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前に進んでみたい

 ユキヤが私にだけじゃなく誰にでも優しい理由を、わかった気がする。


 今まで、ほんの少しだってユキヤの本当の気持ちについて考えたことがなかったかもしれない。私は自分の悲劇に酔いしれて、自分のことしか見えていなかった。


 ユキヤがどんな気持ちで、私と暮らそうと言ってくれていたのか、ちゃんと本人の口から聞きたい。


 私とどうなりたいのか。


 これからどうしていきたいのか。


 自分にも、問い掛けてみる。


 一番になることが怖いけど。


 前に進んでみたい、と初めて思った。


「……ねぇ、ママ。傷モノになってしまったけど、好きな人に好きって言っても良いのかな?」


「そんなの、良いに決まってるんだから」


 ママは泣き笑いの顔をこっちに向けてウインクする。


「ダメだって言われたらどうしよう…」


「ダメだなんて、絶対に言わないわよ。うちの子は、血は繋がってなくてもあげは姉さんのDNAをしっかり受け継いでるんだよ? バカにされちゃあ、困るわ」


 そうだといいな。それなら、期待できるかな。


 でもまだ少し怖い。


 傷付くのが、怖い。



   ◇◇◇



 ユキヤママの車は、あげは姉さんのお店裏の駐車場に停められた。まだ昼間なのに降りしきる雨のせいで空が薄暗い。そんな中を、傘を差しながら買い物袋を運び込む。大きな肉の塊が大量にあって、さらには見た事もないほど太くて立派な骨が詰まった袋があった。


「牛骨よ。これを煮詰めてスープをとるの」


 皮を剥いた玉ねぎやにんにく、昆布としょうが半分ぐらい、他にも色々。下処理をした牛骨を鍋底に入れてから、山で汲んで来たというポリタンクの水を注ぎ込んで、酢を加えた。酢は臭いを消すし、灰汁が良く出るようになるんだとか。


 鍋に張り付いて灰汁をこれでもかとすくい取り、一時間も経った頃に野菜を投入する。


 しばらく中火以下でコトコトと煮込んでいくのだと説明を受けて、今度はタンシチューの下ごしらえにかかる。


「これ、普段は彼一人で仕込んでるのよ。でもね、お互い四十を過ぎてあちこちガタが来ちゃってるからね。なんだかんだ言って、私は今殆ど彼に養って貰ってるの。食品加工のパートも今は三時間ぐらいよ」


「………」


 私はなんて応えたらいいのかわからず、ただ頷く。


「……ユキヤが成人したから、もう私は何の縛りもなくなっちゃったでしょ? あの子を育て終わったという気のゆるみのせいで、病気になってさ。あげは姉さんに、正式にプロポーズされてるんだけど…」


「……へ、へぇ。プロポーズ?」


 ユキヤママは照れくさそうにへへっと笑った。


「禊が終わったんだもの、そろそろ良い頃合いだよね? ってしつこいぐらいにさ。あの人、ちゃんと男だったってわけよ。私を安心させるためにずっとニューハーフだって嘘ついて…。最高の親友でいる振りが上手いんだもん。すっかり、騙されてたってわけよ。どっかで聞いた話でしょ?」


 ママは私の包丁使いを見守りながら、幸せそうに話してくれた。


「世の中にはちゃんと、信じられる男もいるのよ。ミユ」


「…うん。わかったよ、ママ」


 私の心はママの話で、いつの間にかすっかり満たされてしまった。


 ずん胴鍋で仕込んでいた牛骨スープが出来ると、今度はそれを使ってデミグラスソースを作り始めた頃、二階から足音が降りてくるのが聞こえてきた。そうだ、ここはあげは姉さんの家。彼? 彼女? は、寝間着姿にロングニットカーディガンを羽織って登場した。


 私の予想に反して、女装はせずに素顔のままでいる。大きな目と鷲鼻が印象的な、小顔で等身が高いかなりのイケメン風だ。


「…あら。ミユちゃん、来てくれたのね」


 第一声がやはりあげは姉さんだった。


「ミユが混乱してるわ。普通の恰好のときは普通に喋れば良いじゃないの」


「それもそうだな」


 二人は仲睦まじい夫婦のように並んで座り、穏やかな表情で見つめ合いながら言葉を交わしていく。うちの両親にはないコミュニケーションの仕方に、なんだか心が癒される気がしてくる。


「味を調えるところは、あなたがやって」


「はいはい。そのつもりで降りてきたんだよ」


「鼻詰まりは?」


「もう、大丈夫」


 あげは姉さんは慣れた手付きで鍋をかき混ぜながら、ときどき上澄みだけを掬い上げて小皿で味見をしている。


「うん、良いんじゃない? 美味しくなるわよ」


「すっかりお姉言葉が板に着いちゃってるんですね」


 私がそう言うと、彼はにっこりスナックのママの顔で笑った。


「田舎で独り身でいるのは、結構大変なのよ。うちの両親は孫の顔見せろって煩いし、黙らせるにはこれが一番手っ取り早かったっていうこと」


「そんなんでもないくせに」


 と、ママが横やりを入れるとあげは姉さんはちょっと嬉しそうに、でも舌打ちをして「私の人生、私がどうとでもストーリー詰め込んじゃうのよ。そっとしておいて頂戴」と、言った。


 私は、どうとでもストーリーを詰め込むという言葉に心を撃たれた。


「おかまから男に引き戻したのは、美冬。あんたなんだからね。責任取ってもらうわよ」


「そういうこと、ミユの前で言わない!」


 ユキヤママは慌ててあげは姉さんの口を手で抑えた。


「……もう、平気です。私」


 男女の恋愛の話を聞くと、気分が悪くなることはまだあるけれど。本気で愛し合う二人の話は、もっと聞いてみたいと思う。自分の両親にはない強い絆で結ばれたユキヤママとあげは姉さん。そんな二人に大切に育てられたユキヤ。


 出生がなんであれユキヤはその暗い過去を感じさせない明るさがある。その原点は、あげは姉さんなのだ。そう思ったら、あげは姉さんのことが他人とは思えなくなってくる。


「…ユキヤはね。あなたが神経質なときは距離を置いて、よくうちで寝泊まりしてったわよ。美冬の部屋には私が詰めてたわけだしね」


「そう、……だったんですね」


「あの子は無責任な恋愛ごっこは絶対にしない子よ。私が保障する」


 それから、病み上がりなのに手際よくパイ生地を練り始めたあげは姉さんは、小一時間でミートパイを作って食べさせてくれた。ユキヤが幼い頃からよく食べたその味を噛みしめながら、私の知らない家族エピソードを沢山聞かせて貰った。


 とても、幸せな時間が過ぎて行った。


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