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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
3.葵暦191年の夏から初冬 併州斉郡 初陣 
22/58

8.留守居を命じる


 肌を刺すような冷たい風が北から南へと吹き抜けていき、季節は稔りの秋から冬へと大きく進んで行こうとしていた。

 さい郡太守として斉郡城に留まっている峨鍈がえいは、夏頃に併州刺史から最初の援軍要請を受けたが、動かず。その後、再度の要請を受けて、秋の収穫を終えるまで動けないと返答し、その言葉通りに秋が過ぎていくまで動かなかった。


 そうこうしている間に、併州に攻め込んで来た叛乱軍によって併州刺史が討たれてしまう。

 刺史を失い、まとまりを失った郡太守――とくに叛乱軍の侵攻を受けている杜山とざん郡と豊陽ほうよう郡の太守たちは、峨鍈を併州牧に推挙し、改めて援軍を要請した。

 これに応えるかたちで、峨鍈はいよいよ壬州叛乱軍の鎮圧に乗り出したのだ。


 峨鍈は郡城の広間に己の配下である部将たち、そして文官たちを集めて、大々的な軍議を開いた。

 そこで大まかな戦略を告げ、各々戦支度を整えるよう命じて軍議を終えた。

 峨鍈が私室に戻り、書室しょさい文机つくえの 前に座ってしばらくすると、庭から足音が近付いて来る。

 軽やかに駆けて来るその音は、きざはしを上がって峨鍈の私室の入口の前で止まった。

 

(来たか)


 もっと早く来るだろうと思っていた。なかなか姿を見せなかったのは、おそらく自分よりも先に夏銚かちょうを相手に、ごねていたからに違いない。

 仕方がない奴だと、手にしていた竹簡を文机に置いて峨鍈は私室の入口に向かって声を掛けた。


天連てんれんか? ――入って来い」


 再び足音がぺたぺたと響き、帘幕たれまくの陰から蒼潤が姿を見せる。

 ズボンを穿いてうわぎを身に着け、髪を頭の高い位置でひとつに括っている姿は、少年に見えなくもないが、少女が精いっぱいに男装をしているようにも見えた。

 

伯旋はくせん、話が違う!」


 黒々とした瞳で峨鍈の姿を見つけると、整った眉を吊り上げて、己の不満をぶつけるように声を響かせてくる。

 ただでさえ丸みを帯びた顔なのに、ぷくっと頬を膨らませて蒼潤は峨鍈と対峙するように文机の前に座った。

 睨まれて峨鍈は文机に肘をつき、すぅっと細めた瞳で蒼潤を見つめ返す。


「俺は、駄目だと言った。お前は連れて行かない」

「嫌だ!」

「嫌だと言われてもな。すでに決まったことだ。柢恵ていけいと仲良く留守を守っていろ」


 話は先ほどの軍議に戻る。

 峨鍈は自分の配下たちにそれぞれ戦場での役目を与えたが、蒼潤には斉郡城での留守居を命じた。

 夏頃から蒼潤は夏銚軍に所属しており、夏銚の息子の夏昂かこうを名乗っている。

 ならば当然、夏銚と共に出陣し、先陣を切るものだと蒼潤は思っていたのだろう。そうではないのだと知り、不満が抑えきれない様子だった。

 

(こんな子供ガキを戦場に連れて行けるわけがなかろう)


 感情的で、自分の立場と状況をすぐに忘れてしまうような子供だ。

 留守居を命じられた時に蒼潤は危うく皆の前で峨鍈に楯突きそうになったのだ。いくら乗馬が上手く、剣も弓も扱えるのだとしても、思考が幼過ぎる!

 それに比べて、と峨鍈は柢恵の落ち着いた様子を思い出す。


(いや、あれは落ち着いているとはまだ別物かもしれんが……)


 柢恵は蒼潤よりも歳がひとつ上だ。

 数年前に琲州はいしゅう鮮郡せんぐんから連れて来た少年で、達観した目を持っている。

 一を伝えれば、十を理解するため、峨鍈の考えを皆まで言うことなく汲み取ることのできる貴重な人材であった。


 ただし、こちらも未だ子供である。

 先ほどの軍議でも退屈そうな様子を隠そうともせずに、大きな欠伸までしていた。評議でも立ちながら寝ていることが多い。

 それは怠惰というよりは無気力で、他者、そして、物事に対して常に一線を画しているかのようにも見えた。


(熱量ばかりの天連と、その熱量が足りない柢恵が合わせれば、ちょうど良くなるか、さらに手に負えなくなるかのどちらかだな)


 その時、蒼潤が、ばんっ、と両手で文机を叩いて腰を浮かせた。

 物思いに更けていた峨鍈は僅かに驚いて蒼潤に視線を向ければ、蒼潤は文机に上体を乗り上げさせて嚙み付くように言った。


「なんで俺がそいつの下なんだ!」


 そいつ、というのが、すぐに柢恵のことだと察して峨鍈はさらりと答える。


「お前より柢恵の方が冷静で賢いからだ」


 不服そうな顔を近付けられて、峨鍈は愉快に思った。

 ぴんっ、と蒼潤の額を指先で弾いてニヤリと笑う。すると、蒼潤は額を手で押さえて頬に朱を走らせた。

 斉郡城の留守居を命じた際に、蒼潤を柢恵の下につけた。口が達者な柢恵が蒼潤に負けるとは思えなかったが、蒼潤を上に置けば柢恵の言葉に耳を貸さない恐れがある。


「柢恵から学べることがあるはずだ。歳も近いのだから親睦を深めてみたらどうだ?」

「なんであんなやつと」

「柢恵の何が気に入らないのだ?」


 拗ねたように顔を背けられ、峨鍈は眉を寄せた。

 おそらく蒼潤は今日の軍議で初めて柢恵と会ったはずだ。直接、話したこともない蒼潤が柢恵を気に入らないと感じた理由が分からず、怪訝に思っていると、蒼潤がパッと峨鍈に振り向いた。

 だが、視線が合うと、蒼潤はすぐに気まずそうに顔を逸らす。


(なんだ?)


 何か言いたいことがあるのだろう。

 そして、それは蒼潤にとって言いづらいことなのだろう――というところまでは分かったが、いったい蒼潤が何を言い淀んでいるのか分からず、峨鍈はじっと蒼潤に視線を送って言葉を待った。

 やがて蒼潤は視線を伏せたまま、ぽそっと囁くように言った。


「さっきの軍議で、あいつの方が俺よりお前に近かった」

「……」

「……」

「……」


(んんんっ!?)


 目を見張って蒼潤を見やれば、自分が口にした言葉がひどく気恥ずかしかったようで、やはり俯いたまま、膝に置いた拳をぎゅっと握り締めて、峨鍈の反応を恐れるように体を縮めている。

 堪らず峨鍈は腕を伸ばして蒼潤の襟首を捉えた。文机越しに体を引き寄せ、先ほど自分が指先で弾いたところに唇を押し当てた。

 夏銚が蒼潤のことを、可愛いと連呼する気持ちが分かった気がした。

 峨鍈が蒼潤の額から唇を離したのとほとんど同時に、不意を突かれたようになっていた蒼潤が我に返る。


「はっ!? 何すんだよっ!!」


 すぐさま峨鍈の手を振り払い、跳ねるように立ち上がって壁際まで大きく飛び退いた。額を両手で押さえて睨み付けてくる。

 その様子がまさしく子猫のようで峨鍈は、くくくっと声を立てて笑った。


「お前、時々、途轍もなく可愛いな」

「はぁ!?」


 蒼潤の不服そうな顔を見ながら峨鍈はますます愉快になる。


 軍議の場において、峨鍈の近くには峨鍈が信頼を置く古参の配下たちが立ち並ぶ。新参者ほど遠く、また、地位の高さによっても立ち位置が決まっていた。

 柢恵は孔芍の推挙によって峨鍈の配下になったため、未成年のうちは孔芍の庇護を受けていて、軍議や評議の際には孔芍の隣に立っていることが多い。

 そして、孔芍は峨鍈の筆頭軍師であるため、峨鍈の一番近くに立つ。


 それに対して、蒼潤は夏銚の息子で、深江郡主の兵を率いている。とは言え、無位無官の子供である。

 夏銚も軍議において峨鍈のすぐ近くに立っていたが、彼は実子である夏範かはんさえも自分の隣に控えさせず、下位の者たちと共に並ばせていたので、蒼潤も夏範と共に広場のかなり後ろの方に控えていた。


(柢恵の方が自分よりも重用されていると感じて妬んだのだろうが、まるで嫉妬されたかのようで悪い気はしないな)


 ――もっとお前の近くに行きたい。

 そう言われたような気がして自然と顔がニヤけてしまう。その顔を誤魔化すように峨鍈は、さて、と言って蒼潤から視線を逸らした。


「話は終わりだ。俺はやらねばならぬことがある。お前はさっさと私室に戻れ」


 もうしばらく揶揄ってやりたい気持ちもあったが、戦をすると決めた以上、やらなければならないことが山積みだった。

 これからすぐにでも孔芍を呼んで兵糧について話し合わなければならない。


「でも、俺、戦いたいんだ。きっと役に立つから!」


 地団太を踏んで、なおも駄々をこねる蒼潤に、うるさい、と一喝して、出て行けと片手で払う。

 そうしてようやく室から出て行った蒼潤の足音が遠ざかっていくのを聞きながら峨鍈は文机の上に竹簡を広げた。



 △▼



爸爸ちちうえ!」


 その大きな姿を見付けて蒼潤が呼びかけながら駆け寄って行けば、夏銚が一瞬、げっ、という表情を浮かべて、それを誤魔化すようにつたない笑顔を浮かべた。

 蒼潤は、ムッとして夏銚の顔を見上げる。


「爸爸、昨日も今日も俺のことを避けていましたよね?」

「そんなことはないぞ」


 夏銚はあからさまに蒼潤から視線を逸らし、砂を踏みつけるように郡城の奥へと歩みを進めた。

 蒼潤は置いて行かれまいと夏銚の横を小走りで追う。


「出陣の準備で忙しいから今日も調練は無しだ」

「爸爸。ねえ、爸爸ーっ」

「そんな甘ったれた声を出してもダメなものはダメだ。殿もダメだと言ったのであろう?」

「だから、爸爸からあいつに言って欲しいんです。明日ですよね、出陣するのって。もう時間がないんです!」


 蒼潤は必死だった。

 だって、戦場で戦うために夏頃から調練に参加していたのだ。

 剣を握って、敵を討つ。そんな自分の姿を思い浮かべながら頑張ってきたのに、留守居を命じられて、蒼潤は悔しくて堪らなかった。

 

(それに、伯旋のやつが、どうやって100万の叛乱軍を自分の味方にするのか気になる!)


 彼の胸の内にある策が知りたくて、そして、それが成し遂げられるさまを自分の目で見届けたくて、蒼潤はどうしても斉郡城に置いて行かれたくなかったのだ。

 

(もうこうなったら恥も外聞もない!)









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