久しぶりの二度寝と驚きの菜園
冷たい水で顔を洗い、眠気をシャキリと覚ます。
リボンで長い髪を纏めると、首筋をくすぐるおくれ毛を、慣れた手つきで撫でつけた。最初は苦戦していた髪を結う作業も、今ではお手のものだ。ちょっとお洒落に編み込みだってできるようになった。
窓を開けると清々しい風が朝の挨拶とばかりに頬を撫でる。
「ふふ、おはよう」
部屋の中に清浄な空気を運んでくれる風たち。目には見えなくても、何となく感じる気配に挨拶をして、青く晴れた空を見上げた。
「今日もいい天気ね。そろそろジークたちも帰ってくる頃かしら?」
ジークがバルカンと首長羊のミルクを採りに行っているお陰で、久しぶりにのんびりとした朝を過ごしている。昨夜、湯舟を共にしたジークとバルカンは、すっかり打ち解けたようだ。
どうやら、誇り高き聖獣はジークのシャンプーを気に入ったらしい。『また一緒に入ってやらんこともない』なんて言いながら、上機嫌に尻尾を揺らすものだから、ほんの少しジークに嫉妬したのは内緒だ。
それにしても、あの本に書いてあった通り、露天風呂に肩を並べて入ると皆総じて仲良くなるのは、やはり本当らしい。心も体も解放されるあの心地良さの前では、誰もが穏やかな気持ちになり争う気持ちも起きないのだろう。
柑橘風呂は泡風呂に続き聖獣たちにかなり好評だった。ペルーンなんて水中に浮かぶリモールを追い掛け回したり、突然静かになったかと思えば、金色の果実に紛れて一緒にぷかぷかと浮かんだり。少し騒がしかったが、とても可愛い姿を見せてくれた。
それに、妖精の泉のお湯とリモールのお陰で、畑仕事で溜まった疲労とヒリヒリ痛む手の肉刺が、露天風呂から上がる頃にはすっかりなくなっていた。
病み上がりのジークには更に効果覿面だったようだ。湯上りに軽くなった身体をストレッチしながら、少しずつ体力をつけていくためにも、なまった身体を動かしたいと言うジーク。そんな彼に、バルカンが朝の日課である首長羊のミルクを採りに行くことを提案したのだ。
私も一緒に行くつもりだったのだが、ジークに「折角だからゆっくりしてほしい」と言われ、その言葉に甘えることにした。勿論、病み上がりなのだから、無理だけはしないよう約束を交わして。
まだ薄暗い早朝、ジークたちを見送るために一度起きて、寝惚け眼をこすりながら彼らに「いってらっしゃい」と声をかけた。すると、ジークからとても嬉しそうな「いってきます」が返ってきたのだ。それが何だか新鮮で、心の中に爽やかな風が吹き、次第にじんわりと春の陽だまりのようなぽかぽかとした高揚感を抱いた。
よく考えてみれば、聖獣たち以外で、それも人間から「いってきます」が返ってきたのは初めてだ。しかも、あんなに嬉しそうに言われるなんて。
二人の背中を見送った後、ふわふわと躍るような足取りで床に敷いたクッションに背を傾ける。胸に広がる幸福感が堪らず、隣で丸まって眠るペルーンの柔らかな毛並みに、緩む頬を摺り寄せた。そして、規則的に聞こえてくる小さな寝息に誘われて、気分の良いまま久しぶりの二度寝を味わったのだ。
早朝の出来事を思い出し、ふふふと笑みが漏れた。
おかえりなさいってジークに言ったら、どんな顔でただいまを返してくれるかしら?
何気ない挨拶が、こんなに素敵な言葉だなんて思いもしなかったわ。
密かな楽しみを胸に、ジークたちの帰りを待つ。誰かの帰りをこんなに心待ちにしたことはあっただろうか。朝早くに出かけて帰ってくる二人のために、美味しい朝食を用意しようと腕まくりをした。
「そうだ! 菜園のハーブを採りに行くついでに、水やりもしなくちゃ! ペルーン。私、菜園に行ってくるけど、あなたも行く?」
桶と柄杓を手に持つと、小さく丸まって一向に起きてこないペルーンに声をかける。すると小さな耳をプルプルと揺らした寝坊助は、もぞりとクッションの下に潜り込んでしまった。
「ふふふ、バルカンがいたらクッションを剥ぎ取られそうね」
こんもりとしたクッションが小さく上下に動き、くぐもったペルーンの寝息が聞こえてくる。今ここにいない聖獣が、あの小さな山を見たら、問答無用で起こしにかかるだろう。
姿は見えないが、気持ち良さそうに眠るペルーンを、もう暫く寝かせてあげようと、静かに扉を開け外へ出た。
「うーんっ! ぽかぽかして気持ちがいいわ。今日はお洗濯日和ね……」
眩しい朝日を浴びながら、大きく伸びをして、遠くの空をぼんやりと眺めた。小鳥の美しいさえずりに混ざって、魔物の森ならではの、へんてこな鳴き声も微かに聞こえる。この辺りはバルカンのテリトリーなので危険な魔物は寄ってこないが、初めの頃は慣れるまで怖かった。今では、音を外してしまう、ちょっぴり音痴な魔物の鳴き声を、くすりと楽しめるほどだ。
足取り軽く菜園に向かう。すると、視界にあるはずのない光景が映りぴたりと足を止めた。
いや、まさか。そんなはずはない。もしかして、まだ寝ぼけているのだろうか。流石に見間違いだと目を擦り、恐る恐る瞼を開けた。
「っ!?」
息を飲み、思わず手に持っていた桶をカランと落とす。昨日、種を撒いたばかりの菜園に、青々しい作物が、これでもかと生えているのだ。小さい芽とかそんな可愛いものではない。若葉なんて通り越して、今にも収穫できそうな、立派な作物を実らせている。
目を擦っても頬をつまんでも変わらない光景に、口をあんぐりと開けた。いったい何があったというのか。作物がこんなに早く成長するなんて植物図鑑にも書いていなかった。そこまで考え、ふとあることを思い出す。
「……はっ!? そうだわ! ペルーン!!」
地面に転がる桶をそのままに、ドタバタと家の中に駆け込む。そして、すやすやと気持ち良さそうに眠るペルーンのクッションを勢いよく剥ぎ取ったのだった。
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