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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
2.葵暦191年の春 渕州冱斡国 出会い
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10.共寝したと言ったら叩かれた


 蒼彰は蒼潤が腰を落ち着かせたのを見て、一変して表情を険しくさせ、とげとげしい口調で言う。


「昨日、笄礼を行ったようね。そして、明日、婚礼だとか。私は何も聞かされていないのだけど」

「父上の承諾は頂きました」

「なぜ私に相談しなかったの?」

「自分のことは自分で決めます」

「そうやって、今まで何度窮地に陥り、私が尻拭いをしてきたと思っているの!」

「今後は姉上の手を煩わせたり致しません」

「そんなはずがないわ! 必ず貴方は私に泣きつくことになるのよ。どうして、潤があの方に嫁ぐことになったの? いったいどうして? あの方は貴方が男だと知っているの?」

「知っています」

「知っていてどうして!? あり得ないわ!」


 ぴしゃりと言い捨てて、蒼彰は床をバシッと叩いた。つい先ほどまで、にこにこと笑みを浮かべていたはずの姉の剣幕に、蒼潤は思わず身を竦めた。


 あり得ない。――その言葉自体には、蒼潤も同感なのだ。

 蒼潤は男だ。簪を挿し、裙を穿き、深衣を身に纏っていても郡主ではない。

 男が男に嫁ぐというのだから、本当に、あり得ない話だった。


伯旋はくせんは、俺に天下を見せてくれると言ってくれた」


 きっと峨鍈は自分を憐れんだのだろう、と蒼潤は思った。

 蒼潤は男として生まれながら、女としてしか生きられない哀れな少年だ。

 玉座を望みならが、玉座から遠く離れた田舎で燻るしかない小さい存在。――それが蒼潤。自分だ。


「俺は知りたい。いろんなことが知りたい。自分の力を試したい。いったいこの世界で、俺は何を成し得ることができるのだろうか。それを知りたい。――俺は玉座が欲しい」


 蒼潤は蒼彰をまっすぐ見つめながら、ぎゅっと拳を握り締めた。


「女として生きていることだけでも口惜しいのに、何が悲しくて、男に嫁がなければならないのか。ひどい屈辱だと思う。だけど、それでも俺は、その屈辱に耐えてでも、玉座が欲しい!」

「潤……」

「姉上、おそらく父上には玉座を望む意思がないと思う」


 取り繕うということを知らない蒼潤が思ったままを言葉を口にすれば、蒼彰は、さっと顔色を変える。

 賢い姉のことだ。蒼潤に言われるまでもなく、父――蒼昏の真意に気付いていたはずだ。

 蒼彰は、ぐっと奥歯を嚙みしめ、そして、睨むように蒼潤を見据えて言った。 


「ならば、いっそのこと、潤は嫁いではいけないわ! 貴方は龍なのだから、誰かのものになってはならない。――それに、あの方は危険だわ。貴方にはあの方をぎょせない。たとえ、この先、貴方が玉座に座る時が来たとしても、あの方は貴方を傀儡とする」


 まるで予言めいたことを言う蒼彰に、蒼潤は頭を左右に振った。


「伯旋は約束をしてくれた。俺を裏切らないって」

「信じるの?」

「俺はあいつの話を聞くのが楽しい。あいつは、これからいろんなことを教えてくれるって言ったんだ。俺はそれを信じたい!」


 蒼潤が思わず声を荒げれば、蒼彰も負けじと声を荒げる。片膝を立てて、蒼潤の方に身を乗り出すようにして言った。


「耳障りの良いことを言っているだけよ! 愚かな貴方は騙されているの!」

「うるさいっ! もう俺は決めたんだ!」

「まだ婚礼は挙げていないわ! 間に合う! 私がどうにかするから、貴方は祠堂に籠っていなさい!」

「嫌だ! 誰が祠堂なんかに入るものかっ! 俺は互斡の地を出るんだ! ――それに、姉上が何と言おうと、もう手遅れだ。俺は昨晩、あいつと共寝ともねした」


 カッと、蒼彰の目が見開かれる。

 そして次の瞬間、ぱしんっと蒼潤の頬が鳴った。


「――っ‼」


 振り下ろされた蒼彰の手と、赤く染まっていく蒼潤の頬。

 二人の侍女たちが、はっと息を呑み、一足早く蒼潤の侍女たちが我に返って、蒼潤に駆け寄った。


「天連様!」

「大丈夫ですか、天連様!」

「いくら郡主様でも天連様に手を上げられるなど、許されません!」


 口々に蒼彰を非難し始めた己の侍女たちに向かって蒼潤は片手を掲げて、口を閉ざさせた。

 蒼彰の侍女たちは蒼彰の周りを固め、彼女を護るようにして蒼潤の室を出て行く。その足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなってから、蒼潤は自分の侍女たちの顔を見渡した。


「大丈夫だ。それよりも明日の支度をしよう」

「まず頬を冷やしましょう」

「支度は私たちで致しますので、天連様はいすに掛けて休んでいてください」


 呂姥が冷たい水を取りに室を出て行き、玖姥に促されて蒼潤は榻に腰を下ろす。

 徐姥と芳華は蒼潤の荷作りを始めていた。婚礼の衣装は母親の桔佳郡主がかつて身に纏っていた物を手直しして着ることになっているので、既に準備は万全だ。

 明日、婚礼を挙げた後そのまま互斡国を発つ。――そう思った時、蒼潤は、はっとして榻から立ち上がった。


「名前だ!」

「天連様?」

「如何されたのですか?」


 徐姥も玖姥も手を止めて蒼潤に振り返る。


翠恋すいれんの仔馬に名前を付けなければならないんだった!」


 それに里の子供たちにも別れを告げたい。彼らは身分を越えた蒼潤の遊び友達だった。

 他にも互斡の地を去る前に、ひと言、挨拶をしたい相手が何人もいる。蒼潤に狩りを教えてくれた男、食べられる野草や薬になる野草を教えてくれた老人、店の前を通る度に売り物の果物を蒼潤にくれた店主の妻――彼らの顔が次々に脳裏に浮かび上がって、蒼潤は居ても立っても居られなくなった。


「着替える。手伝ってくれ」

「お待ちください、天連様」

「そうです。お待ちください。明日は婚礼なのです。その前日に宮城から出られるわけがありません」

「だけど、別れを告げたい相手がたくさんいるんだ。明日、互斡の地を去ったら、もう二度と会えないかもしれない」


 寂しげに声を響かせると、徐姥も玖姥も胸を突かれたような表情をする。

 すると、芳華が母親の隣で小首を傾げて言った。


「婚約者である峨様の許可があれば出掛けられるのではないでしょうか?」

「えっ、そうなのか?」

「そうだと思います。峨様が許可したと言えば、父君にも姉君にも止められることはないかと思います。だって、婚約が成立した時点で、天連様は、ほとんど峨様のものということになっているはずですから」

「あいつのものっていうのは納得できないが、とにかくあいつの許可があればいいんだな?」

「はい、峨様が許可されたことでしたら、私たちも口出しできません」


 こら、と徐姥が娘の袖を引く。蒼潤に余計な知恵をつけるなと、その顔が物語っていた。

 芳華は母親に振り向くと、口元に片手を添えて、大丈夫ですよ、と小声で言う。


「普通の方でしたら、婚礼前日に外出なんて認めませんよ」

「でも、小華しょうか。普通の方でしたら、天連様を妻に選ばないと思いますよ」

「まあ、母さま。おっしゃる通りですわ。どうしましょう」


 こそこそと話しているようだが、母娘の会話はすべて蒼潤の耳に届いている。ちなみに『小華』とは、芳華のことだ。

 蒼潤は、ニヤリと笑みを浮かべると、彼女たちに向かって軽く片手を振ってから私室を出た。

 回廊からきざはしを降りたところで、水桶を両手で抱えて戻って来た呂姥と出くわす。くつに足を通しながら蒼潤は、すまない、と短く呂姥に伝えて中庭を突っ切る。

 えっ、と呂姥が驚きの表情を浮かべて蒼潤に振り返る。


「天連様、どちらに行かれるのですか! 頬を冷やさなければなりません! 天連様ーっ!」


 背中で呂姥の声を聞きながら奥院の門をくぐって、蒼潤は峨鍈がいる客室へと駆けた。

 客室の戸は開け放たれ、その入口に衝立が立てられている。

 中庭から階を上がり、衝立の前に立つと、室の中から声を掛けられた。


「天連か?」


 今朝も会ったばかりだと言うのに、この男のよく通る声で呼びかけられると、嬉しいという気持ちが胸に沸いてくる。

 この男は互斡国の外に繋がっている。自分に天下を見せてくれる存在だと思うと、わくわくと胸が高鳴った。

 蒼潤は、そうだ、と答えて、かたんと衝立に体を触れさせながら室の中に足を踏み入れる。


「何か用か?」


 峨鍈が手に持っていた書物を文机つくえの上に置く。蒼潤は彼の傍らまで寄って、足を組んで座った。

 どうやって話を切り出すべきかと思いながら彼を見上げると、峨鍈の方も蒼潤に視線を向けて、そして、蒼潤の顔を見て驚く。


「どうした?」


 あっと思って、蒼潤は自分の頬に片手を添えた。忘れていた痛みが急に熱を持って、ズキズキと騒ぎだす。

 痛みと峨鍈の表情を見る限り、蒼彰に叩かれた頬はかなり腫れてしまっているらしい。


「姉上にやられた」

「姉君が?」

「姉上は、俺がお前に嫁ぐことがお気に召さないらしい。考え直せと言われた。だけど、そういうわけにはいかないから、既にお前と共寝したと言ったら叩かれたんだ。思いっ切り」  

「なんて?」

「だから、お前と共寝を……」


 聞き返されるとは思ってもいず、気まずい思いで同じ言葉を繰り返そうとすれば、その途中で峨鍈が、ぷはっ、と息を噴き出した。そして、はははっと声を上げて笑う。

 それから峨鍈は体ごと蒼潤に向き直ると、手を伸ばし、蒼潤の赤くなった頬に触れた。


「姉君に言われたにも関わらず、お前の決意が揺るがなかったこと嬉しく思う」

「一度決めたことだ。すでに腹は括ったことだし、姉上になんと言われようと、お前について行く」


 彼が喜んでいるように感じて、蒼潤も何やら嬉しく思う。

 だけど、頬に触れられると痛くて、蒼潤は峨鍈の手をやんわりと押し戻した。


 ふと、蒼昏の言葉を思い出して、蒼潤は峨鍈の顔を仰ぎ見る。姉の蒼彰には、この頬の通り怒られたが、父親の蒼昏もひどく驚き、困惑した様子だった。

 それはもちろん、男の身の蒼潤が男である峨鍈に嫁ぐと言い出したからではあるが、それだけではなく、蒼昏は蒼昏なりに蒼潤の先のことを考えていたからだ。









【メモ】

字の付け方

 ・名と字で「へん」や「つくり」を揃える。

 ・一族の同じ世代で文字を共有する。

 ・生まれた順。長男・次男・三男・四男→伯(あるいは孟)・仲・叔・季 『孟』は側室が産んだ長男

 ・名の意味と関連付ける。同じ意味にしたり、対義語にしたり。

 ・古典や古人に関連づける。

 ・自由。

自分でつけてもいいし、他人につけて貰ってもいいし、人生の途中で変えちゃってもいいので、明確な決まりや縛りはなかったようだ。

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