撫でしてから首筋をたどり、肩を撫でる。

 そして、その肩をぐっと押しやると、蒼潤の体をくるりとひっくり返した。

 蒼潤は仰向けになって、ぱちっと瞼を大きく開いた。ようやくその顔を見ることができて、峨鍈は淡く微笑んだ。

 ああ、と溜め息を漏らす。口付けたい、と。

 ゆっくりと顔を近付けて、蒼潤に逃げる様子がないと分かると、優しく唇を合わせる。

 それを大人しく受け入れた蒼潤に峨鍈は大いに満足した。


「寝ていろ。あとでまた来る」


 峨鍈は臥牀を降りると、昨夜、脱ぎ捨てたはだぎを床から拾って羽織る。

 後ろ髪を引かれる思いだったが、いつまでも蒼潤とふたりで臥室に籠もっているわけにはいかなかった。

 未練を振り払うように臥室を出て、蒼潤の室から回廊に出ると、階を降りてくつに足を通す。

 中庭を突っ切り、西跨院の門の前に立った。門扉を叩くと、外からかんぬきが抜かれる音が響く。

 門扉が開かれたので、峨鍈は外に出た。


「天連の乳母と侍女たちを解放してやれ」

「閂はどうされますか?」


 側仕えに問われて、峨鍈はしばし考え込む。

 門扉に閂を差したとしても蒼潤がその気になれば塀を越えてしまうのは分かっていた。

 だが、閉じ込めておきたいのだという意思表示のために、峨鍈は閂を差しておくようにと命じる。


「乳母と侍女、安琦あんきは通して良い。門の前に2人ほど見張りを立たせておけ」

かしこまりました」


 南跨院に着くと、私室の前で梨蓉が峨鍈を待っていた。


「すぐに参内しなければならない」

「朝餉は取られましたか?」

「喉を通る気がしない」

「少しでも召し上がってください」


 視線を向ければ、梨蓉の後ろに控えた侍女が膳を抱えている。

 室の中に入り、床に腰を下ろす。目の前に膳を置かれて峨鍈は渋々と箸を手にした。

 不思議なもので、胸がいっぱいで腹など空いていないと思っていても、いったん食べ物が口の中に入ってしまえば、次々と箸が進む。気付けば、膳の上を平らげてしまった。


「天連殿のご様子を伺ってもよろしいでしょうか?」

「あいつのことは、しばらく構うな」

「……」


 疑わしそうな眼差しを向けられたので、峨鍈は付け加えるように言う。


「俺がどうにかする。けして、悪いようにはしない」

「殿を信じます」


 ああ、と応えて峨鍈は立ち上がった。

 梨蓉の手を借りて朝服に着替えると、邸の外に出て馬車に乗り込み、皇城に向かう。

 馬車は瑞光門の前で止まり、峨鍈が降りると、先に止まっていた馬車から孔芍が降りて来た。

 

「殿、地に足はついておられますか?」

「俺が浮かれていると言いたいのか?」

「そうでないのなら良いのですが」


 連れ立って瑞光門をくぐる。

 石畳が敷かれた道を歩きながら、仲草、と孔芍のあざなを呼んで峨鍈はニヤリとした。


「お前を侍中にするぞ」

「尚書令にしてくれるというお話でしたが?」

「兼任だな」

「それはなかなか忙しくなりそうですね」


 受けて立つとでも言うように孔芍が不敵な笑みを返してきたので、峨鍈は満足げに頷く。


 尚書令は皇帝への上奏文を管理する役職の長官である。

 これに孔芍を据えるということは、以後、孔芍が許可したものでなければ、皇帝蒼絃の目に触れることがないということだ。

 そして、侍中は皇帝の傍らにはべり、皇帝の問いに答える教育係のような役目である。

 侍中の発言、或いは、言葉選びは、皇帝の意思決定に大きな影響を与えるため、その座を任せられる者が孔芍以外、峨鍈には考えられなかった。

 孔芍ほど峨鍈の理想を深く理解し、峨鍈の行き先を正確に示せる者がいないからである。

 

 現在、蒼絃には数人の中常侍が交代で侍っている。

 中常侍は侍中府に属するので、侍中と職務内容が重なるが、中常侍は皇帝の私的な世話も行うため、いつ頃からか、その職を宦官が独占するようになっていた。

 蒼絃の周囲には杜圻とぎんの息のかかった宦官が多いため、峨鍈はこの機会に中常侍を一新するつもりである。

 侍中は中常侍より上位であるため、その役目も孔芍に任せたいと考えていた。


 二人は瑞雨門をくぐり、朝庭なかにわを進む。

 周囲に視線を向ければ、二人以外にも朝堂に向かう官吏の姿はあるが、その数は昨日に比べて明らかに少ない。


「かなりの空席ができましたので、それを埋めるべく後任者の名を記してきました。――と言っても、その多くは、以前から殿とご相談させて頂いていた者たちですが。後で確認してください」

「いや、不要だ。お前が選んだ者なら間違いはないだろう。尚書令に任じられたら、そのまま陛下にお見せして、侍中として承諾を促せばいい」

「やりようによっては、私の天下にできそうですね」

「まったくだ」


 かなり不遜なことを口にしているので、二人とも周囲の耳に届かないような小声で話している。








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