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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
6.葵暦195年から196年 併州城から葵陽
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8.眠くなるような話


 既に陽が落ちて、へやの中は暗い。

 松明たいまつの灯りで夕餉ゆうげを取ると、湯を使って体を清め、臥室しんしつに移動した。


「もう休むから下がっていい」


 松明を掲げていた呂姥りょぼを下がらせようとした時、徐姥じょぼ峨鍈がえいの訪れを告げる。

 蒼潤そうじゅんは思いっきり顔を顰め、両手を腰に当てて臥室の入口で立ち塞がった。


「なぜ来るんだ?」

「なぜ来ないと思ったんだ?」

「俺は三本の指を立てて、天と地と人に誓ったんだ。今夜はここから先には入れない」 


 梨蓉りように言われて苓姚れいようの室を訪れるはずの彼が、いったいなぜ蒼潤の室にやって来たのか、蒼潤にはまったく理解できない。


「その誓いは守れそうにないな。今夜もお前のところで休む」


 言うや否や、峨鍈は蒼潤の体をひょいっと担ぎ上げて、つかつかと臥室の奥に移動した。

 牀榻しんだいに体を下ろされて蒼潤は唖然とする。

 そうして蒼潤が呆けている間にも、彼は牀榻を覆う床帳たれまくの中に入ってきて、ギシリと臥牀しんだいきしませながら体を寄せてきた。


「なっ!?」


 とんっと肩を押されて、わけも分からないまま蒼潤は柔らかな布団の上に仰向けに倒される。

 ふと峨鍈が呂姥に振り返って、片手で払うようにして下がらせると、松明の灯りを失って臥室の中はほとんど何も見えないくらいの闇に包まれた。

 再び、ギシリと臥牀が軋む。


「五日後に皇城に連れて行ってやる」


 床帳の中で響いた声にハッとして蒼潤は峨鍈の顔を見上げた。


「本当に?」


 彼が頷いた気配がして蒼潤は浮き立つ。

 前に手を伸ばして自分の体に覆い被さっている男の肩に触れた。


「絶対だぞ。約束だからな」

「ああ」


 吐息交じりの声を耳元で受け止めて蒼潤が頭を傾けると、晒された首筋に峨鍈が唇を這わせてくる。

 彼が願いを叶えてくれるのなら、その代償を彼にきちんと払うべきだった。

 彼が望むなら昨夜のように触れさせてやってもいい。なんせ今、蒼潤はとても機嫌が良かった。

 そんな風に思っていると、彼が、そういえば、と言った。


「お前の姉君がそう珪林けいりん県令けんれいと婚約したぞ」

「……はぁ?」

「やはり聞いていなかったか。婚礼は半年後らしい」

「はあああああああああああああああーっ!? どこのどいつだ、その男!?」


 牀榻の中の空気を一変させて蒼潤は大声を上げた。びっくりし過ぎて、両手で峨鍈の体を突き飛ばして飛び起きる。

 わなわなと体を震わせて、蒼潤は口元に拳を押し当てて言った。


「ど、どういうことだ。お、おれ、なにも聞いてない……っ!」

「お前に話したら邪魔されるとでも思ったのではないのか?」

「邪魔するかどうかは、まずその男に会って、とりあえず剣を交えてからだ」

「確実に邪魔になるな、お前」


 峨鍈が布団の上に横たわり、肘枕をついて呆れたように言いながら、蒼潤の顔を下から見つめてきたので、蒼潤はムッとしながら言った。


「――で、そいつ、誰? 何者なんだ?」

蒼邦そうほう。今は珪林けいりんの県令で、陸成りくせい郡王の末裔だと名乗って人を集め、戦場を渡り歩いている。何度か会ったことがあるが、じつに奇妙な男だ」

陸成りくせい郡王って? 聞いたことがないな」

「第6代皇帝の皇子だ。酒好きで、大層な女好きだったらしい。子は50人以上、孫ともなれば120人を越す。その末裔など掃いて捨てるほどいるだろうな」


 現皇帝である蒼絃は第14代なので、ざっと250年前の人物である。

 けっ、とわらって蒼潤は肩を竦めた。


「蒼姓を名乗っているが、どこの馬の骨だか分からないようなやつじゃないか。姉上はなぜそんな男を選んだんだ。まさか、そいつに騙されているのか……?」

「さあな」

「明日、姉上に会って確かめないと。きっと何かの間違いだ。姉上がそんなよく分からない男と婚約するわけがない。いくら姉上に見合う郡王がいないからって、県王ですらない男だなんて……」


 布団の上で膝を抱えて座り、ブツブツと呟き続けていると、峨鍈が掛布を大きく開けて、天連、と呼ぶ。


「そろそろ寝たらどうだ?」

「お前のせいで、目がギンギンに冴えてしまった」


 キッと睨み付けると、峨鍈は後悔しているかのような表情を浮かべて目を細めた。


「横になっていればそのうち眠れるだろう。ほら、腕の中に来い」

「眠くなるような話をしてくれ」

「どんな話だ?」


 蒼潤が掛布の中に入ると、峨鍈は蒼潤の体を両腕で抱き込みながら聞き返してくる。


「お前の子供ガキの頃の話がいい」


 峨鍈が話して聞かせてくれる話は、蒼潤にとってどれも興味深く、眠くなることはないのだが、蒼潤はわざとそんな言い方をして悪戯っ子のようにカラカラと笑った。

 すると、峨鍈が蒼潤の髪に指先を絡めて弄びながら、そうだなぁ、と言う。


「俺は子供の頃、犬を連れて朝から晩まで狩りをして過ごしていた。陽慧ようけいほどではないが、俺もそこそこやっかいな悪童だったわけだ」


 陽慧とは、柢恵ていけいあざなだ。

 今年で二十歳になったので、葵陽に着いてから冠礼を行い、官職を得て、出仕している。

 すっかり大人の仲間入りをしてしまった柢恵は、もはや蒼潤とは遊んでくれない。

 柢恵とバカみたいに笑い、くだらない悪戯をするのが大好きだったから、蒼潤は柢恵の名を聞いただけで寂しい気分になった。

 その寂しさを彼に悟られまいと、蒼潤は峨鍈の胸板に顔を埋める。


「――すると、俺の将来を案じた叔父が、俺の父に向かって言った。『お前の息子は遊んでばかりいるが、大丈夫なのか?』と。父は俺が遊び回っていることを知らず、学問に励んでいるものだと思っていたから、叔父の言葉を聞いて驚き、その日から俺のことを見張らせるようになった」

「それ、いくつの頃の話?」

「8つか、9つの頃だ」

「それで?」

「それで、しばらくやしきの中で過ごし、学問に励んでいたわけだが、このままでは遊びに出られないと悟り、俺は叔父の前でバッタリと倒れてみせた。叔父は俺が病にかかったと驚き、大騒ぎを起こしたが、父や祖父、他の家族が駆け付けて来ると、俺はケロリとしていた。そんなことが数回続き、叔父はすっかり信用を失った」

「えっ、なんで? お前が仮病を使って、その叔父を騙したという話だろ? その叔父は悪くないのに、なんで信用を失うんだ? お前が父親に怒られておしまいっていう話じゃないのか?」


 彼の胸に両手を着いて、顔を上げて彼を見やれば、峨鍈は蒼潤を見てニヤリとした。


「俺の祖父は宦官で子が作れないから、俺の父を養子にした」

「うん」

「峨家は実子でなくとも家を継げるという前例だ。つまり、叔父は俺の将来を案じる風でありながら、父にこう言いたかったのだ。『もしも実子の出来が悪く、峨家当主の後継として相応しくなければ、養子を取ったらどうだ』と」

「そうなのか?」

「ああ、そうだ。叔父は自分の息子を父の養子にしたくて、事あるごとに、俺の悪口を父に吹き込んでいた」

「けど、実際に、お前は遊び回っていたんだろ?」


 腑に落ちなくて眉を顰めれば、しわの寄った蒼潤の額に峨鍈が軽く唇を押し当ててくる。


「そうとも。だが、俺の放蕩ぶりは関係がない。この話は、叔父が自分の息子を使って峨家を我が物にしようとしていたこと、それを見破って退けた俺の聡明さを称える話だからだ」

「聡明さを称える?」


 はっ、と蒼潤は鼻で笑った。


「自分で言うな。第一、ほら吹きの話じゃないか」

「ほら吹き? なるほど。だが、その後、その叔父はすっかり鳴りを潜めたし、他の親戚どもも峨家の後継について口を出さなくなった。そして、俺は再び思う存分に遊び回れる日々を送れるようになったと言うわけだ」

「ふーん」

「どうだ。眠くなってきたか?」

「いや、ぜんぜん。――思うんだけどさ、その叔父の言う通り、跡取りとする実子が愚か者なら、賢い養子を取った方がいいんじゃないのか? 言っておくが、これはお前の話じゃないぞ。ほら、随州の彭顕ほうけんだって、実子ではなく、食客のそう――だれがしに随州を譲ったんだろ?」

蒼邦そうほうだ」

「そう! 蒼邦だ! ――って、そいつかっ!? 姉上が婚約したって言うのは!」


 点と点が結びついて蒼潤は思わず大きな声を上げた。

 峨鍈に攻め込まれて非常に厳しい状況にあった随州を、彭顕が実子よりも頼りにして託した相手が蒼邦だったのだ。

 それほど有能な人物なのかと蒼邦に対する印象が少しだけ変わる。とは言え、姉の相手として相応しいかどうかとは、また別の問題だ!


「でも、すぐに晤貘ごばくに随州を奪われちゃったわけで、任されたものを守れなかったんだから、大した奴じゃなかったということだな。――って、随州のことはどうでも良くて、皇位の話だ。無能な皇子よりも、有能な皇子が皇帝になった方が天下のためになるんじゃないかな?」

「それはそうだな。無能であるよりは有能に越したことはない。だが、玉座に座るには有能か無能かよりも、もっと大事なものが求められる」

「大事なもの?」


 怪訝に思って彼の顔を仰げば、彼が蒼潤の頭をくしゃりと撫でてくる。


「何だと思う? 有能であることよりも優先されることだ」

「ええーっと」


 すぐには答えが浮かばず小首を傾げれば、蒼潤の頭を撫でていた峨鍈の手が蒼潤の首筋をなぞって背中へと移動していく。


「分からない。何?」

「正統性だ」

「正統性?」

「皇位と、そこらの家の家督と同じに考えてはならん。国難の時ならいざ知らず、平時に『有能な皇子に皇位を継がせる』などと皇帝が言い出してみろ。天下を揺るがす争いが起こるぞ。有能か、無能か、誰が見ても明らかだったとしても、満場一致で即位できる者などいないのだからな」

「そうかも……」

「その点、長子か、次子かは、常に明らかで、諦めがつく。生母の身分も同様だ」


 故に青王朝において皇位は、郡主の身分にある妃が産んだ最初の男子が継ぐ。









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