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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
4.葵暦193年の春 併州斉郡城 側室たち
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7.昂大哥?


「違う。お前たちは伯旋はくせんの子か? なんて名前なんだ?」

「私は、りん。――貴方、父上と親しいの?」


 あざなで呼び合うような親しい仲なのかと問い掛けられて蒼潤は苦笑いを浮かべた。

 どう見ても夏昂は自分の父親とは年齢が離れすぎていると、琳は不審感を抱いたようだった。

 しまったとは思うが、蒼潤はすぐに開き直って、まあなと答えた。

それから、峨鍈の子だと認識した上で改めて子供たちの顔を順に見やる。


「そうか。あいつの子か……」


 考えてみれば、側室が5人いて、妾も20人以上いれば、子供がいないわけがない。

 第一、跡取りに困っていないからこそ正室に男を迎えられるわけなのだ。


「ねぇ」


 袖を引かれて蒼潤は驕に振り向いた。


「父上の知り合いなら、悪い人じゃないよね? だったら、ぼくたちと遊ばない?」



 思ってもみない申し出に蒼潤は目を瞬かせる。正直、こんなところで遊んでいて良いのだろうかと疑問だ。

 峨鍈には私室に戻れと言われているし、側室が生んだ子供たちと遊んだと知られたら徐姥たちに呆れられそうだ。

 蒼潤が答えに詰まっていると、驕が、こてんと可愛らしく小首を傾げた。


「だめ?」

「いいよ!」


 反射的に、しかも食い気味に応えてしまった。だって、可愛い!

 峨鍈の息子だということが信じられないくらいに可愛い!

 驕のぷにぷにした頬を指先に突っついて蒼潤は笑みを浮かべ、子供たちに問い掛けた。


「何をして遊んでいたんだ?」

踢毽はねけりだよ」


 それは、少しばかり重さのある物を布で包んで鳥の羽根を付けて作った玩具――毽子けんしを蹴る遊びだ。

 地面に落とすことなく、どのくらい長くひとりで蹴り続けることができるかを競っても良いし、複数人で代わる代わる蹴っても良い。

 蒼潤の記憶によると、互斡国の城では、女の子は蹴ること自体よりも、羽根に色を塗ったりして、いかに綺麗な毽子を作れるかを競っていたように思う。

 蒼潤は琳の隣に立った女の子に視線を向けて、彼女が手にしている毽子を指差した。


「お前が作ったのか? 綺麗だな。――名前は?」


 琳より拳ひとつ分、背が低い。

 よく似た顔立ちをしているので、きっと彼女も峨鍈の娘だ。

 

ほう

「朋、それを使ってもいい?」


 うん、と頷いて朋は蒼潤に毽子を差し出した。

 蒼潤はそれを受け取って、毽子を空高く蹴り上げた。

 わあっと声を上げて、子供たちが蒼潤を中心に輪をつくるように集まる。蒼潤は彼らの前に両手を広げて、離れてと言って、落ちて来た毽子を再び蹴り上げた。

 真っ直ぐ高く蹴り上げて、落ちて来たところを再び真上に蹴る。それを20ほど繰り返し、子供たちが飽きてしまう前に落ちて来た毽子を手で受け取った。


「すごい! すごい!」

「もっとやって!」

「どうしてそんなに上手なの⁉」


 子供たちが瞳を輝かせて蒼潤の傍らに駆け寄ってくる。

 蒼潤は、二ッと唇の端を左右に引き上げて笑い、彼らの頭を順に撫でた。


「さあ、次はみんなでやろう。もう一度、輪になれ」


 蒼潤の言葉に子供たちは大喜びで従い、20人ほどで大きな輪をつくる。

 その中心に蒼潤は立って、彼らを見渡した。子供たちは皆、ぷくぷくとした頬を赤く染めている。

 突然現れた年上のお兄さんが遊んでくれると言っているのだ。子供たちがわくわくと期待に胸を膨らませている様子が見て取れた。


「朋、お前からだ。お前に向かって蹴るから、俺に蹴り返して来い」


 言って、蒼潤は毽子の持ち主である朋に向かって毽子を蹴り上げた。

 朋は慌てたように毽子を蹴り返して来る。蹴る力が弱く、蒼潤の立つ位置よりもずっと手前で落ちそうになるが、蒼潤は駆け寄って、掬い上げるように蹴り上げた。


「ほら、次は驕だ」


 落ちて来た毽子を再び蹴って、驕の方に飛ばす。

 驕は年齢のわりに器用であるようで、蒼潤の方に正確に蹴り返して来た。


「次は、お前」


 蒼潤は琳や朋と同じ歳くらいの男の子を指差す。

 峨鍈とはまったく異なる顔立ちをしているので、おそらくこの子は峨鍈の子ではないだろう。


がんです!」

「頑、行ったぞ」


 はい、と大声を上げて頑が毽子を蹴り上げる。思いもよらない方向に飛んだのを琳が蒼潤に向かって蹴り返して来た。


「琳、上手じゃないか。ほら、次はお前だ」


 再び蒼潤は別の子供に向かって毽子を蹴り上げた。

 そうやって、順番に子供たちに毽子を蹴らせ、彼らがどんなに下手な蹴りをしても間に立った蒼潤が蹴り直したり、琳や驕が蹴り直したりして、毽子を地面に落とすことなく長く蹴り続ける。

 すると、子供たちは、すごいすごい、と声を上げて喜んだ。


「こんなに長く続いたことなんてないよ」

こう大哥にいさんはすごい!」

「大哥、次は僕に蹴って」

「次は俺だよ。俺!」


 ――その時だ。凛とした声が響いた。


「とても楽しそうですね」


 女性としては、やや低めの、とても落ち着いた声だ。

 驚いて振り向くと、西宮の一室から柳色の深衣を纏った女性が、羽扇を顔の前にかざしながらゆっくりと姿を現した。


「母上!」


 そう声を上げたのは驕だ。一目散に駆け寄っていく。琳もにこにこしてその女性に歩み寄った。

 蒼潤は階の上に立つ女性を見上げて立ち尽くした。


(誰だ?) 


 驕や琳が峨鍈の子で、その2人が母と呼ぶ女性ならば、彼女は峨鍈の妻の誰かだ。

 蒼潤の姥たちが争っているのは、主に楊夫人の侍女たちである。

 よう楓莉ふうりは峨鍈の第五夫人で、夫人の中で蒼潤と一番年が近く、20代前半の年齢だと聞いている。

 だが、目の前の女性は――若くは見えるが――30は越えていそうだ。すると、楊夫人だとは考えにくい。

 驕や琳に微笑みかけ、言葉を交わしている彼女の顔をじっと見つめていると、蒼潤の視線に気付いた彼女がゆっくりと振り向いた。

 

「あら、見かけない子ですね。貴方は?」


 声音に厳しさが滲んでいる。

 自分の子が見知らぬ者と遊んでいたのだ。警戒しない方がおかしい。

 すると、察したように驕が母親に袖を引いて言った。


「昂大哥だよ」

「昂?」


 息子の言葉を繰り返して、彼女の顔が強張ったのが見て取れた。それから、まるで幽鬼でも見るかのような眼差しを蒼潤に向けて来る。

 蒼潤は階の下で膝を折って拱手した。


「夏銚の子、夏昂と申します」

「夏殿の子?」

「母上、昂大哥は夏将軍の子なので、悪い方ではないですよね?」

「たとえ、そうだとしても、招き入れられたわけでもないのに、奥に足を踏み入れてはなりません」


 ぴしゃりと言われて蒼潤は頭を深く下げる。

 こんな姿を姥たちに見られたら何と言われるか分かったものではないが、蒼潤は今、深江郡主ではなく夏昂なのだ。

 幼い頃から玖姥に厳しく叩き込まれた美しくも礼儀正しい所作を意識して詫びた。


「申し訳ございません」

「すぐにここから出て行きなさい」


 母上、と驕と琳が左右から彼女の袖を引いて縋り付く。


「昂大哥は、踢毽はねけりがとても上手なのです」

「もっと一緒に遊びたい! お願い、母上!」


 室の奥へと戻ろうとしていた彼女は、ぐっと息を詰めて子供たちを見下した。

それから、急に顔色を変え、何かに気が付いたような様子を見せて蒼潤に振り返る。


「夏殿の子と申しましたか?」


 蒼潤が頷くと、彼女の瞳がみるみる見開かれる。そして、信じられないとばかりに蒼潤を凝視した。

 蒼潤には彼女がいったい何に驚いているのかが分からなかった。だから、早いところ、この場を去ろうと再び頭を下げて立ち上がる。


「罰を受けても仕方がないところ見逃して頂き、ありがとうございます」


 言って、蒼潤が去ろうとした時、ゴトンと鈍い音が響く。

 何かと思って視線を向ければ、羽扇が回廊の床に落ちていた。そして、琳と驕の母親がくつかずに庭に下りて蒼潤に駆け寄ってくる。

 まるで逃すまいとするかのように、がしっと蒼潤の腕を掴んで言った。


「昂という名を、貴方につけたのは?」

「えっ」

「どなたが貴方に昂という名を与えたのですか!?」


 いったい何が彼女を突き動かしたのか。彼女の様子から鬼気迫るものを感じて蒼潤は狼狽える。


「もしや殿とのが貴方に、昂と名乗れと言われたのですか?」

「あ……えっ。……えっと……」

「あの子が生きていたら、あの子たちから『昂大哥』と呼ばれていたのは……っ」


 彼女の言っていることが分からず、ただ、ただ、恐ろしいと思って、蒼潤は彼女の腕を振り払った。

 その瞬間。彼女の瞳から涙が溢れ出たのが、蒼潤の目に映る。だが、構ってはいられなかった。

 蒼潤は素早く踵を返して、その場を逃げるように立ち去った。



 ▼△



 翌朝である。

 その朝も蒼潤は芳華の悲鳴で目覚めた。急いで駆け付けると、中庭に猫の頭部が投げ込まれていた。


 さらに翌日。

 蒼潤が調練から戻って来ると、数十匹の大きな蛾が室内を飛び回っていて、姥たちが悲鳴をあげながら外に追い払っていた。


 そして、その翌日。

 蒼潤が出掛けようと、北宮の門を出ると、足の下で何かがぐにゃりと音を立てた。

 見やると、門から踏み出した辺り一面が、泥で塗り込められていた。

 泥――もしかしたら、泥ではなく、何か動物の糞だったのかもしれない。きつい臭いがして、蒼潤はその日、外に出ることを諦めた。


 それから、蒼潤は私室に籠っていて、姥たちが下男に命じながら門の外を綺麗に片付けている声に、じっと耳を傾けていた。


 この数日、峨鍈は蒼潤のもとを訪れていない。

 来なくていいと言ったし、来んじゃねぇっとも言ったのは自分なので、そのこと自体は構わなかったが、あの男が側室たちのやっていることを知らないはずがない。

 それでも何ら介入もしてこないところを見ると、蒼潤のお手並みを拝見しているというところだろうか。

 

 ――正室の力量がないから、女達が争うのだ。


 柢恵の言葉を思い出して、蒼潤は親指の爪を噛む。

 峨鍈の正室とは、不本意ながら自分のことである。自分の無力を批判されているようで、蒼潤は気に喰わなかった。


 蒼潤は女ではないのだから、女たちを御しきれないのも仕方がないではないか。

  そもそもそんなことを自分がする必要があるのかどうかも分からない。

 きっと気に病む必要はないのだ。女のことは女が解決すべきだと柢恵も言っていたではないか。



【メモ】

踢毽…羽根の付いた毽子けんしを足で蹴り続けるゲーム。羽根蹴りゲーム。

 紀元前5世紀ごろには既に存在していたらしい。

 銅銭や金属片を数枚重ねて布で包んだものに、鳥の羽根を加工して彩色したものを数枚挿して作った玩具を蹴る。

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