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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
7.葵暦196年の晩春 葵陽
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2.俺のものを迎えに行く


 驚く蒼絃同様、朝堂にざわめきが起こる。

 色が白く、柔らかな顔立ちをしている蒼潤は、その体の線の細さも相まって、袍を纏って男の為りをしていても、郡主だと言われれば、郡主が男装しているように見えた。

 当然、朝堂に集まった者たちは皆、そのように思っていたことだろう。

 だが、蒼潤は緩やかに頭を振る。


「訳あって郡主として育てられましたが、男の身でございます。陛下、本日参内いたしましたのは、お願い申し上げたいことがあった故にございます」


 再び蒼潤はその場で膝を折って頭を深く下げた。

 その時、蒼絃の傍に控えていた宦官のひとりが身じろいで蒼絃に身を寄せると、その耳元で何事か囁いた。

 その長い囁きを聞いているうちに、蒼絃の瞳が大きく見開いていく。

 宦官は杜圻とぎんの手の者で、なぜ蒼潤が郡主として生きなければならなかったのか、そして、蒼潤が何を望んでいるのかを蒼絃に告げたのだ。 

 それは、すなわち恙太后に関わる話である。


 恙太后は蒼絃にとって祖母にあたる人物で、正確に言えば、『恙太皇太后』である。

 蒼絃の生母も恙家出身の后であるため、蒼絃の即位後には『恙太后』と呼ばれているが、彼女の叔母である恙太皇太后に比べたら影が薄かった。

 そのため、通常、多くの者たちにとって『恙太后』と言えば、蒼絃の祖母である女のことだった。


 蒼絃は亡き祖母の所行を聞くと、蒼潤を同情心に溢れた眼差しで見つめた。

 そして、蒼絃は蒼潤に向けて告げる。


「深江郡主を改めて、深江郡王に封じる」


 それは蒼潤が長く長く望んでいた言葉だった。これでようやく蒼潤は男だと認めて貰えたことになる。

 嬉しさに胸を突かれて言葉を失っていた蒼潤だったが、すぐに我に返り深く拱手して答えた。


「有難く存じます」


 深江郡王、と蒼絃が朗らかに蒼潤を呼んで、続けて言う。


わたしには兄弟も子もない。故に貴方を兄として慕いたい」

「畏れ多いことでございます」

「貴方という兄を得られて嬉しく思う。どうか今後は度々、顔を見せに来て欲しい」

「承りました」


 にこっと笑みを浮かべて蒼潤は蒼絃を見上げた。そして、ちらりと杜圻に視線を向けて、目配せを交わす。

 その間にも峨鍈は蒼潤に視線を送り続けたが、蒼潤は峨鍈の姿を見まいとしていて、ちらりとも目が合うことがなかった。

 

 閉朝となり、官吏たちが朝殿から退室していく。

 蒼潤の姿はすでになく、おそらく峨鍈に捕まらないようにと人混みに紛れて逃げるように去って行ったのだ。

 ならば、今夜は峨鍈邸に戻るつもりがないのだろう。もう二度と峨鍈の腕の中には戻らないと覚悟して、峨鍈に対して背を向けたに違いない。


「殿」


 気が付くと、朝堂はがらんと静まり返っていて、峨鍈のみそこで立ち尽くしていた。

 呼び声に振り向けば、朝堂の入口で孔芍が佇んでいる。


「殿、時がありません」


 言いながら孔芍が歩み寄って来た。

 縦に長い朝堂を奥に向かって歩き進み、峨鍈の傍らに立つと、峨鍈が無意識に握り締めていた拳にちらりと視線を投げる。

 

「血判状のおかげで、誰が敵で、誰が味方になり得るのか把握できています。幸いなことに、てん大尉たいいは杜圻とは一線を画しています」

「しかし、展璋てんしょうも味方とは言い難い」


 峨鍈は意識して拳を開く。肩にも不要な力が入っていると知ると、はぁ、と深く息を吐き出して、ぐるりと首を回した。


「敵でなければ良いのです。杜圻らが謀叛を企んでいるという証拠はすでに押さえておりますので、すぐに陛下に謁見し、捕縛許可を得て下さい。陛下の許可のもと兵を動かすのです」

「では、陛下に命じて貰い、展璋にも兵を出して貰おうか」

「良い考えです。展大尉がこちら側についたと杜圻らが焦りを感じれば好都合でしょう」


 うむ、と峨鍈は頷いて朝殿の外へと歩き出した。


(連れ戻す)


 ――いや、違うな。

 峨鍈は唇の端に、にやりと笑みを浮かべる。

 

(迎えに行こう)


 蒼潤は好奇心が旺盛で、いつもよりも遠くに遊びに出かけてしまっただけだ。

 よほど楽しい遊び場所を見つけたようで、なかなか帰って来ないから、峨鍈が自ら迎えに行くのだ。

 これは、そういう話なのだと峨鍈は自身に言い聞かせる。

 蒼潤は悪くない。

 そう自分自身が心から信じることで、謀叛に巻き込まれそうになっている蒼潤を救うことができるのだ。


 峨鍈は直ちに謁見を願い、蒼絃から謀叛人討伐の命令を受ける。

 同様の命令書は展璋にも下されて、峨鍈は展璋と顔を突き合わせ、協力して血判状に名を連ねている者たちを捕らえる算段をつけた。

 すべての邸を同時に攻めなければ、逃げられてしまう恐れがあった。


杜圻とぎん季招きしょう楼松ろうしょう岳協がくきょう彭何ほうか唐瓚とうさん廉厳れんげんは、こちらで捕らえる」

「では、残りの波誕はたん爰琦えんき呉由ごゆう穆秋ぼくしゅう宋衛そうえいは、こちらで捕らえよう」


 展家は、武官を多く輩出してきた名家だ。展璋自身も若い頃から多くの戦場を駆け巡って手柄を立ててきた人物である。

 実直な彼は峨鍈の味方ではなかったが、杜圻の味方でもない。展璋が人付き合いを得意としていないせいである。

 峨鍈も杜圻も容易に本音と建て前を使い分けるが、展璋にはそれができず、また他人の本音と建て前を見分けることができなかった。

 それ故に展璋は必要最低限の人付き合いしかしないし、峨鍈や杜圻といった者たちとは距離を取っているように感じられた。


(貴重な人材と言えば、貴重だな)


 偽りを口にしないので、信頼に値する人物であることは確かだ。

 今回も内心どう思っていようと、皇帝からの命令を忠実に実行しようという姿勢を見せている。

 峨鍈は展璋の居室を出ると、弟の峨旬がしゅんと孔芍、潘立はんりつ、柢恵を呼んだ。


しゅんは岳協と唐瓚を、仲草ちゅうそうは楼松を任す。定徳ていとくは季招を、彭何は陽慧ようけいに任せる。俺は杜圻と廉厳だ」

「殿、廉厳の邸は季招の邸と近いので、廉厳もわたしが捕らえましょう」


 峨鍈は思わず潘立の顔を凝視してしまう。

 起立した熊のような体躯である。立派な頬髯と顎髭を生やした藩立は峨鍈の軍師であるが、その気性はなかなか荒く、好戦的であった。


「できるのか、定徳?」


 藩立のあざなを口にすれば、彼は深々と頷いた。


「もちろんです。葵陽に来て以来、体を動かす機会に恵まれず、大暴れしてやりたい気分なのです。必ず季招も廉厳も捕らえてみせます。腕が鳴りますわい!」


 がははっと笑うその姿はどう見ても武将にしか見えず、藩立の隣で柢恵が顔を引き攣らせている。

 柢恵は幼い頃に悪戯しては藩立に厳しく叱られていたので、藩立が機嫌良く笑っていても、その笑い声さえ怖くて仕方がないのだろう。


「殿は一刻も早く郡王様のもとに向かって下さい」

「わたしもそうすべきだと思います」


 藩立の言葉に孔芍も同意し、峨旬も柢恵も頷く。

 もはや何人たりとも蒼潤のことを郡主と呼ぶことは許されない。そして、柢恵も藩立も夏昂の正体に気付き、峨鍈が娶った郡主が本当は郡王であったことを知ったのだ。

 内心、峨鍈に対して問い詰めたい気持ちで溢れていることだろうが、それを抑え込んで、今すべきことに専念しようとしてくれている。


「分かった。廉厳は定徳に任せる」


 はっ、と短く言葉を放って藩立が拱手し、続いて、峨旬も孔芍も柢恵も拱手した。

 四人を下がらせると、すぐに不世が姿を現す。不世には蒼潤の行方を追わせていた。


「居場所が分かったか?」

「杜圻が用意した邸におられます。杜圻の邸の裏にあり、おそらく抜け穴で繋がっていると思われます。邸の周りを岳協が千の兵を率いて護っています」

「岳協は私邸にいないのか。旬に知らせておけ。岳協は俺が捕らえるから、邸を封鎖すれば良いと」

「御意」

「それで、その抜け穴を見つけることができるか?」

「見付けます。――夫人のことですが……」

「その女は夫人でもなんでもない」


 杜圻の娘の苓姚のことを口にされて、峨鍈はすぐに不世の言葉を否定した。

 不世は峨鍈の前で跪いたまま頷いて、言葉を続けた。


「その女は今、郡王殿下と一緒にいます」

「何?」

「杜圻は自分の娘を郡王殿下の側妃にするつもりのようです」

「ほう」


 自分でも驚くほど低い声が腹を響かせて口から洩れる。

 サッと顔から血の気を引かせて不世が峨鍈を仰ぎ見た。それから、恐れを振り払うように言葉を続けた。


「明日、寧山郡王が葵陽に到着します」


 以前から杜圻は郡王たちを帝都に呼び寄せようとしていた。

 互斡郡王はこれを退けたが、寧山郡王と越山郡王は帰都を望み、それぞれ娘を蒼絃の後宮に入れるという話になっていた。


「寧山郡王が連れて来る冰睡郡主は後宮ではなく、深江郡王に正妃として嫁がれるようです」


 寧山郡王の娘との縁談は、実のところ、蒼潤が峨鍈と婚姻を結ぶ以前からあった話だ。

 なので、峨鍈はそこに驚きはなかったが、杜圻は慌てたに違いない。

 冰睡郡主が帝都にやって来る前にどうにか娘を蒼潤の臥室に送ることを考えるだろう。


「あいつが女を知る最後の機会かもな」


 ポツポツと雨粒が屋根を打つ。

 峨鍈は自身が放った声が雨音と共に己の耳に届き、急激に心が冷え込んだかのような心地になった。


 雨はしだいに激しさを増し、武装した兵たちを率いて杜圻邸に向かう頃には、葵陽の音をすべて呑み込むかのように降りすさぶようになっていた。

 白くぼやけたような視界の中、濡れて重くなった衣の上に鎧を纏った兵士たちは雨水を蹴散らすように葵陽を駆けた。








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