前編・・・ボーイ・ミーツ・ガール!!
名取さんはとてもかわいい女の子だ。ちょっとハネ気味の黒髪、少し物憂げな優等生っぽい表情、透き通るような白い肌に整った顔立ち。無口で大人しいからクラスの中であまり目立たない方だけど、知ってる奴は知っている、クラス一の隠れ超絶美少女だったりする。
そんな名取さんと、とんでもない場所で出くわした。
とんでもない場所というのは、ショッピングモールの男子トイレ。そう、男子トイレ。
ふらりと立ち寄った放課後のショッピングモールで用を足すためトイレに入ろうとした俺は、ちょうど出てきたところの名取さんと鉢合わせしてしまった。男子トイレから出てくるかわいい女の子、いいよね。何て絵になるんだろう、とても心が癒される――
ワケ無いだろ!?!?!?!?
もちろん俺は二度見した。いやいやそんなバカな。あの名取さんだよ!? 地味系最強美少女の名取さん! あってたまるか!!
そして俺は焦った――やべ、まさかトイレ間違った? やらかしたの、俺?
だが俺は間違ってなかった。入り口にはちゃんと黒い紳士のピクトグラムが描かれているし、小便器もきちんと並んでいる。やっぱり間違っているのは名取さんの方だ。
だとしたら、どうして?
いやいやこれはきっと何か心霊現象の類だ。絶対に。とても良く似ているけど、この人が名取さんであるはずがない。ドッペルゲンガー現象ここに出現! それとも他人の空似! 俗説によると世界中探せばそっくりな人間は3人はいるそうだ!!
俺はそう心に言い聞かせ、そのままスルーしようとした。
「あ、百瀬君?」
しかし名取さんの方は、俺のことを放っておく気などさらさら無いようだった。すまし顔の彼女はそっぽを向きかけた俺を呼び止めた。俺はようやく確信する。これは超常現象でも白日夢でもない。
無視を決め込むことを諦めた俺は、ぶっきら棒に答えた。
「あ、ああ。ちいす」
「久しぶり。びっくりしたよ」
「そうだな。俺もだ」
「どうしてこんな場所に?」
「それはこっちのセリフ」
「そっか……変なところで気が合うね」
何か特別な事情があるのだろうと勝手に納得していた俺だったが、いつも通りの名取さんの調子に拍子抜け。少しボソボソっとした声――だけど飄々とした、どこか落ち着いた喋り方。そんな飾らない声が耳に心地よかった。
俺はこの状況をもいちど、整理することにした。
彼女に連れはいなかった。黒っぽいカーディガンに黒っぽいロングスカートという、あまり着飾らない感じの服装。ちょっとおめかしすればモデルなんかにスカウトされてもおかしくない位なのに、本人にその認識がまるで無いという不思議少女。
どっからどう見ても無垢で純粋な、素朴感に満ちあふれた素敵なクラスメートは、もしアンケートを取ったとしたらカノジョにしたいランキング上位を独占するに間違いない。
そう。俺は騙された。だから精一杯毒のある言葉を吐いてやった。
「お前、どっから出てきたのか分かってる?」
「え?」
「まさかとは思うが、こんな場所で誰かとエッチなこととかしてたんじゃないだろうな」
「はい? どういうこと?」
「いや、だから何で男子トイレから出てきたんだよ」
「あ、このこと? えっとね……実は……」
一瞬、名取さんは言い淀んだ。やっぱり何か良からぬことを――やっぱりこいつ糞ビッチだ――そう心の中で叫んだ時。彼女の言葉の続きは、俺なんぞにはまるで思いもよらないものだった。
「……男の子になっちゃったんだ」
「はぁぁぁぁっ!?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「男になったって……どういうことだよ?」
「言葉通り。朝起きたら男の子になってた」
ショッピングモール3階のフードコート。ストローから唇を離した名取さんは、それだけ言うと再びレモネードを吸い始めた。白いストローがほんのりと黄色い液体を吸い上げ、カランとグラスの氷が動く。俺はそんな唇に視線を釘付けになっていた。
このオスを魅了する形の良い唇が男のものであるはずがない。とゆーか、頭のてっぺんからつま先までどこからどう見ても女の子、俺の知っている名取さんそのままだ。
その彼女が、朝起きたら男の子になっていたと宣う。何の冗談?
「からかっているのか?」
「まさか。信じてないの?」
「当たり前だろ」
「ひどいなぁ……なら証拠見せてあげよっか?」
「おいこら、はしたない真似は止めろ」
人目もはばからず、やおらスカートをたくし上げ始めた名取さんを俺は押し留める……どこまで本気なんだ? 女の子の恥じらいはどこに消えた……あ、こいつ……男になったんだっけ? なら納得……な訳は無い。ふざけんな。
「だって……信じてくれないんだもの」
「分かった信じる信じる」
「ほんとに?」
「ホントにホント」
「良かった」
「でも一つ聞いておく」
「なに?」
「男になったんだろ? てか、そう仮定する」
「うん」
「何でスカートなんだよ」
「気分」
はぁぁぁ? 気分だと? それが許されるとでも思ってるのか!?
「でも百瀬君が信じられないのも無理ないわよね」
「だから信じるって言ってるだろ」
「誠意がこもってない。口先だけ」
「ああそうさ。良く分かったな」
「ああっ!? やっぱり……じゃあ見てよ」
「止めろォッ、こんな公衆の面前でスカート下すな!」
「なんで? 男の子だったら普通でしょ? 見せ合うの」
「普通じゃない!! どこから仕入れた知識だ」
思わず怒鳴りかけて、好奇に満ちあふれた周囲の目が、俺と名取さんを取り囲み綺麗な集中線を描いてるのに気が付いた。ヤバい。これ以上目立つのはヤバい。こんな時間でもテーブルはまぁまぁ埋まっているし、誰か知り合いがいないとも限らない。見られたとしたら俺の人生、“詰み”だ。
俺にはまだやりたいことがたくさんある。ここで終わらすわけにゃいかない。話題を変えることに決めた俺は、声のトーンを少しばかり落として聞く。
「そういや、しばらく学校を休んでたよな? どうしたんだ」
しかし聞いちゃいけないことを口走ったのかもしれないと、言ってから気付いた。彼女、妊娠して学校を休んでいるという噂だった。ちょうど一か月前のことだ。彼女に告白してこっぴどくフラれた、その少し後のことだ。
なお、俺はその直後、ショックのあまり風邪をひいて寝込んだという情けないエピソードもくっ付いてくるが、もちろんそんなことコイツの前で言う気はさらさらない。
「昔からずっと考えていたんだ。男の子いいなって」
「はぁ? 話がつながってないぞ」
「男の子だったら、人前で裸になったって、おしっこしたってイイんだもん。ほら、私の男の子ちゃんと見てよ」
「んな訳あるかァッ!? こら、だから止めろって。変態だよそれ」
「そうなの?」
痴女だったのかコイツ。
「当たり前だ! 何を考えてそう思った」
「こないだ夜の公園で変なおじさんが全裸で走ってたのを見た」
「それが基準か!? 間違ってるぞ! てかそんな治安の悪い場所ほっつき歩くな!」
「それに、何かあると連れションとかするじゃない? 男の子って。ずっといいなぁって思ってた。男の友情っぽくて」
「しないしない。ほんと、どっから仕入れた知識だそれ?」
「あれでしょ? 男子ってトイレでおしっこする時に、おちん〇んの大きさを比べながらおしっこするんでしょ? だから、あんな風に並んでおしっこするんでしょ?」
俺は飲みかけのアイスコーヒーを噴き出した。恐る恐る俺は訊ねる。
「まさかお前……さっきトイレの中で隣の人のナニをジロジロ見つめたりしなかっただろうな……?」
「したよ? そしたらさ、おじさん。急にソワソワしだしちゃって、慌てて仕舞ってるの。挙動不審だったなぁ……あれ、絶対パンツにおしっこかかっちゃってたよ。キタナイなぁ」
「…………」
そのオッサンの恐怖心……手に取るように分かるぜ。
「そうだ! ねぇ聞いて百瀬君!」
「……何だよ?」
「男の子って、おしっこ自由に止められるんだね! ちょっと感動! 感動し過ぎて毎回チャレンジしてるんだ!」
俺、もう脳味噌ふっとーしそう。ああ名取さん、そんなやらしいこと大声で言うなよ。周りの人たちからの視線が痛い。
「念のために言っておく。男だからってむやみやたらに裸にならないし、他人のイチモツをじっと凝視もしない。止めておけ」
「えー、おかしいなぁ……マンガと違うよ?」
「だからリアルは違うんだよ。まぁ、お前がどんなマンガを愛読していたのかまでは追求しないがな……有難く思っておけ。むしろ、そんなもの聞きたくない」
「ええっとねぇ……」
「シャラァァァッップ!! 言うな!」
疲れた。前にやらされた1階と屋上との間の10往復ダッシュより疲れた。仕方がないのでもう一度話題を巻き戻す。
「で、何で学校休んでたんだよ。その……妊娠……したってのは……」
「妊娠? 誰が?」
「お前だお前」
「えええっっ!?」
腰を上げた拍子に椅子を倒した名取さんは、俺に掴みかかりそうな勢いで身を乗り出した。
「妊娠できるの!? 男の子になっても」
「違う違う。驚くポイントが違う」
「あ、そっか。え……ええっ!? つまりその……私が不純異性交遊に耽って、その結果受精し着床した私の卵子が、私の子宮の中で新たな生命を育んでしまったと!」
「そこまで具体的に解説せんで良い」
「誰がそんなこと言ったの!?」
「誰……って。噂」
「信じらんない!」
「じゃあ……違うんだな?」
「当然だよ! 私、処女だよ! あ、今は童貞か。どうして妊娠しなきゃならないの」
…………え? え? え?
「ちょっと待て、お前、清水の野郎と付き合ってるんじゃなかったのか?」
「まさか! あのヤリチンと? そんな訳無いでしょ」
「え? え?」
話が違うぞ。
「百瀬君、酷い……私、キスだってまだよ? 純潔だよお? 新品だよお? それが妊娠だなんて……しかも、よりによって清水君?」
「嘘こけ! そもそも清水と付き合ってるって言ったの、お前の方だろ」
そう――それが告白してフラれた時の捨て台詞だった。
しかし、名取さんはあっけらかんと言い放った。
「ウソに決まってるじゃない」
「はぁ?」
「口から出まかせを言っただけ。たまたまちょっと前に清水君から誘われてたから、つい名前を出しちゃったんだよ」
「えーと……」
「ほんっとに。百瀬君が『じゃあ付き合ってる奴いんのかよ』ってしつこいからだよ。何で男の子ってしつこいの? そうそう……清水君に言い寄られた時なんてもっと最低だったよ!」
「じゃ……あ……清水とはデキてないんだな? 本当だな?」
「そうだよ!」
寝込んでいた間の俺の貴重な青春を返せ。
「それじゃあ、学校を休んでたのって」
「だから、この身体になっちゃったから……あ、やっぱり信じてない目してる!」
「当然だろ……どっからどう見ても、男には見えないぜ?」
「うん。そうなんだよね……顔も髪の毛も身長も変わらないし、ちょっと残念かも。あ、でもお〇んちんはちゃんと生えてるよ」
「年頃の女の子がお〇んちんなんて言うなよ……いや、今は男だっけ?」
「おっぱいは無くなってるし、骨盤っていうの? 腰の辺りもちょっと変わってるみたい。あまり自覚は無いんだけどさ」
「俺の常識を遥かに飛び越えてる。医学的にあり得ねぇだろ?」
「凄くレアなんだけど、時々あるみたい。大学病院の先生が何とか現象って言ってた。忘れちゃったけど」
「大学病院……って。まさか、それでずっと休んでたのか?」
「そう。検査とかいっぱいした。あ、検査のこと聞きたい?」
「どうして」
「興味あるでしょ? 先生に男の子の部分をいろいろ弄られて、私、我慢できなくて思わず声が出ちゃって……」
「止めい!! 興味なぞあるかッッ!」
大学病院の医者ってのは変態でもなれるもんなのかよ!
「そうだ、百瀬君。今、付き合っているカノジョとかいるの?」
「こないだ、おめーにフラれたばかりだろうが。そんな節操無くはねぇ」
「そっか。良かった」
……え?
うつむき加減で聞いてきた名取さんは、急に上を向くと、身を乗り出してきた。
「ねぇ?」
「なんだ」
「暇でしょ?」