幸運は彼の手に
オムレツの具に塩漬けにした鉱石猪と刻んだ野菜をさっと炒めた。
味見をすると、野菜の甘みと肉の旨味が凝縮された塩気がとても良い塩梅だ。お陰で食欲がそそられる。これなら、味付けは塩漬けにした鉱石猪の塩味だけで十分だろう。
「うん、美味しい! けれど、これを卵で上手に包めるかしら……」
眉間に皺をよせ、難しい顔をしながらフライパンの中身を皿に移すと、双子鳥の卵を手に取った。拳二つ分する大きな卵は、ほんのり薬草の香りがする。
調理を始める前に、強い殺菌効果のある薬草の汁で殻の周りを拭き取ったのだ。
貴族の食卓に上がる鶏卵は浄化魔法で殺菌消毒が施されており、平民の間では薬草で殻の汚れを落とすのが主流だ。
ただし、親鳥の環境状態が悪ければ、殻の周りをいくら殺菌しようとも、産卵される前に卵内が汚染されている可能性がある。
そういった卵は、しっかり火を通せば菌は死滅するので食べられるが、生食は避けたほうが良いそうだ。
ちなみに、飛べない双子鳥は地面に巣を作る。とても綺麗好きな魔物らしく、糞は巣から少し離れた地面に穴を掘りそこで排泄をして砂をかけるらしい。
有精卵を産むと、雛がかえるまで食事はおろか排泄もせず、ひたすら二羽で卵を温め守るのだとか。そのため、巣の中は常に清潔な状態が保たれているそうだ。
第一、この森には掃除屋の大ナメクジがいる。日頃意識して見てはいないが、魔物の排泄物が放置されている所に出くわしたことがない。ましてや踏みつけたことなどなかった。
よくあるのは、透明な魔物くらいだ。足の裏にぶにりと丘海月を踏みつけた感覚が蘇り、ぞわりと鳥肌が立った。
今では、丘海月を触るのも躊躇しないが、踏みつけた時の感触だけはどうしても慣れない。
それはさておき、この森の環境と双子鳥の性質も含め、卵内が汚染されることは滅多にないだろう。虫から親鳥が感染する場合もあるが、それは普通の動物の場合だ。双子鳥は魔物でまだまだ解明されていないことばかりだが、外敵から身を守ることに長けている。
それに、バルカン曰くガジルは双子鳥の卵を生でも食べていたらしい。そのため、鮮度が良ければ、あまり神経質にならず殻を清潔にすればよいだろう。
大きな卵を両手で持ち、コクリと生唾を飲み込んだ。上手く割ることができるだろうか。初めて割る卵に緊張しながらそっと水平になった場所で叩く。
コツンッ……。
打ち付けた表面を見ると、つるりと傷一つ入っていない。思っていたより殻は分厚く固いようだ。
思い切ってどこかの角で叩いてしまいたい衝動に駆られるが、そうすると黄身に殻が刺さり崩れてしまう恐れがあるらしい。
卵を割る時は、なるべく水平な場所で叩くようにと『料理本』に書いてあったのだ。
ここは慌てず、慎重にならなくちゃ……。
オムレツにするので、どうせ黄身が割れても良いのだが、できれば綺麗に割りたい。
コツッコツッ……コツンッ!
助走をつけるように、ほんの少し加減しながら強めに叩く。すると、漸く固い殻にペキリとひびの入る音がした。
そっと割れた場所に両手の親指を刺し込み力を加える。カパリとどこか心地良い音とともに、ずるりと卵白が飛び出した。
――たぽんっ
少し重量のある音を立て、殻の欠片と二つの色鮮やかな黄身が器の中に落ちた。
「わぁ! 本当に黄身が二つ!」
とある国では、吉兆の報せを運ぶイーリスのように、二卵黄は縁起の良いものとされている。
運良く出会えれば、何か良いことが起きると言われているらしい。
双子鳥の卵なので、これは該当しない話だろうが、分かっていても心が弾む。
双子の黄身に歓声を上げながら、器に入った殻を指で取り除いていると、後ろからコソコソと話声が聞こえてきた。振り返ると、バルカンたちがこっそりキッチンの入り口から縦一列に顔を出している。
「クナァ?」
『おい、ペルーン我の頭に乗るな! 尻尾が邪魔でよく見えん』
「ゔっ! バ、バルカン重たい……潰れ……るっ――」
目を丸める私の前で、一番下にいるジークが重みに耐えきれず床に沈む。突然バランスを失った聖獣たちが、雪崩のように崩れ落ちた。
『わっ! こら小僧いきなり体勢を崩すでない!』
「クナーッ!」
「ゔぅ……」
バルカンの毛並みに埋もれ、ジークのくぐもった声だけ微かに聞こえる。
「まぁ! 大変っ!」
下敷きになったジークを慌てて救出しようと駆け寄った。病み上がりなのに、また悪化してしまっては元も子もない。
「ジーク! 大丈夫!?」
急いでバルカンのたてがみをかき分けると、埋まっていたジークの顔が出てきた。苦しそうに歪んでいると思っていたその顔は、目を見開き硬直している。
あまりの苦しさに、固まっているのだろうか。早く助けなければ。
「バルカン、早く退いてあげ――」
「なまえ……」
急いでバルカンをジークの上からどかそうとしていると、ぽつりと何か呟く声が聞こえた。
「え?」
「なまえ……メリッサ、名前をもう一度呼んでくれ……」
こんな緊急時に何を言われたのかよく分からず、口の中で「なまえ」と転がすように反復した。
「ジークさん?」
「そうじゃなくて……」
首を傾げる私に、バルカンの下でジークがもじもじと何か言いたげな顔をする。そんなことより、重たくはないのだろうか。
怪訝に思っていると、先ほど自分がジークを呼び捨てにしてしまったことに気がついた。
「あっ、ごめんなさい。私ったら驚いて呼び捨ててしまったわ」
「いいんだ。むしろ、その……そっちのほうが嬉しいというか……」
上目遣いに私を見上げるジークの目元がほんのり赤く色づいている。背の高い彼に、いつもは私が見上げているのだが、新鮮な角度に何だか少し照れてしまう。
綺麗な瞳が期待に満ちたように、こちらをじっと見つめてくる。改まって言うのはすごく気恥ずかしい。バルカンのたてがみを指に絡ませ、照れ臭さを誤魔化しながら口を開いた。
「えっと、じゃあ。あの……ジーク?」
「あぁ!」
嬉しそうに破顔したジークに、なんだかこちらも嬉しくなって、微笑み彼の名を繰り返す。
「ふふふっ、ジーク」
「〜〜っ!」
「ジーク?」
「う、うん……」
突然ジークが顔を伏せた。彼の髪と襟の隙間からちらりと覗く首が、真っ赤に染まっているように見える。バルカンの毛並みはとても温かい。まさかのぼせてしまったのではないだろうか。
「ジーク、大丈夫?」
「あ、あぁ……大丈夫だ。ありがとうメリッサ」
そう言いながら、せっかく顔だけでも救出したというのに、ジークがもぞもぞとバルカンのたてがみの中に隠れてしまった。
のぼせていたら、わざわざ自分から熱い所に埋もれに行かないだろう。赤くなっていたのは気のせいらしい。
バルカンの毛並みの気持ちよさを一度経験してしまえば、離れがたくなるのはよく分かる。
しかし、いい加減重くないのだろうか。そう思っていると、突然バルカンの顔が目の前に現れた。
のしりと更に体重がかかったのか、バルカンの下からくぐもったジークのうめき声が聞こえる。
そんなことはお構いなしに、バルカンがふんっと鼻を鳴らした。
『メリッサ。それより昼食はまだか?』
「あっ、そうだった! もうお部屋のお片づけは終わったの?」
バルカンに昼食作りを促され立ち上がる。そして、聖獣たちに目を向けると「しまった!」と言うようにギクリと肩を上げた。
「ふふふっ、その顔はまだね?」
『い、今からやろうと思っておったところだ! なぁ? チビっ』
「クナンッ!」
『こら小僧! お前はいつまで我の下で寝ておるのだ! さっさと片づけるぞっ』
ぐったりとしたジークの襟元を咥え、引きずるようにリビングに向かうバルカン。そんな彼らを見届け、くすりと笑いながら残りの卵を器に割り入れたのだった。
おかげさまで無事に発売できました!ありがとうございます。
そして昨日、電子書籍版も発売となりました。特典SSは『魔物の森のフルーツ飴』です。
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