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母オリヴィアの惨痛 四

 みっともなくバトレイ家にしがみつき、ずっと探していた自分の存在意義。

 やっと、それを見いだせた。やっと、自分の価値を手に入れた。

 無色の子どもを産んだ私と無色で生まれてきたあの子が、ようやくバトレイ家に利益をもたらすことができたのだ。

 もう、これで大丈夫。そう思っていた。けれど、それは束の間の安息にすぎなかったのだ。


 あの子がマルバリー公爵家から婚約を破棄された。

 婚約中だというのに公爵家の子息は他の娘にうつつを抜かし本気になったのだ。

 あの子が公爵家の子息と上手くいっていないことを知ってから、いつかこんな日が来ることは薄々気づいていた。

 相手はつい最近まで庶子だったらしい。なんでも、その娘は魔力変動を起こし光属性を手に入れたことでミゼラ男爵に引き取られたのだとか。王家との契約はどうなっているのかと腹が立った。

 けれど、爵位は男爵と低く光属性は価値のある属性だが何故か遺伝はしないため光属性を持つ子は生まれない。その点を考慮されたのだろうか。そもそも、実際の契約内容を知らないため噂自体が間違っている可能性もあるのだが……。

 あの子に何度願っても現れなかった魔力変動。そして、なかでも珍しい光属性。無色の人間が敵うはずもない。

 世間は一方的な婚約破棄をした公爵家に白い目を向けるものなどおらず、至極当たり前の選択だと反応した。

 散々疑われ身の潔白を晴らせずにいるが、正真正銘あの子は私とアーロンの子だ。何ら後ろめたいことなどありはしない。けれど、無色で後天的な魔力変動も起きない。

 それなのに、ミゼラ男爵が侍女に手を出してできた子には立派な属性が現れた。

 なんとも皮肉なことだ。よりにもよって、そんな相手に婚約者の座を奪われたのだから。


 悪意に満ちたお茶会。人を嗤うことに生きがいを感じるものたちばかりが揃っていた。

 歪んだ口元を扇子で隠しているが、蔑んだ視線は隠しきれていない。醜く笑う婦人たちが自分の娘から聞いた学園でのやり取りを楽しそうに話している。

 もし自分の子どもの婚約者が魔力なしなら、礼儀の知らない光属性を持った平民を選んだほうがよっぽどましだと悪意を織り交ぜながら嗤っているのだ。

 すました顔で口に含んだ紅茶は、高価な茶葉のはずなのに、やけに渋く感じた。

 一秒でも早くこのお茶会から解放されることを祈りながら、不味い紅茶を優雅に流し込む。

 怒りや悔しさに歯を食いしばり、今では事あるごとに内頬を噛む癖がついてしまった。慢性的にできた口内炎に熱い紅茶が染みる。

 けれど、そのお陰で今にも叫びだしてしまいそうな自分を戒め冷静を保つのだ。真実を知ったあの夜から、誰かに泣き縋ることもできず、ただひたすら侍女にさえ悟られない場所に傷をつける。

 あの子に八つ当たりをし、自傷行為を繰り返す以外、正気を保つ方法がわからなかった。

 再び存在価値をなくした私もあの子も、いつアーロンに離縁されてもおかしくない。細い蜘蛛の糸が切れないように、私は伯爵夫人として出たくもない社交の場に顔を出す。

 どんなに嗤われようと。どんなに血の味が口いっぱいに広がろうと。伯爵夫人としての役目を放棄するわけにはいかないのだ。


 あの子に高額な持参金を積んでも無色の人間を嫁に迎えようと思う人間はそういないだろう。結局は老人の後妻や愛人くらいしか行くあてがない。もしかすると、それさえないかもしれない。

 そう思うだけで生きた心地がしなかった。いつアーロンに離縁状を叩きつけられるのか戦々恐々としていた。

 けれど意外なことに、アーロンはあの子に怒りをぶつけながらも、私たちを追い出すことはしなかった。何故なら次の新しい婚姻相手を見つけていたのだから。

 見た目も人柄も醜悪、けれど富だけは潤沢な男。ロズワーナ伯爵だ。

 持参金もいらず、身一つで良いらしい。そして、新事業への出資と心付けとばかりに多額の金銭が贈られるという。

 貴族では年の差のある婚姻はたいして珍しくない。むしろ、無色のあの子には破格の条件だ。

 これは家同士の婚姻であり、誰しも好きな相手と結ばれるわけではない。貴族とはそういうもので、たくさんの娘が望まぬ婚姻をしている。その中でもあの子は特に相手を選べるような立場ではないのだ。

 そう思おうとすればするほど、なぜか言い知れぬ不快感を感じた。

 あの子を醜悪な男に嫁がせることによって、自分の首の皮もつながったと安堵するよりも、どこか消化しきれない、焦りのような居心地の悪さを感じる。その正体は一体何なのか。

 気づきたくないような、気づかなくてはならないような。そんな思いに戸惑い悩まされていたある日、ロズワーナ伯爵から伝達魔法が届いた。


 急に決まったあの子が屋敷で過ごす最後の夜。

 あの憎い真っ白な髪をようやく見ずに済む。それなのに、なぜこんなにも悩まされるのか。自分でも名のつけられぬ何かが胸の内で騒ぐのだ。

 そんな感情を持て余し、あの子が出発する朝が来るまで食事もとらず寝室に閉じこもった。

 眠れずカーテンの隙間から差す朝日が目にしみる。

 もう何年も優しい言葉をかけていないこの口は、あの子を前にすれば自然と冷たい言葉が出てくる。帰る家はない。だから離縁されるな。

 あの子にかけた最後の言葉は、両親が私に向けて放った言葉そのものだった。

 そのことに気が付いたのは、あの子を乗せた馬車が角を曲がり見えなくなってからだった。馬車の消えて行った先を見つめたまま動かない私に執事が声をかける。

 振り返れば、アーロンはいつの間にか屋敷の中に戻っており、側で執事と侍女たちが困ったように控えていた。

 自分が思っていたよりも時間が過ぎていたらしい。これではまるで、あの子を惜しんでいるようではないか。自分の不可解な行動と、あの子が去っても消えてくれない良く分からない感情に戸惑った。


 あの子が旅立って三日目の朝だった。

 青い顔をした執事がロズワーナ伯爵家の紋章が押された封書をアーロンに差し出す。中には怒りが伝わってくる殴り書きのような文字が並び、その内容に目を疑った。あの子が逃げ出したと書いてある。

 それを見た瞬間、全身の血の気が引き視界が真っ暗になった。

 次に目を覚ました時には、アーロンが捜索隊を撤退させようとしている時だった。あの子の行方が分からず、魔物の森に入った恐れがある。もしそうなら死んでいると言うのだ。

 意味が分からなかった。どうしてあの子が死ぬのだ。そんなはずがない。もっとちゃんと探すべきだ。そう食い下がる私の目の前に、赤茶色に薄汚れた布の切れ端をアーロンが突き付ける。

 何か分からず目の前のそれを訝しげに見つめ驚愕した。それはあの日、あの子が着ていたワンピースの切れ端だった。元は刺繍の入った柔らかな生地のはず。けれど、血液が乾いたような跡があり、変色して見るも無残な姿になっている。

 震える手を伸ばせば、高価な生地とは到底思えないほど硬くごわりとしていた。生々しく血液が乾き固まった様子が冷えた指先に伝わる。

 その瞬間、胸を強く押されるような圧迫感を感じ息が上手く吸えなくなった。耳鳴りと悪寒に襲われ、痺れる手足に立っていることさえできない。

 正常な呼吸の仕方を忘れたように、口からひゅうひゅうと息が漏れるばかりだ。

 苦しくてその場に崩れ落ちる私を、執事が支え必死に呼びかけてくる。視界がぼやけアーロンが私を冷たく見下ろす姿を最後に意識を手放したのだった。


 次に目を覚ました頃には、あの子が事故死と処理された後だった。そして、あの時は気づかなかったが、注文した覚えのないドレスや宝石類、そして最新の魔道具などの贅沢品が屋敷の中に溢れていた。ロズワーナ伯爵から受け取った金銭すべてを返却し、莫大な違約金を支払わなければならないというのに、いったいこれはどういうことだ。

 見当たらないアーロンの代わりに執事に問えば、言いにくそうに視線を彷徨わせ口を開いた。

 なんでも、あの子とロズワーナ伯爵の婚姻の話が纏まってすぐに、アーロンが購入していた物らしい。それが今になって屋敷に届いたのだ。

 購入したばかりで質屋に入れるのも返品するのも体裁が悪く、何か勘繰られてしまうと不味いので、使わずに時が来るまで屋敷で保管しておくとのことだ。

 見覚えのないこのドレスや宝石は、私にプレゼントしようと購入したのだとか。けれど、明らかに私の趣味ではない宝石や似合わないドレスに、あの女の影を感じた。愛人に贈る予定だったのだろう。

 けれど、予定が狂い贈ることも、すぐに売りさばくこともできず屋敷に運び込んだのだ。苦し紛れの言い訳に、まだ私が愛人の存在に気が付いていないとでも思っているのだろうか。

 冷めた目でそれらを見る私に、執事は気まずそうに目を逸らした。とうのアーロンは金策に走り、私の実家に向かったらしい。

 どうせ両親も無色を産んだ恥知らずで厄介な娘が出戻ってくることがないよう、あの時のように金を払うはずだ。不貞を働いていない私を信じず、勝手に罪悪感を抱き賠償金を支払ったあの時から、両親はアーロンの良い金づるとなった。

 そしてまたその金を支払うことによって、私は離縁されずに愛人とアーロンが一緒になるまでの間、この屋敷に留まることができるのだろう。けれど、それは一体どのくらいの期間だろうか。

 その日を恐れ、また捨てられないよう必死で伯爵夫人としての役目を果たさなければならないのか。

 そう思った途端、聞こえるはずのない私を嗤う声が聞こえた。どこからか突き刺さる嘲の視線を感じ恐怖で身を縮める。

 呼吸の浅くなる私に執事がすぐさま寝室に連れて行き医者を呼ぶ。一人残された静かな部屋で、荒い呼吸を繰り返す。恐怖と、どこまでも自分を不幸にするあの子に怒りが沸く。

 けれど、それと同時に胸の中に広がる喪失感と、杭で撃たれたような痛みが押し寄せる。涙が溢れ何に悲しんでいるのか自分でも理解できないまま狂ったように泣き叫んだのだった。




 壁に投げつけて壊した花瓶を侍女が片付け部屋から出て行く。

 耳鳴りのように聞こえていた私を嗤う幻聴が鳴りを潜め、塞いでいた顔を上げた。

 自分で無残に散らした、あの子を連想させる真っ白な花は、もうどこにもなくて、あの時感じた喪失感が込み上げる。

 それは何かよくわからない感情の欠片で、私が怒りに任せ目を逸らし続けたものだった。

 寝不足で重たい瞼がゆっくりと降りて行く。欠片を掴むように夢の中へ誘われたそこには、幼ない真っ白なあの子が屋敷の庭先で遊んでいた。

 声にならない音が口から洩れる。あの子がこちらに気づき、にっこりと微笑むその姿に涙が溢れた。ぼやける視界に何度も瞬きを繰り返し、食い入るように見つめた。

 不思議なことに、憎らしいと感じる隙もないくらい愛しさが込み上げる。そして、自分の愚かな行為に後悔という言葉では収まりきらない感情の波が押し寄せた。

 どうしてこんなにも愛おしい我が子を突き放したのか。私しかこの子を守れなかったのに。一番の味方にならなくてはいけなかったのに。何も悪くないこの子を恨み憎しみを向けてしまった。

 自分を守るためだけにこの子を傷つけてきたのだ。なんと卑劣で愚かなことか。それを今の今まで気づくことさえできなかった。

 まだこんなにも小さかったのに。母親に突然突き放され今までどれだけ辛い思いをしてきたか。


 ごめんね。ごめんね。あなたを一人にして。ごめんなさい。


 膝を折り純粋で無垢な瞳を向ける我が子に手を伸ばす。けれど、触れる前にくるりと私に背を向け駆けだした。


 待って、行かないで!


 どんどん遠くなる小さな真っ白い背中に手を伸ばす。


「メリッサっ!」


 ハッと目を開いた先には、青白くやせ細った自分の腕が必死に何かを掴もうと天井に伸ばされていた。

 幾度と流れる涙が耳を濡らす。久しぶりに発したあの子の名が、静かな部屋に響いて先ほど見た夢を思い出した。

 音を出さず何度も名を呼び、ごめんねを繰り返す。

 許しを請う資格など自分にはありはしないのだ。


 薄暗い部屋の中、漸く気づいた自分の過ちにただ嗚咽を漏らしたのだった。

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