花屋の彼女の贈り物
草を刈り、土を耕して種まきをしたばかりの菜園。
本来なら、ふかふかの土のベッドで、慎ましい若葉たちが日光浴をしているはずだ。しかし、目の前に広がるそこは、茶色い場所が見当たらないくらい緑色で占められていた。
あんなに可愛らしかった新緑が、今や色濃く菜園を埋めつくさんばかりに猛っている。その生命力あふれる光景に、圧倒され後退りしてしまいそうだ。
何故、一夜にして作物が急成長したのか。考えられるのは、隣で目を輝かせ、菜園を見つめるこの一匹の聖獣しか思い当たらない。昨日、畑仕事も終わった頃、ペルーンが小さな体に光を纏わせて、無邪気にてんとう虫を追いかけ回していた。きっと、あの光が畑の作物に影響を与えたのだろう。この子に植物の成長を促す力があることをすっかり失念していた。
ペルン畑でバターを作る時、ペルーンは必ず体に光を纏わせて遊んでいる。だが、一日でペルンが収穫できるほど育ったことはない。最近、漸くペルンの穂先が膨らみ始めたのだ。確かに、通常の穀物が育つスピードと比べれば、ペルンの成長は早い。しかし、まさかよく見るあの小さな光が、菜園の作物を一夜でここまで育てる促進力があるとは思いもしなかった。
そういえば、ペルーンが菜園を駆け回っていた時、バルカンが呆れたように『明日が見ものだな』と言っていた気がする……。
まさか、あれがこのことだったとは。気づいていたなら止めて欲しかった、とバルカンを恨めしく思いながら肩を落とした。
「ペルーン……これ、あなたでしょう?」
「クナァ?」
ペルーンの顔を覗き込む。すると、とぼけたように首をかしげる姿に、もぅ、と眉を下げた。すぐに食料が確保できるのは嬉しいが、初めて自らの手で植えた作物が、どう成長するか、その過程も楽しみたかったのだ。
「どうして菜園のお野菜はこんなに早く育ったの?」
「クナァーン!」
まるで「知らなーい!」と言うように、緑が茂る菜園の中に飛び込むペルーン。小さな姿があっという間に葉で隠され見えなくなった。
「あっ、ペルーン! ……まぁ、こうなってしまったのは仕方ないわね。まずは、菜園の中を確認しなくちゃ……」
猛々しい菜園にごくりと喉を鳴らす。頭の中で昨日整えた菜園を思い出し、そろりと近づき葉をかき分ける。
多分、この辺りが種を撒いた場所よね……?
「……わぁ、すごい! 葉っぱで見えなかったけど、たくさん実ってる!」
畝を作り種を撒いたばかりの畑に、わさりと立派な株が生え、トウガラシの辛そうな実が挑発的に幾つもこちらを向いている。赤紫色のラディッシュは土からぽこぽこと可愛らしい顔を覗かせて、ルッコラなんて自由奔放に広がりびっしりと生えていた。
「それにしても、すごい量だわ……朝食のサラダはこれで決まりね。そういえば、お花屋さんがおまけでくれた種は……まぁ、フルールリーフだったのね!」
瑞々しい薄緑色をした肉厚の葉が、花のように咲いている。陽の光が葉を通り抜け、緑に輝くそれは、まるで翡翠のように美しい。
フルールリーフは栄養価も高く、すっきりとした花のような香りがする野菜だ。一応、植物図鑑には野菜と分類されているが、果物のような感覚で食べられることが多い。市井では子どもがこれに砂糖をつけて、おやつのように食べているそうだ。屋敷ではサラダのアクセントに使われたり、ジャムになってよく出されていた。
「そう言えば……種を買った時に、私が引っ越しをするって言ったから、これをおまけしてくれたのかもしれないわ。私、嘘をついてしまったのに……」
カッチェス王国では、この美しい見た目と栄養価の高さに、無病息災の願いを込めて、引っ越し祝いにフルールリーフの鉢を送る風習がある。きっと、花屋の彼女は、私が引っ越しをすると聞いて、この種をおまけしてくれたのだろう。
最初、彼女に声をかけられた時、野菜の苗を勧められた。しかし、逃げるから持って行けないなんて言えず、代わりに引っ越しをするから種が欲しいと嘘をついてしまったのだ。結果的には、魔物の森で新生活を送ることができている。
しかし、フルールリーフの種をくれた、彼女の純粋な気持ちに申し訳なく思う。その反面、無病息災を願われたことが嬉しくて、胸がいっぱいになった。喉の奥がきゅと締まり、目頭がじんわり熱い。なんて素敵な贈り物だろうか。
一年中、葉をつけるこの野菜は、温かい時期は外へ出し、寒い時期は霜が降りないように室内に入れて育てるのだ。確か、底に小さな穴が開いていて使っていない大きな壷があったはず。あれを植木鉢代わりにして、このフルールリーフを植え替えよう。
優しい花屋の彼女が送ってくれた想いを枯らさぬよう、大事に、大事に、育てよう。
何度も瞬きを繰り返し、長い睫毛に涙が散った。すん、と鼻を啜り、一枚フルールリーフをぷちりと手に取る。それを、陽に翳せば太陽の光をたっぷりと集めた瑞々しい葉が輝いた。
きらり、きらり、と緑の光が、見上げる私の視界に降り注ぐ。潤んだ瞳に映るそれは、万華鏡のように輝きを増して、思わずため息が漏れた。
美しい葉を服の袖で優しく拭って、さくりと噛めば、爽やかな花のような香りが優しく口の中に広がった。肉厚な葉は、瑞々しい梨のような歯触りで、フルールリーフのほど良い酸味と、ほのかな甘みが穏やかに消えていく。後味の良いそれが、まるで快活に笑う彼女のようで、自然と口角が上がった。
「美味しい……ふふっ」
今日は朝から、なんて良い日だろうか。幸せを噛み締め、ワンピースについた土をパッパッと払う。
「さぁ、まずは他の野菜も確認しなくちゃ! 早くしないとジークたちが帰ってくるわ」
からりと晴れた青空のように、気持ちを切り替え、気合を入れる。そして、まだ未開拓の葉が茂る菜園に足を進めるのだった。
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