3話 枚瀬さんと妄想呟き
枚瀬さんを見守るのだ。
たとえそこがバスの車内だとしても。
何でもない平日の朝。
僕はバスの車内にいた。
普段は徒歩で通学しているのだけど、今日はあいにくの雨。傘を差して行くのも面倒なので、こうしてバスを利用しているのである。
さて、雨の日は車内が込み合うのだけど、幸運なことに僕は乗車してすぐに二人掛けの座席、その窓側に座ることができた。すぐに隣も埋まる。
僕は窓側に体重をかけつつ、チラッとその人物に目を向けた。
そして驚いた。
(枚瀬さん!?)
隣に座ったのは、なんとあの性悪小動物こと枚瀬さんだった。枚瀬さんと同じバスに乗ることすら初めてなのに、まさか肩を並べて座れるなんて。
まだ心の準備が……。
挙動不審を絶賛発動中の地味男。
対して枚瀬さんは特に気にした様子もなく、つまらなさそうにスマホを取り出し、ポチポチいじり始めた。
同じクラスにもかかわらず、二人の間には会話どころか挨拶すらない。まあ今まで一度もお喋りしたことがない仲だし、枚瀬さん視点だと僕のことを認識すらしていないだろうから仕方がない。
僕としても見守れるだけで十分だからそれでいい。
(それにしても、枚瀬さんは朝からスマホで何を見ているのだろうか。小説? マンガ? ニュース?)
気になりだすと止まらない。画面を覗き見したい願望に襲われる。
失礼だとはわかっているけど、ちょっとだけ。一瞬だけ。先っぽだけ。
窓側の肘掛けに頬杖を突きつつ、目玉だけを動かして枚瀬さんの手元を見る。
そこには某大手SNSアプリ、その個人アカウント画面が写っていた。
(なるほど。朝から呟こうというのか)
実は枚瀬さん、毎日数件の呟き投稿する呟きマイスターなのだ。決まって寝る前の時間帯に投稿するのだが、今日は珍しく朝から呟こうと考えているらしい。
ちなみに枚瀬さんは「襖の奥のジーニアス」というアカウント名を使っているのだけど、個人情報の管理がガバガバで、呟き内容から容易に枚瀬さんのアカウントであることが割り出せた。
当然、僕はジーニアスのアカウントをフォローしいている。ジーニアスのフォロワー数は1なので、実質枚瀬さんの呟きを僕が見守るだけの場所である。
(さて、どんな呟きを見せてくれるのかな?)
お、枚瀬さんがさっそくおぼつかない手付きで文字をうち始めたぞ(キーボード入力)。どんな内容かな?
僕は自分のアカウント画面をひたすら更新する。
すぐに彼女の呟きが届いた。
ジーニアス『え、ちょっと待って。今、バス乗ってるんだけど、隣の男の人チョーイケメンなんだけど』
……枚瀬さんの隣。つまり僕、高森のこと。
すぐにスマホのカメラを起動させ、インカメでイケメンとやらのご尊顔をチェック。
(いや、どっからどう見ても凡人。とてもイケメンとは言えない)
うん。間違いない。彼女いない歴=年齢を物語る平凡な男だ。
では、枚瀬さんの呟きの真意は?
すぐに次の投稿がきた。
ジーニアス『多分顔の造りからして日本人じゃない。外国の人。』
(これは……)
絶句する。
注目されたい、羨ましいと思われたい。でも現実では誰も相手にしてくれない。そんな悲しきモンスターが自己顕示欲を満たすために用いる手段。
妄想呟きである。
(枚瀬さん……普段から溜め込んでいたんだね……)
だが、ここでドン引きするほど僕は冷たくない。
(どうせ見てるのは僕だけなんだから、乗ってあげてもいいよね)
すかさず返信した。
あなたの衛星さん『へー。どんな感じのイケメンなんですか?』
「ふへっ」
隣で笑う枚瀬さん。悪い顔だ。
シュババとさらなる呟きを投稿する。
ジーニアス『紙が金色で目が青くて慎重2メートルかな。体重は150キロ。ハーバーど大学の人』
体重! どうやって測った! そして大学の取って付けた感!
急な情報過多にビックリだよ。誤字も多いし。
というか、外見でわからない情報を乗せたら一発で想像上の人物ってばれちゃうじゃないか。妄想で呟くにしても、もうちょっと考えてから投稿しないと。
……いや、待てよ。イケメンさんから体重や出身大学を尋ねた上で呟いたという設定もありえるか。一応そこも追求しておこう。
衛星『その人の大学とかはどうやって知ったんですか?』
「チッ」
枚瀬さん!? 不都合でしたか!?
まさか舌打ちをされるとは……。
枚瀬さんは一分ほど言い訳を熟考。そして、
ジーニアス『制服で』
衛星『制服で!?』
思わず返信でつっこんでしまった!
制服がある大学ですら滅多にないのに、どうして海外の大学生が朝から制服で日本のバスに乗っているのか。それともジーニアスが海外在住設定なのか。
衛星『もしかして海外に住んでるんですか?』
と返信したところで、そう言えば枚瀬さんが最初に「日本人じゃなくて外国の人」とわざわざ発言していたことを思い出した。つまり舞台は日本だと予想できる。ミスった。
と思っていたら、
ジーニアス『アイアムアメリカン』
枚瀬さんも設定を忘れていた。
しかもアメリカンを名乗っていながら流暢な日本語だし、そもそもアカウント名に「襖」というゴリゴリの日本文化が入ってるし。
いや、まだ解釈の余地がある。
枚瀬さんがアメリカ国籍の日系ハーフで日本語がペラペラ日本文化に精通、そんな彼女が日本でバスに乗っていたら偶然隣にハーバード大学の制服(?)を着た外国人(ここで言う日本人・アメリカ人以外)(2メートル、150キロ)が座った。
この設定なら整合性が……。
と、ここまで考えて、諦めた。
(いや、無理だ)
僕はスマホから目を離し、投稿に夢中の枚瀬さんを見た。
(いくら枚瀬さんを贔屓したいからといって、ここまで都合よく解釈してしまっては枚瀬さんを甘やかすだけだ。ここはビシッと言ったほうがいい。「その呟き、隙だらけですよ」と。そのほうが枚瀬さんのためになる)
覚悟を決め返信。
衛星『……もしかしてジーニアスさん、嘘ついてます?』
ジーニアス『なんで?』
衛星『言ってることが支離滅裂なので』
これまで生き生きとしていた枚瀬さんの表情が初めて曇った。
さすがにやりすぎたと反省している様子。
これでいい。枚瀬さんが虚言呟き怪人になる前に手を打てよかった。
彼女が道を踏み外しそうになったとき、さりげなく道を修正する。これが僕の役目だ。
そろそろ学校前の停留所につく。僕はすぐに立てるように荷物の準備を始めた。
一方、枚瀬さんはじっと画面を見つめたまま動かない。嘘を見破られてショックを受けているのかな。
弱メンタルの枚瀬さんのことだ。座席から立ち上がれず降りそびれて遅刻、なんて可能性も考えられる。心配だ。でも、これも貴重な経験。次に生かしてほしい。
と、枚瀬さんがチラッと僕の方を見たかと思うと、急に指を動かし始めた。そしてバスが学校前に停まったタイミングで最後の投稿が届いた。
生徒で込み合う車内。清算には行列ができている。まだ降りられそうにない。僕はスマホの画面を確認した。
ジーニアス『ごめん嘘。ほんとはパッとしない地味な男が隣だった。』
……………………。
真っ白になった。
気づけば精算の列は消え、枚瀬さんもバスを降りていた。けれど僕は立ち上がれない。
車内アナウンスどころか雨粒が窓を打つ音すら届かない。結局乗り過ごした僕は2時限目の授業から出席した。
襖の奥のジーニアスのフォロワーが一人減ったのは言うまでもない。