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彼はトモダチ

「真夜中のドライブ」の改稿バージョン。





 ガッチャン


 カセットテープが裏返るときの音。私にはそれが、何か大きなものを無理やり飲み込むような、苦しい音に聞こえる。


 飲み干した後の羽虫が飛ぶようなノイズから、急に音楽が溢れ出した。その瞬間、いつも心臓がほんのちょっぴりだけ跳ね上がるのは、私が大きな音に過敏に反応してしまうせいだ。


 名前も知らない古い時代の洋楽。英語がわからなくても、その悲し気な旋律とバラードの震えるような歌声から、きっと失恋の歌なのだと思う。


 悲しいけれど優しい。

 甘いのにどこか切ない。


 そうしたカタチにならないものが音楽に封じ込められているような気がして。自分に足りない彩り豊かな心模様を、意味すらわからない歌声に感じて、酔いしれる。


 ウインカーの黄色いライトに浮かぶガラス越しの街並みに目をやる。路側帯の消えかかった白線を見ると、なんだか急に不安が込み上げた。


 運転席に顔を向けてみると、窓ガラスに右ひじを乗せた幼馴染で親友のユキヤが真剣な顔をして、信号の赤を睨みつけている。話しかけられないオーラに固唾を飲む。


 青色信号の下をくぐり抜けて、車は急加速する。エンジンがうなりをあげ、ユキヤの左手に握られたレバーが忙しく動く。一速、二速、三速とシフトチェンジをする仕草が、すっかり板に付いていた。免許を取りたての頃が霞んでしまうほど、とても上手で滑らなギアチェンに惚れ惚れする。


 もう、エンストすることもないんだろうな。


 窓ガラスに視線を戻し、いつ濡れたかもわからない雫が目に飛び込んできた。強い風に震えてながら、ガラスにしがみついている。なんだかとても意地らしく思えて、ガンバレってエールを送っている、自分がいる。


 今日は初めから、雲行きは怪しかった。


 一日中立ち仕事をした身体はもうクタクタ。お風呂に入って寝てしまいたいところをユキヤに拉致られたんだから、不機嫌になっていいのは私の方だ。


 それなのに、肝心のユキヤがまるで私の知らない顔をして、黙りこくっている。


 『ちょっと、ドライブに付き合って』と、そう言って職場で出待ちされるぐらい、大事な用事って何?


 のこのこ助手席に乗ったは良いけれど、良かったのだろうか。今頃になって、考えなしだった自分に腹が立って来る。


 疲労に空腹、そして気怠く重い空気。一向に話が始まる気配は、ない。


 私から切り出すのもなんか変な気がして、とりあえず何十回も聞きなれた音楽をこうして大人しく聴いてるわけで。A面が終わり、B面の一曲目がもう終わろうとしている。


 ユキヤは男にしては長い睫毛を伏せ目がちにして、運転に集中している様子だ。思い詰めたような暗い影が差し込んだ瞳に、私はまた、固唾を飲む。


「この車、良く走るね」


「ああ、まあな…」


 やっぱり、会話が続かない。話す気などないのだろう。


 いつもは他愛無いことをべらべらとよくしゃべっては、面白おかしく脚色して私の反応を揶揄からかうくせに。なぜか今日は寡黙で、心が遠いところにある気がして、まったくつかめない。


 中古車屋で一番安かったらしい赤い軽自動車は、ユキヤの親友の手によって改造され、車検を通したと聞いている。座席とハンドルがレトロ調でお洒落だし、外装もオリジナルカラーが施され、唯一無二の個性的な車に生まれ変わっていた。その助手席には、いつも私の知らない女の子が座っているのが定番で、会う度に彼女が変わる。


 ユキヤにとって恋人とはどういう存在なのだろう。

 いつも、どうやって別れを切り出しているのだろう。


 知りたい気もするけど、でもやっぱり、聞きたくない。


 異性と意識すればこれまでの良好な関係があっという間に壊れてしまいそうで、それだけは嫌だから。


 ユキヤは幼馴染で、長い付き合いのトモダチ。そして、たった一人の親友。


 色々あっても彼だけは、私の近くに居てくれる。自分から打ち解けるのが困難な私にとって、ユキヤは寂しさを癒す大事な存在。


 でも、成人してからのユキヤのことは、なにも知らない。


 本当は、彼の出鱈目な交友関係には辟易している。だから敢えて目も耳も閉じてやり過ごしてきた。私がいないところでどんな風に人と接しているのかなんて、知らない方が良いに決まっている。


 ユキヤがフラリとやってくる時だけは話をする。私の性格をよくわかっている彼は、自分の話ではなく彼の友達のコイバナなんかをダラダラと聞かせて、私はただ相槌を打つだけで良かった。


 退屈な話を面白く話すのが自然とできてしまうユキヤは、きっと人気者に違いなくて。揶揄われてるとわかっているのに、冗談抜きで私はいつも引っかかり、それを面白そうにクツクツと笑っては満足そうに微笑んでいるユキヤを拒みようが無かった。ずっとそばにいてくれたらいいのに。そう思っても、臆病な私は口に出来ない。


 深夜のファミレスで甘いパフェとかケーキを食べては、私の部屋で雑魚寝して。気付いたら消えている。それがいつものパターン。本当に、野良猫みたいにきまぐれ。彼をとどめておくことは不可能だと悟っている。


 座席の狭さが、隣合う人肌を否応なく近付ける。


 彼の左手がシフトレバーを操るたびに、腕がぶつかって薄い布越しに熱を感じる。寒がりな私は冷えた身体を自覚した。


 筋肉質なユキヤの身体はヒーターのように熱い。幼い頃は、ストーブ代わりにして、ユキヤの腕や背中に手をかざすほどだった。彼は薄着でもへっちゃらで、吹雪の日も平然と外で鬼ごっこをして、全身から湯気が出るまで走り回った。私はどんなに着込んでも、寒さに震えてしまうのを、ユキヤは定期的に冷たい手を温めてくれた。


 私は、この大きな手が好きだ。昔からずっと変わらず温かくて。冷たいと感じたことなんか、一度も無い。


 年齢と共に指は長くなり、血管が浮き上がり、一本ずつ立体的な筋が工芸品のように綺麗で完璧。


「寒くない?」


 前触れなくかけられた声に、私は咄嗟に顔を上げた。ハンドルに凭れるように覗き込まれていて、目と目が合う。今は赤信号中。隣にも知らない人の車と横顔が並んでいる。


 私が黙って頷くと、ユキヤも小さく頷いた。


「元気ないな」


「疲れてるだけだよ」


「そっか」


 そっけない。


 信号が青になるとユキヤの瞳はまた前だけを見つめる。綺麗な鼻筋とくちびるから顎までの線を、心の中でなぞってしまいたくなる。視線を引き剥がしうつむけばまた、シフトレバーに置かれた彼の手に目が吸いついた。


 彼の左手のどの指にも、指輪が嵌められている。爪は、神経質なほど短く切り揃えられている。


 街灯の光が当たると、その節くれだった細く長い指と浮かび上がる血管と筋がより魅力的に映る。顔はまだあどけない少年の面影を残しているけれど、手だけ見れば男らしくて。つい見惚れてしまうのだ。


 その彫刻のような手が、温度と風量の摘みを操って、空調を調整している。


 この大きな手が、彼の象徴だとさえ思う。


 大好きな手だけれど、見詰めているだけで段々と悲しくなってしまうので、私はいつものように視線を反らした。


 闇夜に浮かんで見えるのは、ヘッドライトに照らし出された白線と、対向車線の車のライト。時々、虫達が人工の光とも知らずにぶつかって来て、その短い一生を散らしていく。ため息を吐いた。


 どこへ向かうのかわからないドライブに付き合わされて、一時間を超える。


 ユキヤはずっと黙り込んだまま。


 臆病な私は、待ち続けるしかできない。


 自分から手を伸ばすことが、できない。


「ミユ」


 唐突に名前を呼ばれ、ひゅっと息を吸って止めた。


「…え? なに?」


 私は裏返った声で応えた。ユキヤはそんな私を見て、一瞬間を置いてから、転がるように笑い出した。


 私の気持ちなんて知らないのだから、しょうがないけど。笑いながら運転するその横顔が、ムカつくほど無邪気で胸がまたきゅうと締め付けられる。じわりと喉の奥が火傷したみたいに熱くなった。


「何、考えてる?」


 チラリと私の方を見る、切れ長の瞳。左目のすぐ下にあるナミダボクロが、彼の美しさを飾り立てている。


 出会ったときは人前で鼻をほじるくらい幼かったのに。いつの間にこんなに、色気づきやがって。


「それはこっちの台詞!」


 私は、ふくれっ面をしながらも両手で顔を覆った。


 やっと、やっとだ。


 本当なら、私が不貞腐れる番なのだ。


 ご機嫌取りをするのは、ユキヤの方でなくちゃ。フェアじゃない。


 それなのに、横目でチラリと彼の方を見ると、またユキヤは可笑しそうに笑っている。意味がわからない。


「おまえ、その顔。鏡で見た事ある? おたふくみたい」


 こんな風に話が続かないのは、昔からだ。ユキヤは緊張感が苦手なのだろう。すぐ、脱線して私をからかう。


「どうせ私はブスですよ~!」


「え? いや、わりぃ。そんなつもりじゃ…」


 ユキヤは慌てたように訂正した。この反応は、なんだかいつもと違う。


 予定にないことをされると、困る。私はそんなに器用じゃないんだから。


 自分で誘ったことも忘れているようだし、私は再び不機嫌顔をユキヤに向けた。身体の向きまで変えて、真正面から圧をかける作戦だ。


「話があるのはそっちでしょ? さっさと話しなさいよ」


 威嚇用の低い声。これが私の精一杯。


「あぁ、わりぃな。……ちょっと、待って」


 もう十分待ってますよ、と心の中でつぶやいた。


 ユキヤは唇の端っこを持ち上げながら、前だけを見つめ、アクセルを踏み込んだ。エンジンがうなりをあげて、グングン加速する。ここは一般道なのに、タコメーターの針は百キロの手前をさしていた。


 「や、やめて!」と怒鳴ると、彼はちらりと目だけで私を見た。


「もう、知ってると思うけど……」


 笑顔も悪ふざけもない、真顔。ユキヤのそんな顔を見るのは、長い付き合いの中で初めてかもしれない。


「なんなの?」


「さて、なんでしょう? クイズです」


 シフトレバーから左手を挙げて私の顔の前にかざす。彼の親指が薬指に残った日焼けの跡を指している。それは、恋人不在を意味していた。


 チャラ男のユキヤは彼女ができるといつもペアリングを嵌める。今、それがなくなったという報告のつもりなのだろう。去年の誕生日の出来事を、思い出した。


「そ、それ! ずるいと思う」


「そうだよ…。俺が狡いってことは、とっくに知ってるだろ?」


 ぶっきらぼうに、不貞腐れた子供のように、ユキヤはつぶやいた。


 いつものポーカーフェイスがどこにもないせいで、調子が狂う。


 自分がいかに魅力的かを熟知している遊び人の彼は、シフトレバーに乗せていた左手を一瞬だけ私の右膝に乗せ換えて、すぐに戻って行った。


 その手がいつもより熱くて、ぞくりとした。


 意図して触れてくるなんて。


 急激に鼓動が強く早くなって、息をしているのに苦しくなる。


 ユキヤの毒にあてられてしまったようだ。


 これは、まずい。


 慌てて窓を開けようと、今時珍しい手動レバーをグルグル回した。ガラス越しにユキヤの白い顔が見えて、打ち消すように必死にレバーを回し続けていく。


 隙間から刺しこんできた夜風が、一斉に私の髪を掴んで背中を叩きつける。髪は生きた魚のように暴れ、顔を覆い隠してくれる。熱くなった顔を見られずに済むなら、なんだって構わない。


 パニック直前の自分に、心の中で強く言い聞かせる。「落ち着け、私。ユキヤは友達で、どうせまた私をからかってるだけなんだから!」と。


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