鍬と種まき
古びた鍬を振り上げる。
けれど、振り落とした刃先は思うように土に刺さらず横を向いてしまう。何度繰り返しても、地面をただ掠るように落ちてしまう刃先に首を傾げた。
「想像していたより土を耕すのは難しいわね……」
この古びた鍬は、家の外壁を覆っていた蔦の下から出てきたものだ。農具が見当たらないと肩を落とす私に、バルカンが「あるぞ」と徐に緑のカーテンを引きちぎった。
その下から現れたのは、小さな農具入れと壁際に取り付けられた薪置き場。そして足元には切り株に刺さった斧まで出てきたのだ。
まさか、外壁に這う蔦の下に隠れているとは思いもよらず、突然現れたそれらに驚き、そして飛び上がるほど喜んだ。
農具入れの中には、鍬をはじめ様々な農具や紙を漉く道具などが収納されていた。それらは、ガジルが魔物を狩り、その素材で作ったものらしい。
うっすらと額にかいた汗を拭い、鍬の柄に顎を乗せてため息をついた。
なぜだか鍬を振り上げると、どうしても重心がぶれてしまう。そのせいで上手く土に刃が刺さらないのだ。
植物の栽培方法を本で読んだ時に、農具の用途もそれなりに勉強したつもりだった。それに実際、屋敷の庭師が使用しているところも見たことがある。
けれど、知識があるだけで実践するとでは訳が違った。ただ振り上げて落とすだけと思っていたそれは、なかなか難しい。
無駄な動きばかりで、息が上がってしまう。もう一回と歯を食いしばり、鍬を振り上げた時――。
『メリッサ、なんだそのへっぴり腰は! もっと腰を入れて耕せ!』
「はい! おっとととっ!? っ、……さ、刺さったわ!」
バルカンの声に驚き身体を跳ねさせれば、ザクリと漸く土に刃先が突き刺さった。先ほどの感覚を忘れぬうちに、喜ぶ間もなく鍬を振り上げる。
コツを掴み、黙々と鍬を振り上げるたび、刃先が太陽に照らされ鈍く光る。
無心で耕し続けていると、抜き残しの雑草と出くわした。構わず鍬を振り落とす。
すると、あれほど苦戦した頑固な雑草も、土とともに簡単に掘り起こされていく。
草抜きの時に、なぜ鍬を使わずに手で抜いてしまったのか。これなら、草抜きも早く終わったはずだ。うっかりしていた自分にがくりと肩を落とす。
集中力が途切れ、凝り固まった腰を叩きながら、ふと隣を見る。すると、ペルーンが穴を掘るように小さな前脚で土を耕していた。
しかし、熱中して一点ばかりを掘っているせいで、このままだと、ただの落とし穴が完成しそうだ。
「ペ、ペルーン……そろそろ、そこはもう掘らなくて良いんじゃないかしら?」
「クナァ?」
私の呼びかけに、ペルーンのくぐもった声が穴から聞こえる。ひょこりと顔を出したペルーンが、不思議そうに辺りを見渡した。
そして、漸く自分が下に向かって掘り続けていたことに気がついたのか。「しまった!」というように、穴から飛び出した。
『フン、馬鹿なヤツめ。お前が穴に夢中になっておる間に我はすべて終わらせたぞ。言葉通り墓穴を掘るとは。さすがチビだな! フハハハハハッ』
「グナゥ……」
自慢の爪で、あっという間に振り分けた区画の畑を耕したバルカンが、毛繕いをしながらペルーンを揶揄う。悔しそうに、けれど反論できずにいるペルーンが、唸りながら後ろ脚で穴の中に土をかけた。
「もう、バルカンったら……。ペルーンも気を落とさないで」
「クゥナ~」
うるうると丸い瞳で見上げてくるペルーンを撫でていると、バルカンがため息をついて立ち上がる。
『やれやれ、お前たちに任せておったら日が暮れるな。我は早く卵料理が食べたいのだ。下がっておれ!』
尻尾でしっしっと私たちを払ったバルカンが、ギラリと爪を出しザクザクと土を掻いてゆく。
「わぁ~! 早い! さすがバルカンねっ」
『ふん、我にかかれば造作もない。メリッサ早く畝を作って種を撒いてしまえ』
つんっと鼻をそらすバルカンの尻尾が、嬉しさを隠しきれない様子で揺れている。その素直な尻尾に、くすりと笑いながら鍬を持ち直したのだった。
突然顔を出すミミズに驚きながらも、畝が幾つかできあがった頃。
ペルーンが小さな籠を咥えてやってきた。
「クナァーン」
「あら、いいタイミングだわ! ありがとうペルーン」
小さな籠の中には、野菜の名前が書かれた木の札と種が入っている。ペルーンが咥えやすい持ち手の付いた小さな籠と、木の札はジークの手作りだ。
悲鳴根の後遺症が完全に治るまで外に出ることを禁じた私に、何か手伝わせて欲しいと懇願するジーク。何もせずただ飯を食うのは忍びないという彼に籠作りを教えた。
これならベッドに座って作れるし、疲れたら途中で止めて休むことができる。
小さな籠はゴモの蔦を割いて作ったもので、作りかたを教えると要領よくスルスルと彼の長い指が、綺麗な籠を編んでいった。
驚く私を見て、ジークは楽しそうに籠に持ち手を付けるアレンジを加えながら籠を完成させたのだ。
ちょうど幼獣でも咥えやすいように作られたそれに、自分専用の籠を作ってもらえたとペルーンが大はしゃぎしたのは言うまでもない。
今はどこに行くにも籠を咥え、家の中でも離さず過ごしている。そして、何かを籠の中に入れて欲しいと強請るペルーンが愛らしい。
そのため、ジークに彫ってもらった野菜のネームプレートと、その種をペルーンの籠に預けたのだ。
誇らしげに籠を差し出すペルーンの頭を撫でて、中身を受け取ると種の入った小袋を開けた。
市井の花屋で買った種だ。あの時はまさか、魔物の森で野菜を育てるなんて思いもよらなかった。
嬉しそうに野菜の種を次から次へと私の手に乗せた店員の彼女は元気だろうか。いろんな種類の野菜をたくさん薦めてくれたおかげで、どの季節も野菜に困ることがなさそうだ。
けれど、謎の若葉がもう少し成長してから植え付ける種を決めたほうが良いだろうか。もしかすると、手持ちの種と被る可能性がある。
そのため、今日は花屋の彼女がおまけしてくれたお楽しみの種と、乾燥させて長期保存できるトウガラシ。そして、早く育つラディッシュとルッコラを植えることにした。
そろそろ、悲鳴根以外のフレッシュなサラダが食べたいのだ。
他の野菜の種は、謎の若葉たちがもう少し育ってから考えよう。
腐葉土を混ぜ耕したふかふかの土に、人差し指でぷすりと窪みを作る。そして、そっと大事な種を植えていった。
美味しく立派に育ってね。
ジークお手製の野菜の名前が入った札を立てる。そして、愛情を注ぐように、柄杓で妖精の泉の水を畑にまいた。
土の湿った香りが広がり、早くて二十日後には自分の植えた野菜が収穫できると思うとワクワクする。
そんな時、どこからか、てんとう虫がくるりと輪をかき飛んできた。
「まぁ! とっても素敵なお客様だわ! ふふふっ、幸先が良いわね」
赤と黒の斑点模様をしたてんとう虫は、害虫を食べてくれる益虫だ。この菜園にいついてくれたら嬉しい。
謎の若葉や間引いた芽を植えなおした畑の上を、てんとう虫が飛び回る。それを見たペルーンが目を輝かせ駆けだした。
小さくパチパチと体を発光させながら、楽しそうに菜園を走り回る姿にくすりと笑う。そして、はたと我に返った。
「ペルーン、雷は落とさないでね!」
「クナァ~ン」
ペルーンの緩い返事に、ちゃんと分かっているのかハラハラする。そんな私の隣で、バルカンが呆れたように首を振った。
『やれやれ、これは明日が見ものだな……』
「え? バルカン、何か言った?」
『何でもない。それより、そろそろ昼食の準備をしたほうが良いのではないか? 我は早く卵料理が食べたい!』
「あっ! そうね。そろそろ支度しなくちゃ……ペルーンお家の中に入るわよ。おいでー!」
間引き野菜と卵の入った籠を抱える私の背中に、駆け寄ってきたペルーンがよじ登る。そして肩の辺りでひょっこり顔を覗かせた。
ペルーンのふわふわの柔らかい毛が首筋に当たりくすぐったい。
「ふふふっ、くすぐったいわペルーン」
「クナァ~」
ぐりぐりと甘えるように頭を押し付けてくるペルーンに微笑む。そして、両手がふさがって撫でられないかわりに、小さな頭に頬ずりを返したのだった。






