ジークの鈍痛と開き直り 一
ジーク視点になります。
窓の外から、鈴を転がすような笑い声が聞こえる。
メリッサたちが菜園の草むしりをしているらしい。
かくいう俺は、情けないことにベッドの上で籠作りに勤しんでいた。本当は力のいる畑仕事を手伝いたい。
しかし、メリッサに安静にしていろとベッドに押し込まれているのだ。
漸く腹の傷も塞がり体力も少しずつだが戻ってきていたのに。間抜けな俺は、ふたたびベッドに逆戻りした。
「いてててっ……はぁ、情けない」
鈍く痛む頭を押さえ、ことの発端を思い出してため息をついた。
さかのぼること数日前。いつもはメリッサと寝ているペルーンが、珍しく俺の眠るベッドに入ってきた。
ちなみに、この家にはベッドが一つしかない。俺の意識がなかった間、彼女が床で寝ていたと知り、腹の傷などお構いなしにベッドから飛び降りた。
いくら意識がなかったとはいえ、自分のせいで華奢な彼女に何日も硬い床で眠らせていたのだ。その事実に平謝りし、俺をベッドに寝かせようとするメリッサに、自分が床で眠ると首を横に振る。
ベッドの前で押し問答をしていると、彼女が少し言いにくそうにまごまごと口を動かした。
目元を赤くし恥ずかしそうに「ベッドでは眠れないから今まで使っていなかった」と言うのだ。聖獣たちと丸まって寝ないと寝つきが悪いらしい。
そんなにバルカンの毛並みは気持ちが良いのかと驚く。目を丸めた俺に、恥ずかしそうにしていたメリッサが、今度は興奮したように目を輝かせ、どれだけ寝心地が良いのか力説し始めた。
結局、もともと使用していなかった寝室は俺が借りることになり、今もベッドを占領している。一度、どのようにして眠っているのか気になり、夜中こっそりリビングを覗いた。
ペルーンを腕に抱き、バルカンの毛並みに頬ずりをしながら幸せそうに眠るメリッサ。その微笑ましい姿に愛しさを感じた。しかし、それと同時に少し面白くないと聖獣たちに軽い嫉妬を覚えた。
そんな俺の器の小ささはさておき……。
懐に潜り込む幼獣の温かな体温に癒され眠った翌朝。
寝ぼけたペルーンが尻尾で俺の顔をぺしりと叩く。そのむず痒い衝撃で、いつもよりだいぶ早い朝の目覚めを迎えた。
ぐっすりと眠るペルーンを残し、欠伸をしながらリビングに顔を出す。すると、メリッサとバルカンの姿が見当たらなかった。
どこを探しても人の気配はなく、白む外の光が青と緑の窓ガラスをぼんやりと照らしていた。
ランプの中の火光虫に、バルカンたちの行方を聞こうにも、一足遅く眠りについている。
「こんな朝早くから出かけているのか……?」
窓の外を覗いても近くにいる様子はない。気を失い目を覚まして以来、メリッサがこの家を留守にするのは初めてだ。
彼女が聖獣たちと食料を調達している話は聞いていたが、実際に外に出ているのを目の当たりにすると衝撃を受けた。
意識を失う前に対峙した、自分より遥かに大きく凶暴な魔物を思い出す。あの時は魔力を封じられ魔法が使えず、ろくな武器もないまま戦った。
普段の自分なら、師匠のスパルタ教育のお陰で苦戦することなく倒せたはずだ。けれど、腹に攻撃を許してしまうほどには弱っていた。
それでも、訓練のたまものか死にかけはしたが、魔力を腕輪に吸い取られ重たい身体を引きずりながら何とかとどめを刺すことができたのだ。
あんな凶暴な魔物が蔓延るこの森に、いくらバルカンが一緒でも、メリッサのような華奢な女性が出歩くなんて……。
しかも、彼女は今の自分のように魔法が使えないのだ。なぜメリッサが魔物の森で生活をしているのか分からない。
しかし、虫も殺したことがなさそうな顔をした彼女を思い浮かべ、心配は募るばかりだ。
扉の前で右往左往しながら待ち続ける。しかし、窓から差す青と緑の光が強くなっても、いまだ彼女たちは帰って来ない。いつもなら、メリッサが朝食の準備をしている頃だ……。
「まさか、やっぱり何かあったのか……?」
本当は体調が万全になるまで外を出歩かないとメリッサと約束をしている。しかし、このままじっとしてはいられない。
心配でたまらず、ドアノブに手をかけた。久しぶりに全身に浴びる陽の光と、朝の凛とした空気に大きく息を吸う。
そして、一番新しそうなバルカンとメリッサの足跡を探した。武器のかわりに足元に転がる太い木の枝を拾い、ないよりはましだと警戒しながら先を急いだ。
途中、生い茂る草に囲まれ足跡を見失うこともあったが、何とか獣道を見つけ歩みを進める。
そんな時、風に乗ってメリッサの心地よい柔らかな声が聞こえた。
顔を上げると、遠くのほうで彼女たちが地面にしゃがみ込み何かをしている。目を凝らすと、緑の植物の葉をメリッサが掴んでいた。
そして見覚えのあるそれに息を呑む。あれは師匠の仕事部屋でよく目にしていた悲鳴根だ。
――メリッサだめだっ!
叫ぼうにも、あまりの驚愕に喉が締まり、吐き出されるはずの音が塞き止められる。
慌てて駆け寄りながら、せめて彼女たちに防御魔法をかけようと、手のひらを前に出した。しかし、いまだ魔法が使えず、無残にも不安定な魔力が散ってしまう。
手のひらの熱が放たれることなく霧散される感覚に血の気が引く。
自分の命よりもメリッサを守りたい。そう伸ばした宙を切るだけの自分の手ごしに映った残酷な光景。
今まさに、死を叫ぶ悲鳴根を彼女の手ずから引き抜かれようとしている。
あぁ、なんてことだ。こんな時に、どうして――っ!
メリッサが悲鳴根を引き抜いた。その瞬間、脳天を貫くような強烈な悲鳴を最後に、目の前が真っ暗になった。
次に目を覚ましたのは、またしてもベッドの上だった。視界には見慣れてしまった天井と、手には温かな体温。
ふと横を向けば、メリッサが俺の手を握りベッドに頭を預け眠っていた。長くけぶるような白い睫毛が伏せられ、淡く色づく唇が小さな寝息を立てている。
彼女が生きている。手に触れる体温は温かく、薄く開かれた可愛らしい唇からは規則正しい呼気が聞こえる。
心の底から湧き上がる安堵と、彼女のあどけない寝顔に愛おしさで胸が詰まった。
自分が魔物に襲われ死にかけた時よりも、メリッサが死の淵に立っていたことのほうが恐ろしく、声さえ出すことができなかった。
肝心な時に魔法が使えず、彼女の側へ早く駆け寄ることのできない弱った自分にどれだけ絶望したことか。
あの時は、もうだめかと思った。確かにメリッサは悲鳴根を地上に引き抜いたのだ。
どうして、自分も彼女も生きているのか……。
聞きたいことは山ほどあるが、何はともあれ、メリッサが無事で本当に良かった。空いているほうの腕で、目尻から零れそうになる涙を押さえる。そして、震える息を静かに吐いた。
じんわりとシャツの袖に水分が吸われ、そろりと目元を覆っていた腕を下ろす。
ふたたび彼女に視線を向けると、そっと絹糸のように美しい髪を一筋すくう。そして手の中のそれに、唇を寄せようとした時。メリッサの長い睫毛が震え、澄んだ灰色の瞳と目が合った。
至近距離で見つめ合い、瞬きを繰り返した彼女が、はっと起き上がる。その拍子に、俺の手を握っていた体温と、唇に触れそうになっていた白い髪がするりと逃げてゆく。
遠のく髪を目で追う俺に、気づかないメリッサがホッと息を吐いた。
「良かった……目が覚めたのね。お加減はどうですか?」
突然消えた手の温もりに名残惜しさを感じるが、心配そうに覗き込む彼女に微笑んだ。
「ああ、また心配をかけてしまったな……本当にすまない。もう、だいじょう――ゔっ!」
ベッドに起き上がろうと身体を起こしたその時――。
視界がぐらぐらと揺れ、吐き気が込み上げる。耳鳴りが突如響き渡り、金づちで頭を殴られたような激痛が走った。
「大丈夫ですか!? 気にせずこのまま吐いてください!」
俺の口元に、さっと桶を差し出しメリッサが背中をさすってくれる。けれど、もうこれ以上彼女に自分の情けない姿を見せたくはなかった。
『なんだ小僧。起きたのか? まったく、こやつも世話のかかる……何をしておるのだ。さっさと吐いてしまえ。出すものを出さなければ辛いままだぞ』
バルカンが扉から顔を出し呆れたように声を上げた。それでも俺は、脂汗をかきながら我慢する。
『その症状、三日は続くぞ。今のうちに素直になっておいたほうが身のためだ』
やれやれ、とバルカンが放った言葉に血の気が引いた。
嘘だろ!? これが三日続くのか……!?
俺のちっぽけなプライドは、バルカンの一言によって見事に崩れ去った。
経験したことがないほどの酷い吐き気と眩暈。そして突き刺すような頭痛に襲われ、素直に介抱してもらうほかなったのだ。
彼女と出会ってから、どこまでも格好がつかない。そんな自分に、桶へ顔を突っ込み涙したのは秘密だ。
「はぁ……どうしてよりにもよって、彼女に醜態ばかり晒してしまうんだ……これでは、バルカンに間抜けと罵られても言い返せないな」
城にいた時や師匠のもとで暮らしていた時は、どちらかというと何でも器用にこなし、我儘な老人の世話を焼くほうだったのに。この森ではメリッサやバルカンに世話になりっぱなしだ。
今回なんて、自分から墓穴を掘りに行った……。どうして悲鳴根を抜いても平気だったのか、後々聞いた話では、丘海月に包んで引き抜いていたらしい。
あの距離では悲鳴根は分かっても、透明な丘海月に気づくことができなかった。それでも、初めて知る収穫方法に驚いた。しかし、俺が目を剥いたのはそれだけではない。
漸く吐き気が治まった頃。少しでも食事をしたほうがいいと出された根野菜のポタージュ。それが、まさかの悲鳴根だった。それを聞いた時、喉を詰まらせ噎せたのはいうまでもない。
しかも、今まで美味い美味いと食べていた野鳥のスープやソテーも、魔物の肉だったそうだ。まさか、魔物が食べられるとは思いもしなかったし、美味いことにも驚いた。
黙っていたことを申し訳なさそうに謝るメリッサに、俺は慌てて首を振り感謝を伝えた。
三日三晩続いた強烈な吐き気と眩暈は治まり、今は頭痛もあの時とくらべ酷くない。たまに、頭の奥に鈍痛が走るくらいだ。
もう大丈夫だと言う俺を、メリッサが腰に手を当て、怒りながらベッドに連行するの繰り返し。
少し前までは困ったような顔をしていたが、今では俺を叱ってくれるくらいには距離が近くなった。メリッサから感じでいた遠慮がなくなりつつあり、彼女が俺にたいして少しでも心を開いてくれているのがこの上なく嬉しい。
そして、その怒った顔がまたなんとも可愛らしく、頬が緩むのだ。
俺の口をついて出る甘い言葉に、前までは顔を真っ赤に染めていたメリッサが、今では聞き流すくらいの余裕をみせる。
しかし「はいはい、分かりましたから。ベッドに行きますよ」なんて言いながら俺の背中を押す彼女の耳がほんのり赤い。
肩越しに振り返る俺に、俯き髪で隠れて見えないと思っているのか、その姿が抱きしめたくなるほど可愛いのだ。
彼女が警戒してしまうといけないので、決してそんなことはしないが、何度その衝動にかられたことか。
この数日で、俺は甘い言葉を吐いてしまう血筋に開き直った。これはもう、諦めるしかない。
彼女のことは知らないことだらけだが、きっとこの人が俺の唯一なのだろう。この血筋は父上たちを見ていれば良く分かる。
開き直った者勝ちだ。今までの俺を知る従者のマシューが見たら、腰を抜かし空から槍が降ってくると鍋を頭に被りそうだが……。
やはり、最初は自分のこのだらしがない口に戸惑いもしたし、何度一人、赤面し転げまわったか。
その度、バルカンに残念なものを見る目で溜息をつかれた。今ではそのバルカンも、俺がメリッサに躊躇いもなく囁く甘い言葉を聞いて、ぶるぶるとたてがみを震わせている。
最近では背中が痒いと騒ぎたて、メリッサがダニでもいるのかとバルカンを心配している始末だ。
ジーク視点が続きます。






