ピクルスと猫じゃらし
煮沸消毒した瓶にさっと湯通しした野菜を詰めていく。そこにビネガーと樹液の粒、そして岩塩を加えた甘酸っぱいピクルス液を流し込んだ。
一段と強く香るビネガーの酸っぱい香りに、口の中がジンと疼く。
「あとは漬かるのを待つだけね」
早くて数日後には、採れたての新鮮な野菜で作ったピクルスが食べられるだろう。ビネガーと一緒に煮詰めたハーブとスパイスのお陰で、馴染みのあるピクルスの香りに近づいた気がする。完成が待ち遠しい。
パリッと歯切れの良い爽やかなピクルスを想像して、条件反射のように口の中に溢れた唾液を飲み込んだ。朝食を食べてそんなに時間はたっていないはずなのに、食欲が刺激されるほど魅力的な香りだ。
隣で瓶の蓋を閉めていくジークと「楽しみだね」なんて笑い合いながら、出来たてのそれを棚に並べた。
初めてこの家に足を踏み入れた時、目の前の棚には空瓶と分厚い埃が積もっていたのに。いまでは木苺のジャムとリモール塩、そして種類豊富な瓶詰ピクルスが鮮やかに並び、以前の寂れた雰囲気など微塵も感じない。まさか保存食を作る日がくるとは。これをすべて自分たちで作ったのだと思うと、見ているだけで心が躍る。
そして、これからもっと増えていく予定だ。すでに小玉トマトはドライトマトを作るべく、ジークお手製の網目の細かいザルに敷き詰め天日干しをしている。
今頃は軒下に吊るされたミーティアコーンに見守られながら、日光浴を楽しんでいるだろう。太陽の光を浴びて、ギュッと旨味の凝縮されたドライトマトは、料理の幅をぐんと広げてくれるはず。
そして手付かずの大玉トマトは、煮詰めて調味料のトマトソースにするのだ。
そういえば、私が見た『料理本』のレシピにはトマトソースを作るにあたって、香味野菜のガーリックが必要だと書いてあった。生憎、菜園にはガーリックらしきものはない。しかし、今の時期なら沼地に――。
『おいっ、まだか!?』
考え事をしていると、バルカンの苦々しい声が聞こえてきた。キッチンから顔を出せば、玄関の扉から顔を覗かせたバルカンがグルルと小さく唸っている。家の中に充満するこの香りが本当に苦手なようだ。先ほどなんて、ビネガーを火にかけた途端、鼻の頭に皺を寄せ一目散に外へ飛び出してしまった。
ハーブやスパイスも加わり美味しそうな香りになっているのに、それでもバルカンには刺激が強いらしい。完成したらグルメな聖獣に初めて作ったピクルスを試食してほしかったのに。この調子では叶いそうもない。とても残念だ。
ピクルス作りが終わったと呼び掛ければ、バルカンが警戒しながらのそりと家の中に入ってきた。
『うっ、まだ臭うな……おい、風の。部屋の中の空気を入れ替えてくれ』
バルカンが宙に向かって声をかけると、何もないところからふわりと風が巻き起こった。机上の本が勢い良く捲れ、花瓶に刺した花がばさりと揺れる。舞い上がった花びらが、部屋を隅から隅まで駆け巡り、最後にくるりと円を描いて開け放たれた扉から出て行った。
何度見ても不思議な光景だ。ジークなんて口をぽっかりと開けている。そうこうしていると、数分も経たないうちに、今度は外から涼しい風が流れ込んできた。額をさらりと撫でられて目を瞑れば、嗅ぎなれたハーブの香り。思わず鼻をスンと鳴らせば、先ほどまで漂っていた癖のある甘酸っぱい匂いがまるで嘘のように、部屋の中は清涼感のある香りで満ちている。
瞼を開けると、目の前には心地良さそうに寝ころぶバルカン。大きく伸びをしながら『漸く息がつける』とご満悦だ。心なしか先ほどよりも髭にハリがあるような気がする。
『ハーブ畑を駆けてきたか。随分と気が利くな。それにしても風の、お前たちも臭いのは苦手だろう? よくあんな匂いの充満した家の中に居れたな』
毛繕いをしながら風と世間話をするバルカン。しかし、何と返されたのか。ピタリと動きを止めて怪訝そうな顔をした。
「バルカン、どうしたの?」
『こやつら以前、似たような臭いを嗅いだことがあるらしい。それも真夜中に。やれやれ、あんなものを夜な夜な煮るとは、随分と奇特な人間がいたものだ』
何故かじとりとした目を私に向けるバルカンが、溜息をついて床に伏せた。余程ビネガーが気に入らないのだろうか。それよりも、真夜中にビネガーを煮るなんて。なんだか身に覚えのある話で、その人物に親近感が湧く。
「遅くまでキッチンに立っているなんて、きっと料理人ね! レシピの研究をしていたのかしら?」
「次の日の仕込みという可能性もあるんじゃないか? どちらにしても仕事熱心だな」
ジークと謎の料理人に感心していると、バルカンが呆れた顔をして私を見やった。
『はぁ……まぁ良い。それより、あそこに積んであるトマトはどうするのだ? まさか、またピクルスにする気ではあるまいな!?』
ぶるりと立派なたてがみを震わせるバルカン。その問いかけに、そういえば……と、先ほど思考を遮られすっかり忘れていたある物を思い出した。
「あのトマトは煮詰めてソースにする予定なの。ただ、このままだと材料が足りなくて……ねぇ、バルカン。沼地で青い花が咲く場所を知らない? 水中ガーリックを採りに行きたいの」
水中ガーリックは畑で育つガーリックとは違い、沼地に自生する水中植物だ。花や茎は食べられないが球根は食用として使用できる。ガーリックとは全くの別物だが、味と香りがそっくりなため水中ガーリックと呼ばれているのだ。畑で育つガーリックに比べると球根は小ぶりらしい。
水中ガーリックは年中収穫できるが、生息している場所には葉の形状がそっくりな毒性のある植物も多く生えているそうだ。そのため平民の間では、たまに誤って食べてしまい食中毒を起こす事例があるのだとか。ただ、この時期になると目印になる丸くて青い花が咲くので、それを目印に収穫すれば安全に手に入れることができると『植物図鑑』に書いてあった。
以前、森の掃除屋の大ナメクジを収獲しに行った時は、それらしきものは見当たらなかった。あの場所は深さもそれほどなかったので、もう少し水深のある場所に行けば生えているのではないだろうか。そういえば、沼地はあれよりも奥に行ったことがない。
「森の掃除屋さんを採りに行った場所の、もっと奥に行けば生えてないかしら?」
『まぁ、生えているなら多分あそこだろうが……』
なんだか煮え切らないバルカンに不安が募る。もしかして、あの奥には何か危険が潜んでいるのだろうか……。
内心ドキドキしている私をよそ眼に、隣で話を聞いていたジークが何でもなさそうにバルカンに話の続きを促した。彼の手には猫じゃらしと、それを必死に追うペルーンで何とも忙しそうだ。バルカンもそれに気を取られたのか、ジークが巧みに操る猫じゃらしの先を目で追っている。
その光景に、なんだか一人で神妙になって馬鹿ばかしくなった。この一人と二匹は放置して、沼地に行く準備を始めよう。
そうだわ!
きっと昼食は外で何か捕まえて食べることになりそうだから、この前作っておいた特製ハーブソルトを持って行こうかしら。
外で作る魔物の丸焼きには慣れたものだ。これまで塩と槍の串だけを持ち歩いていたが、グルメな聖獣のリクエストが多いため、最近では色んなものを籠の中に入れている。
「ほら、みんな。準備ができたから水中ガーリックを採りに行くわよ!」
本格的に遊びだした子供のようなジークと聖獣たちから猫じゃらしを取り上げた。残念がる声が聞こえる中、パンパンと手を鳴らす。
「働かざる者、食うべからず!」
はっと、立ち上がったジークと、置いて行かれまいとその肩に飛び乗るペルーン。ぶつぶつと文句を言いながら、渋々だが外に出るバルカン。三者三様の反応にふふふと笑う。
籠を持ってくれるジークにお礼を言いながら、まだ見ぬ水中ガーリックに思いを馳せ、沼地を目指したのだった。






