ガジルの解毒薬レシピ
青空の下、煮えたぎる鍋を前に『下巻』をぺらりとめくった。
そろそろ彩光ザリガニの泥抜きも終わる頃なので、今日は臭み取りに必要な瓜酒を収獲しに行く。そのための準備として、毒熱猿の解毒薬を作っているのだ。
なんでも、バルカンが言っていた瓜酒の木の側で酒盛りをしている猿とは、毒熱猿という魔物らしい。
『下巻』によれば、尻尾に毒針を持ち、それを遠距離から投げつけてくるそうだ。毒で死ぬことはないが、刺さると痺れて徐々に動けなくなる。
力の弱い毒熱猿は、獲物が地面に崩れ落ちたところを見計らい、一斉に飛びかかってくるのだ。そして、己の体温を上昇させ、仲間と高温のドームを作り上げて囲った獲物を蒸し殺してしまうのだとか。
『下巻』には地面に膝さえつかなければ囲まれないと書かれていたので、なおさら解毒薬は必須アイテムだ。
「えっと、毒消草を三束とトウガラシが十本、タンポポの根っこ一房に、シダの葉二枚……ミミズ三匹……大ナメクジの粘液カップ一杯に、それと……」
鍋に材料を次々と入れていく。既にミミズと大ナメクジの粘液で心が折れそうだが、まさかこれを使う時が来るなんて……。恐々と葉っぱの包みを開ける。すると、カラカラに乾燥した水玉トカゲと目が合った。
このミイラになった水玉トカゲは小さな聖獣からの贈り物だ。ペルーンは時々、独りでに散歩に出かけては、お土産を持って帰ってくれる。
お花や木の実、ピカピカの石に美しい野鳥の羽。木の実はバルカンに食べられてしまったが、お花はしおりに。野鳥の羽は羽ペンに。そしてピカピカの石はペーパーウエイトとして使っている。
他にもたくさん大切に保管しているが、中には可愛くない物もあるのだ。そう、この水玉トカゲとか……。
どんなお土産も嬉しかったが、さすがに水玉トカゲの死骸を持って帰ってきた時は悲鳴を上げそうになった。無邪気に褒めて褒めてと駆け寄ってくる純粋な瞳に、引きつった笑顔を返すのが精一杯。
ペルーンには悪いが、見つからないように後で外に埋めに行こうと決心していると、バルカンに『使えるから取っておけ』と言われたので内心絶望しながらも保管していたのだ。まさかこんなに早く使う日が来るなんて思いもしなかった。
確かに薬学の本にも、生き物を使用する薬はあるが、実際に煎じるとなると衝撃がすごい。
指先で乾燥した水玉トカゲを摘み、意を決して鍋の中に放り込む。あとは、もうひと煮立ちすれば完成だ。
鍋の中はどろりと粘度のある液体で満たされている。それはもう目を背けたくなるような色だ。鍋底から重たそうに浮かんだ気泡が、ごぽりと弾け奇妙な色の湯気が上がる。その度に強く香る独特な臭いに、眉間の皺が濃くなってゆくのが抑えられない。布で口と鼻を覆っても意味をなさないほど強烈なのだ。
『下巻』の注意書きの通り室内ではなく、外で作業をしていて本当に良かった。ここまで臭うと部屋の中に染みつきそうだ。
バルカンなんてちゃっかり風上に避難している。
こんなものを飲むほうが倒れてしまいそうだ。何が何でも飲みたくない。本当にこれを飲めば一発で解毒できるのか、初めて『下巻』を疑った。
それとも、私が何か間違えたのだろうか。あまりの色に不安に駆られてしまう。
「ねぇ、バルカン。本当にこれであっているのかしら? 私、入れるものを間違えてない?」
『この禍々しい色、ガジルのとそっくりだ。間違いない……おいっ、風の! 風向きをこちらに変えるなっ!』
風の悪戯心か。はたまた偶然か。急に風向きが変わり、風上の少し離れた所で様子を見ていたはずのバルカンが逃げ惑いながら宙を睨んで文句を言っている。
そんな騒がしいバルカンをよそ目に、熱々の解毒薬を瓶の中に詰めていゆく。糸のひくそれに鳥肌が立った。トウガラシのせいか、何だか目まで痛い。
ジークには解毒薬に何が入っているか教えないほうが良いだろう。世の中には知らないほうが幸せなことだってあるのだ。
ペルーンと塩の洞窟に氷狼の様子を見に行ってくれているジークを気の毒に思った。なにせ、彼が一番これを飲む可能性が高いからだ。
瓜酒の木の周りで酔い潰れている毒熱猿を起こさないためにも、ジークが代表して木に登ることになった。本人は自信満々に「任せてくれ!」と笑っていたが、解毒薬の出番がないことを祈るばかりだ。
そんな彼も、そろそろ帰ってくる頃だろう。氷狼は洞窟にいたのだろうか。
先日、何をするにも気がそぞろな私を見かねたバルカンが、氷狼の様子を見に行ってくれた。しかし、洞窟にその姿はどこにもなかったそうだ。
もしかすると、入れ違いになったのか、それとも助からず森の掃除屋である大ナメクジに食べられてしまったのか……。
私も洞窟に様子を見に行きたいが、あの日散々我儘を言ったので、大切に思ってくれているバルカンたちにこれ以上の心配はかけられない。
バルカンは魔物に情など通用しないことをよくわかっているからこそ、あの氷狼に対して恐怖を感じない私のぶんまで警戒してくれているのだ。
「メリッサ、ただいま」
振り返るとジークが気まずそうな顔をして帰ってきた。きっと今日も氷狼の姿は見当たらなかったのだろう。
「おかえりなさい。その様子では今日もいなかったみたいね……」
いまだに風と言い合いをしているバルカンをちらりと見て声を潜める。
「あれは置いてきてくれた?」
「もちろん、食べてくれるといいな」
「ありがとう。ジーク」
あれと言うのは、三つ眼鳥を野菜と一緒に茹でて細かく割いたものとリモールだ。
氷狼が狩りに出て入れ違いになっているのだとしたら、あの体ではまだろくな獲物は捕まえられないはず。
なので、もし姿がなくても洞窟に食料を置いてきて欲しいとジークに託した。
氷狼はきっと生きている。私はそう信じているのだ。
「グナゥーッ!」
ジークと小声で話していると、突然ペルーンの不機嫌な声が聞こえた。声のほうを見れば鍋の側で毛を逆立てている。きっと、スープだと思って近寄ったら奇妙な液体で驚いたのだろう。
「うわぁ、変な臭いがすると思っていたら……すごい色だな。もしかして、これが解毒薬?」
眉間に皺を寄せ鼻に手を当てるジークが、恐る恐ると言った様子で私を見やった。
「これ、一体何が入っているんだ……?」
「知りたい?」
知らないほうが身のためだが、自分が飲むかもしれない物の正体が不明なのも恐ろしいだろう。やはり言うべきだろうか、と口を開きかけたその時。
「いや、やっぱり教えないでくれっ! 聞いたら飲めない気がする!」
ジークが両耳を塞ぎ、目までぎゅっと瞑った。こうしてたまに垣間見える彼の可愛らしい姿に、くすりと笑みが漏れたのだった。
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