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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
4.葵暦193年の春 併州斉郡城 側室たち
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3.俺がお前の歳の頃には


「なんということでしょう!」


 蒼潤は大声に驚いて、びくりと肩を揺らして玖姥くぼに振り返った。

 調練を終えて私室へやに戻ったとたん徐姥じょぼに捕まり、『今日は大人しく』と言われたにも関わらず私室を抜け出したことで長々と説教を喰らう。

 それがようやく終わり、徐姥がへやを出て行ったのと入れ代わるように、玖姥くぼがぷんぷん怒りながら蒼潤の私室に入ってきた。


「どうかしたか?」

「ええ。どうかしましたとも!」


 玖姥の拳がブルブルと震えている。


「これもすべて天連てんれん様がいけないのですよ。とう夫人が挨拶にいらした時、いらっしゃらなかったんですからっ!」


 玖姥は細い眉をきつく吊り上げて、悔しそうに言い放った。

 玖姥は蒼潤に仕える3人のうばの中で一番年若い。

 30手前の年齢で、17の時に一度商家に嫁いだが、彼女はとても賢く自立した女性だったため、その賢さを夫から疎まれて一方的に離縁されてしまう。

 実家に出戻ってきた娘を恥じた両親からも絶縁されて家を追い出された彼女は、その足で蒼昏を訪ね、仕えさせて欲しいと願い出た。

 元夫も、実家の両親も、とにかく世の中すべてを見返してやりたいと蒼昏に訴え、雇い入れて貰った強者である。


「まさか不在の理由を、そのまま伝えるわけにはいかないではないですか。男のりで、調練に参加しているだなんて! なので、気分が優れないから挨拶は控えて欲しいとお願いしたのです」


 それはもう、下手したてに下手に、お願いしたのだと言う。

 だが、先方は蒼潤に悪意があると捉えたようだった。


「天連様が大変我が儘な方で、側室たちが気に入らないから挨拶を断ったと思われています!」

「俺が我が儘? 気に入るも気に入らないもないぞ。まだ会っていないのだからな。だが、歓迎はしている。あいつの足が遠のくのなら、大歓迎だ!」

「天連様っ!」


 もうっ、と玖姥が憤慨しながら言った。


「挨拶をしにわざわざ出向いたのに門前払いされたら、誰だって嫌われていると感じます。しかも、天連様は殿とのの正室です。正室が側室の挨拶を断れば、側室に嫉妬していて、嫌がらせをしていると思われてしまっても仕方がありません」

「嫉妬! あははははっ! ないない!」

「ですが、天連様はこの2年間ずっと殿を独り占めにしてきたのですよ。そこに、正室よりも先にお側にはべっていた側室たちが押し掛けてきたら、普通の正室は面白くありません。そのように外の者からは見えるのです!」

「――だとしても、それは事実ではないな」

「事実がどうであるかを知っているのは、私たちだけなのです。ですから、天連様、言動に気を付けなければなりません」


 顔の前に突き立てられた玖姥の指先を眺めていると、ガタンッと私室の入口の方で物音が響いた。

 振り返ると、呂姥りょぼが衝立に両手を着いて、それに縋るようにしながらズルズルとその場に蹲っていく。


「どうした!?」


 蒼潤は驚いて呂姥に駆け寄ろうと腰を浮かせると、その前に呂姥が足を踏ん張るようにして立ち上がった。


「天連様……」

「え、何……?」

「私、悔しいですっ‼」


 呂姥は両手で拳を握って、普段の彼女からは想像できない程の大声で叫んだ。

 呂姥は、普段はおっとりとした女性なのだが、蒼潤に対する想いが深いので、時々、覚醒したかのように熱くなる時がある。

 彼女にとって蒼潤は、主であると同時に我が子同然の存在だった。


 彼女は夫を戦で亡くした年に、幼い息子も病で亡くしている。茫然自失となって互斡城の大通りをふらふらと歩いていたところ、蒼昏に拾われた女性である。

 蒼潤がまだ首も座っていない赤子だった頃から仕えている呂姥にとって、蒼潤は彼女が生きる理由であり、生き甲斐なのだ。

 そんな呂姥が血走った目を蒼潤や玖姥に向けると、低めた声を腹の底から響かせて言った。


「先ほど、よう夫人の侍女が参りまして、明日、天連様の方から挨拶にいらしてくださいと伝えてきたのです」

「なんですって!?」


 蒼潤が呂姥の言葉を理解する前だった。ガッ、と玖姥が立ち上がった。


「え? 何?」

「天連様、呆けている場合ではございません! これは許し難い事態です!」

「え、え、何事!?」


 訳が分からないと玖姥を見上げると、彼女は、いいですか? と再び人差し指を立てた。


「なぜ、正室が側室の私室へやに挨拶に出向かなければならないのですか。側室は正室の許しを得られるまで通い続けるものなのです。身の程をわきまえるべきです。――呂姥、すぐに楊夫人に断りを」

「抜かりありませんわ。すでに断っております。とんでもないことですもの! ――天連様は龍です。世が世ならば、このような場所に収まっている方ではございません! 今は甘んじて峨様の正室ですが、そうだとしても、ご身分は郡主です。深江郡主様なのです。無礼にも程があります!」


 めちゃくちゃ熱く語る呂姥に気後れを感じて蒼潤は口を閉ざす。


(ええーっ、怖っ! 正室とか、側室とか、意味わかんねぇ。どっちがどっちに挨拶に行っても良くねぇ? そんなのどうでもいいじゃんか)


 しかし、どうでも良いわけではないのだということは、2人の様子を見ていて分かる。

 蒼潤の隣にちょこんと座っている芳華さえも、ぷんぷんと怒っている様子を見せるので、おそらく女の世界では常識の範囲なのだろう。


 ところで、蒼潤は生来、身分に頓着しないたちである。

 冱斡国では、城内で暮らす同い年の少年達と野を駆け回って遊んでいた程だ。

 今だって、正体を隠して兵士をやっている。身分がどうのと拘っていたら、とてもじゃないが、多くが農民出の兵士たちの中で共に調練などやれはしない。

 そのため、側室だの、正室だの、無礼だ何だと姥たちが騒いでいる様子に唖然としてしまう。


「何を騒いでいるのですか?」


 不意に凛とした声が響いた。

 どこに行っていたのか、徐姥が蒼潤の私室に戻ってきた。彼女は手を打ち鳴らして言う。


「殿のお越しですよ」


 まさかと思って私室の入り口に振り返れば、衝立の外に峨鍈が立っている。すぐに峨鍈がへやの奥まで入ってきて、場所を入れ代わるように呂姥たちは湯浴みと食事の支度をするために室を出て行った。

 すでに陽が落ちた室内は薄暗く、徐姥だけが残って室の隅で松明を掲げている。


「今夜は来ないかと思った」

「なぜだ? 調練に参加したのだろう? 怪我は?」

「ない」

「見せてみろ」


 ないという言葉だけでは彼が納得しないことは心得ているので、蒼潤は自ら衣を脱ぎ捨てる。

 特鼻褌したばきひとつ纏っただけの姿になってながいすに腰かけると、峨鍈もすぐ傍らに座って蒼潤の白い肌に視線を落とした。

 峨鍈が指先を肌の上で滑べらせるように触れてくる。

 くすぐったいと最初の頃は思っていたその触り方が、今ではほんの少し心地良い。触れられたところから彼の熱が伝わり、ぽっと炎が灯るように温かくなった。


 もう見せる場所なんてないと言うほどに蒼潤は峨鍈に体を丁寧に確かめられる。腕を取り、肩から指先まで。脹脛を持ち上げて、太腿から足の指先まで。

 これが毎晩なので、呆れ果ててしまう。


「髪を洗ってやりたいが、梨蓉のもとにも行かねばならん」

「行けばいい」

「――気になるか?」

「いや、まったく。むしろ、なぜそう思う?」


 嫉妬しているのかと聞かれた気がして、蒼潤は眉を顰める。


「お前はもうここに来なくていい」

「そう言うな。来れる時には来る。――ところで、気に入った女はいたか? せっかくお前のソレを使えるようにしてやったんだ。使ってみたらどうだ」

「はあ?」


 意味を捉え損ねて蒼潤は峨鍈に振り向き、聞き返す。

 そして、ソレが何を示しているのかに気付くと、かぁっと頬を赤く染めた。

 赤面した顔で彼と目が合い、蒼潤は慌てて顔を背ける。彼は自分の女たちの中から蒼潤に指南役を選ばせようとしているのだ。

 以前にも、指南役を捜してやると揶揄うように言われたことを思い出して、蒼潤はまだ揶揄われたのだと腹を立てて吐き捨てるように答えた。


「必要ない」

「だが、お前、もう16だろう。俺がお前の歳の頃には――」

「お前と同じにするな。だいたい、お前。なんで側室が5人もいるんだよ。めかけは何人だ? 20人? はぁ~? 多すぎだろう。ふざけんなよ?」

「知らぬ間に増えているのだ。仕方なかろう」

「そんなわけあるか!」


 一夫多妻制は有力者の常だが、蒼潤の父である蒼昏には――蒼潤の知る限り――桔佳きっか郡主しかいなかった。

 かつては2人の側妃がいたそうだが、蒼昏が帝都を去る時に実家に戻ったのだという。

 その後も蒼昏は妾妃さえ置かずに桔佳郡主ただひとりを大切にしていて、その姿を見て育った蒼潤にとっては、峨鍈の周囲にいる女たちの存在は信じ難かった。


 とは言え、自分は男の身であるし、峨鍈と自分の婚姻はお互いの利を求めた一種の契約のようなものだ。

 蒼潤が峨鍈の女について、とやかくいう筋合いはない。

 もうどうでもいいや、と蒼潤は話を終わりにしたかったのだが、峨鍈がしつこく言葉を重ねてくる。


「だから、何人かお前にやると言っている」

「だから、いらねぇーって!」

「そんなことを言っていると、いざ抱きたいと思う女が現われた時に、しくじって恥をかくぞ」

「……」


 蒼潤が押し黙ったので、峨鍈はニヤリと笑みを浮かべた。

 まるでその時が来たことを考えて不安を抱く蒼潤を励ますかのように、峨鍈は蒼潤の頭をくしゃりと撫でた。


 ――まったくもって、ひどい見当違いだ!


 蒼潤はただ、何を言っても通じない峨鍈に呆れ果てて言葉を失っただけなのだ。そのことにちっとも気付いていない彼は続けて言った。




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