4.正室として治めてみせろ?
「大丈夫だ。女の肌を見れば自然と気が昂って抱ける。気が昂り過ぎて、しくじることもあるだろうが、若ければどうにかなる。女の肌は触りたいように触ればいい。決まったやり方があるわけでもないからな」
蒼潤は頭を撫で回されながら、もうため息しか出ない。
仕方がないので、彼が納得してくれそうな言葉を探した。
「――俺は」
「ん?」
「無暗に県王や県主を増やすつもりはない」
自分の血を分けた子供が郡王か郡主であれば良いが、帝位を望めない県王や、郡王を産めない県主を増やしては皇室のお荷物になるだけだ。
青王朝には、もはや多くの皇族を抱え込めるような力は残ってはいないだろう。
「第一、俺が女を抱いたら、俺が男だってバレるだろうが」
「夏昂として抱けばいい」
「お前の女たちから選べば、面が割れる」
「それもそうだな。しかし、お前に俺の知らないところで女を探されるのは気分が悪い」
「探さないって。興味ないし」
蒼潤が肩を竦めて言えば、峨鍈は目を細めて蒼潤を見やり、その胸を指先で突いた。
「お前が女に関心を持てないのは、そういう想いが根底にあるのか」
「……」
県王や県主を増やしたくないというのは、まるで嘘というわけではないが、それだけが理由ではないような気がしている。
そもそも自分の子というものが、ピンと来ていない。
だけど、そういう行為を女とすれば、子ができてしまうのだということは知っていて、自分の子を腹に宿した女を想像すると、何やら恐ろしい気がした。
押し黙っていると、彼の目には蒼潤が気落ちしたように見えたようで、再び頭を撫でられた。わしゃわしゃと少し乱雑な手つきをしながら峨鍈は言う。
「だがな、天連。良い女が目の前に現れたら、そんなもの簡単に覆るぞ。お前はまだ何も知らないだけだ」
訝しげに彼の顔を見やると、峨鍈は牀から立ち上がる。
梨蓉の室に向かうのだと察して、蒼潤は彼を目で追った。すると、視線に気が付いて彼が振り向く。
「梨蓉には会ったのか?」
「まだだ。お前の女とは、ひとりも会っていない」
「ひとりも? 挨拶に来ただろう? 挨拶を受けなかったのか?」
「ちょうど留守で」
気まずそうに言えば、峨鍈は眉を歪める。
「何があった?」
「いや、ただ……。めんどくせぇ…」
心の底から溢れ出たような正直な気持ちが口をつくと、峨鍈が牀の背もたれに手を置き、身を屈めるようにして蒼潤の顔を覗き込んできた。
「女たちと、うまくやれそうにないのか?」
「正直、関わり合いたくない」
「だが、そういうわけにはいかないだろう。お前は俺の正室なのだから、正室らしく、女たちを治めてみせろ」
「なんでだよ。俺は男なのに。女の争いに巻き込まれるなんて、まっぴらだ」
峨鍈が蒼潤に向かって片手を伸ばしてきて、指先で蒼潤の左耳の縁をなぞるように触れてくる。
「男も女と同じだ。男の中にも争いはある」
「それはあるだろう。だから、戦が起きる」
蒼潤は身を捩って峨鍈の手を振り払った。
峨鍈が苦笑し、懲りずに手を伸ばして蒼潤の頬に触れる。
「戦にもならない陰惨な争いもある。女の戦いは女に任せておけと言いたいところだが、お前の場合、そういうわけにはいかないだろう。今、お前が前にしているものは、女の戦いではなく、お前の戦いだ。此度は相手が女だというだけだ」
峨鍈の手が頬を撫でて、それから首筋に触れて、その手が頭の後ろに移動していったと思った次の瞬間、彼の顔が近付いて来たので、蒼潤は瞼をぎゅっと閉じて体を強張らせた。
(――っ!?)
硬く縮こまった体を解すように背中を何度も撫でられて、蒼潤はゆっくりと体から力を抜いていく。
こんなもの、と思う。
こんなものは、もう慣れた、と。
蒼潤の不意を突くように与えられる口づけは、蒼潤の小さな口から溢れてしまいそうで、苦しくて、頭がぼんやりとしてくる。
それを心地良いと思えるほど蒼潤は大人ではなくて、なぜこんなことをされるのか理解できないまま、峨鍈に付き合ってやっている。
やがて顔を離すと、峨鍈は蒼潤の濡れた唇を親指の腹で拭いながら、平然とした顔で先ほどの話を続けた。
「王宮の人間関係は、更に陰惨なものだぞ。これくらいどうにかできないで、玉座に着けるものか」
びくりと肩を揺らして蒼潤は峨鍈を見上げる。
「女さえ御すことができずに、男を制することなど適うまい。郡城ごときで手に余るようなら、皇城では話にもならんな」
煽るような言い方に蒼潤が顔を青ざめさせると、ふっと峨鍈の体温が遠ざかって、彼は蒼潤の私室を出て行った。
(ちくしょう!!)
蒼潤の牀から立ち上がると、床に膝を着いて蹲る。
両手で拳を握り締め、ダンッと拳を床に叩きつけた。
良いように言われ、唇さえ奪われ、そして、何も言い返せなかった。その悔しさが行き場を求めて暴れていた。
つまり、峨鍈はこう言いたいのだ。
蒼潤に本当に玉座に着きたいという想いがあって、傀儡になることを拒むのであれば、女たちの中に身を投じて駆け引きの術を身に着けろ、と。
皇城では皆が腹に一物を抱えている。
華やかさの陰には、田舎育ちの蒼潤にとっては落とし穴のような陰謀や策略が渦巻いていることだろう。
皇城で生まれ育った蒼昏でさえ陥れられた場所なのだ。感情がすべて表情に出てしまうほど素直な蒼潤がのこのこと現れれば、あっという間に皇城を狩場とする獣たちに喰い荒されてしまうのは目に見えていた。
(だけど、だからと言って、あいつの女たちをあいつの正室としてまとめてみろだと!?)
所詮、女たちの争いだ。
女たちの争いが、皇城の官吏たちの闘争とは比べ物になるわけがない。まして、その練習になるわけが――。
「天連様……」
ずっとそこで見守っていた徐姥が、そっと口を開いて呼び掛けてくる。
「徐姥、俺は――」
蒼潤は悔しさが胸を溢れ、再び拳を床に打ち付ける。何度も。何度も。
床に穴が空くのではないか、さもなければ、蒼潤の拳が砕けてしまうのではないかという強さで叩き付け、やがて血を吐く想いで言い捨てた。
「――俺は、女であらねばならぬ、この身が憎い!」
△▼
蒼潤の私室を出た後、峨鍈はまっすぐ西宮に向かい、梨蓉の侍女の案内で彼女の私室を訪れた。
梨蓉に招き入れられて室の奥に座すと、すぐに峨鍈の前に夕餉が並べられる。
梨蓉の酌を受けながら食事をしていると、峨鍈は安堵感に包まれて、ほっと息を吐いた。
「お疲れのようですね」
「いや、お前に会えて落ち着けたのだ」
「私もですよ。殿が不在の間は生きた心地が致しませんでした」
歳を重ねてもなお、梨蓉はほっそりとした体をしており、その美貌が衰えた様子がない。
色の白い肌に、黒々と濡れたような髪。すっと通った鼻筋に、薄い唇。そして、彼女の知性を窺わせる切れ長の目をしていた。
女にしてはやや低い声が耳に心地良く響く。
「梨蓉、お前にいくつか頼みがある」
峨鍈は盃をことりと膳の上に置いて、食べ終えた膳を下げるようにと手振りで侍女に命じた。
目の前の膳を下げられると、少しばかり梨蓉の方に体を寄せて言う。
「妾たちのことなのだが、嫁ぎ先を探してやってくれ」
「あらまあ」
突然どうしたのかと梨蓉の瞳が僅かに見開かれる。
「やはり20人は多すぎるだろうか?」
「23人です、殿」
「側室5人も多いだろうか?」
「郡主様に何か言われたのですか?」
問いに問いを返されて峨鍈はぐっと喉を鳴らした。
梨蓉はその反応ですべてを察した様子だった。すっと笑みを消して言う。
「既に子を産んだ側室を追い出すのは難しいでしょう。羅家や楊家との繋がりを考えると、子を産んでいないからと言って、羅夫人と楊夫人を追い出すこともできません」
「ああ」
「ですが、妾23人の方は私にお任せください。全員、嫁ぎ先を見付けて差し上げます」
「頼んだ」
「それにしても、もっと早くおっしゃってくだされば、こちらに連れて来る手間と費用が省けましたものを」
すまない、と言って峨鍈は梨蓉の手を取ると、侍女を下がらせて2人で彼女の臥室へと移動した。
窓から差し込んでくる月明かりを頼りに臥牀に並んで腰を下ろす。
「押し付けられた女たちだと言いながら、一向に手放す気がなかったご様子でしたのに、郡主様の言葉で気が変わられたのですね」
押し付けられたというのは、金品を受け取ろうとしない峨鍈は赴任先の土地で、その地の豪族から女を贈られることが多いのだ。
一時遊んでみたものの、次の女が現われたらすっかり忘れてしまった女が、いつの間にか23人にもなっていたようだ。
「ところで、こちらではそのような女がいなかったようなので、驚きました。郡主様おひとりで満足されていたのですか?」
心底驚いているという表情で梨蓉が言うので、峨鍈は居たたまれない心地になって視線を彼女から逸らした。
実際には、ひとりそういう女がいたのだ。
だが、蒼潤に見られて、その日のうちに追い出してしまった。そして、その日以来、そういう女は断っている。
とは言え、蒼潤ひとりで満足しているのかと問われれば、けして満足しているわけではない。そもそも蒼潤とは、蒼潤が幼過ぎて、そこまでに至っていなかった。
しかし、そんなこととも露知らず梨蓉は抑揚の少ない声を響かせる。
「聞けば、殿は毎晩、郡主様とご一緒にお休みになられていたとか。それほどご寵愛が深いお方に私も早くお会いしたいものです」
「その郡主のことで、お前に頼みたいことがあるのだ」
梨蓉が美しく整った眉をぴくんと跳ねさせた。それから、にっこりと笑顔を浮かべる。
【メモ】
斉郡城の宮城
・一番南に峨鍈の私室がある。
・北宮の北正殿が蒼潤の私室。たくさん部屋が余っている。湯殿がある。
・西宮に側室5人と彼女たちの子供たちが暮らしている。
・東宮に23人の妾たちが暮らしているが、今後、他所に嫁いでいく予定。妾が産んだ子供は梨蓉が引き取って育てることになる。妾たちがいなくなって、息子たちが成長したら、東宮に移らせる予定。
側室…婚礼を行い、妻として迎える。婚礼時に正門から入ることができるのは正室のみ。側室は脇門から入り、正室に挨拶をする。
妾…婚礼を行わないし、公的には妻として認められていない。正室にとっては下女のような存在なので、正室は妾からの挨拶を受ける必要はない。妾の子を認知するか否かは男次第。認知した場合は、正室か側室が子供を引き取る。