偶然の産物
食後のデザートは砕いた蜜の粒を振りかけたフルールリーフ。
爽やかな甘味に舌鼓を打ちながら、このあと収穫する菜園の作物をどうするか、ジークと頭を悩ませる。一度で食べきれないほど育った野菜を腐らせないためにも、少しでも長く保存したい。ざっと見た感じでは、成熟していない実もたくさんついていた。ゆっくりしていたら、次から次へと収穫時期を迎える野菜が増えていく。
最終手段はバルカンたちのお腹の中に仕舞ってもらうしかないが、できるだけ美味しく大切に食べたい。
「ニンジンは急いですべて収穫しなくても良いんじゃないか? 少しくらい土に埋めてても問題なさそうだ」
「じゃあ、使う分だけ収穫しましょうか。玉ねぎとトウガラシは家の軒下に干して保管するとして……そうだ、トマトも干してドライトマトにしようかしら? あとは煮込んでトマトソースの瓶詰も良いかも」
「問題はパプリカとキュウリだよな。塩漬けにしてみるか?」
「ええ、そうね。お塩くらいしか防腐になるものがないし……あっ!」
自分の言葉にハッと立ち上がり、いそいそと岩塩が張られていない床下収納を開ける。そんな私に、ジークが目を丸めた。
「メリッサ、どうしたんだ?」
「うふふ、これの存在をすっかり忘れていたわ!」
不思議そうにこちらを窺うジークに、にんまりと笑う。そして、勿体ぶるように大きな壷を取り出すと、側にいたバルカンがぎょっと目を剥いた。
『お、おい……まさか、その壺はっ……!?』
「ふふ、そのまさかよ。これを本当に使う時がくるなんて。残しておいて良かったわ。ね、ペルーン?」
「クナァウン!」
『捨ててなかったのか! 果実の腐った汁など何に使うつもりだ!?』
「えっ、腐った汁……?」
眉間にしわを寄せ後退るバルカンの様子に、ジークが困惑の表情を浮かべた。
「バルカンったら。これは腐ってるんじゃなくて、発酵しているのよ」
蔦で縛りつけたバナの葉の蓋を外せば、ツンとした香りが辺りを漂う。スンと鼻を鳴らし懐かしい香りに目を輝かせた。
「ほら、いい感じにできてるわ!」
壷から漂う香りを、パタパタとバルカンたちのほうへ手で扇ぐ。すると、どこからともなく大きな風が、ぴゅんと部屋の四方へ逃げ惑うように吹いた。え? と驚き宙を見上げると、あちこち部屋の物を薙ぎ倒し、仕舞いにはバタンッと窓が開く。
『ほらみろっ、あまりの臭さに風たちが驚いて外へ逃げて行きおった。それのどこが腐ってないんだ早く捨てろっ!』
「失礼ね。口にしても平気なことくらいバルカンも解ってるでしょう? これは立派な調味料よ。これで野菜を漬けるの!」
『そうは言ってもメリッサ、お前っ……正気か!?』
「正気も何も……んっ~ 酸っぱい!」
『ひっ! こやつ舐めよった! し、信じられんっ』
木の匙ですくったそれを口に運べば、ほのかにフルーティーな香りが鼻に抜け、強い酸味が頬をツキリと刺激した。口をすぼめる私にバルカンが驚愕し、ぶるりと震える。気持ち悪そうにたてがみを膨らませる聖獣を尻目に、赤茶けた液体が入っている壷を満足げにちゃぽんと揺らす。
「思った通り、ちゃんとビネガーになってるわ!」
「ビネガー!? メリッサが作ったのか?」
私とバルカンの会話を不安げに聞いていたジークが、壺の中身の正体に驚く。そして乗り出すように壺の中を覗き込んだ。
「うっ、ゴッホゴボッ!」
「まぁ! ジーク大丈夫? おもいっきり吸い込んでしまったのね……」
勢いよく咽せたジークが涙目になって頷く。そんな彼の背中をさすりながら、以前自分も屋敷の真っ暗な厨房で同じ体験をしたことを思い出した。なんだか遠い昔のようだ。
「これを作ったのは私じゃなくて、ペルーンよ! ねぇ、ペルーン?」
「クナァ〜ナ!」
自慢げに胸を張るペルーンに、バルカンが呆れたように小さな頭をポコンとこずく。
『なにを誇らしげにしておる。もとはと言えば、お前が隠しておった果実が腐っただけではないか!』
「ナゥ〜」
「ふふ。あの時、本当にびっくりしたわよね」
この家に住み始めて間もないある日のこと。収穫していた赤い果実が底を付いたにも関わらず、家の中からフルーティーな香りが消えないことに違和感を覚えた。
その異変に家中を歩き回ると、キッチンの隅にひっそりと置かれた壷から、赤い果実の香りがしていることに気がついたのだ。
しかし、それは一度洗ったきり、埃が入らないようにバナの葉を被せているだけで、中には何も入っていないはず。それなのに、何故ここから香るのか。
不思議に思いバナの葉をそっと持ち上げれば、なんとそこには、熟して形が崩れた赤い果実が幾つも入っていたのだ。それも、実から水分が出てプツプツと泡を吹いている。
驚き声を上げる私に、聖獣たちがキッチンに飛んできた。壷を見て怪訝そうにするバルカン。そして、しまった、と気まずそうな顔をしたペルーン。そのそれぞれの反応に、犯人が誰かなんて一目瞭然だ。
赤い果実の減りが早いと思ってはいたが、どうせ食いしん坊たちが摘み食いをしているのだと、あまり気にも留めていなかった。まさかペルーンがこっそり壷に隠していたなんて。しかも、当の本人は隠したことに満足し、すっかり忘れていたそうだ。この後、ペルーンがバルカンに叱られたのは言うまでもない。
壷の中身が臭くなる前に早く捨てろと言うバルカンに、私は首を横に振った。何故なら、幸いなことにカビが生えず泡が出るほど発酵していたから。ほんのりとアルコールのような香りがするそれは、上手くいけばビネガーになると踏んだのだ。
果物が発酵してお酒になれば、次はビネガーに変化する。伯爵家の領地にはワイナリーがあり、ワインを作る時に出る葡萄の搾りかすでビネガーも作っているのだ。そのため、多少の知識はあったし、平民の暮らしのお役立ち情報が綴られた『主婦の知恵』にも、ビネガーの作り方が載っていた。林檎の季節になると、アップルビネガーを仕込む家庭が多いそうだ。各家庭それぞれビネガーの味が違うらしく、とても興味深い。
そんなこんなで、眉をひそめるバルカンを置き去りに、壷の中身を時折かき混ぜながら観察した。日に日にアルコールの香りから、ビネガーの癖のある匂いに変化していく様を楽しむ私とペルーン。さながら実験のようだ。
赤い果実の原型がなくなり、香りが強烈になった頃。キッチンに漂う臭いに、いい加減うんざりしたバルカンが、壷を捨てようとする事件が起こった。騒がしいキッチンに何事かと見に行けば、小さな体に光を纏わせ壷に抱きつくペルーンと、それを引きはがそうとするバルカン。
吠え合う二匹の仲裁に入り、バルカンに詫びながらビネガー観察を中止する約束をした。その後は、彼が爪とぎに出かけている間に、ペルーンと壷の中身を濾し、液体だけになったそれの匂いが漏れないように蓋をして床下に仕舞ったのだ。
驚くバルカンを見る限り、どうやら捨てたとばかり思っていたらしい。
本当は一年くらい寝かすとまろやかになるらしい。しかし、今のままでも十分ビネガーとして使用できそうだ。
「ふふふ、偶然の産物にしては上等なものができたわね。これならきっと、美味しいピクルスができるんじゃないかしら!」
「ピクルスか! 日持ちもするし、長期保存にぴったりだ」
『何か知らんが、そんな悍ましいもの……我は絶対に食わんからな!』
今は嫌そうな顔をするバルカンだが、ピクルスを美味い美味いと嬉しそうに食べる姿が安易に想像できる。近い未来起こるであろうそれに、小さな笑みを漏らしたのだった。
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