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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
2.葵暦191年の春 渕州冱斡国 出会い
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12.遠ざかっていく互斡城

 

 主屋おもやを出たところで、蒼彰そうしょう蒼麗そうれいと共に蒼潤そうじゅんを待っていた。

 この姉と弟は昨日ひどく言い争ったため、視線が合うと二人とも気まずげな表情を浮かべる。だが、桔佳郡主に遠ざけられた蒼潤を誰よりも気に掛けてきたのは、姉の蒼彰だ。

 気まずいまま別れて良いはずがないことを、二人とも心得ていた。


「季節が変わるごとにふみを寄越して」

「姉上も」


 それから蒼潤は妹に振り向いて両手を握り、別れを告げる。蒼麗は僅かな間、物言いたげな表情を浮かべていたが、結局、きゅっと唇を結んで俯いた。

 姉妹たちとはそこで別れ、蒼潤は蒼昏そうこんに最後まで見送られて宮城の正門の前で馬車に乗り込んだ。


 峨鍈は琲州はいしゅうりん国から三百ほどの兵を呼び寄せている。率いて来たのは、夏銚かちょうの実弟である夏葦かいだ。

 そこに蒼潤を慕って共に互斡国から発つ兵が五百。蒼昏が蒼潤につけた数十名の下女が加わり、長い列をつくった。


 華やかな馬車が五台。その後ろを荷車が十数台続く。荷車の荷はすべて蒼潤の嫁荷であった。

 馬車と荷車の側面を騎乗した兵士たちで挟むように囲んでいる。馬車を引くのは、並ぶように繋がれた二頭の馬だ。


 五台の馬車のうち、他の馬車よりも大きくて一段と華やかな馬車だけは四頭の馬が繋がれている。その馬車に蒼潤が侍女たちと共に乗り込んでいた。

 峨鍈も自分の馬に跨ると、夏葦に視線を向ける。夏葦が出発の合図を出して、ゆっくりと列の先頭の兵たちが歩み始めた。


  河の水が流れるように花嫁を連れた行列が進む。列は宮城を出発した後、その南側に位置する王城を堂々と抜けて城門を出た。

 城門から外郭門を真っ直ぐに繋いだ大通りは、互斡国の主である互斡郡王の次女――深江郡主に別れを告げようと押し寄せた互斡国の民で大騒ぎとなる。

 人々を掻き分けるように一行は進み、太陽が空の一番高い場所にくる前には外郭門を出た。


 青々とした草原の海の中に、ぽつんと佇んだ互斡城。

 草原では放牧された馬たちが草をんでいて、吹き抜けていく風が彼らの鬣をたなびかせる。

 まるで世俗から切り離され、天下の争い事など知らぬかのような、のどかな景色であった。――そして、それが蒼潤を育んだ景色である。

 今頃どんな想いで故郷の景色を眺めているのだろうかと、峨鍈は馬車の中の蒼潤に思いを馳せた。


 半日進むと、草原は埃っぽい灰色の大地へと変わる。

 一行の両脇には岩山がそびえ、この辺りで賊に襲われたら厄介だと警戒しながら更に進んだ。

 やがて薄暗くなってきて、日入りの頃に行進を終える。夏葦の指示で乾燥した大地に白い花が咲くように次々と天幕が張られていった。


 天幕の外で、かかり火が煌々と燃え上がる。 飛び散った火の粉は、まるで命を持っているかのようにパチパチと鳴いて、死んでいく。

 天幕の中では、下男に松明を掲げさせ、峨鍈が地図を眺めていた。 地図の上に影を落として夏葦が峨鍈の隣に並び、指先を地図に滑らせる。


「明日にはえん州互斡国を出て、へい州斉郡に入れる。兄貴とはさい郡城の手前で合流できるはずだ。――斉郡の叛乱軍は10万と聞く。斉郡城の兵力は3万。そして、お前の兵力は1万」

「まあ、勝てるさ」

「そうとも。伯旋はくせんが負けるはずがない」


 ニヤリと笑みを浮かべて夏葦が峨鍈に視線を向けてきたので、峨鍈も同じように口元に笑みを浮かべて夏葦を見やった。

 峨鍈の従兄弟いとこである夏兄弟は、兄の夏銚かちょうは峨鍈よりも5つ年上だが、弟の夏葦は峨鍈と同じ年の生まれだ。

 幼い頃は何かと張り合っていた峨鍈と夏葦だったが、今や信頼し合える仲であり、夏葦は峨鍈に発破をかけるのが上手かった。


 夏葦が孔芍こうじゃくの文を持って互斡国に到着したのは、昨日のことだ。 

 文の内容は、斉郡から援軍の要請があったというもので、それは峨鍈の読み通りであった。


 斉郡は併州の内にある。併州は北で渕州、南で琲州に接している。

 斉郡では今年の初めから農民叛乱が起きていて、瓊倶けいぐは渕州と共に併州も狙っているため、叛乱の鎮圧を自らが任命した斉郡太守に命じた。

 ところが、その者が無能なのか、少しも治まる気配はない。 そこで瓊倶が目をつけたのが、峨鍈だ。


 併州を手に入れたいと思うのであれば、本来、瓊倶自身が叛乱を鎮圧に向かうべきである。ところが、瓊倶の意識は渕州の北に向いていた。

 北には瓊倶に敵対しつつ、勢力を広めていっている糜丹びたんがいるからだ。


 瓊倶にとって峨鍈は昔馴染みであり、舎弟であるという認識であったが、他の者たちとは異なり、峨鍈は自分に対して媚びへつらってくることがない。

 幼いうちはその生意気な態度が新鮮で好ましいと思っていた瓊倶だったが、そろそろ峨鍈は自分の前に跪き、傘下に入る意をはっきりと口にすべきと考えている。


 それ故の今回の援軍要請だ。

 併州に兵を割けない瓊倶に代わって斉郡の叛乱を鎮圧すれば、瓊倶は思うはずだ。峨鍈には自分に追従する意志があると。


 ――もちろん、そんなわけがない!


 人からどう思われようと構わないが、峨鍈には、けして瓊倶の部将になるつもりはなかった。

 ただ今は、自分に力がないことを自覚しているため、一時的に瓊倶の思惑通りに動いてやるだけだ。


(まずは、斉郡)


 斉郡を手に入れて、兵を募る。

 1万を2万にして、さらに大きく強くなる。


 だが、峨鍈が己の犬にはならないと知れば瓊倶は峨鍈を潰しにかかるだろう。

 峨鍈が郡主を妻にしたとの報せも、すぐに瓊倶の耳に入るに違いない。

 野心を持たぬ者が郡主を娶るわけがないので、峨鍈が郡主を娶ったと知れば、たとえ瓊倶の察しが悪くとも、峨鍈が自分の下につくつもりがないことを理解するはずだ。


(次はどこだ)


 峨鍈は地図を見やり、指を滑らせた。夏葦がその指をぎょろりとした眼で追う。


「――じん州」


 指が辿り着いた地を見て、夏葦が呟いた。

 壬州は渕州よりも北東に位置し、やはり叛乱が起きている。それも斉郡とは比べものならないほどの大規模なもので、叛乱軍の数は百万だと聞いている。

 今はまだ壬州のみの問題であるが、なにぶん、数が数である。いずれ壬州から溢れ出た叛乱軍が他の地に雪崩れ込んで来る可能性があった。


 瓊倶はこれに自分を当てるだろう。

 勝てるわけがない。そうと思っているからこそ命じるのだ。 壬州の叛乱を鎮定しろ、と。

 己の手に余る峨鍈を、自分以外の者の手で葬る。それが瓊倶のやり方なのだ、と峨鍈は嗤った。


「斉郡のことは良い。問題は壬州だ」

「大丈夫だろ? 何と言っても、お前は郡主を娶ったのだ。人はいくらでも集まる!」

芝水しすい、お前は単純で良いな」

「あれこれぐだぐたと考えるのは苦手だから、俺はお前に従うのさ。頼むぞ、殿との


 ニッと笑って口にする言葉は、いくらも主君を敬ってはいない。調子の良い時ばかり『殿』と呼ぶ。

 ところで、と夏葦は天幕の中を見渡して怪訝顔になり、峨鍈が身に纏っている紅の長袍を指差しながら言った。


「お前、ここで休むつもりなのか?」

「そのつもりだが、なんだ?」

「馬鹿な。今日は婚礼だったのだぞ。相手は14の子供だが、嫁は嫁だ。婚礼の夜に花嫁を放っておくつもりか? 可哀想じゃないか」


 ――可哀想?


 峨鍈の脳裏に、元気いっぱいな蒼潤の顔が浮かぶ。いかにも、可哀想とは真逆な悪童わるがきの顔だ。

 だが、やっとの思いで手に入れた蒼家の血を抱いた子供である。その様子が気にならないわけではない。

 峨鍈が考え込むように口を閉ざしたので、夏葦が軽口を叩くように言った。


「それにしても、深江しんこう郡主を娶るとは意外だったな。深江郡主って、互斡郡王の二番目の郡主だよな? てっきり一番年長の河環かかん郡主を連れて来ると思っていた。そうでなければ、美貌が噂される玉泉ぎょくせん郡主だろうと。結局のところ、年長だと言っても、河環郡主だって、まだ16歳だ。12歳の玉泉郡主と4つしか変わらない。4年くらい長く待てなくもないのだから、玉泉郡主を選んでも良かったのではないか?」


 勝手なことを言っていると思いながら夏葦の言葉を聞き、峨鍈は、ふと、蒼潤の青く染まった髪を思い出す。

 蒼潤は、やっとの思いで手に入れた蒼家の血であると同時に、稀少な龍だ。

 蒼潤と出会ってしまった時点で、峨鍈の選択肢は蒼潤しかありえなかった。


(そうか。初夜か……)


 だが、と峨鍈は思う。蒼潤は少年だ。

 蒼潤が抱く人智を越えた力をどうしても手に入れなければならないという焦燥感や、完全に余すことなく自分のものにしたいという欲望はあって、蒼潤を前にすると、彼に触れてみたいという衝動に駆られる。――とは言え、幼い彼を女のように扱うつもりはなかった。

 よって夏葦に指摘されるまで峨鍈は、初夜というものをまったく意識してなかったのである。

 しかし、峨鍈がそうであっても、あちらは自分を待っているかもしれない。まったく待っていないかもしれないが、足を運ばないというのは体裁が悪いだろう。

 峨鍈は片手を振って、分かった、と夏葦に応えた。


「ここはお前が使うといい」

「おう。早く花嫁のところに行ってやれ。」


 夏葦に追い出されるようにして峨鍈は天幕を出ると、蒼潤のもとに向かう。

 蒼潤は乗って来た馬車の中で夜を過ごしているはずである。他の馬車や荷車と並ぶように止め置かれた蒼潤の馬車の方に視線を向けると、蒼潤の乳母と侍女たちが馬車の入口で膳や布団を抱えて立っていた。

 峨鍈が近付くと、彼女たちが揃って頭を下げる。


「待たせたようだな」

「とんでもございません」

「悪いが、俺は軽く済ませてしまった。天連に早く食わせてやれ」


 はい、と答えて、乳母は物言いたげな表情を浮かべて峨鍈を見つめた。


「なんだ?」

「恐れながらお願いがこざいます。天連様は未だお身体からだが成熟されておりません。ご無体な真似だけは、どうぞご容赦ください」


 深々と頭を下げた乳母に、峨鍈はムッとなる。蒼潤が子供だということは承知しているつもりだからだ。言われずとも、子供相手に無理を強いるつもりはなかった。

 しかし、乳母の左右に侍女たちが並び、尋常ではなく必死な様子で訴えてくる。


 









【メモ】

牀…布団を敷けばベッド。布団を退けて長椅子としても使える。

面紗…顔を覆うベール。


・灯りについて

 蝋燭は存在するが、貴重。

 油燈ゆとう(小皿に油を入れて炎を灯す、いわゆるオイルランプ)も、貴重。

 なので、松明たいまつを燃やして灯りとしていた。部屋の中で松明が必要な時には、下男が松明を持って控える。

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