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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
3.葵暦191年の夏から初冬 併州斉郡 初陣 
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4.夏昴と深江軍


公子わかぎみ、皆が戸惑っています。順を追って説明してください」

「ええっと、つまり、わたしは夏昂かこうで、父上の名は夏銚かちょうなんだ」


 かっ‼ と、あちらこちらで驚きの声が上がる。

 夏銚と呼び捨てにする無礼を犯すわけにはいかず、かろうじて『かっ』と声を漏らしただけに留めた者がたくさんいた結果だった。


「そういうわけで、みんな、あっちの軍営に移動!」


 あっち、と蒼潤が指差した方角には夏銚が斉郡城の南に敷いた軍営がある。

 柵に囲まれた広い敷地の内に幕舎が張られているのが見えた。

 

「そういうわけでというところが、まったく理解できません」

「嫁がれたのですよ。どうして宮城の奥で大人しくしていないんですか!?」

しん殿にならって、我々も『公子』と呼ぶべきですか?」


 口々に兵たちに詰め寄られて、蒼潤は両手を顔の前で突き出す。


「もう、みんな、うるさい! とにかく、これからは俺もみんなと一緒にいられるようになったんだから、いいじゃないか!」


 蒼潤の兵たちは、皆、蒼潤を敬愛しているし、忠誠も誓っているが、気安すぎて、まるで友人か親族のように蒼潤に接してくるのだ。

 心から心配している一方で、やはり蒼潤が自分たちのもとに戻って来たように感じて、皆、浮き立っていた。

 蒼潤が自分の馬に騎乗すると、彼らは蒼潤を囲むようにして和気あいあいと夏銚の陣営へと移動する。


 夏銚は彼によく似た面差しをした体の大きな青年を伴って、幕舎の前で蒼潤を迎えた。

 蒼潤が下馬するのを待って、夏銚がまるで怒鳴っているかのような大きな声を上げる。

 しかし、彼が怒っているわけではないのは、その表情を見れば明らかで、蒼潤の細い肩にゴツゴツとした手を置いて、青年の方に顎をしゃくった。


こう、お前の兄のはんだ。――ところで、お前、歳はいくつだ?」

「14です」

「なら、範はお前よりも6つ年上だ。範、弟の面倒を見てやれ」


 はい、と穏やかそうな声で父親に応えて夏範は蒼潤に視線を向ける。その柔らかな眼差しを受けて、蒼潤は目を瞬いた。

 父親は夏銚で、体躯にも恵まれているというのに、何とも気が弱そうだと思った。


(こいつになら勝てるかもしれない)


 見るからに強そうな夏銚には敵わないだろうが、その息子を打ち負かしてみせたら、夏銚はもちろん、峨鍈だって蒼潤のことを見直すかもしれない。

 そしたら、もっと自分を重用してくれるだろうし、大きなことだって任せてくれるかもしれない。次の戦にも連れて行ってくれるに違いない!

 蒼潤は、にこっとして夏範を見上げた。


「兄上、さっそくですが、手合わせしてください」


 夏範は、おやっと驚いたような表情を浮かべてから、にっこりと微笑み返してきた。


「いいよ。でも、せっかく兄弟になれたのだから、もっと打ち解けて欲しいな。『大哥おにいちゃん』と呼んでくれると嬉しいんだけど?」

「分かりました。兄上がわたしに勝てたら呼んで差し上げます」


 言って、蒼潤は唇の端を二ッと引き上げて、ざらりと剣から鞘を払う。

 夏銚が呆れたように片手を振って言った。


「お前たち、やるのなら、もっとあちらの広いところでやれ。それから、真剣は使うな」


 すぐに木刀が用意される。

 夏銚があちらと言って指し示した広い場所に移動すると、蒼潤はさらさらとした砂地を踏み締めて夏範に向かって両手で木刀を構えた。

 夏範は大きな手で、少し握り難そうに木刀を片手で握る。蒼潤には太く大きく見える木刀が夏範の手に収まると、なぜか細い枝のように見えるから不思議だ。


 二人の周囲に兵士たちが集まって、遠巻きに輪をつくった。

 夏銚の兵士たちはもちろん夏範を応援しているし、蒼潤の兵士たちは蒼潤を応援して声を張り上げて来る。

 体格差が明らかなので、夏銚の兵士たちの中には蒼潤を可哀想に思って蒼潤の応援に回る者もいたが、揶揄する声の方が大きかった。


 6歳差だと夏銚は言ったが、夏範は歳の割に体が大きく、がっしりとした筋肉がついており、とても20歳には見えなかった。彫りの深い精悍な顔つきに、落ち着いた雰囲気を纏っていて、ずっと大人びて見えた。

 対して、蒼潤は歳の割に小柄で、小枝のような手足に、風が吹けば飛んでいってしまいそうな薄っぺらい体をしている。色白で、丸みを帯びた幼い顔立ちは、どこからどう見ても少女にしか見えない。

 しだいに大人たちは、蒼潤が泣き出してしまうのではないかと心配になり、手合わせを止める声も上がり始めた。


 そんな中、先に動いたのは蒼潤だ。

 地面を蹴って跳び上がり、回転を付けながら切り掛かる。

 カツン、と片手で握った木刀で受け止められて、蒼潤は両手で握り締めた木刀ごと体を弾き飛ばされそうになった。


(力が強い!)


 打ち合うと、指先から肘まで鈍く痺れる。

 何度か打ち合いながら、蒼潤は夏範の腕の太さや肩や胸の厚みが見掛け倒しではないのだと知った。

 夏範の動きはさほど速くはないし、夏範の方から深く打ち込んで来ることはなかったが、蒼潤の攻撃を受け止めた時、そして、蒼潤の木刀を払い除けようとする力が強くて、蒼潤は何度も木刀を取り落としそうになる。


 地面を蹴って再び打ち込む。

 間合いに入って、脇腹を狙おう。足を掬うのもいいかもしれない。

 身長差が大きいから、飛び跳ねるよりも、身を屈める方がいい。


(動きは速くない! 隙をつけ!)


 ――そう狙いを定め、打ちかかろうとした時だ。

 夏範の木刀が地面を掬うように下から上へと流れ、蒼潤の腹を激しく打ち付けた。

 衝撃に跳ね飛ばされて、蒼潤は地面の上に転がる。


「痛っ‼」

「公子!」


 すぐに甄燕が蒼潤のもとに駆け寄って来た。

 抱え起こされ、蒼潤はぐっと奥歯を嚙みしめて夏範を見上げる。

 勝負が決したのに、誰もが息を呑んで歓声を上げることは無かった。皆、蒼潤が怪我を負ったのではないかと不安げな表情を浮かべている。


 大丈夫、と言って蒼潤が立ち上がると、夏範もホッとした表情を浮かべて蒼潤に歩み寄って来た。

 にっこりとして言う。


「驚いたよ。昂はとても強いんだね」

「次は弓で勝負だ!」


 蒼潤が懲りずに言うと、夏範は驚いた表情を浮かべて息を呑み、それから、うん、と頷いて目を細めた。


「昂、大哥おにいちゃんだよ」

「……」

「昂?」

「……大哥あにうえ、次は弓で勝負したい」


 言って、ぐうっと喉を鳴らせば、夏範が再びにっこりとした。


「わたしは弓があまり得意ではないから、きっと次は昂が勝つよ」

「そうなのか!? なら、最初から弓で勝負すれば良かった!」


 勝てると聞いて蒼潤が、ぱっと顔を輝かせると、夏範は、はははっと声を立てて笑う。

 

「昂って、面白いね」

「何がだ! 勝てなきゃ面白くない! 大哥、早く勝負しよう。まとはどこ?」


 蒼潤が夏範の袖を引っ張るのを見て、夏銚はガラガラとしゃがれた声を張り上げた。


「お遊びはそこまでだ! 皆、調練に戻れ。範、お前もだ」


 夏銚が集まっていた兵士たちを散らせると、彼らは蒼潤がやってくる前までにおこなっていた調練にそれぞれ戻って行った。

 夏範も蒼潤に向かって片手をひらひらと振りながら自分の持ち場に戻って行く。

 その様子を見送ってから、夏銚が蒼潤と蒼潤の兵士たちに視線を向けた。


「深江軍の実力が知りたい。摸擬戦を行うから、昂が率いてみせろ。俺は新兵を率いる。開始時刻は、半刻後でいいか?」

「早くやりたいから、四半刻しはんとき後!」

「いいだろう」


 四半刻は、おそらく戦術を練るための時間として与えられたのだが、蒼潤は基本的に行き当たりばったりな性格をしているため、四半刻の意味を理解していなかった。

 尚且つ、深江軍には軍師がいない。仕方なく、甄燕が与えられた時間で簡単な作戦を立て、兵たちに指示を出していく。


 そうして、兵数を同じにして摸擬戦を行った結果、深江軍は相手が新兵だけだったとは言え、夏銚が率いた軍勢を見事に打ち勝ってみせたのだ。

 付け焼き刃のような作戦でも、蒼潤への忠誠が高い深江軍は統制が取れていて、指示が正確に通ることが強みだ。

 さらに、副将の甄燕は機を読むことに長けており、劣勢だと思えばすぐさま引き、隙があると見定めるや否や躊躇なく攻め入ってくる。

 その動きの柔軟性と大胆さは、夏銚を唸らせた。


「甄燕と言ったか、きちんと兵法を学んでみろ。お前は見込みがありそうだ」

「父上、わたしは?」


 夏銚が甄燕ばかりを褒めるので、蒼潤はムッとする。

 お前は、と言いながら蒼潤のふくれっ面を見やり、夏銚は笑みを浮かべ蒼潤の頭を軽く小突いた。


「無謀すぎる」

「は!?」

「周囲をよく見ろ。ひとりで突っ込んでどうする。馬を駆けさせるのが上手なのは分かったが、お前の速さに周囲が付いて来ていない。甄燕がいなかったら、お前は捕虜になっていただろう」

「えー」


 不服に思って声を上げると、夏銚はニヤリと笑みを浮かべた。


「お前が周りに合わせられないのなら、兵たちがお前に合わせられるように鍛えるというのも、ひとつの手だな」

「なるほど!」


 蒼潤もニヤリと笑みを浮かべて、自分の兵たちに振り向く。特に騎乗している兵士たちに視線を向けて、彼らに不安感を抱かせた。

 多くの兵士たちが予想していた通りに蒼潤が、乗馬訓練をいっぱいしよう! と言い放つと、夏銚は堪らないとばかりに、がはがは笑った。



△▼



 その晩、峨鍈が蒼潤の私室に出向くと、蒼潤は湯浴みを済ませて傷の手当てを受けているところだった。


 ながいすに腰かけた蒼潤は腰布を巻いただけの無防備な姿を晒している。剥き出しの肩はひどく華奢で、白い肌は峨鍈の目に眩しく映った。


 濡れて青く色づいた髪の湿り気を、蒼潤の傍らに立った侍女が布で軽く押さえつけるようにして拭いている。

 峨鍈は片手を振って、その侍女に場所を譲らせると、蒼潤の傍らに腰掛けて青い髪をひと房その手に取った。


 そして、先ほどの侍女がしていたように蒼潤の髪を拭こうとすれば、蒼潤が怪訝な顔を向けてきた。















【メモ】

 一刻…約2時間  半刻…約1時間

 四半刻…約30分  小半刻…15分

 一刻のうちの最初の1時間は初刻。その後の1時間は正刻。

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