ドライブに連れてって
店を開けずに、私のためだけに料理を仕込んでいたと最後に聞かされて、私は身に余る厚意に胸がいっぱいになって泣いてしまった。
二人の大人に両サイドから抱きしめられているとき、玄関のドアが開いた。
「ユキヤ!」
ママが声を上げると、ユキヤは少し照れくさそうにはにかんだ。
「遅いじゃないの! お料理、食べちゃったわよ!」
「残り物で良いよ」
ユキヤは泣きっ面の私を首をかしげて見てから、私が座っていた場所に座る。そして、私に隣においでと手招きをした。
「ミユ。こっちにおいでよ」
さっき、散々二人からユキヤが私の事をものすごく愛していると聞かされた後で、どんな顔をして良いのかわからない私は、火照る頬を両手で隠した。
「ほら、ミユちゃん。ユキヤが呼んでるわよ」と、あげは姉さんが悪戯っぽく背中を押す。
私はおずおずとそこへ座った。
ユキヤが頭を低くして私の顔を覗き込んでくる。
「あれ? 顔が赤い…。まさか、また飲まされた?」
「飲ませてないわよ!」
ママがすかさず否定した。ユキヤは幼い子猫のように首を傾げながら、
「じゃあ、熱でもあるの?」
そう言って、私の首の後ろに手を滑り込ませてきた。
ユキヤの手が丁度いいぐらいに、温かい。いつもの彼の体温に、ホッとする。
「生理痛はもう平気?」
小さな声で確認され、私は「うん」と答えた。
「飯食え」
あげは姉さんが、普通の男の人の声としゃべり方でユキヤに指示を出すと、ユキヤは二っと笑って「ただきます」と言った。
お箸を持つ手が綺麗なユキヤの指に、目が吸い寄せられる。今まで何度も一緒にご飯食べてきたはずなのに、私は初めてそれを見た気持ちになって胸が熱くなった。
ユキヤの口に運ばれていく料理たちがとても幸せに見えてくる。どれひとつ取っても、愛情と笑顔が込められた両親からの愛。それを一身に受けて育ったユキヤが、なんだかとても眩しく見えた。
彼の食事が終わるまで、私は黙ってユキヤを眺めていた。
美味しそうに食べる彼の横顔を見守る。ママとあげは姉さんの優しい眼差しも、一緒に。
◇◇◇
「ドライブに連れてって」
今度は私から誘う番だ。彼は少し驚いて、でもすぐに優しい微笑みを浮かべて「おう」と返事をくれた。
陽が落ちてからは気温がぐんぐん下がる。車の中はまだ温かくて、昼間の陽気を溜め込んでいる毛布みたい。私は助手席に座ってシートベルトを締めた。
忘れ物を取りに行っていたユキヤが駆け足で戻ってくる。運転席のドアを開けて、滑り込むようにシートに座ると、私の方に顔を向けてニコニコと笑った。
「これ、かけても良い?」
それは、古いカセットテープ。
「あげは姉さんの受け売りだけど、ね。あの人、あんな形してるけど、すごい良い人なんだ。さっき、母さんから聞いたけど、やっと…ふたり結婚するんだって」
興奮気味に教えてくれる。こんな無邪気な顔を見ると、なんだか母親のような気分になる。
「うん。もう、知ってる」
「そっか…。ミユの方が先だったか。母さん、お前のこと、よっぽど好きなんだな」
ユキヤは笑顔でそう言いながら、シートベルトを締めてエンジンをかけた。
シフトレバーがぶるぶる震えるのを、慣れた手付きでシフトチェンジする。足下では違和感なくギアを踏んだりしているはずなのに、それがあまり感じられないのだからいつもながらに凄いなぁと思った。
カセットテープの音楽は、私達が生まれた頃のジェイポップスのベストアルバムのようだ。いつもの外国語のバラードとは違って、歌詞の世界観に引き込まれてしまう。
ふと、ママと一緒にカラオケに行った記憶がよみがえったけれど、私はすぐにそれをかき消す。もういい加減済んだことに囚われるのはやめよう。過去も、血の繋がった他人も、私の思いどおりにはならない。願っても祈っても、どうすることもできない。
だったら。今、隣にいる大切なトモダチに意識を集中する。
運転するユキヤの横顔は、改めて見ると本当に綺麗でいつまでもここから見ていたくなった。
同じ空間に居る。ただ、それだけで今までよりずっと近付いたつもりになる。
私の知らないところで、色んな女の子と遊んでいるイメージは、もうどこにもない。
ユキヤという存在は私の中の闇を吹き飛ばす、強い光。
なのに、まだ怖い。
どうしてこんなに、怖いんだろう。
こんなに好きなのに。
本当は一番になりたいのに。
まだ怖い。
やっぱり怖いよ……。
気付くと海が見える高台に車は停まっていた。運転席のユキヤが、頭の後ろに両手を重ねて、リクライニングシートを倒す。小さいフロントガラスのフレームに切り取られた夜空が、今夜はやけにはっきりと見えた。
ガッチャン
テープが折り返す音がする。私にはそれがまだ、何か大きなものを無理やり飲み込むような、苦しい音に聞こえる。
B面は羽虫が飛ぶようなノイズのあと、遠くで小さなメロディが鳴っているような気がするけれど、自分達の吐息の方が耳に届いてくる。
不安に圧し潰されそうになって黙っていると、ユキヤがそっと歌い出した。
流れ出す音楽もなにもないテープの音にのせてユキヤが歌っている曲は、いつか彼が私にLINEでくれたバラード。
片思いの恋心を、ギターだけでリズムをとりながら、抑揚のある素敵なボーカルが歌い上げる。
メロディーだけを聞けば、希望にあふれている曲なのに、その歌詞の内容はまるで告白前の不安な気持ちを切々と語っていた。
『この穏やかな関係が壊れても良いから、君に好きだと伝えたいんだ』
その詩に、胸が掻きむしられた。
掠れ声で静かに歌うユキヤは、ただじっと宇宙を見つめる。
僅かな明りに照らし出されたその顔もからだも歌声も、目を離したら煙のように消えてしまいそうで。
私は思わず、自分から手を伸ばした。
その手を咄嗟に捕まえられて、彼の胸板の上に顔をぶつけてしまう。
「静かに。心臓の音、聞いて……」
甘えて鳴く猫のような声。震える指先が、私の頭を優しく撫でている。
ほんの少しだけひんやりとした指に、耳をなぞられると全身の血が沸騰しそうなほど泡立った。
跳ね上がる心臓の音と感触。
自分のものとの区別がつけられない程に、強く鼓動している。
「お前にだけだよ。この心臓が、こんな風に暴れるのは…」
込み上げる涙が、堰を切ったように流れ出した。
「どうすればわかってくれるの? なんていえば、信用してくれるの? 俺はもう限界だよ。ミユ」
涙声に驚いて、顔を上げる。
目と目が合う。
「ずっと我慢してたけどさ、俺。お前しか見えない。お前じゃなくちゃ駄目なんだよ。だから、もうトモダチなんてイヤなんだ。
俺の一番大切な恋人になってよ」
涙で霞んで、なにも見えない。
情けない唸り声しか、出て来てくれない。
笑顔になりたくても、体から力が抜けていく。
「泣いてたって、なにもわかんないよ。ほら、もう泣き止んでくれ。頼むから、笑ってくれよ」
ぎゅうと抱きしめられる。
痛いぐらいに強く、抱きしめられながら。
もう逃げなくてもいい。この手を握り返せば良いんだ、と心の声が背中を押した。
私はユキヤの指を探して、自分から手を繋ぐ。
重ねて絡み合わせた指が、確かめ合うように蠢くのがくすぐったくて、顔を覗きに来たユキヤの瞳を見上げた途端、唇を塞がれた。
ユキヤの匂いにつつまれる。
神様。ユキヤを生かしてくれてありがとう。
生まれてきてくれて、ありがとう。




