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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
5.葵暦193年の初夏から194年の初夏 斉郡城 囚われの身
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6.裏で操る者

 

 堅く閉めたはずの北宮の門が大きく開け放たれた。

 バンッ、という衝撃が大きな音として響き渡り、門扉が蹴り破られる。

 むっと鼻を付く臭気が中庭を伝って、室の中まで迫って来た。

 血を大量に浴びた男達がズカズカと土足のまま蒼潤の私室の中に踏み込んできて、女たちが身を寄せ合い悲鳴を上げたが、蒼潤は意識して握り締めていた拳を開き、平然を装って、牀の背もたれに体を預けた。


「何者だ」


 兵士たちの先頭に立つ男がきっと功郁こういくなのだろう。ずいぶんと恰幅の良い大男で、やたらと目に付く。

 隣には小太りの男がいる。こちらは知った顔だ。――貞糺ていきゅうである。

 功郁だと知りながら敢えて名を尋ねた蒼潤に、彼はいやらしくわらい、美しく着飾った女たちをぐるりと見回す。

 そして、再び蒼潤をその眼に捉えた。


「貴女が郡主殿下であられるか?」


 蒼潤は羽扇で顔の下半分を隠しながら、功郁に答える。


「いかにも。わたしが互斡郡王の娘、深江郡主である。ここは、わたしの私室である。お前たちは、そうと知りながら土足で踏み込んで来たのか。このれ者がっ!」


 言って、蒼潤は羽扇を功郁に向かって投げ付けた。

 いかなる状況下でも、青王朝において蒼家の血は絶対である。

 功郁は蒼潤の言葉に圧倒された様子を見せたが、すぐにグッと咽を鳴らし、興味深そうな眼差しを蒼潤に向けて、下卑た笑みを浮かべた。


「殿下、この城は我が手に落ちました。よって、城内にあるものすべては、この功郁の支配下にあります。もちろん、貴女もです」


 お前は俺のものだと言われた嫌悪感が強く、功郁と同じ空間にいることが不快でならなかったが、蒼潤には功郁に聞きたいことが幾つかあった。

 なぜ裏切ったのか。そもそも、降伏が偽りだったのか。

 斉郡城を手に入れたとしても、功郁の兵力はさほど多くはないはずである。すぐに引き返してきた夏葦に城を奪い返されてしまうとは考えていないのか。

 晤貘が同盟を破棄して赴郡を狙って動き、陳非が椎郡で裏切り、斉郡に攻め入ってきている。その機に乗じて、後先考えずに事を起こしたのだとしたら、とんだ愚か者だ。


 蒼潤は功郁を睨み上げながら静かに口を開いた。


「聞かせて貰おう。いったいどこからが、お前の企みなのか? 何が狙いだ?」

「俺はただ、義弟おとうとの恨みに乗じただけです」

「恨み?」


 功郁が貞糺に向かって顎をしゃくったので、蒼潤は貞糺をじろりと睨んだ。

 すると、貞糺は気弱そうな顔を赤く染めて、興奮したように捲し立てた。


「峨鍈のせいで、わたしの妻と娘たちは死んだのだ! 2人の娘は凌辱されて死に、娘たちを失った妻も心を病んで死んだ。すべて峨鍈のせいだ!」


 バカな、と蒼潤は吐き捨てる。


「お前の妻子は無傷で返したはずだ。人質としてとどめていた間も何不自由なく暮らしていた」


 貞糺の妻子を峨鍈が人質としていたのは、峨鍈が杜山郡に赴いていた間だ。叛乱軍を鎮圧し、杜山郡と豊陽郡を立て直している間に再び貞糺が攻め込んで来ないようにと、その妻子を赴郡城で預かっていたのである。

 もともと貞糺の妻子は赴郡城で暮らしていたし、峨鍈も蒼潤も赴郡城にはさほど留まらなかったため、人質とはいえ、彼女たちはそれまで通りの暮らしを送れていたはずである。


 解放する際にその様子を見かけたが、彼女たちは元気そうで、待遇の良さを感謝していたくらいだ。

 凌辱されたなんて、あり得ないと蒼潤が言えば、貞糺は血走った眼を蒼潤に向けて大きく吠えるように口を開いた。


「娘たちは、椎郡に向かう途中で賊に襲われたのだ! 峨鍈が護衛を付けずに城から放り出したからだ!」


 解放された後の話かと、蒼潤は舌打ちしたい気持ちになる。

 そんなの言い掛かりであり、逆恨みに過ぎない。


「人質を解放することは、先に文でしらせていた。迎えを送れば良かったではないか」

「黙れ! 峨鍈のせいだ。すべて峨鍈のせいなのだ! ひとり息子も心を病んで、あいつはもう使い物にならない! わたしと同じ想いを峨鍈にも味わって貰わなければ、妻と娘たちにあの世で顔向けができない!」


 気が触れたように叫び、貞糺は女たちを見渡す。

 彼の充血した目が幼いけんを捉え、察した梨蓉が軒を庇うように強く抱き締めた。


「子供がひとりしかいない。――どこかに隠したな?」


 貞糺の狂ったような声を聞いて、功郁が配下に視線を向ける。

 探せ、と短く命じると、兵士たちが一斉に動きだして、蒼潤の私室の中を荒し回った。衣装箱をひっくり返し、帘幕を切り裂く。文机を叩き割り、屏風を引き倒す。

 蒼潤の室には隠れていないと知ると、兵士たちは回廊に出て、足音を荒々しく響かせながら別の室を荒しに向かった。


(大丈夫だ。北宮には誰も隠れていない)


 蒼潤は荒された室を見渡しながら、拳をきつく握った。

 すると、貞糺が女たちに向かって、ぞっとするような言葉を吐き捨てる。


「峨鍈の娘を見付けたら、兵士たちにくれてやる。わたしの娘が受けた恥辱を同じように受けさせてやるのだ」


 貞糺のこの様子を窺い見るに、功郁と貞糺の降伏は最初から偽りだったのだろう。

 貞糺は峨鍈の懐に潜んで復讐の機会を待ち、功郁は貞糺の恨みに乗じて、斉郡城を峨鍈から奪い取るつもりだったに違いない。

 だが、復讐さえ果たせれば良い貞糺とは異なり、功郁の考えが読めず、蒼潤は眉を歪めて功郁を見やる。


「功郁、お前の目的が分からない。義弟のために命を張るつもりなのか?」


 たとえ今この瞬間、斉郡城を手に入れたとしても、すぐに奪い返されてしまうことを指摘すれば、功郁はニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。


「そこで、殿下。俺には貴女が必要なのですよ」

「何?」

「渕州のけい殿のことをご存知ですか?」

瓊倶けいぐか」

「瓊殿が約束をしてくださったのです。峨鍈から深江郡主を奪えば、援軍を送ってくださると。明日には1万の援軍が斉郡城にやって来ます」


 なるほど、と蒼潤は動揺を顔に出さないように努めながら頷いた。


「瓊倶と繋がっていたわけだな。では、晤貘や陳非も瓊倶と繋がっているのか」

「当然、そう思われるでしょうね」

「違うのか?」


 蒼潤が素直に聞き返せば、功郁の自尊心を刺激したようで、彼は得意げな表情を浮かべて答えた。


「陳非は峨鍈を裏切ってなどいません。裏切ったという俺の報告を許普が信じただけです」


 ああ、と蒼潤は低く唸る。

 柢恵も許普も、陳非の人柄を思い、どうもおかしいと話していた。

 峨鍈も、長らく自分に従ってくれていた陳非の裏切りを信じられないと思う一方で、大きな衝撃を受けて心を乱されてしまったのだろう。

 冷静に状況を判断できていたら、陳非を信じることもできたはずだ。


「陳非のあの性格を考えれば、自分の裏切りを易々と信じてしまった主には、もう二度と仕えないでしょうね。偽りが真実になるわけです。陳非が夏葦を足止めし、晤貘が峨鍈を足止めしている間に、瓊殿の援軍が斉郡に到着する。そして、我らは斉郡と共に瓊殿の傘下に入るわけです」


「なるほど。よく分かった。だが、瓊倶との約定は、わたしありきの話なのだろう? わたしを手に入れなければ、瓊倶の援軍は渕州に引き返していくことだろう」

「すでに貴女は我が手中にあります」

「それはどうかな……」


 蒼潤が、ふっと視線を功郁から逸らした、その時だ。けたたましく足音が近付いてきて、室の中にどさりと何かが投げ込まれた。

 その何かは激しく泣いており、女たちは一斉に顔を青ざめさせる。


かん!」


 明雲がすぐに自分の息子に駆け寄って、小さな体を力いっぱいに抱き締めた。

 蒼潤は桓の泣き声が室の中に激しく響き渡るのを聞きながら、表情を大きく歪ませる。


(西宮の井戸に隠した桓が見付かったか)


 西宮には生活の痕跡が強く残っていて、おそらく兵士たちは西宮を徹底的に捜索したのだろう。

 ならば、琳や朋、柚も危ない。

 そう蒼潤が懸念した、まさにその時。少女の悲鳴と兵士の荒々しい足音が響いた。

 少女の髪を乱暴に掴み、その体を引きずるようにして、ひとりの兵士が室に入って来た。


ゆう!」


 嫈霞おうかが悲鳴を上げ、柚に駆け寄ろうとしたが、その前に貞糺が彼女を蹴り飛ばす。

 顔面を強く蹴られた嫈霞は梨蓉の前に倒れて気を失い、柚が高く悲鳴を上げた。


「母上!」

「嫈霞! しっかりするのです、嫈霞!」


 梨蓉が声を掛けながら嫈霞の体を揺さぶるが、反応がない。

 桓と、桓につられるように泣き出した軒の泣き声が響く中、母親を案じて顔を涙でぐしゃぐしゃにした柚の姿を見下ろして、ハハハハハッと貞糺が異様な笑い声を発した。


「峨鍈の娘だ。峨鍈の娘だ!」


 くそっ、蒼潤は拳をどこかに打ち付けたい気分だった。


(よりにもよって、大哥あにうえとの縁談が決まっている柚が見付かってしまうなんて!)


 琳や朋だったら良かったとは、けして思わないが、夏範のためにも柚のことは絶対に守らなければならない。

 蒼潤は牀からすくりと立ち上がった。

 梨蓉が幼い軒の口を手で塞ぎ、その震える小さな体を強く脇に抱えながら、もう一方の手で床に伏している嫈霞を気遣っている。

 彼女が気遣わしげな視線を蒼潤にも向けてきたので、蒼潤は梨蓉から視線を逸らし、徐姥に振り向くと、徐姥が密かに隠し持っていた剣を受け取った。

 そして、素早く鞘を払うと、蒼潤はその剣身を己の首に当てた。


「殿下、何のつもりですか?」


 気色ばんで功郁が言った。

 蒼潤は彼を睨み、貞糺に視線を向け、そして、室の中にいる兵士たちを見回した。


「取引だ。ここにいる者たちには指一本触れてはならない。その代わり、我に流れる蒼家の血はお前のものだ」

「そんな取引などしなくとも、先ほども申した通り、貴女はもはや俺のものです」

「承服できないとあらば、この首、己の手で搔っ切る!」






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