終幕・俺を縛ることができるのは、俺自身だけ
完結話です。
最後まで、お付き合いくださいませ。
◇◇◇おっさんたちの雑談◇◇◇
ある企業の応接室で、二人の中年男性が向かい合っている。
元々の知り合いなのか、二人ともくだけた口調で、雑談を交わしている。
「悪かったな、境。ウチの若いモンが迷惑かけた」
「いや、ウチの倅も後先考えず、ビル一つ壊したようだ、スマン」
おっさんの一人は、遼太の父、境林太郎である。
「あのビルは、再開発のために取り壊す予定だったからな、実害はないよ」
もう一人のおっさんは、「ほら」と言って、ぽんっとテーブルに札束を置く。
「息子さんへの見舞金だ。取っとけ」
境林太郎は、「悪いな」と言いながら、表情も変えずに札束をしまう。
「ところで境、お前、研究に戻らないのか? 映像による脳内記憶の再構築を行って、義手義足使用者の感覚を取り戻すって、世界で最初に成功したのはお前だったろう」
林太郎は苦笑する。
「ああ、まあな。だが、あれは倅が特殊な能力を持っていたからで、再現性は低い。それよりも……」
林太郎は尋ねる。
「お前こそ、本当に長男にすべてを相続させるのか?」
「ははっ! まさか! アイツはバカだから無理だ。後継ぎは、長女に決めているさ」
「なら良かったよ、雪代」
林太郎の目の前にいる中年の男性は、総資産二十兆円を有する、ユキシロコーポレーション筆頭株主、雪代藤雄であった。
◇◇◇文化祭初日◇◇◇
文化祭初日はつつがなく終了し、翌日のために遼太は一人、展示会場となっている教室に残っていた。
家政部の面々の作品は、レース編みのテーブルクロスやポシェットなどが机に置かれ、それぞれに値札が付いている。
遼太の編んだ長いマフラーは、教室の窓際にかけられているが、こちらは値札が付いてはいない。
「まだ、残っていたの?」
副部長の雪代が、ひっそりとやって来た。
遼太は軽く会釈する。
「あなたの作品は売らないの?」
値札のない遼太のマフラーを見た雪代が訊く。
「売れるような出来ではないですから」
ふわりと香る女子の髪。
ぎくりとした遼太の右手を、雪代は握る。
「この手……」
遼太は息をのむ。心臓が跳ねた。
「短期間で、良く編めているわ、アラン模様のマフラー」
「あ、ありがとうございます」
「アラン模様って、どうやって生まれたか知ってる?」
「たしか、アイルランド地方で、防寒用に……」
雪代は艶やかに微笑む。
「そうなんだけどね。水難事故で亡くなる人の身元をはっきりさせるため、それぞれの家系で独特の模様を作り出したのが始まりみたいね」
「はあ……」
「家の問題は、面倒くさいわ」
◇◇◇文化祭二日目◇◇◇
翌日の一般公開日の午後に、田中がやって来た。
「やっぱ共学っていいなあ。女子がいて」
田中はあちこちキョロキョロと見回り、落ち着きないことこの上ない。
「で、遼太の部室って、どこ?」
入場制限の時間になり、帰っていく人が増えて来た。
校内生は、後夜祭準備を始めている。
人の流れを把握した遼太は、田中を展示会場に連れていった。
「あら、もう閉めようかと……」
展示会場に一人残っていた雪代が、顔を上げる。
「!」
雪代は田中を見て硬直した。
田中は、雪代の美貌に見とれていた。
「境君。この人……」
「ご存じですよね、雪代先輩。あなたの、ユキシロコーポレーションの跡取りとなった、田中くんです」
さらりと遼太は雪代に告げる。
雪代の表情は、みるみるうちに、変容する。
あたかも鬼女の如く。
「えっえっえっ? なに、遼太、ユキシロって、ええっ! 雪代って、まさか! 義姉さん?」
「ねえさん、なんて呼ばれたくないわ!」
田中の反応に、雪代の唇は、三日月のような形になる。
「やっぱり、知ってたのね、境君。そして、あなただったのね、あのビルから脱出したのは」
田中はガタガタ震えている。
遼太が予想した通りの反応だ。
雪代は笑顔を崩さぬまま、二人に話を続ける。
「なんで後継ぎは男子なのか、あなたはご存じかしら?」
雪代は物差しを手に持ち、田中を指す。
田中はふるふると、子犬のように顔を振る。
「雪代一族繁栄のために、女は贄として、使われるからよ!」
「に、え? ってまさか、生贄?」
田中は声も震えている。
「その通り。現に母は捧げられたわ。……まあ、贄の儀式が中止になって、命は助かったけれどね」
遼太の脳裏に、吊るされた女性の姿が浮かぶ。
色の白い、綺麗な女性だった。
たしか、あの時祖父は言った。あと一本、あと一本の縄が結ばれると……
「生命の、樹」
雪代の目に驚きの色が浮かぶ。
遼太の手には、いつの間にか自分で編んだマフラーが握られていた。
「この模様、気が付かなかったですか、先輩」
遼太が広げたマフラーには、両脇の縄模様に囲まれて、真っすぐ伸びる幹と、そこから枝分かれする無数の枝が編まれていた。
その模様こそ「生命の樹」である。
「その模様が……」
遼太は編み上げたマフラーを、するすると解き始める。
「何するの! せっかくの、生命の樹が!」
「くだんねえ!」
遼太の顔には怒りが浮かんでいた。
「男とか女とか。後継ぎめぐって拉致るとか!」
遼太の手には大きな毛糸の球が出来ている。
「そんなことで、命をやり取りするとか! 血の繋がった、姉弟だろうが!」
遼太は、右手の義手を出し、毛糸球を天井に投げる。
毛糸は空中でいくつもの綾を作り出す。
「俺の手は、子どもの頃に壊れた。だからこんな機械が付けられたよ」
遼太の右手のことは、雪代も少しだけ知っていた。
だが、まさか人造人間のような、銀色に光る義手とは思っていなかった。
「なんで壊れたか知ってるのか? 先輩」
教室の床から天井まで、毛糸で作られた樹の模様。
「あんたの母親の儀式に、巻き込まれたからだ!」
雪代の顔色が変わった。彼女の瞳は、一層大きくなる。
「お前もだ、田中! ご大層な跡取りになんぞ、なりたくなかったら、きっぱりそう言え!」
田中はハッとする。
「俺はなあ、こんなマジックもどきの技出す手なんて、欲しくなかったよ。指先は器用になったけど、俺の指に血は通ってない。熱さも冷たさも、感じねえ!」
遼太はポケットから出した、小型のボイスレコーダーを再生する。
『……後継ぎは、長女に決めているさ』
「お父さん!」
「パパ!」
それは遼太の父林太郎と、雪代家当主との会談の一部だった。
全部流すと、田中が落ち込むだろうと遼太は判断した。
「賢明だな、雪代の親父さん。一族の決まりとか贄とか、そんなこと言ってる時代じゃないんだろ」
雪代は俯いていた。
田中はぼんやりとしていた。
「切っちゃえよ、田中! 先輩もさ。縛ってるものをすっぱりと!」
遼太は天井から下がっている編模様を指さし、二人にスチール製の物差しを渡す。
「こんな風にさ」
遼太は右手の人差し指で、編み目に触れる。
すると遼太が触れたところは、編み目がはらりと解ける。
「うわああ!」
田中が物差しを振り回す。
つられて雪代も一心に編み目に切りかかる。
切られ、ほどけて舞う毛糸は、花のように散っていった。
◇◇◇エピローグ◇◇◇
遼太は父の研究所で、バージョンアップされた義手の装着をしていた。
「今度は、皮膚感覚にこだわってみたぞ」
林太郎がそう言うので、左手の指先で右手の義手を触ってみる。
「あ、あったかい!」
遼太の喜色まじりの声に、林太郎は満足そうに頷いた。
「ところで遼太。お前、冬休み前に進路希望出すんだろ? 理系か? 理系だよな」
「いや、北欧文化を勉強したいから、多分文系だと思う」
「ダメだ! 理系じゃないと学費出さん!」
ああ、うるさい。
まったく、こんなことまでシバリがあるのか。
家出するぞ、マジで。
「俺は、縛られたくないぞおおお!」
お読みくださいまして、ありがとうございました!!
誤字報告、いつもありがとうございます!!
参考文献:額田巌「結縛のシステム思考」民俗学研究38、294-313、1974