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ついのべ集@しおなか

遊戯 #twnovel 901-1000

作者: しおなか

【901】

 ある夏の涼しい夜、枕元に忍び寄ってきた悪魔が言う、なんでもきみのほしいものをあげるよ、そんなこと急に言われても困るなあ……じゃあ電車のガタタンゴトトンという感じをくれないかな……そんな夢から目覚めたら、全てのレールがひと繋ぎになっていたんだね。日が昇ると熱射でたわむよ。


 *


【902】

 野の花を摘んで冠を造っていたら、可愛らしい妖精がやってきて、可愛らしいお辞儀をするものですから、花冠をひたいにかけてやりました。さて次は血と毛で編んだ冠を造るとしましょう。


 *


【903】

 思い詰めた様子の少女が、死ぬ前におなかいっぱいコーヒー豆を食べたら焼かれるときに良い匂いがするのかしらと尋ねたので、お医者さんは、まずは豆だけ焼いてみましょうね、となだめ顔。


 *


【904】

 すべての角が丸められた世界に、男はただひとりかくばって生まれてしまったので、丸い人々は彼を恐れ、彼に惹かれた。


 *


【905】

 姫さまが体調を崩したかと思ったら、徐々に身体が透けてきて、ついに声だけの存在になってしまった。それから一年。「まだいらっしゃいますか?」「ここにいますよ」いつも眠る前に尋ねて、返事があることに、男はひどく安心する。いっぽう壁の向こうでは、気高い声の使用人の娘がしかめ面。


 *


【906】

 カメラにしか写らない景色があり、オペラグラスでしか確認できない人がいて、夢にだけ現れる獣と、眠る前に聞こえてくる声。それぞれ現実からの差分を足し合わせると、つぎはぎの奇妙な世界が見えてくる。中に迎え入れられる日はきっと来ないけれど、指先でつついて、悲しみを紛らわせる。


 *


【907】

「嘘でしょ、割れていないわ!」低反発素材やハニカム構造の緩衝材に延々と挟まれた生卵には、朝も夜もなく、ピントのずれた喝采が、再放送の賛辞が、惜しみなく与えられる。「嘘でしょ、割れていないわ!」その甲斐は、対照実験ではじめてわかる。卵は少しだけ美味しくなっている。


 *


【908】

 嫌だ、とどんなに納豆があらがっていても、納豆フィルムは奪っていく。ときには二粒でさえ。


 *


【909】

 手のひら妖精には、子どもだけに許される遊びがあって、葉っぱ舟の水遊びもその一つだ。葉っぱを丸めて舟を造って、川に浮かべたらすぐに飛び乗る。転覆せずにどこまで進めるか競いあう。覚えたての魔法を使って邪魔をしあうけど、無害な彼らは、ポピーの花びらを相手に降らせるのが精一杯。


 *


【910】

 機械工学専攻の同窓会で戯れに提案された思いつきに、みんな無邪気に飛びついた。魂が肉体を離れる前に、メンバーのチャットルームに身代わりのボットを自己開発して放つこと。十年、二十年。おしゃべりは続く。三十年、四十年。この世の終わりまで。


 *


【911】

 雪が降りしきる田んぼのあぜ道で、捕虫網を勝手気ままに振り回す男がいる。酷寒の時節にあって、虫は一匹たりとも飛んでいないが、男が網を振り回すたび、中に黒い羽虫が溜まり続けていく。


 *


【912】

 いつの間にか妙に背丈の高い草むらに迷いこんでおり、四方からは秋の虫の声がさざ波のように打ち寄せてくる。やがて茂みがガサガサ揺れて、ナイキのスニーカーを三足履いた等身大のコオロギがひょっこり顔を出す。あっと驚きかけて、すぐに納得する。自分が小さくなってしまっていることに。


 *


【913】

 どんなに耳を塞いでいても外の音が聴こえる、私はおかしくなってしまったのかと男が訴えるので、医者が診察したところ、男は首の裏にも耳があった。


 *


【914】

 悪魔ってやつは復讐のことをなにも分かってない。「このぉコーヒーフィルターをぉ使えばぁ、証拠が全く残らない毒水みたぁいなコーヒーをぉ淹れられるぅ」真っ赤な目をぐるぐるさせて「どぉお?」じゃないっつーの。毎朝コーヒーを淹れてあげられる身分になれなかったからこその復讐なのに。


 *


【915】

 次に用意されたのはもっと網目の大きなフルイだった。巨大な手がドスンドッスンと地平を揺らすと、網目より小さい人間たちは奈落に脱落していった。でもこれは審判の時ではないはずだ。それは残った者たちの顔ぶれを見れば明らかで、どうみたってまともじゃない眼つきの奴らで溢れてる。


 *


【916】

 カスタネットみたいに二つ重なっている歯車を、時計回りに回すと、エモー、ショ、ナル、と鳴り、さてはと反時計回りに回すと、ロジ、カル、と鳴る。それからはどう回しても、ロジ、カル、としか鳴らなくなった。諦めて、部屋の隅に放っておく。思い出したときに回すと、エモー、ショ、ナル。


 *


【917】

 もしも俺が死んで焼かれて骨になったら、下顎を外して、くるみ割り人形に生まれ変わらせてくれないか、と男が言う。誰かのために殻を割る者になりたい、俺は見ているだけでいい、と言う。琥珀の心臓、ガラスの瞳、ねじまきの関節で……歌うように口ずさみ、灰になり、崩れ去る。


 *


【918】

 彼女の体の中には臓物の代わりに赤紫の蝶々がたくさん詰まっており、だから、彼女は花の蜜を吸うなどして暮らしているし、花畑には腸腸が舞うなどしている。


 *


【919】

 外から来たその男の視界に入った者は、瞬間、塵も残さず消し飛ぶので、原住民はみな男を恐れ、背後に回り込んでは泣いていた。いっぽう男は未開の地に上陸して以降、わだかまる背後の気配にたびたび目を向けてみるのだが、いつも悲鳴だけが聴こえてくるので、なんと照れ屋な妖精なのかと……。


 *


【920】

 愛にも憎にも転ぶかもしれない、心の好悪の均衡が奇跡的な女の子が、いとけない足どりで繁華街を歩いてゆくので、黒スーツの男性は心配で咥えタバコを落としたし、腹巻き妖怪オババは久しぶりに誘惑してみるかしらと気の迷いを生じたし、のら猫は意味ありげにニャンと鳴くのだった。


 *


【921】

 地上に全長千キロメートル越えの超弩級メガロ巨人が出現したとき、同時に地底の奥深くのマントルに全長千キロメートル越えの超弩級メガロ巨人状空洞が出現した。


 *


【922】

 夜になると街灯の下に立つ行者がおり、道行く人に、ここには女の霊が居るから近寄るなと声をかけようとしているのだが、街角に不釣り合いな行者本人がそもそも悪霊然としているので、誰も彼と目を合わせない。


 *


【923】

 エッシャーの階段に雪化粧をしたあと、一番高い段に腹這いのコウテイペンギンを配置する。やがてゆったりとした腹滑りがはじまる。下にトボガン、下にトボガン、上にトボガン。天地乾坤。


 *


【924】

 海の世界には、人魚の涙、という言葉がある。海の中で泣いても、涙は見えないし、海水がしょっぱいから、涙の欠片を吸い込んでも、違いが分からない。だけど特別な二人の間には、理屈を越えて伝わることがある。あ、いま泣いてるんだって、分かるときがある。それを、人魚の涙と呼んでいる。


 *


【925】

 彼は、誰かが捨てた忘れたい嫌な出来事を、せっせと拾い集めて、値上がるときを待っている。捨てたはずの嫌な出来事を取り返したい奴なんていない、と周りは言うけれど、それは間違いだ。捨てた誰かは必ず戻ってきた。年月の果てに、誰かたちは様々の姿をとっていたが、必ず戻ってきたのだ。


 *


【926】

 私が二十歳になったとき、父さんと母さんが、たくさんの生き物たちの人形と、立派な方舟をくれました。好きなものを乗せていいよと言われたので、私は好きな動物を何種類か選んで、方舟に乗せようとしました……だけど、父さんの目、母さんの目。君はそれを選ぶのだね、と怖い顔で言うのです。


 *


【927】

 蔓草をデザインのモチーフにして生活している芸術家は、自宅の周りに、蔓が絡みやすい白い壁を三百ばかり建てている。毎朝、ひとつひとつ訪ねて、琴線にふれる形に育ったものがないか、見て回っている。そして、夜。選ばれなかった蔓たちは、選ばれた蔓に、襲いかかる。芸術家は朝に喜ぶ。


 *


【928】

 枯れた砂漠に生まれ、新天地を求めて旅に出た。長く、辛く、果てしなく続く熱砂の旅。その終焉と思われたオアシスの町に、ようやくたどり着いたのに、なんだお前はと、反対方向からやって来た旅の者が、おれと同じことを言っている。


 *


【929】

 夜の最終特急電車に乗り、車窓に映る街の灯りをずっと眺めていると、半透明の車内から、ひとり、ふたりと乗客が立ち上がり、それぞれ鞄から包丁を取り出して通路に出てこようとしているので、慌てて振り返るが、皆疲れた顔で眠っているだけだった。


 *


【930】

 近宇宙に閃光パルサーが漂流してきて、周期的に目も眩むフラッシュが焚かれるようになり、人々は大混乱。でもすぐに十秒定期に慣れて、みんな、大縄を跳ぶみたいに自然に目をつむるようになった。子どもだって誰に聞かずともやるし、照明器具も省エネで定期オフするくらいにたくましいし。


 *


【931】

 喫茶店でのんびりしていると、奥の席の若い男女が知らない国道の話をしはじめた。道沿いの店や景色が、二人の口から色あざやかに語られる。つい気になって手もとで検索してみるが、そのような国道は存在しなかったし、いつの間にか移動してきた彼らが、すぐ傍に凝然と立っている。


 *


【932】

 混ぜれば混ぜるほど底が抜けてゆく魔法の壺のスープの中に、大事な大事な婚約指輪を落としてしまった魔女は、壺にかき混ぜ棒を突っ込んだ姿勢のまま、もう百年も動けていない。


 *


【933】

 彼女は一瞬の激情を許されている、と紹介されたので、さてどういうことかと石を投げてみたところ、閃光がはしり、次に目を覚ましたときには地獄にいたのである。


 *


【934】

 その女は虫のことを妖精と呼んでいた。妖精はその辺りを飛んでおり、あまい果物を好み、春に舞い、冬に墜落し、屋根裏に住みつき、人の食べ物を掠めとるという。ときどき人に惚れて、夜中に接吻をねだりにきたり、死者に寄り添ったりするという。女は本当に妖精が見えていたのかもしれない。


 *


【935】

 同じ樹木の同じ枝打ちから生まれた割り箸百人兄弟が、別々のロットにまぎれて旅立った日から一年後、ある飲食店のある割り箸ボックスに収まっていた三十三男は、ふと自分が最後のひとりになったことに気がついた。


 *


【936】

 その花が美しいのはこの世のものではないから。父が電脳の海で摘んできた常若の青い花。ただし悪意に触れると僅かに縮む。もちろん、歳月が花を圧し縮めた。ついに指の先ほど縮んだある日、私は花を甦らせたが、こわばる輪郭は拡大の証。拡縮を繰り返し、遂に朽ちない立方体だけが残される。


 *


【937】

 眠れない夜に震えていると、遠く鈴の音がきこえてくる。灯りをつけて部屋中を探すと、テレビ裏の壁に小さな扉が引っ付いていた。音はそこからきこえてくる。一円玉も入らないくらいの郵便受けが僅かに開いて、誰かがこちらを見上げているようである。布団に戻って涙する。冒険は始まらない。


 *


【938】

 街を疾走するやけに四角な巨大猫の背中には、寝巻き姿の女が乗っていて、さっきまで私のベッドだったのに、待ってよ止まってよと泣きながら訴えている。


 *


【939】

 かけた覚えのない目覚まし時計のベルが鳴り響く。しかも、白昼の往来で。ということは、ここまでは夢だということだ。そういえばもう呼吸も要らないようだし。世界が暗くなる。足元がぬかるむ。目が覚めてしまう。ここでずっと暮らしてきたのに。眠る前のことはなにひとつ思い出せないのに。


 *


【940】

 影を失くしたピーターパンに、皆がよってたかって内視鏡を突っ込んで、ほんとだ影がない奥までしっかり見えるじゃないかと口々に誉めちぎる。


 *


【941】

 どんなものでも、シロップで煮込めば、ジャムになる。イチゴでも、スイカでも、松ぼっくりでも。と、女はあまい声で言った。そしてあまったるい目つきでこちらを見た。くちびるを舐めて、どんなものでも、ともう一度言った。さあね、まったく分からないな、きみがなにを言いたいかなんて。


 *


【942】

 遠い昔に離散した、青い惑星の出身者たちは、二百か三百くらいの小さな群れで、広い宇宙をさまよっている。あまりにも急なカタストロフだったから、避難後の集結地候補を絞りこむ前にみんな出発してしまった。鋼鉄の船は孤独な航路をゆく。宙域の端から順に候補地を航る。あまりに広すぎる。


 *


【943】

 次に生まれ変わるときは、猫かなあ鳥かなあ、なーんて可愛らしい想像を口にしていた少女の枕元に、すべてを見通す神眼を備えているが余計なことしか言わない神様が顕現して、お前の次の生はオオヒラタシデムシのオスである、と託宣し、去っていった。ウゾウゾ。


 *


【944】

 日没の赤い空を鴉が遮る時分になると、その男は寝床に滑り込んできて、囁いてくる。楽しいお話、しておくれ。戸に鍵をかけても、寝床を移しても、訪れる。人ならざる神業。問う声、瞳は純粋であり、遠聞におよぶ試しの獣に違いない。楽しいお話、を咀嚼し、ひそかに何事かを判じているのだ。


 *


【945】

 奈落に至る道のほとりに立ち、ここより先は、と歌っていると、やってきた者たちすべてが来た道を引き返す。奈落から這い上がってきた者でさえ。


 *


【946】

 人去りし惑星マニアと呼ばれる者たちがいる。高度な知的生命体が栄枯盛衰したあとの地上に降り立ち、それぞれの興味の赴くままに、人去りし地を闊歩する。かつての彼らの暮らしに思いを馳せる者もあれば、最後の一人が何処で倒れたのか辿る者もいる。そして、故郷の星はますます耀きを増す。


 *


【947】

 寒気と暖気が驚異的な角度で入り交じる空域で、ヒコーキ乗りたちは、防氷ゴーグル、日焼け止め、マフラー、氷枕、対気速度計算機、クーラー、ヒーター、積みに積んだパンパンの機体を、破天荒な見た目とうらはらの繊細さで、やさしく、ふんわり、気流にのせる。


 *


【948】

 彼には開かずの間が備えられていた。見てはならぬもの、見せてはならぬものがあった。彼はそれらを部屋の奥に閉じ込めていた。彼が漏電して朽ち果てるまで、秘密は守られた。「正論が多いな」「マスターが自堕落だったのだろう」「テキストだけでテラバイト越えてますね」優しい小言の墓場。


 *


【949】

 家を出て三歩左に進んだところに、神経をささくれさせる露店が軒を構えてる。今日の日替わりの品揃え、小さくて短い愛。救いがたい致命の献身。セール品、一目惚れの虚構。ひとをばかにしたような店主の微笑みが、胡散臭い品々に、真実の色を与えている。愚か者の金。買ってなるものか。


 *


【950】

 手を繋いで、繋ぎとめていた。すこしでも目を離すと、高いところに登っている。家の屋根の上。町の時計台のてっぺん。しばらくおとなしくなったかと思えば、この国で一番高い、王様が住むお城の尖塔に登っていた。何をしたんだ。似合わないドレスなんか身にまとって、優雅に手なんか振って。


 *


【951】

 月がきれいな夜に、恥を捨てて醜い遠吠えを響かせることができれば、狼として生まれ変わることができる。ただし、大抵の人間はできないし、そもそも狼になりたがらない。


 *


【952】

 男が言う。実はおれ、人間に化けている狐で……いや違うな、この姿は本当は狐じゃなくて、狐に化けて狐の修練を積んだ人間で……いや、どっちだったかな。この尻尾は最初からあったかな。器用で細長い指は誰のだったかな。うつむく姿がかわいそうなので、しばらく話を聞いてやる。


 *


【953】

 涙のかわりに羽虫が流れるのでおやめください、と言って、主人の打擲を逃れようとした少女の頬に、固く握られたこぶしがめりこんだ。みるみる顔が青く腫れあがり、目尻から黒く蠢く筋が流れだす。


 *


【954】

 森の奥の、近寄りがたい滝のそばに、不思議な男が住んでいる。頭巾で顔を隠し、肌を見せない。声は聞こえるか聞こえないかくらいの囁き。そして、とても毒に詳しい。長く生きているので、口に含めば、毒かどうかわかる、と言う。だから、手作りのアップルパイを持って、今日も森へ行く。


 *


【955】

 あんなこと、ひょんなこと、と石垣の向こうから不思議な節回しの歌が聞こえてきて、ひょんなことってなーにっと曲がり角を覗いたら、突然体のあちこちが引っ張られて、気がつくと、知らない家の土間に立ち尽くしていた。


 *


【956】

 見たことのある人、身に覚えのある人、話したことのある人が、いつの間にか誰もいなくなって、入れ替わって、また新しく出会って、また去っていって、そんなことを何年か、何十年か、しているうちに、何百年、何千年が過ぎていて、ただ透明な瞳だけが、ひろがる世界のうつろいを眺めている。


 *


【957】

 聖なる獣は、大人二人分の高さと、大人十人分の胴回りをもつ、大きな熊みたいな姿をしている。顔は怖い。ゴワゴワの体毛が怖い。目つきも恐ろしい。その魁偉が、腕を振りあげ、巫女に唸り声で語りかけてくる。我が爪は硬く鋭く見えるかもしれないが、本当はとても柔らかいのですよ、と。


 *


【958】

 ナイフを握った見知らぬ女から、お前の存在そのものが悪魔なんだと罵られ、何故だと尋ねると、十年前の宮島で夫がお前に目を奪われたと答えがあり、旅行の記憶はあったが疚しいものはなく、其処まで言うなら悪魔にでもなってやるかと過去に跳び、幸せな夫婦の眼をくりぬき、煙草で一服した。


 *


【959】

 そそりたつ急峻な崖を越えるため、巨大で強靭なバネをこしらえて、バネを反撥させるための使い捨ての重りを両手いっぱいに準備した。「そこまでしなきゃあ越えられんものかね」口うるさい観客も呼んだ。「崖の向こう側は地獄かもなあ」ほら反発心がわいてくる。すべてを跳ね返して、翔ぶ。


 *


【960】

 私がとても小さくなったか、私以外のみなが大きくなったか、どちらかだと思う、とその人は言いました。でもそんなことどうでもよくなるくらい、外の嵐は大きかったのです。嵐のなかでは、彼女も彼女以外の者もひとしく小さき者であったのです。


 *


【961】

 行商の隊が進む先に、なま白い霧が垂れてくる。肩を竦め、冷たい霧雨の中をくぐる人々の群れに、妖しき影の者が一人混じり、そして、霧が晴れると、誰かが消えている。員数は合う。はて、誰だったか? 名を思い出す前に出発の号令がかかり、行商は再び歩みだす。また濃い霧が吹き寄せてくる。


 *


【962】

 バターの道では、まともに歩こうとすると、軸足が地にめり込むんで身動きが取れなくなってしまうので、みな腹ばいになって、地面を叩きながら滑るように這い進む。とても疲れるけれど、休憩していると体温でぬかるんだバターに体が沈んでしまうから、必死で泳ぎきるしかない。


 *


【963】

 小さな星が弾け飛ぶ宝石箱。純粋な者の瞳にだけ映る。「なぜあなたは」渇くことのない壺。疑えば干上がる。「あなたが作るものはいつも」虹の橋の麓。追い続けるものだけがたどり着ける。「なぜ人を試そうとするの」試されることに反発する者を選びたいからだ。ほんのささいな投資。餌。


 *


【964】

 きれいな顔で恐ろしい言葉を紡ぐ。「魚に生まれ変わりたければ、首を切り裂いてエラを作らなくちゃあ」「鳥に生まれ変わりたければ、千羽の羽をむしってこなきゃあ」「転生したけりゃあ、まず死なねえと」信念を試しているわけでもない。ただ惑わせて傷をつけるための戯言。彼は悪魔だから。


 *


【965】

 輪ゴムの内側に張った水膜の中に、ある日小さな二次元の命が生まれた。ゴムが延びて環が縮まると一次元に逃げて、緩んでたわむとまた戻ってくる。あとは誰かの指先がゴムをねじってくれれば、きっと三次元にも仲間入りできるはず。


 *


【966】

 畑に湾曲した背骨を植えている。世話をはじめて三年目の春、骨の隙間から、緑の若葉が芽吹いた。夏におおい繁り、秋に小さな実をつけ、落果した。冬に枯れおちた。それだけ。次の春にまた新しい種を鳥が運んできた。そこにあるのはただの支柱だった。故人の存在はなにも関係がなかった。


 *


【967】

 洞窟の奥で暮らすその人のもとに通いはじめてしばらくが過ぎたころ、ようやく話してくれたのだが、つまり彼は愛の言葉を一生に一度と定めているということだった、そして彼の背後の暗がりには、愛なのかなんなのか、およそ判別しがたい泥色のなにかが、蠢く文字列をかたち作っていたのだ。


 *


【968】

 道端に、人と蛇口が落ちていたので、組み立てて、蛇口を捻ってみたら、人の中身が練り出されはじめて、そりゃそうだろうよ、もっと考えるべきだったな、という諦めの声を最後に、その人はすべてピンクの水溜まりのなかにろ過されてしまった。


 *


【969】

 耳たぶが唇になり、唇が耳たぶになったので、声はとてもうるさく聞こえ、声はなかなか聞こえない。


 *


【970】

 料理の腕なんて、砂と小麦粉と塩とバターを混ぜて焼いたクッキーを作って食べて、お腹を壊したあの頃から、ぜんぜん成長できてない。そう言って、宝石の女は、砂と生コンと黄燐を混ぜて焼成した店売りのクッキーをかじって、水晶のくちびるからため息をこぼす。


 *


【971】

 その半透明の女が言うには、彼女が誰かの耳元で囁くと、その誰かの口を借りて声が発せられるということだった。それってどういうこと、と聞くと、女は耳元にすり寄ってきて囁く、「こ」「う」「い」「う」「こ」「と」。


 *


【972】

 冷たくなっていた鍋に指先をさしこんでグルグルかき混ぜる。引き上げて、衣をつけて、また混ぜる。それを繰り返して、こんなものかなという大きさにしたら、隣の鍋にも火を入れる。油が跳ねだすまで考える。待つ。そうするか、しないか。考える。かまどの熱が頬を照らす。するか。しないか。


 *


【973】

 その泉に浸かると雑念が流れ出ていくというので、煩悩懊悩に困った者たちはこぞって訪れた。ただし浸かりすぎはいけない。人として失くしてはならない情動も、ときには自我さえ流されることがあった。だから気休めにマスキングテープを貼る。何処とは言わぬ、自分が信じる大切な場所に。


 *


【974】

 息は絶えだえ、身なりは襤褸ぼろ、血の泡を吹く。そういう男が玄関から入ってきて、一刻の猶予もなさそうなのに、深刻な顔で、珈琲をくれ、と言う。ペットボトルのやつを用意すると首をふる。待てるならだけどと断って、お湯を沸かして、豆を牽いて、ふと様子を見に戻ったら、力尽きている。


 *


【975】

 高層ビルのてっぺんに腰掛けて、スクランブル交差点を行き交う人たちの一人に目を凝らしてフォーカスあてて、視界を付いていかせると、ふっつうな感じのスーツの人にも、警戒色みたいなドレスの人にも、その人だけの世界があった。鏡を取り出して自分をフォーカス。合せ鏡の向こう側は虚無。


 *


【976】

 感情フゴイド症候群、憎くて人を傷つけたあと、反動で優しくしたくなって、なんで優しくしなきゃあならないんだとまた傷つける、そういうやつですねと言われる。そして腕にフラップ機構を、尾てい骨に尾翼と水平安定板を増設された。竣工完了。さて操舵系は回復した。あとはパイロット次第。


 *


【977】

 村外れに住む彼は、どことなく人々から排斥されている。彼の近くに寄ると、嫌な感じがするのだった。それは人に限らず、あらゆる生き物が彼を避けた。野犬も狼も、ゴブリンもトロールも。ドラゴンでさえ。だから村唯一の出入口を彼に塞がせている。今も彼は冷たい石の家に一人で住んでいる。


 *


【978】

 ごめん、ごめんね、と彼女は謝る。珈琲のいれかたが思い出せないの。いれてあげたいのに。震える手で差し出してきたのは、砂利を噛んだ文庫本。ねえ、あとは牛乳を入れるだけだよね? 正解に近づいている気がしないけど、でも、きっと劇的に変わるんだよね? 首を振ってなだめる。違うよ。


 *


【979】

 荒れた道をずっと歩き続けていたら、足が棒になり、頭はホウキになった。地面を蹴って、元のままの腕をぐるぐる回して空を飛ぶ……違う、逆なんだ。頭を前にして進んではいけない。腕を反対回りに切り替えて、空飛ぶホウキのできあがり。


 *


【980】

 山頂付近でクレバスに足をとられて、曲がりくねった狭い穴を滑落し、ようやく落下が止まったときには、光の射さない深い場所まで落ちていた。体が痛い。這い上がれない。ならばいっそのこと降りてみようか。やがて岩肌は石の螺旋階段になり、ヒカリゴケが穴の底の重厚な石の扉を照らし出す。


 *


【981】

 商店街の入り口でビンゴカードを渡される。五かける五のマス目には家族や友人たちの顔。会場はあちらです、と示された先には、そびえ立つ巨大な回転ダーツの的がある。磔にされ、ゆったり時計回りにめぐる人々が、虚ろな眼差しでこちらを見ている。


 *


【982】

 いじわるな博士が、その猫は野生のいきものだから、機械にさわられると死んじゃうんだよ、なんて言ってしまったものだから、器用な彼は、センサを全開にして、一ミクロンのすれすれの空気越しに猫をなでていたのだった。


 *


【983】

 あの噂のファーストフード店。深夜の閉店時間まぎわ、他の客がみんな帰った二階席で、最後の一人になったとき、停電が起きるんだって。ケータイで足元を照らして、階段を降りると、入り口が消えてる。代わりにカウンター横からキッチンに入れるようになってる。そこにアイツがいるんだって。


 *


【984】

 丘向こうの国では、国境に沿って仮面が並べられている。空虚な双眸に境界を監視させている。仮面は両面に表情が彫られており、片側は威嚇の貌、もう片側は慈愛の貌。この辺りでそれは広く知られたことであるので、外に微笑みが向けられているときは、王の代替りまでこの国に寄る者はいない。


 *


【985】

 むかし海外旅行のお土産でもらったミニチュアの噴水は、一日に一回、現地の文字を噴き上げていた。散らばった意味のわからない文字を片付けることに疲れたので、押し入れの奥に仕舞い込んでいた。そのまま十年。引っ越すときに思い出して、辞書を片手に、噴きだす文字を今度こそ読んでみる。


 *


【986】

 一人でも二人で踊っているみたいなダンスが欲しいな、教えて欲しいな、と、小さなお姫様がおねだりするので、ダンスの先生は張りきって、張りきりすぎて、蜘蛛の本性を顕してしまいましたが、お姫様も習得しようと張りきって、張りきりすぎて、百足の本性を顕したので、おあいこでした。


 *


【987】

 彼は真っ白なサーフボードを乗りこなし、巧みに波をきっていたが、よく見ると波は波でなく吐瀉物であり、沖合も沖合でなく誰かの咽喉であった。


 *


【988】

 妻の咳が止まらないので医師のもとへ連れていく。「咳はいつから?」妻は咳き込んでいるので、代わりに問診に答える。彼女の咳のはじまりは……思い耽り、この症状がもうずっとむかしから続いていることに気がついた。妻はいつも咳をしていたし、私が生まれたときから、同じ姿なのだった。


 *


【989】

 左肩に異様な痛痒感を覚えて眠れないほどだったので、冷蔵庫から豚の肉を取り出して、患部にはりつけて、眠りについた。次の日、豚肉は、男性的な鼻梁になっていた。


 *


【990】

 雲の上を歩く天使の後ろをついてゆくと、誰も彼も、しばらく我慢したあとに、嫌そうな顔で振り向いて、ついてくるなと捨て台詞を吐いて、それでもついていこうとすると、金の矢を射かけてくる。それを肩で受け止める。この奇跡の造形を地上で売る。そういうところを、天使に蔑まれている。


 *


【991】

 若き偉大なる王をペテンにかけるための罠を買いたい、用意立ててくれ、と身なりの良い男が店に入るなり言うので、少し考えて、奥の倉庫に潜り、二十年前に川辺で拾った絹糸の産着と黄金の命名板を渡すことにする。これを貴方のものだということにしましょう。


 *


【992】

 耳鳴りが響く真夜中に、屋根の上で待っていると、ぬいぐるみを連れた白いワンピースの少女が隣に座ってきて、世界が終わるまで甘えさせてください、とさみしい声で囁いてくるので、そのまま終焉の日まで、悲しい肩に寄りそい続けている。


 *


【993】

 毎日そばにやってきて、楽しい物語を語り聞かせ、聞き惚れる音楽を奏で、美しい愛の言葉を捧げる、それもひっきりなしに、本当に毎日そうする。なんたること。絶対に忘れないと誓った母の顔が、もうかすみはじめている、しかも、悲しいことではないのだと、すぐさま猫なで声で慰めてくる。


 *


【994】

 映画館の中はまばらな人影。どこか懐かしいシルエット。わたしは隅の席で上演開始を待っていた。幕が上がる。無声映画だ。活弁するのは観客たちで、誰に言われなくとも、出番になると立ち上がり、声を見事に当てていく。その声。スクリーンに照り返る横顔。みんなこんなところにいたんだね。


 *


【995】

 家に帰ってくると窓のガラスがすべてなくなっており、しかも雨まで吹きこみはじめた。


 *


【996】

 惑星の自転とまったく逆の速さで、赤道に沿って歩いてる。永遠の夜、永遠の朝、永遠の夕暮れ、を心ゆくまで嗜むための、ちょっとしたやりかた。歩く間は天空の星ぼしは虚空に張りついて動かない。自分だけの太陽と星に名前をつけてあげるんだ。


 *


【997】

 そういうしゃべりかたが流行ったり売れたりした時代があったんじゃないの、と誰かが教えてくれた。そういうわけで、遺跡から掘り出して地下道に転用したケーブルカーは、いつもホメロスみたいなアナウンスをしている。


 *


【998】

 封鎖された窓の外から町内無線が聞こえてくる……「三メートルくらいの、ベビー服を着た、」……耳をそばだてる……「二十九才くらいの、メガネをかけた、」……普通の人。


 *


【999】

 排水溝から這い出した巨大な蛸が、薄墨を引いて道を造って行くので、乾いた世界に耐えられなくなった何人かは、トロンとした道に踏み込んでいった。


 *


【1000】

 窓の外から、人の笑い声と、犬の吠える声が、混じりあって聞こえてくるが、よく耳を澄ませてみると、どうも同じ者が発する音のようである。

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