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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
4.葵暦193年の春 併州斉郡城 側室たち
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6.本当に勝手だな!

 

 何の話だと、柢恵が半分目を閉じたまま顔を上げた。

 その眠たげな顔を見て、蒼潤は苦笑する。


「蒼夫人の話だ」

「蒼夫人は、殿の側室たちと、うまくいっていないのか?」

「どうだろう? 俺にはよく分からない。――だけど、側室たちが挨拶をしに来た時、気分が悪いと言って、彼女たちに会わなかったんだ」

「それは良くないな」


 そうか、良くないのか、と蒼潤は小さく呟く。柢恵にも良くないと分かるくらいのことなのだ。


「実は、あの鶏。側室たちが蒼夫人の室に投げ込んだ物なんだ。室の中が血だらけで、すごかった」


 柢恵がギョッとして上体を起こす。


「そんなもん持ってくるなよ。呪がかかっていそうで、とてもじゃない、食えないだろ!」

「そうなのか?」

「なんというものを俺に食わせようって言うんだ!」

「……ごめん」

「……いや、やっぱり食べるよ。女の、つまらない争いに巻き込まれて殺された鶏が哀れだ」


 蒼潤は笑う。彼ならばそう言ってくれると思っていた。


「なんだかよく分からないけど、大変なんだな、お前。奥の権力争いに巻き込まれているのか? 蒼夫人に側室たちを御せるだけの力量があれば良いけど、なんせまだ幼いもんな」

「正室の力不足だから、争いが起こるのか?」

「そういうことだな。上がしっかりしてりゃあ、下も何とかなるもんだ。その逆もあるけどな。つまり、どちらかがしっかりしていりゃあいいんだ」


 しっかりとしている誰かがいれば良い、とも柢恵は言い換えた。

 蒼潤が嫁してくる以前は、それは梨蓉だった。梨蓉がしっかりと側室達を束ねていたので、争いなど起こらなかったのだ。

 だが、蒼潤が嫁して、側室たちが斉郡にやって来た後は、郡主に遠慮してか、梨蓉はすべてに置いて身を引いている状態にある。

 他の女たちの行いを知っているのか否かは定かではないが、ただただ沈黙している。

 彼女のその沈黙が、他の側室たちを増長させているようなのである。


「董夫人か……」

「おいおい。それはお前が考えることじゃない。女の争いは女に任せておけばいいんだ。男が出て行くと余計ややこしくなるもんだ」

「……やっぱり、そう…だよなぁ……うん」


 蒼潤が無言になると、柢恵は後ろに倒れるように床にゴロンと寝転んだ。

 蒼潤は床を這うようにして柢恵の傍らに移動すると、再び眠り始めた柢恵の寝顔を見下し、蒼潤も彼の隣に寝転がる。


 甄燕が香ばしい匂いを纏いながら焼けた鶏を運んでくるまで、きっと柢恵は起きないだろう。

 そうなれば、蒼潤は暇を持て余してしまうので、蒼潤も柢恵のように眠って待っていようと思ったのだ。


 とは言え、いつでもどこでも眠れる柢恵とは異なり、体力が有り余っている蒼潤は眠ろうと思っても、昼間はあまり眠れない。

 薄く瞼を開いて、柢恵の寝顔を眺めながら横たわっていた。


「ここで、何をしている?」


 不意に響いた声に驚いて顔を上げると、入口の衝立を避けるように峨鍈と孔芍が室の中に入ってくるのが見えた。

 峨鍈の視線は床に寝転んでいる蒼潤に注がれていて、すぐに大股で歩み寄って来る。

 彼が蒼潤の傍らで膝を着いたので、蒼潤も、そして、瞼を擦りながら柢恵も上体を起こした。


「2人で何をしていた?」

「何って……、寝てた」

「寝てた?」

「柢恵が寝だしたから、俺も寝ようと思って」


 何がそんなに気に障ったのか。表情を険しくして問いを重ねる峨鍈に蒼潤はたじろぎ、ただ寝転んでいただけだと繰り返す。

 事実、本当に2人とも床に寝転んでいただけなのだ。柢恵には、孔芍に言いつけられた仕事をやらずに怠けていた後ろめたさがあるようだが、蒼潤にはそんなものはない。

 悪いことなんてひとつもしていないはずなのに、峨鍈は明らかに納得していない顔をして蒼潤の二の腕を掴んだ。


「調練には参加しないのか?」

「今日はそういう気分じゃなくて……」

「何? 体調でも悪いのか?」


 今度は、たちまち気遣わし気な表情になる。

 峨鍈が蒼潤の額に手を伸ばしてきたので、その手を避けて蒼潤は、違う、と言った。


「今日は、柢恵と話がしたい気分だっただけだ」

「ほう?」


 目を細められ、ゾッと背筋が冷えるような低い声を響かされた。

 思わず体を竦めさせて、蒼潤は恐る恐る峨鍈の顔を仰ぎ見る。


(なんだ? 意味が分からない。こいつ様子が変じゃないか?)


 怖い顔をして室の中に入って来たかと思えば、心配そうな表情をしたり、再び表情を険しくしたり。

 虫の居所が悪いのだろうか。どこかの誰かのせいで気に喰わないことがあったのだとしても、それに自分を巻き込まないで貰いたい。

 目つきの鋭さや、纏っている雰囲気に威圧感があるため、峨鍈が怒りを抱え込んでいると、牙を剝いた虎のように恐ろしい表情になるから、本当に嫌だ。


「それで話は済んだのか? 調練に参加しないのなら私室へやに戻っていろ」


 疑問形で言ったくせに、柢恵との話はお終いだという圧をかけてくる。

 憤って蒼潤は言い返した。


「これから三人で鶏を食べるところだ。今、燕が厨房くりやで焼いて貰っている」

「柢恵はやらねばならぬことがある。鶏はお前の私室に運ばせる。二人で喰え」

「はあああ!? 俺は柢恵に喰わせたくて持って来たんだぞ」

「知らん。さっさと私室に戻れ。お前がここにいては邪魔になる」

「邪魔!?」


 蒼潤がいてもいなくても、きっと柢恵は仕事をしないし、そんなに邪魔だと言うのなら柢恵を連れて中庭で鶏を食べてもいい。

 それなのに蒼潤だけを追い払って、私室に戻るように命じるなんて!


(なんなんだ、いったい! 本当に勝手だな!)


 くそっ、と蒼潤は顔を歪めてから立ち上がる。不貞腐れたように足音を響かせて室から出て行こうとすると、その背を追うように峨鍈が声を掛けてきた。


「後で様子を見に行く」


 はああああああ!? と蒼潤は心の中で声を上げ、思いっ切り顔を顰めた。


「ふざけんなっ! 来んじゃねぇっ‼」


 振り向いて吐き捨てるように言うと、蒼潤は孔芍の執務室を飛び出した。

 階を降りてくつに足を通して、宮城に向かって駆ける。


 郡城と宮城を繋ぐ門を抜けると、正面に北宮の門があり、左右に東宮と西宮に通じる道があった。

 北宮の門は、以前、蒼潤を閉じ込めておくための――或いは、彼の身を守るためのかんぬきが差してあったが、今は開け放たれている。

 北宮の門をくぐろうとして、ふと足を止めた。


 北宮を使用しているのは蒼潤のみで、梨蓉や他の側室たちは西宮の宮殿たてもので暮らしていると聞いている。

 なるほど。北宮の静けさに比べて、西宮からは賑やかな生活音が響いて来る。

 その音の明るさに引き寄せられるように亜希は足を進めると、擦れ違う使用人の数が随分と多いことに気が付いた。


 蒼潤の身の回りには、幼い頃から最低限の人間しかいなかった。それはもちろん蒼潤の秘密を守るためであり、信用できない者を遠ざけていった結果である。

 なので北宮にはない賑わいに珍しさを覚えて、蒼潤は西宮の門をくぐって中庭に入った。


 季節の花々が咲き乱れた庭は美しく、手入れがよく行き届いている。

 それらを眺めていると、突然、あはははは、と子供たちの笑い声が響いた。甲高く響いたそれに子供たちが駆け回っている足音が重なる。


(子供がいるのか……)


 蒼潤は同じくらいの年齢や自分よりも年下の子供たちと遊ぶのが好きだった。互斡国でも城内の子供たちに囲まれながら遊んでいた。

 あの頃を懐かしく思いながら一歩前に踏み込むと、転げるように遊ぶ子供たちの中のひとりが蒼潤の気配に気づいて、ぱっと振り向いた。


「誰?」


 6つくらいだろうか。幼い男の子が大きく瞳を見開いて蒼潤を見る。

 蒼潤も黒々とした瞳をその男の子に向けると、男の子は突き動かされたかのように蒼潤の方に駆け寄って来た。


「ねえねえ、誰なの?」


 男の子が人懐っこそうな笑顔を向けて蒼潤の袖を引くので、蒼潤は身を屈めて男の子と視線を合わせる。

 身なりの良い格好をしている。どこかの名家の若君といった風情だ。

 幼いながら精悍な顔立ちをしていて賢そうだと思いながらその顔を見つめていると、ぽっと男の子の頬が赤く染まった。


(可愛い)


 蒼潤はにっこりと微笑んだ。


「俺は、そうじゅ――夏昂かこうだ。夏銚の息子だ」

「あっ、しょうぐんの……っ! ぼくはね、峨驕がきょうだよ」

?」


 蒼潤は瞳を瞬く。もしかして、と再び男の子の顔をまじまじと見つめた。

 その顔にどことなく彼の面影を見付けて、ああ、とため息が漏れそうになる。あいつの息子なのか、と。

 その時、別の方向から遠慮がちな声が聞こえた。


「あのう……」


 10歳か11歳くらいだろうか。髪を二つに分けてお団子を結った少女が恐る恐るといった様子で蒼潤に歩み寄って来る。


きょうの新しい遊び相手ですか?」


 見たところ、この少女が子供たちの中で一番年上だろう。他の子供たちは、その少女の背中に隠れるようにして蒼潤の様子を窺っていた。

 少女と驕という男の子は顔立ちがそっくりだ。おそらく姉弟だろう。

 他にも3人ほど似たような顔立ちの子供がいる。それ以外の子供たちは、遊び相手として連れて来られた峨鍈の配下の子供たちなのだろう。

 夏銚は峨鍈の従兄であり、主従関係にあるとは言え、親族だ。その息子である夏昂が峨鍈の子供たちの遊び相手として現れたとしても、なんら不思議もなかったが、蒼潤は少女の問いに首を横に振った。



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