解禁された露天風呂
陽も落ち火光虫が部屋の中を柔らかく照らす頃。
リビングでは、いまだにバルカンとジークが、目玉焼きの焼き加減について論争している。二人の並々ならぬ拘りに呆れながら、露天風呂の水を止めに外へ出た。
「よしっ! あとは、バルカンにお水を温めてもらったら完成ね」
「クナァ~」
濡れた手をハンカチで拭いながら、初めて露天風呂に水を溜めた時のことを思い出す。
当時、他人の魔力に頼らず生きていくと決意しておきながら、結局は誰かの力が必要な自分の無力さに酷く落ち込んだ。
しかし、そんな私に気高き聖獣は、助け合えば良いのだと教えてくれた。できる者ができることを。魔力があろうがなかろうが、そんなことは関係ない、と風呂掃除で赤くなった私の手を見て讃えてくれたのだ。
それからは、彼らに力を借りる自分に自己嫌悪することがなくなった。彼らもまた、私を必要としてくれるからだ。価値のない人間だと存在を否定され続けてきた私にとって、それがどれだけ嬉しいことか。
あの日、バルカンがくれた言葉は私の宝物だ。今この何気ない日常も大切で愛おしい。
「そう言えば、あの時バルカンがお水を全部蒸発させちゃったのよね。ふふふっ、なんだかずいぶん前のことみたい」
ちなみに、バルカンが岩で湯を沸かしたのは、あの日一回きりだ。流石に入浴して適温を把握したのか、翌日からは火花を散らさず息をするように湯を沸かしていた。あの時のバルカンの得意げな顔といったら……。
「ふふふっ。そろそろ、目玉焼きの決着がついたかしら?」
先ほど見たジークの様子なら、今日から入浴を解禁してもよいだろう。本当は腹の傷が塞がってから、すぐにでも露天風呂に入らせてあげたかった。しかし、悲鳴根の件があり、後遺症で意識を失ったり眩暈が続いていたので、流石に入浴中に倒れては危ないと、今まで延期になっていたのだ。
いくら毎日、桶にハーブを浮かべたお湯で頭を洗い、身体を清拭して清潔にしていても、それほどすっきりはしないはず。そろそろ彼も、全身を包むお湯が恋しいだろう。
「あっ、待ってペルーン。今日はシャボンの実は入れないで」
「クゥ?」
泡風呂はペルーンのお気に入りだ。今もシャボンの実を咥え露天風呂の中に入れようとしている。
「今日からジークもお風呂に入っていいと思うの。だから、疲労回復効果のあるリモールを浮かべて柑橘風呂にしましょう? きっと喜ぶわ」
「クゥナッ!」
ジークが漸く露天風呂に入れると知り、ペルーンも心なしか嬉しそうだ。火光虫を頭に乗せ跳ねるように歩いている。その微笑ましさに、笑みをこぼしながら扉を開くと、呆れたことにバルカンとジークが、ムッとした表情で顔を突き合わせている。どうやら決着はついてないらしい。これはもう、ただの意地の張り合いだ。
「はいっ、もうその話題はいったん保留! それより、露天風呂のお水が溜まったの。バルカン、お湯を沸かしてもらってもいいかしら? 今日は柑橘風呂よ」
私の声に、ハッとこちらを向いた二人が、漸く外が暗くなってきたことに気がついた。
『……もうそんな時間か。今、沸かしてくるから待っていろ』
「はい、これ。いつもありがとうバルカン」
うむ、と頷き立ち上がったバルカンに、リモールの入った籠を渡して見送ると、ジークがばつの悪そうに眉を下げていた。時間を忘れるほど大人げない意地の張り合いをしていたせいで、気まずいのだろう。
「ジーク。あなたも、そろそろ入浴しても良いと思うんだけど、調子はどうかしら?」
「良いのか!? 大丈夫、この通り元気だっ!」
ジークが飛びつかんばかりに立ち上がり目を輝かせる。やはり、本人は何も言わなかったが、湯あみがしたくて堪らなかったようだ。
「ふふふ、良かった。じゃあ、タオルとシャボンの実を準備するわね! 私たちは後で入るから、一番風呂をどうぞ。とっても気持ちが良いわよ」
「いや、でもいくら清拭してても、一番風呂は流石に……」
「あら、そんなこと気にしないで。それに、先に身体を洗ってお湯に浸かるんだから関係ないわ」
「いや、でも……」
清潔にしていても何日も直接お湯に浸かっていないのを気にして、ジークが困ったように首を横に振る。そんな彼の様子に、お湯を沸かし戻ってきたバルカンが鼻を鳴らす。
『ならば、小僧は我らの後でよかろう。メリッサ入りに行くぞ』
「ああ、そうして――ん? ……え!? ち、ちょっと待ってくれバルカン」
『むっ、なんだ小僧! 離さぬかっ』
頷いた後、怪訝な顔をしたジークが、外へ出ようとするバルカンを焦ったように止めた。そして部屋の隅で、何やら二人でこそこそと話しをしている。
『なんだ小僧。もしや、我とメリッサが一緒に入るのが気に――』
「わぁぁぁぁー! メリッサっ、俺バルカンと入るよ!」
ペルーンと首を傾げて二人の様子を見ていると、ジークがバルカンの言葉を遮りこちらを振り返った。
『はぁ? なぜ我がお前と入らねばならぬのだ。それに我は一番風呂が良いっ!』
ジークの提案にバルカンが眉間に皺を寄せる。しかし、よく考えれば名案だ。
「あら、それは良い案ね! 一人よりバルカンが一緒に入ってくれたら、もしまたジークの体調が悪くなった時でも安心だわ!」
「そうそう、そうだろう? 俺も一人は不安だ! それに、やはり折角だから、一番風呂をもらおうかな!」
「えぇ、久しぶりのお風呂ですもの。楽しんでちょうだい!」
桶に入ったタオルとシャボンの実を手渡すと、ジークがバルカンをグイグイ押しながら扉を潜る。
『おい、我は一言も良いと――』
「ありがとうメリッサ、肌が擦り切れるまで洗ってから湯に浸かることにするよ! あははははー! さぁさぁ、バルカン早く行こうっ」
『こら、小僧押すなっ――』
「ふふふっ、のぼせないように気をつけてね」
バルカンを急かしながらジークが去っていく。久しぶりの入浴に気分が高揚しているのだろうか。浮かれてのぼせなければ良いのだが……。
ぽかぽかに温まった彼らが、風呂上がりの一杯を楽しめるように、冷たい飲み物を用意しよう。きっと、ジークは久しぶりの入浴に沢山汗をかきそうだ。ミントを浮かべたリモネードに岩塩を少し加えるのも良いかもしれない。
「ペルーン、菜園からミントを採ってきてくれるかしら? 虫を追いかけてお使いを忘れてはだめよ」
「クナァン!」
「お家に入る時は土を払うのを忘れないでねー!」
嬉しそうに自分の籠を咥え、颯爽とお使いに出るペルーン。その小さな背中に、岩塩を削る手を止め、慌てて声をかけたのだった。
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